第20話 思い出の扉

 20××年 6月15日(水) 13:00 


 貝賀宅には彼一人だけである。

 各部屋に掃除機をかけ、昼食を済ませた彼は自室の整理に向かった。

 見渡す限り質素な部屋。あるものはベッド、机、本棚の3つだけ。あとは付属の押し入れぐらいだ。その押入れのなかを今日は整理整頓するつもりなのだが、もとより物を買わないために汚いなんてことはない。


「よし、やるか」


 扉を開けば一つの大きな棚が姿を現し、その引き出し一つ一つに付箋が貼られている。そこにはいつのものかわかるようにするための日付が記されているのだが、そのなかで高校時代のものが収納されている段を引き出した。


「届いた荷物多いな」


 浅木先生の結婚式まで残り約1ヶ月と迫ったため、貝賀は高校時代の思い出の品を実家から送ってもらっていた。それを先日中身を確認せずにこのなかに仕舞いこんでいたので、不必要なものの選別をこれから行っていく。


「昔のテストまで入ってるのかよ」


 はみ出していたそれには92という赤い数字が記されている。3年時のテストであることから真面目に勉強していたことがうかがえる。というのも、彼は生徒会役員であったためにそれなりの成績を求められていた。当時はそのために努力していただけなのだが、それだけの理由で高得点がとれるかといわれればそう簡単なものでもない。

 彼自身のスペックが高いというわけだ。


「さすがにプリント類が多いな。特に生徒会のときに使ってたものばかりじゃないか」


 綺麗にファイルにまとめられているが、そのファイル自体は厚く内容量を物語っている。

 これを今日一日で全て確認していくと思うと気が遠くなるが仕方ないと自分に言い聞かせた貝賀は早速生徒会と命題されたファイルを手に取り、中身を確認していった。

 業務連絡の手紙、生徒会内の連絡メモ、他校からのイベント招待状など、生徒会副会長を務めていた1年間の記憶を呼び起こすものが多数見受けられるなか、1つの手紙に目が留まる。それは彼の記憶に確かに残る可愛らしいクローバーの模様が入ったものであった。


「話があるから放課後残っておくこと」


 山萩からの手紙だ。

 当時はどうしてわざわざ手紙なんかをと思ったが、よくよく考えれば人気モデルがプライベートで男子クラスメイトを誘っているところを誰かに見られなどしたら問題だ。あくまでも偶然を装いたかったのだろうと今更だが彼は理解する。

 それからその時の光景を思い起こした。


 20××年 3月20日


 手紙は卒業式のリハーサルが終わったあと、教室に戻ると机のなかに入っていた。

 山萩はいつそれを貝賀が確認するかとちらちら見ていたが、初めそれを手に取った彼は一度首を傾げて学生服のポケットのなかにしまう。

 どうして隠すのかと苛立った彼女であったが今それを言及するわけにはいかず、なにかしらのきっかけをつくり、その中身を見るよう仕向けるためにいつものように近付いた。


「ねえ、貝賀」


 声をかけられた瞬間、彼は表情を徐に変えて拒絶を露わにする。

 この時、まだ許していなかった山萩に既に若干の嫌悪感を感じていた彼は甚だ迷惑だと言わんばかりに眉間にしわを寄せ、言葉を返す。


「なにかようか?」 


 その空気の悪さを感じ取った友人たちはまたかと言わんばかりにため息をつき、二人から距離を取る。皆、二人のことは好んでいるのだが、このときの空気には触れたくない。ただそれだけだ。元はともに貝賀のことを責め立てていた女子もこの時には角浦からの説得のおかげでそのようなことはもうしていない。だからこそ、面倒ごとには巻き込まれたくないといったようすでいる。

 そうして、また各々は自らのことに意識を向けた。

 

「今、なにか隠してたでしょ」

「見たのか?」

「偶然目に入ったの」

「そんな都合よく見つけるもんかよ。どうせまた難癖でもつけようと考えていたんじゃないか?」

「なにそれ。馬鹿らしい。そんなことより、なんで隠したのよ」

「なんでってそりゃ他人に見せるものでもないからだよ」

 

 中身を確認したわけではないが、恐らくいつものように恋文だろうと考える貝賀は、結局断ることでなにか言われるのではないかと危惧し、なにがなんでも否定的な対場でものを言う。


「そういうってことはまた告白でもされるの?」

「……わからない。まだ見てないんだ」

「じゃあ、ちゃんと見てあげることね。それを書いた子が悲しい思いをしないように」

「あ、ああ」 


 貝賀は拍子抜けといったようすで何がどうなっているのか全く理解できないでいた。一件後の彼女であれば、確認すらまだしていなかったことをまず強く責めていたからだ。それにどうせ断るならと次の説教に移る。

 そう想定していた彼はすぐに身を引いたことに違和感を感じつつ、変に首を突っ込まれるよりかはいいだろうとそれ以上は反抗することはなかった。

 そうして、山萩が友人の元に戻ったあと、なるべく誰にも見られないように手紙を開いた。 

 そうして書かれていた通り、他に誰もいない教室に一人椅子に座って待っていた。

 まさかいたずらなのではとも考えたが、さすがにそうでなかったら失礼かとその考えを捨て、ただただ携帯を触りながら待った。

 そうしていると、ようやく扉が開く音が鳴り、彼はそちらを向く。そして、驚いた。


「や、山萩?」

 

 まさかのサプライズ登場だった。

 彼は書かれていた言葉から知り合いではあるのだろうと想定はしていたが、それでも自らを促してきた本人がやってくるとは思ってもいなかった。 


「ちゃんと待っててくれたんだ」

「あ、あの、一つ聞きたいことがあるんだがいいか?」

「なに?」

「今からその、告白──」

「するわけないでしょ」 


 きっぱりと遮るように言った彼女を見て貝賀は傷つくどころかほっとした。

 もし、彼女が自分に告白なんてしようと考えていたなら、あまりにも理解できなくて、頭が爆発でもしてしまいそうだからだ。そんなことにならず、安堵の息を漏らした貝賀はさらに問う。 


「じゃあ、どうして俺を?」

「話がしたくて呼んだの」

「絢奈のことか?」

「そうだけど、べつに責めようだなんて思ってないから安心して」

「そうか。でも、そう言われたら絢奈のことで何を話そうっていうんだ?」 


 てっきりいつもの如く長くくどい話が始まるかと、面倒だと思っていた彼にとってそれは願ってもない嬉しいことだが、ではなにをという部分がすぐに頭のなかを覆いつくすように広がり、その疑問をそのまま口に出した。

 

「絢奈のことっていってもメインは私とあんたのことなんだけど、明日で私たち卒業でしょ」

「ああ、そうだな」

「多分、卒業したら顔を合わせることなんてそうそうないだろうから、今のうちに言っておきたくて」

「だから、なにを?」

「その……今までいろいろ突っかかってごめん」

「は?」

「いや、だから、いろいろ責めすぎたし、そのせいで仲悪くなったし、一応謝っておこうかなって」

 

 その瞬間、貝賀は腹の底から込み上げる笑いに耐え切れず、思わずくっと噴き出してしまう。

 

「ちょ、なに笑ってるの!」

「ごめんごめん、まさかそんなことを神妙な顔で言われるだなんて思いもしなかったから、おかしくっておかしくって」

「で、でも、大事なことじゃん! 変な感じのまま別れたくないし」 


 俯いた彼女を見た貝賀は一度咳払いして笑いをやめ、立ち上がり、声をかける。 


「安心しろ。今までおまえのことを嫌いになったことも、友人でないだなんて思ったこともねえよ」

「嘘。何時も嫌そうな顔してた……」

「そりゃ、あそこまでしつこく言われると、こっちとしてはまたかって気にはなるけど、それだけお前が絢奈のことを思ってあげているってことだろ。わざわざそんなやつを嫌ったりなんかするわけないさ」 


 実際、貝賀が彼女に怒ったことは一度もなかった。面倒だと感じている分、声が低くなり、それを怒りと勘違いされることはあったが、まるでそんなことはない。

 そんなことで彼は誰かを嫌わない。 


「それにむしろ、今まで以上に好きになれたよ。おまえは良い奴なんだって知れて」

「馬鹿! そうやって簡単に好きとか言わない!」

「すまんすまん。でも、嘘じゃないから」

「それはまあ、嬉しいけど、とにかく軽々しく好きだなんて言うな!」

「はいはい」 


 顔を上げた山萩は声を上げてはいるが、その表情はとても明るい。隠しきれない笑みがひょっこりと顔を見せ、貝賀にも伝わる。

 それから二人はもう他の生徒がいない校舎から出て、駅まで共に帰っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る