第10話 夜会

 貝賀の前に現れたのは山萩である。

 誰かに対して悩みの種を抱えているとき本人と話をすることは困難ではあるが、効果が一番ある手段でもある。すべては彼の冷静さと話術次第だ。もちろんここは逃げという選択肢もあるが、彼の脳内には到底思い浮かばなかった。

 

「久しぶりに飲みたくなってな。おまえはこんな時間にどうした?」

「私はちょっと眠れなくて」

「そうか。良かったら付き合ってくれないか? 1人で飲むのは寂しいんだ」

「まあ、明日も仕事はないからいいけど」

「ありがとう」 


 渋々ではあったが貝賀の正面に座った彼女のグラスにビールを注ぎ、カチンと音を鳴らす。

 クッと半分ほど喉を通したのち、彼女はまるで残業疲れの会社員のように息を吐いた。

 想像以上の飲みっぷりに気分の良くなった彼も残っていた少量を全て飲み干し、冷蔵庫から新しい缶を2つ持ってくる。


「酒、好きなのか?」

「どうだろ。私、馬鹿真面目に20歳になるまで飲んでこなかったからわかんないけど、これはまだ飲みやすいかな」

「奇遇だな、俺も飲んだことなかったんだよ。合コンの数合わせには何回か行ったことあるんだがな。20歳の誕生日に自分で初めて買って飲んだときにハマっちまってさ」

「ふーん」


 話しながら飲み進める彼女のペースは彼の倍は早く、グラスはすぐに空になった。間隔を開けず、次を注ぐ。


「おまえさ、飲むときは独りなのか?」

「そうだね、飲む相手なんていないし、合コンとか行ったことないし」

「そっちでの友達いるだろ」


 彼女は上京して仕事をしている。そもそも貝賀たちが住むこの地でさえ実家からは距離があり、学生時代の友人は他にいない。そのため、こちらに来てから大学に通っていない貝賀には飲み相手が殆どいない。だが、彼女にはモデル仲間がいるはずだ。


「私がいつからモデルしてるか知ってる?」

「絢奈から聞いて初めて知ったからな。詳しくは知らん」

「そんなもんだと思ってたけど、ま、いいや。高校2年の時からやり始めたの。そんで運良くすぐ仕事決まってそのときの評判良くて、その後専属雑誌の表紙一回飾らせてもらったの」

「夢みたいな出世コースだな?」

「そういう場合どうなるかわかるよね?」


 なるほどと彼は思った。

 人は醜く卑しいものだ。相手のことを下か上かにしか見れず、誰もを各位付けして態度を変える。基本的に自らを追い抜いた者には媚びを売るように行動し、気に入ってもらおうとする。しかし、それには確かな実績があり、この人物には勝てないと諦めた先にある原理であり、その過程を飛ばした者には何故か強く当たるのだ。

 そこに当てはまるのが山萩の場合になる。つまり、定かではないが運よくここまで成り上がってきた彼女の実力を認めず、その存在を疎く思い、交流を避ける輩のせいで飲み仲間などいないというわけだ。


「素人の俺が言うのもなんだが、大変だな」

「大変だけど仕方ないんじゃない。そうやって人のこと気にしまくらないと生きていけないんでしょ」

「おまえは気にしてないと?」

「んなわけないでしょ。すごく腹が立つし、やれるなら顔に一発パンチくらわしたいぐらい面倒だし」


 彼女は基本的には気が強い。誰にも負けたくない、売られた喧嘩を買わないわけにはいかないという性分だ。短気というわけではないが熱くなりやすく、すぐに周囲が見えなくなってしまう。その制御装置が角浦や夕波の役割だったわけだが、彼女のいない今、山萩のなかのストレスは爆発寸前まで膨れ上がっていく。


「そもそもさ、自分の顔見たことあんのって思うんだよね。可愛いじゃん、綺麗じゃん! 私にはない大人の魅力持ってたり、逆に童顔で愛らしい魅力を持ってたりするのになんでそこを伸ばそうとしないのかな。そこを重点的に仕事されたら私なんて到底敵わないのに」

「誰でも頂点に立ちたいんだよ」

「だから、自分の持ってるポテンシャルを磨けば一カテゴリーでトップになれるもの持ってるって言ってんじゃん!」

「それもたしかに頂点だろうが、そうじゃないんだよ」

「じゃあ、なんだっていうの?」

「これは何にでも言えることだと思うが、自らの目指していた目標があってそのために皆努力しているわけだろ。たとえば、野球なら日本一になるとかサッカーならリーグ優勝するとかさ。それはあまりにも大きくて、小さなものに目がいかなくなってんだよ。個人タイトルはもちろんもらえたら嬉しいだろうが、それより日本一になることの方が喜びは大きいだろうからな」

「でも、それってチーム競技だからでしょ? モデルは個人の戦いだし」

「それでも同じだよ。陸上の個人競技でもスタートはトップとっても最終結果が二位なら満足なんてできねえだろ。全てにおいて最上位に近い能力を出したうえで優勝する。そのことに意味があるんだよ」


 彼の言うことはごもっともだ。また、彼女の言うこともわからなくはない。だが、彼女のように妥協を含んだ考え方をできるような人間は競争意識から既に負けを認めているわけで、そもそもそんなことにこだわりがないことが多い。曖昧な目標しかなく、敷かれたレールを反れることになにも疑いを持たず、言われるがままに意志を変える者だ。そんな人間に勝ち目など無い。さすれば、残った者の芯の強さは図らずともわかり得るだろう。

 彼女はそのことをまだよくは分かっていない。彼もわかりきっているわけではないが単純な考えからそこにいきついている。普段ならここで彼女が引き、まあいいやと話を変えるところではあるが今日は違う。酒の力がその判断力を鈍らせ、また興奮を増長させる。


「でもさ、私だって嫌だもん! 皆と仲良くしたいだけなのに、なんで嫌われなきゃいけないの? なんで私だけなの? 意味わかんないじゃん!」

「それはまあ……なあ」

「仕方ないってわかってるんだよ。でもさ、違うじゃん。もっと輝いてるって思ってた先輩が急に姿消したみたいで、もうなにがなんだかわかんないんだよ……」

 

 それ相応のトラブルが彼女にはあった。それを思い出し、自然と涙が頬を伝い落ちていく。我慢するように唇を締めるが止まらず、テーブルには小さな溜まり場が出来始めていた。

 その姿を焦らず、落ち着いて静かに見守っている貝賀は彼女が目を合わせてきてから口を開く。


「もう泣かなくていいのか?」

「……うん」

「あのなぁ、我慢なんてしてても仕方ねえだろ。出したいもんだして一回スッキリしろよ。顔が納得いってねえじゃねえか。ここまでおまえが何をされてきたのかなんて俺にはわからねえけど話聞くぐらいならできんだからよ。とりあえず、気が済むまで愚痴吐き出して泣いてそっからまた酒飲むなり、なんなりしよう」

「…………うん」


 一度引きかけていた雫が留まりを知らずに彼女の顔を濡らし、泣き声がリビングを支配する。しかしながら、彼女の持つ魅力は何一つとして落ちることなどない。泣き顔さえも芸術作品のように美しく、引き込まれる感覚に彼が陥っていたのは紛れもない現実であった。

 言葉に言い表せられない独特な魅力に心奪われた彼は自然と彼女に手が伸び、その右手を包み込むように両手で覆う。たしかに感じる震え、それは彼女のなかにある恐怖であり、不安であろう。これまでのこと全てに隠された心の感情。それを垣間見た彼はなお一層強く手を握る。

 それを拒むことなく、呼応するように握り返す彼女は顔を上げることはできずとも、温かみに触れたことで安心感に満ちていった。闇のなかに唯一残された外の光、私を置いていかないでとすがるようにその存在を確かめ、幾度も強く強く跡を残す。その結果彼の手には爪痕がはっきりとつけられはしたが、彼がその手を離すことはおろか、苦痛に歪む仕草すら見せず、ただただ彼女を見つめていた。

 愚痴を吐けと彼は言ったが結局最後まで彼女がそれを実行することはなく、ただ涙を流し続けるのみであった。ただ10数分後、ようやく顔を上げた彼女は紛れもない清々しい表情で彼に笑みを見せる。


「ありがとう……えへへ」


 照れ隠しか、それ以降は山萩が言葉を発することはなく、貝賀のことを見つめはするも目が合えば笑って誤魔化した。

 彼がそんな彼女を特に怪しむようすはなく、ただ恥ずかしがっているだけだろうと気にすることはなかったが、既視感を感じていたのはたしかであった。ただ、詮索することはなく、その真意に気付くわけでもなく、気のせいだと決めつけ心の内にしまいこむ。


「そろそろいい時間だろ。明日に響いたら厳しいだろうから、ここらでお開きにするか」


 時刻にして既に朝方6時なのだ。このまま飲み続けて角浦に見つかることを避け、最後の一滴を流し込んだ貝賀は席を立つ。続いて山萩も立ち上がると、触れそうなほどの距離まで彼に近付き、一言。


「日曜日、予定空けておいて」


 そう伝え、グラスをキッチンにおいて部屋へと戻っていく。

 反応に遅れた彼は返事をすることが出来なかったが、また起きてからでよいだろうと気にすることなく自室へと帰っていった。昨夜の気まずさのあまり、今日だけは部屋を使わせてもらえている


「ふぅ……大丈夫だったかな」


 扉を閉め、そのまま背を預ける山萩は高鳴る心臓に手をやり、息を整える。つい先ほどまではなんてことなかった顔がほんのり赤く染まっているのは緊張からだろう。


「一応、あとで確認しておかないと」


 そう自分に言いつけ、徐々に落ち着きを取り戻すと泣き疲れた身体は眠気に逆らう気力はなく、自然とベッドに向かう。先に寝ている角浦の顔を覗き、起きていないことを確認した彼女は起こさぬよう静かに呟く。


「ごめんね、絢奈」

「ぅぅ……ダメだよ清恋。そんなに食べたら太っちゃうでしょ」


 バイキングに行っている夢でも見ているのだろう。角浦は彼女の言葉に気付くことなく寝返りを打ち、すやすやと寝息を立てている。

 そんな姿を優しく見つめた山萩もベットに入り込み、瞼を閉じた。

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