第18話 空回り

 20××年 6月12日(日) 17:00


 帰宅した二人は分担された役割をこなすため、角浦がキッチンへ、貝賀が風呂場へと向かった。外に出た疲れはなく、張り切った様子で両者ともに家事をこなしている。


「昨日買っていた食材で適当に作っちゃお」


 普段は献立を考えて買っておくのだが、今回は予定が変わり外食する可能性も十分にあり得たので困らないように多く買っていた。そのなかから今の気分で考えた末、青椒肉絲をつくることになった。


「それじゃあ、始めますか」


 冷蔵庫から取り出した食材と調味料を並べて早速とりかかろうとしたとき、リビングのテーブル上に置いていた彼女のスマホが鳴った。

 どうやら誰かから電話がかかってきたようだ。

 タイミングが悪いと思いつつも、手を洗い、いそいそとスマホを取りに行く。相手は大学の友人であった。


「はいはい、どうしたの?」 


 大学の授業に必要なレポートの話でかけてきたようで対応していると、また通知音が鳴った。今度は貝賀のものだ。

 彼女同様リビングに置かれていたその画面は当然今の彼女なら意図せずとも見えてしまうわけで、そこに映っているポップ表示された言葉にたしかな驚きを感じる。 


「こんばんは。先日お教えしたことは活かせましたか? ファッションのことならなんでも聞いてくださいね」 


 相手の名前に驚いているわけではない。

 夕波と連絡先を交換したことはたしかに角浦は知らなかったが、貝賀が誰と交流しているのかなど普段はわざわざ聞くことでもないからだ。それは彼の自由であると思っているからでもある。

 それより、この短い文章から彼女が察したことに心打たれたのだ。


「ねえー、絢奈、話聞いてる?」


 話が途切れ、声が聞こえなくなってしまい、通話相手が存在の確認をするがそれも彼女の頭には入ってこない。


「ごめん、またあとで」


 無意識で口から出た言葉とともに終了ボタンを押し、自らのスマホをソファに放り投げた彼女は彼のものを手に取り、ポップを開こうとして一度手を止めた。


「だ、ダメだよね、人のを勝手に開いちゃ……うん、このことは宏一にちゃんと聞こう」


 今、彼女の意識のなかに料理のことも友人のこともない。ただひとつ、涙がでそうなほど嬉しいこと、それだけに向いている。

 その確認のために浴場にいる彼の元に向かう。

 脱衣所に入ると、そのなかから声が聞こえてきた。


「絢奈? なにかようか?」


 料理中に来たと思い込んでいる貝賀は自らの努力を彼女に見られてしまっているとは気付いていない。暢気に明るい声で問うたが、返事がなく、おかしく思い再度声をかける。

 

「おーい、絢奈だろ? 夕食ならなんでも──」

「ねえ、宏一」


 言葉を遮った彼女の声はどこか静かで自分の思っているものとはなにか違うと察した彼は言葉を続けるのをやめ、彼女の続きを待つ。


「今日さ、楽しかったよね」


 もちろんだ。

 そう心のなかで返事をして彼はなお言葉を待つ。

 

「今日さ、宏一はおばさんに子供のときから服のことでいろいろ言われてきたからなんとなくわかってるなんて言ってたよね」

「当時は面倒だと感じていたが、役に立つもんだなって思ったよ」


 もしやと彼は思った。

 初めての角浦との恋人としてのデート。どこにいくのか分からない状態で、自分が楽しむのはもちろんのこと、なにより彼女に楽しんでもらいたい。そう考え、できるだけのことはしておこうと決めた彼は策を打っていた。

 そのことがバレてしまったのではないか。

 どれを知られてしまったのかは今の彼女の発言でわかった。

 そもそも隠すようなことかと言われれば怒られることではないので特にそうというわけでもないのだが、相手の為の努力を本人に見られたくないと思うのは当然のことだろう。


「でもさ、それって男ものの話でしょ。センスが元々ある人なら関係ないんだろうけど、宏一はそうじゃないから、女性ものってなるとわからなくなるはずだと思うんだけど」

「センスがないのは認めるが、応用はきくだろう。そこまで俺も馬鹿じゃないさ」

「……じゃあ、この夕波さんとのやり取りは何?」

 

 そこでようやく彼は気付いた。もう隠しようもない現状を。


「おまえ、もしかして見たのか?」

「全部は見てない。通知来てたの見つけただけ。でも、これ以上嘘つくなら開くよ」


 もうこれは降参するしかない。

 彼はガクッと肩を落とし、大きく息を吐いた。


「全部話すから中身は見ないでくれ」

「わかった。じゃあ、料理しながら待ってるから」

「ああ。携帯もそこに置いていってくれ」

「はいはい」


 両者ともに当然だが怒りはない。

 貝賀は全てバレてしまった落胆を、角浦は彼の愛情を感じ、二人で一喜一憂しているだけだ。

 結局、食事時に話をしようということになり、ついさっき彼女が青椒肉絲を皿に盛り付け、テーブルに並べたところ。

 席に座る二人の顔は正反対といっていいほど対照的である。


「それでまずはなにから話した方がいい?」

「うーん、じゃあ、夕波さんに何を相談したのかとその理由からお願い」

「わかった。多分、もう両方とも何となく察しはついてるだろうけど、俺は今日どこに行くかわからなかったからなんにでも対応するために夕波さんだけじゃなくて、色んな人に聞いたんだ」

「それは教えてもらっても?」

「夕波さんと母さん、それから又垣またがきだよ」


 又垣は貝賀のバイト先の後輩である。現役女子高生だ。


「そっか。ありがとね」

「まあ、やれるだけのことはしておくにこしたことはないからな」

「そうだね。でも、それをちゃんとやれる人は少ないと思うし、私は嬉しいよ」

「そういってもらえてよかったよ」


 彼は彼女の笑みを見たことで気が晴れて表情が柔らかくなっていく。


「でもっ!」

「っ!」


 気が緩んでいた彼は突然足を蹴られて顔を歪める。

 それを気にする様子なく彼女は続けた。


「嘘はあんまりよくないよ!」

「わ、悪かったとは思ってるけど、恥ずかしくてバレたくなかったんだ」

「べつに今更カッコ悪いとこ見ても幻滅なんかしないんだから」

「すまん……」


 共に選び、共に悩むというのも一興であると考える彼女にとって、それだけは気にくわなかった。それを差し引いても十分出来の良いデートだったと感じてはいるが。


「来週はそういうことがないように!」

「俺は構わんが、つまらなくなるかもしれんぞ」

「失敗も経験しておくべきだし、私は二人で出掛けられるだけで嬉しいし、変な気なんて回さなくていいから。宏一にも心から楽しんでもらいたいし」

「わかった。次はなにも準備しないで純粋に楽しむよ」


 実際、今回は初回ということもあり、成功しなくてはという意識が彼のなかにあった。それが空回りしてしまった結果、こういうことになっているのだから、失敗までとは言わないが反省すべきことだろう。

 彼が角浦が楽しんでくれればという意識があるならその逆も然りというわけで、彼の必死さを感じ取っていた彼女にとっては今回は総合的にいえば良い点数とは言い難い。


「来週もちゃんと見てあげる」

「よろしく頼む」

「それじゃあ、食べようか」

 

 話を終えた二人は先ほどから目障りなほど匂うそれを見つめ目を輝かせた。


「「いただきます」」


 無意識に声が重なり、二人ともメインの大皿に手を付けて頬張る。

 今日1日気を張っていたおかげで腹は空いている。手を止めることなどできず、ただその欲望に従うように身体を動かした。


「さてと、明日提出のレポートの最終確認も終わったし、寝る前に音楽でも聴こうかな」


 貝賀が眠りにつき、リビングには角浦独り。

 集中するために部屋の電気は消してパソコンの前に座っている。自室でないのは目につくところになにもない状況を作り出すためだ。


「たしか昨日も聴いたから履歴に残ってるはずなんだけど」


 今日は一度もパソコンに触れないでいた。そもそも彼女自身、愛用しているわけでもない。貝賀も時折使う程度だ。調べるよりも遡った方が早いという考えに至った結果、彼女は履歴のページを開いた。


「あれ、昨日の使用履歴更新されてる」


 彼女の記憶が正しければ昨日、彼はこのパソコンを使っていないはず。だが、たしかに覚えのないサイト名がそこには表示されていた。内容もわかりやすく、この夏押さえておきたいコーデという見出しが全てを物語っている。


「宏一、自分でも調べてたんだ……他にも何個かあるし」


 表示されるアドレスを開くと、その他にも人気の高いデートスポットの一覧であったり、飲食街の記事であったり、はたまた穴場スポットであったりと多種多様である。

 それは紛れもなく彼の意識の表れだ。

 今回、彼女から提案した疑似恋愛。実際のところ、貝賀自身がどれほど真面目に取り組んでくれるかはわからなかった。自分の身勝手な行動に仕方なく付き合ってくれているだけなのではとさえ思えた。それが貝賀という男だからだ。しかし、そんな考えとは裏腹に彼はいたって真面目に向き合っていた。

 そのことはなによりの成果だ。

 彼のなかで確実に意識の変化がある。恋人が欲しいなんて欲望の為じゃなく、ただ純粋に恋を体験してみたいという一心で挑戦する意志を持っている。

 その一部を覗き見た彼女の心にあるのはただただ喜びだ。


「良かった……」


 角浦はフッと肩に乗っていた重いなにかが降りたように感じた。同時に、胸の内から込み上げてくる安堵に喉元がキュッと締まるような感覚に襲われ、目頭が熱くなってくる。


「本当に……良かった…………」


 言葉が嗚咽でうまくでない。絞り出そうとしても頭も働かない。もう感情のままに全てを吐きだそうと力を抜いた瞬間、涙が溢れて止まらない。鼻からも流れるものがある。それを拭えど次から次へとまた新たに出てきてしまう。

 当然、その表情は美しさの欠片もない。泣きじゃくるといった表現が当てはまるほどのものだ。だが、そのぶん、どれだけのものを彼女が背負ってきていたのかは鮮明だ。

 まだ最終目標までは程遠い。背中すら霧のなか。それでも、たしかに一歩近付いた。それを感じられた。それだけで彼女は今胸がいっぱいになった。

 そうして、10数分もの間枯れるまで全てを流し続けた彼女は心を落ち着かせ、立ち上がった。向かう先は貝賀の部屋。なるべく音を立てないように扉を開け、忍び足でベットの上で眠っている彼に近寄っていく。


「気持ちよさそうに寝てるなあ」


 大の字に手足を伸ばし、掛け布団はその身の半分も掛かっていない。

 まるで子供のような一面に愛らしさを感じ、優しい笑みを浮かべ、そっと顔を近付けた。


「これからも一緒に頑張っていこうね」


 小さくそう呟いたのち、頬に軽く唇を触れさせた。そのことに気付くこともないかと思われたが、彼は薄く瞼を上げ、微かに見える人影から角浦であると判断し、意識が朦朧とするなか言葉を発する。


「絢奈……今日は一緒に寝よう」


 体勢を戻し、寝床のスペースをつくった彼は静かに手を差し伸べた。

 彼女はそれを拒むことなく握り返し、ベットに上がると彼にくっつくように身を寄せた。


「甘えん坊だな」

「……うん」


 温かみを互いに感じ合い、安心する。

 貝賀ははっきりとしていない意識ではあるが、手から胸から確かな熱が伝わってくる。それだけで満足感に笑みがこぼれ、角浦もまたこの一時だけは遠慮もなにもいらないのだと、素の自分でいても良いのだと彼の香りを胸いっぱいに感じ、幸福感に見舞われた。

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