第27話 永遠のヒーロー
「ただいま」
その後も考えること数分、両手にスーパーの袋を引っ提げた山萩が息苦しそうに帰ってきた。
貝賀はすぐにその重荷を受け取り、リビングのテーブルに一旦置く。
「ふぅ、良い運動になったぁ」
「玄関までも取りに行けなくて悪いな」
「気にしないでよ。それより早く準備しよ」
山萩は買った食材を冷蔵庫のなかにしまい、これから食べる菓子類をお盆の上のクッキングペーパーに広げて配膳し、昼食用に買ったコーンクリームスープの為にお湯を沸かして粉末と混ぜて作り上げた。
「おまえは夏に熱いもの食べるのが好きなのか?」
「うん、冬にアイスも好き」
「わかる。ああいうの良いよな」
好物の類似は実に気を良くさせる。両者ともにボルテージが上がり、ご機嫌だ。
「さてさて、まあいろいろつまみながら話をするわけですけど、改めると変に緊張しない?」
「話すこと決めてたとしてもよーいどんだと第一声に勇気いるよな」
「そうそう。まあ、この流れで話すけどあんたは今日ここに来た目的果たせなかったわけじゃん。それでよかったの?」
目的というのは模擬デートのことだ。本来の運びであれば、今日は夕波同伴の元、3人で日帰り旅行に行くつもりであった。それは貝賀の提案で、普段からお世話になっている感謝の念を含めた気晴らしに角浦を誘おうとしていたからだ。
それが急遽、故意な事故により変わってしまった。たしかにそれは貝賀にとってすこし想定外であったが、先で言ったように第一の目的は自らのなかで事の善悪をはっきりとさせること。そのときの勢いに流されてよく分からないまま終わってしまうよりかは密室で面と向き合って話した方が良いだろう。
「それに関しては何も心配してもらわなくて大丈夫。むしろ、こうやって二人で話す機会を得れたのはプラスにすらなってるよ」
「私としか話せないことでもあるの?」
「ああ、そうだな。夕波さんから聞くべきこととそうでないことがあるだろ。その後者を本人から自分の耳で聞きたくて」
「てことは、高校のときのことか」
「まあ、そうなるわな」
山萩自身もそれなりの覚悟はしていた。
今回、こんな事態になってしまったのは偶然だとしても、角浦がいない状態で会うのだからそのつもりで来ているのではと考えてはいた。しかし、それは恐らく貝賀特有の意味のない謝罪、感謝であり、また自分が困らせてしまったのだろうという間違ったものである。
だからこそ、次に出た彼の言葉に違和感を感じる。
「どうしておまえは俺をあそこまで目の敵にしたんだ?」
その理由はたしかにはっきりとしたものが彼女のなかにはあった。ゆえに、その質問に答えることは容易であったが見当違いな始まりに焦りはせずとも混乱し、微妙な間を生んでしまう。
「……まあ、あのときは私も色々あったのよ」
「前提として言っておくが、俺はあのときのことを恨んでいるなんてことはない。それは分かってほしい」
「うん」
「そのうえで問うが、おまえは私情のストレスの捌け口に俺を利用したのか?」
「そういうわけじゃない。でも、全部間違ってもいないかな」
当時のことを思い出しても今となっては痛くも痒くもないほど過去のこととなってはいる。だが、当時の彼女の心が尖っていたのも事実。
その点について、彼女は反省しているが謝罪するタイミングを自分で作り出すことができなかった。LINEを使うという手は当初からない。顔も見えない相手に謝っても本心から気持ちを伝えることはできないからだ。結局は言葉の表面だけしか見えない。それでは意味が全くない。
そう考えていた彼女はこの機会を逃してはいけないと本能的に感じ取った。
「あんたは全く興味がないだろうし、聞かされても迷惑かもしれないけどそのときのこと、話していい?」
「なにがあったかをか?」
「そう」
「別に構わん。むしろ、お願いしようと思っていたところだ」
「そっか。じゃあ、話すね」
「よろしく頼む」
二人の視線はぶつかり合い、逸らすことは許されない。
二人だけの空間に異様な空気が流れ始める。けれど、それは決して嫌なものではなく、必要不可欠な重要なものである。その空気感が二人の緊張感を増し、冗談など言う隙すら与えず、淡々と真実を吐く他なかった。
そうして、二年越しに当時の対談が開かれる。
「私の両親は高校2年のときに離婚したの。よくある話で父親の浮気。その頃の二人の距離感から考えられもしなかったし、父親がそんなことしてるなんて思いもしなかった。普段は善悪のはっきりしてる人で、休日にはよく遊んでくれてテレビも好きで、よく笑ってる人だったから」
理想という言葉が合うかどうかは個々のものであるから一概にも言えないが、娘に良い父親であったことは貝賀に伝わった。彼女が好んでいたことも。
「どういう経緯で女の人と出会ったかは教えてもらわなかったけど、夜のお店の人でも仕事仲間とかでもなかったみたい。そもそも定時に帰ってくる人だったからそういう疑いもしてなかったってお母さんは言ってた」
実際、浮気がバレるミスはやりとりを見られてしまったり、匂いを消しきれなかったりとある。中にはバレても構わないという心の廃った輩もいるが、大抵は捕まえられる女は手元に置いておきたいと思うのではないだろうか。
だからこそ、浮気が見つかった際に焦ってしまうわけで、貝賀は彼女の母親を気の毒に思った。
「まあ、そのなにがあんたと関係してたかってところだけど、結局女性を誑かすだけ誑かしてるんじゃないかって私の早とちりが原因。それまでも何人かに告白されて全部断ってたって話は噂や本人から聞いていたから、それまで一途な人なんだなって思ってたのが裏切られたみたいで勝手に印象悪くしちゃって」
「素行の悪かった人間がごく普通のことをしたときに過剰評価される理論の逆だな。勝手なイメージが崩されたときに得られる感情は何かと膨大するから」
「にしても、さすがにやりすぎたかなって思った」
「それで謝ってきたんだ」
「覚えてたんだ」
「まあ、ずっと頭にあったってわけじゃないが、この前家で整理をしているときにもらった手紙見つけて思い出した」
「わざわざ手紙まで」
少なからず当時の彼にとってそのことは印象強く残っていた。だかたこそ、卒業後、身の回りの整理をした際には捨てずに取っておいた。単に日が近く、頭に残っていたというのもあるが。
なにより、山萩には思い出に残っていたというだけで十分だ。
「話を聞いて思ったが言う通り、お前は過剰反応だった気がする。他にもなにかあったわけじゃないのか?」
「なかった……わけじゃないよ」
「それは教えられないことなのか?」
ここまで来たらスッキリしたい貝賀。聞きだせることは何でも質問を重ねて掘り下げようとする。
対して山萩はどう応えるべきか悩んでいた。たしかに先に出た理論は当てはまっていた。しかし、核の部分にはそれ以上の恋情が絡んでいたからだ。それをこんな形で話すのは流れが悪い。
「教えられないわけじゃないけど」
「けど?」
「でも、ああ、うう……」
「関係してないわけじゃないんだろ? なら、俺は話してほしいんだ。ここでなにか隠し事をするのは違うんじゃないかな」
「うん、そうだよね。それはわかってるんだけど、じゃあ、一回深呼吸させて。それと目、瞑って」
想定外の提案に首を傾げつつも、了承して瞼を閉じる。
鮮明に聴こえてくる彼女の息遣い。長い深呼吸。相当な緊張をしているのが伝わる。だからこそ、さらに強く瞼を閉じて耳を澄ます。
「なにがあったか話す前にそれまでの流れも全部話すからその間も絶対に開けないで。開けた瞬間に話辞めるから」
「わかった」
再度深呼吸。彼の脳内で作られた山萩像は神妙な面持ちで今面と向かっている。現実は緊張から頬を赤らめて下を向いているが。
五月蠅くなってきた心音を落ち着かせた彼女はそのまま話しだす。
「私は絢奈と2年生のときに知り合ったの。初めに話したときに気が合って友達になって、もちろん1年のときに仲の良かった子たちもいたけど、そのときはなぜか絢奈に没頭してずっと一緒にいた。だから、絢奈の恋愛話はよく聞いてた」
そのなかに出てきたのが貝賀という一人の男であった。2年の春、まだ彼の名はそこまで広まっておらず、山萩は生徒会の人という認識しかなかった。逆に言えば、その印象しかなかったがためにどこか真面目なのだろうという曖昧なイメージだけがあったのだ。
「絢奈のなかのあんたは凄く輝いてた。気が利けて運動が好きで、でもただ謙虚なだけじゃなくて攻めた行動も厭わない。恋は盲目っていうぐらいだから過剰評価ではあるんだろうけど、気にはなるのが女子ってもんだから友達にどんな人かって聞いてみた」
その結果、告白をされても好きな人がいると断り、今のところ彼女がいたことはないという人物像が出来上がった。もちろん今ではそんな姿の欠片も感じてはいないが、当時の山萩には素晴らしい人物にしか思えず、妄想の世界で理想像と混ざり合い、貝賀宏一を自作した。
「私の勝手な想像で本当に馬鹿みたいだけど、両親のことで疲れてた私からしたらあんたは絶対的なヒーローって感じで、心の頼りにしてたんだ。秋になって生徒会副会長になったあんたが皆の前で自分は一人でも多くの人が笑って校門から出ていけるそんな学校にしたいって真剣な顔で言ってるのを見てやっぱりこの人だってなった」
支えであった彼はいつのまにか意中の人となり、意識せざるを得ない相手となった。よりによって、それは自分の親友の好き人。恋愛は崩壊と創造が必ず生まれる。それは彼女自身もわかっていた。だから、決意する。
「私、あんたのこと好きだった。でも、絢奈のこと応援したいから、裏切りたくなかったから、ちょっと振られたら私にもチャンスがあるのかなって可能性のない期待もしてたけど、応援することにしたの」
ここまで反応を示さなかった貝賀が確かに息を飲んだのが山萩にもわかった。
なにを思っているのだろう、罪悪感を感じてはいないだろうかと彼女は少々心配しつつ、話を進めていく。
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