第26話 善意

 20××年 6月28日(火) 8:00


 昨晩は顔を合わしても気まずいだけだろうと貝賀から距離を取り、おやすみとだけ伝えて寝た。

 山萩自身も彼の様子がどこかおかしいと気付き、何も知らないでいる自分がしゃしゃり出るよりかは悔しいけれど、角浦のほうが信頼もあり適任であると判断し、話してくれるまで待とうと決めて行動には起こさなかった。

 その翌朝だけあって、空気は微妙に悪い。互いに遠慮してしまい、間が痛々しく感じられる。


「あのさ……」


 それでもどうにかしようと考えるのはやはり貝賀で、せっかくの今日を台無しにしないためにもまずは0に戻そうと話し始めた。


「昨日言ってた約束、なににするか決めた?」

「えっ、あ、ああ、うん」

「教えてもらってもいい?」

「それは……嫌」


 どうしてかと首を傾げた貝賀。

 それに答えるように彼女は言葉を続けた。


「私、お楽しみは最後にとっておきたいタイプなんだよね」

「なんだよ、それ。やるのは最後でいいから内容だけ教えておいてくれよ」

「だーめ! それに決まったって言ってもまだ2つで悩んでるし」

「決まってねえじゃねえか」


 貝賀は予想外の返事につい笑ってしまう。

 それが引き金となり、若干空気が緩和される。


「何でもいいって言ってくれたから悩むの!」

「さすがに限度はあるぞ?」

「ものとかじゃないけど、今はやっぱり決められない。明日には決めておくから!」

「べつに急かしやしねえよ」


 とは言いながらも、一度聞いてしまった手前気になって仕方がないのは人の性であろう。

 山萩は頭が悪いわけではない。自分に有益なことを求めるのではないかと考え、物欲がないというなら1日雑務などの部類であろうと考察する。

 その答えは未だわからないが、しつこく聞くのは野暮だと無理にでも切り替え、話を今日のことに向けた。


「そういえば、夕波さんは?」

「現地集合するみたい──と、噂をすれば電話来た」


 あまりにもタイミングのよすぎる連絡に反応して貝賀は嫌な予感がした。嫌という表現が今回の場合合っているかはわからないが、あの人ならもしやという察知能力が反応する。


「もしもし?」

「清恋、ごめんなさい。仕事が片づけきれなくて、今日向かえそうにないわ」

「えっ」

 

 山萩のリアクションから自分の予感は間違っていないと確信した貝賀はやってくれたなと心のなかで夕波を恨みつつ、それと同時にやるしかないという覚悟も出来た。


「ねえ、貝賀、実は──」

「来れなくなったんだろ?」

「──う、うん」

「ちょっと電話代わってもらってもいい?」

 

 頷いた彼女は携帯を彼に渡す。

 その会話を聞いていた夕波もまた貝賀がなにをしようとしているのか曖昧ではあるが想像がついた。

 二人の有する像は一致しており、貝賀がすみませんと切り出す。


「今日行くはずだった予定全部消して二人でプライベートで楽しんできてもいいですか?」

「えっ?」


 声の発生場所は貝賀の前、せっかくの楽しみが消えることに憂いを滲ませた表情を浮かべていた山萩であった。

 彼はスピーカーボタンを押して彼女にも聞こえるようにする。


「仕方ないわね。ただ、1つ条件付き。二人で外に出たらだめ。それだけは守って」

「わかりました」

「よし、なら思う存分今日を楽しみなさい」

「ありがとうございます」


 一人置いてけぼりの山萩は未だ頭が追い付かず、はてなマークを浮かべたままだ。

 そんな彼女に説明するため再度代わるよう言った夕波の指示通り、貝賀はスピーカーモードを消して携帯を返す。

 受け取った彼女は何を話したらいいのかわからず、言葉に詰まった様子で文章がまとまらない。


「清恋、落ち着いて」

 

 夕波は優しい声で慌てている彼女をなだめる。

 その安心感は今は何よりも効果があり、彼女は深呼吸をして整える。

 

「話聞いてくれる?」

「う、うん」

「宏一くんが今日は清恋と二人で過ごしたいっていうから許可してあげたの」

「私の聞き間違いじゃなかったよね」

「違う。ちゃんと聞いてたでしょ。それでさっきの約束事、清恋は守れる?」

「だ、大丈夫……だと思う」

「思うじゃダメでしょ。それなら今から仕事道具持ってそっち行くよ」

「ダメ!」

 

 突然の大声に会話が聞こえてなかった貝賀は驚き、何事かと山萩を見る。

 それに気付く余裕すらなく、彼女は続けて大声で言った。


「私、絶対守るから、今日だけは二人でいさせて」

 

 声をかけようとした貝賀の喉が絞まる。出しかけた言葉は姿を消し、代わりに今まで感じたことのない緊張が身体中を駆け巡り、固めていってしまう。


「ふーん、清恋の割によく言ったね。で、当の彼も聞いてるわけだけど、まあ、頑張れ。じゃあね」


 合図もなく話を強引に切り上げられたことよりも、夕波の言葉でようやく自らが作り上げてしまった現場を目の当たりにした。

 振り向いた先には自分を見つめる貝賀。その瞳には確かに自分が映っている。


「あ、あの……まあ、その……そういうことだから」

「お、おう」

「今日はいっぱい楽しもう……うん」

「ふっ、なんだそれ」

 

 やけくそ感すらあるものの、吹っ切れた二人は大笑い。緊迫した空気は壊れ、おちゃらけたものにかわる。

 とりあえず落ち着くために席に座り、今日一日をどう過ごすかそのプランについて話し合う。


「俺は前、おまえが来たときに観た映画の原作者の別作品をまた一緒に観たい」

「私はゆっくり話がしたいかな。いろいろ、貝賀のこともっと知りたい」

「そっか……よし、じゃあ、そうしよう。俺も聞きたいことたくさんあったから好都合だ」


 実質的な告白。

 言い終えた後にそのことに気付いた山萩であったが、貝賀はなにも気づいていないようでただ純粋に自分を求められたことへの幸福感を感じていた。

 その姿を見て彼女は一安心。ほっと息を漏らす。


「どうした?」

「ううん、なんでもない。せっかくならもっと楽しめるようにしようよ」

「それは構わんがどうしたいんだ?」

「簡単に飲み物買ってお菓子買いまくる?」

「なんでお前が疑問形なんだよ。まあ、いいけど」

「お昼と夜はどうする?」

「出前取るわけにもいかないから俺が持ち帰ってくるよ。その間にテーブル片づけたり、食器出すなりしてくれたらいいや」

「わかった。それじゃあ、さっそくお菓子買いに行こう!」

 

 気分が高揚している彼女は腕を上げ、モチベーションをさらに高めていく。

 それにつられるように彼も腕を上げ、自らを奮い立たせた。


「でも、一緒には行けないからここで大人しく待ってろ」

「大丈夫! 私が行くから!」

「そんなにのめり気味でどうした。これは欲しいってものがあるならLINEで送ってくれたら買っておくから」

「それもそうなんだけど、お昼だから見通しいいなかで私の部屋からあんたが出入りしてるところ見られたら困るでしょ。夜なら高いし暗いしで区別付かないけど。だから、お昼もついでに買ってくる」

「なるほどな。お菓子とか飲み物とかはお前の好みに任せる。因みにどこに買いに行くつもりだ?」

「近くのスーパーかな。貝賀が来た道とは逆方向にあるんだ」

「そうか、なら……せっかくだし、昨日言っていた手料理、ご馳走してもらってもいいか?」


 その言葉に山萩は目を輝かせた。やっとこのときがきたと言わんばかりに笑みを浮かべる。


「メニューは?」

「俺の好物でもいいか?」

「うん!」

「菓子もあるからそこまで重いのはやめておいた方がいいよな。なら、オムライスがいいかな」

「わかった! じゃあ、お昼は貝賀が食器担当ね」

「それは構わないんだが、昨日ここで食べてないから場所が分からないんだ。帰ってきてからで大丈夫だから教えてくれないか?」

「それもそうね。それまで大人しく待ってて」

「あいよ」

 

 ルンルン気分というワードが見事に当てはまりそうなほど上機嫌に家を出た山萩を見送った貝賀は再度、夕波に感謝のメッセージを送る。すぐに返事が来た。


「仕事ってのは嘘だから。うまくやりなさいよ」

「やっぱりそうだったんですね」

「清恋には秘密よ」

「わかってます。今日は夕飯を振る舞ってもらうことになりました」

「手料理か。清恋なら腕は立つから味は保証するわ。まあ、頑張りなさい」

 

 了承と書かれたスタンプを返してアプリを落とす。

 それから自分なりにプランを考えた。今日、山萩と何をすべきか。今後のためにどこを進展させるべきかを。

 その結果、やはりなにより自分たちの間にある壁を取り除くのが一番優先事項であり、距離を縮めるためにも必要不可欠だとなる。

 自分は自分の世界しか知らない。誰かの世界を覗き見ることなんてできやしない。だから、教えてもらわなければならない。それが必ず良い結果をもたらすとは限らないが、やろうともせずに結果だけ求めていても当然得られるものがないことを彼は知っている。

 心に棲む罪悪感。それは角浦に対するものであり、それに動かされここまでやってきた。はたから見れば成功しているように感じられただろう。だが、そこにはたしかな気遣いと遠慮が入り混じった地獄絵図がある。

 角浦からの純粋無垢な恋情に貝賀の罪悪感が複雑に絡み、無理に捻じ曲げ、折れる寸前までになってきた。それを彼は最近になってようやく気付いた。いや、気付かされた。

 角浦の行ったデート計画のなかで自分の知らない姿を見てきたからだ。それは決して見せてはいけないと彼女が心のなかにしまった真実。これまでどれほどの嘘を彼女につかせてしまったのだろう。考えるだけで自身に嫌悪感が生まれてくる。

 では、どうして今回山萩と二人きりという状況を作ってまで踏み切ったのか。それは貝賀が角浦に歩み寄るための第一歩であった。罪悪感を感じることがない相手であるからこそ、自らの素を表現することができ、善悪の区別もしやすくなる。そこで得た経験を糧に角浦と最終日に今の自分はもう何も暗い感情など持っていないと証明し、これまでの2回で見せてくれた彼女の本音に向き合いたいと思ったからだ。

 現状、完ぺきとは言えないが夕波のフォローがあり、流れは向いている。

 このまま全身全霊を山萩にぶつけ、自らの悪を取り除きたい。そう貝賀は考えていた。

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