第5話 お手伝い

 20××年 5月28日(火) 22:20


 山萩が二人の家に泊まり始めて3日目。仕事が始まってから2日目の今日。

 予定通り仕事を終えた彼女は夕波と共にいた。


しずか、今日は私、電車で帰るからタクシーいらない」

「ダメですよ! こんな遅い時間に女性一人で帰るだなんて。それにもし誰かに山萩清恋だってバレたらどうするんですか」

「でも、私、車酔いしちゃうから、あんまり乗りたくないんだけど」

「酔い止め持ってきてますから、それを飲んで我慢してください」

「そうはいっても知ってるでしょ? 毎回それを飲んでいても酔っちゃうってこと」


 乗り物酔いというのは人それぞれで差が激しく、全く感じない人間もいれば彼女のように敏感すぎる人間もいる。毎度、吐きそうになるのを我慢しながら車に揺られるというのは誰だって苦しみでしかない。だが、夕波の言うことも一理ある。

 それは彼女も分かってはいるが、我慢の限界というのが人にはつきものだ。よりによって不快感極まりないものなのだから、無理は禁物である。


「じゃあ、一人じゃなかったらいい?」

「それはまあ──って、もしかして、角浦さんに頼む気ですか? それもダメですよ!」

「違う。貝賀を呼ぶの」

「それでも迷惑に──」


 言葉を続けようとしたマネージャーに山萩は携帯の画面を見せる。

 そこにはLINEの個人トーク画面が表示されており、相手の名前は角浦。そして、ほんの数分前に山萩側から送られた「花実沢まで迎えに来てもらってもいい?」いうメッセージと共に「宏一が今から行くから15分かかる。夕波さんにそれまで一緒にいてもらって」という返しがあった。


「ほら、これでいいでしょ?」

「ま、まあ、貝賀さんが来て下さるなら構いませんが、あまりわがままは言わないでくださいね」

「はーい」


 反省の色が見えない山萩にため息をつきつつ、迎えが来るということに夕波は安堵した。

 それから貝賀が来るまでは他愛ない会話をして待つ。


「それでは、ご迷惑おかけして申し訳ございませんが山萩をよろしくお願いします」

「いえいえ、気にしないでください。今日はバイトが早上がりだったので偶然近くにいただけですから」

「そうでしたか」


 ご丁寧に撮影所から二人の姿が見えなくなるまで何度も頭を下げ続けた夕波。

 貝賀はそれに困惑していたが、山萩に引っ張られるように花実沢駅まで向かっていった。


「本当に良かったのか?」

「なに? お説教?」

「そういうわけじゃないが、電車なんか乗って誰かにバレでもしたら危ういんじゃないか?」

「それは私が純潔のイメージで活動してるから変に誤解されたら仕事に支障をきたすかもしれないってこと?」

「わかってるなら、なおさら人目の付くところにわざわざ行く理由が分からん。たしかにただの芸能人なら俺も遠慮なく電車で帰らせてもらうが、そうじゃないだろ」

「心配しすぎ。さすがにこんな時間、人自体少ないし大丈夫よ」

「それならいいんだが……」


 今のご時世、スキャンダルには一際厳しい意見が多く浴びせられる。なかには応援してもらえる芸能人もいるが、ただの他人であるはずのファンによって非難が殺到する例の方が多く見受けられる。

 特に山萩のようにイメージを壊しかねない場合は詐欺だなんて言われてしまうことも。極めつけに、彼女自身、そのイメージをレッテルとして自らに貼り付け仕事をしているのだから、ファンが怒ってしまうのもこの場合に限っては合理的だ。

 その可能性を危惧した貝賀であったが本人がそう言うならと従い、夕ヶ池駅まで電車に揺られながら向かった。


「ほらね、なんともなかったでしょ」


 夕ヶ池駅からの帰り道、得意げに山萩は言った。


「たしかに今回は人も極端に少なくてバレはしなかったがヒヤヒヤしたよ」

「心配性なんだから」


 貝賀が杞憂だったかと安心したそのときだった。

 正面よりこちら側に向かって歩いてくる男。その手にはなにかがあり、街灯が反射してレンズの存在を知らせる。


「あのー、すみません、あなた、山萩清恋さんですよね? モデルの」


 眼鏡をかけ、背筋は丸く、ゆっくりと近づいてくる男。どうやらどこかの記者のようで、二人の顔を二往復してから言葉を続ける。


「もしかして、デートのお帰り中でしたか?」


 にやにやといやらしい笑みを浮かべ、また二人の表情を確認するように視線を二往復。

 さすがに気味が悪く、山萩は一歩後退る。

 それを追うように一歩男が踏み出そうとしたところで、貝賀が二人の間に割り込むように立った。


「あの、どちら様でしょうか?」

「ああ、これはこれはすみません。こういったものでして」


 男は定例文句とともに胸ポケットから名刺を取り出し、貝賀に渡す。


浜居はまいさんですか。それでうちの山萩になんのようで?」

「うちのって、もう認めてるじゃないですか、お兄さん。付き合ってるんでしょ?」


 貝賀よりも身長の低い浜居は見上げてしっかりと顔を覗く。しかし、1回目の視線の行方の意図に気付いた彼は全く表情を変えず、笑みすら浮かべず、淡々と返事をする。


「認めているとは?」

「いや、だから、お兄さんと山萩さんが恋人関係だってことですよ。わかってますよね?」

「申し訳ない。私の頭があまりにも悪いせいでよく理解できていないのですが、浜居さん、日本語喋ってますか?」

「なっ、失礼ですよ! そっちこそ、脳みそついてるならわかるでしょ!」

「いえ、言葉の意味はわかるんですよ。でも、どうしてこの状況でそんな風に考えられるのかわからなくて」

「どうしてって、夜に二人でこんな住宅街歩いてたらそう思うのが普通でしょうよ」


 その言葉を聞いた貝賀ははっきりとわかった。この浜居という記者がいい加減な輩だということが。


「あの、ここがどこだかわかっていってます?」

「馬鹿にするのも大概にしてくださいよ。ここは夕ヶ池でしょうよ」

「そうですね。そこまでわかっていながら、どうして私たちが恋人関係だと思ったのか、尚更私には理解できません」

「は? なにがいいたいんですか?」


 浜居は明らかにいら立ちを見せている。それに対して、貝賀はとても落ち着いた様子でまるで一般人のようには見えず、むしろ、ここに記者が来ることが分かっていたかのように会話をこなす。

 誰でも本当に不倫であったり、恋人発覚であったり、スキャンダルになってしまうような現場を押さえられてしまってはだんまりになるか、焦って言葉足らずな文章を並べることしかできなくなってしまう。

 そのはずが、全く狼狽える様子すら見せないで目を合わせ言葉を発しているのだから、浜居からすればとんだ不発弾だ。仕事柄、引けなくなってしまい、また、意味の分からないことを言われ、若干のパニック状態に陥ってしまっていた。


「ここは夕ヶ池で、山萩の家はここから新幹線で3時間かかる五枚岩にあります。それは以前、テレビ番組でお宅訪問の企画に出演させて頂いた際に放送済みです。そんななかで今こちらにいるのはまだ情報は出ていませんが、仕事の為です。それぐらい考えればわかるでしょう?」

「そ、それは……」

「それと、私は山萩の所属する事務所で働かせて頂いている新人マネージャーです。本来担当である夕波さんはたしかに女性でしたから、共にいる男の私をそう勘違いなさったのかもしれませんが、研修の一環として担当モデルを送っている最中でした」

「その証拠はどこにあんだよ!」

「証拠ですか……生憎、今、手持ちになにもないのでご提示することはできませんが、山萩がこちらに滞在中、お世話になっている御友人宅にご案内しましょうか? もちろん女性ですよ。いかがです?」


 浜居は追いこまれ、うまく二人をとどめる理由が思い浮かばないでいた。言葉に詰まっている間にも、貝賀は新たな壁を作り、抜け道をなくしていく。そうして、気付いた時には浜居の目の前に城壁の如く固く長いものが出来上がっていた。


「ど、どうやら本当にマネージャーさんのようですね。すみませんでした」

「いえいえ、私も可能であれば今、名刺のほうをお渡ししたいのですが、そのご友人にお渡しした分で不覚にも数が尽きてしまいまして。マネージャーとして不十分な心構えでおりました。こちらこそ、申し訳ございません」

「そ、そうでしたか。私は全然構いませんので、それではまた」

「また会うことのないよう願いたいものですが、もし機会があればその際には大きな記事をどんと書いてみせてください」

「はは、それは楽しみです」


 浜居は最後に苦笑を見せ、こちらに背を向け歩いて行く。

 その姿が見えなくなるまで貝賀は夕波同様何度も頭を下げ、見送った。そして、完全に見えなくなった後、背後に隠れていた山萩の方を向き、小声で話しかける。


「さあ、いきましょう」

「いきましょうって、なんで敬語なの?」


 貝賀の流れにのり、小声で返した山萩はその理由にピンと来ていない。


「他のやつがまだどこかにいるかもしれないだろ。おまえの住宅がないこっちに記者がいたってことは、誰かがリークしたかなにかで情報が漏れた可能性がある。仕事の予定を知っていたなら、あんなに早計な考え方には至らないだろうからそこまで詳しい内容ではないのかもしれないが、油断は禁物だ」

「なるほど、そういうことね。わかった」

「それとあくまで何もなかった体できょろきょろするな。もし、怖いなら俺の隣を歩け。さすがに手を繋いでやることはできないが、なにかあったときすぐに対応するから」

「なっ、べつに手を繋ぐ気なんてないから!」

「そうか、でも手が震えてるぞ。無理はするなよ」

「うっ……」


 貝賀は彼女に対して共振を抱いてはいるが、あくまでそれは軽度なものだ。性格上、危機的状況において自らよりも相手を優先させる男であり、ここでもそれがでている。

 山萩の手が震えていること、先程の記者が人の視線や表情を見て嘘か真実か見抜こうとしていたことにも気付くほどに観察眼も良い。その結果、その場に応じた対応ができ、それが優しさなり男気なり、良い方向に見られていく。

 それは彼女にも適され、恐怖心を暴かれはしたが全く嫌な気にはなっていない。むしろ、それを知った上で自らを心配してくれた彼に感心し、恥ずかしさも兼ねてこれ以上反抗する気にもなれず、ただただ歩く彼について行くだけだ。本当はありがとうの一つでも言いたいものだと思いながらも、それは喉に詰まり、うまく出てこなかった。


「なんとかあれからは何も起きずに帰ってこれたな」


 マンションは駅からさほどかからない近さだ。貝賀は他に潜まれていては気が済まないと思っていたが、杞憂で済んだ。

 安堵から肩の力も抜け、階段を上る足は軽い。

 対して、未だ感謝の言葉を告げられていない山萩はそのことに引っ掛かりを覚えつつも、そのことを当然のように言及してこない彼にまた心のなかで感謝する。


「あ、あのさ……」

「どうした?」


 後ろを振り向く貝賀。

 山萩はその顔を直視できず、俯き気味になってしまう。それに一度彼の顔が見えてしまったせいで、心の内から恥ずかしさが湧きあがり、頬が赤く熱くなっていく。

 貝賀はその姿を見てすぐに後悔した。遅くなってしまったと反省し、ここからどうにか挽回できないかと口を開く。


「あー、その、すまなかった。怖がってるってわかってたのについ、ここに来て気が抜けてしまってた」


 そう言うと、彼女に近寄って右手を握り締めた。


「手を繋ぎたいならいつでも言ってくれ。俺で良ければなんでもするぞ」


 その瞬間だ。

 彼女のなかで感情が頂点に達し、顔はより紅潮して身体が火照るように熱くなったのは。この男は何者なんだという疑問が頭のなかを駆けまわり、まともな思考ができないまま、ただひとつ今この場から離れたいという思いだけが先走る。


「ごめんっ!」


 力一杯に貝賀の手を振りほどき、足早に階段を駆け上がっていく。

 貝賀は何が起こったのか理解が追いつかず、その後ろ姿をただ見守ることしかできないでいた。


「あ、おかえり」


 扉が開かれ、リビングからすこし顔を出した角浦に一切反応せず、山萩は俯いたまま借り部屋に入っていく。


「あ、あれ……どうしちゃったんだろ」


 貝賀が迎えに行ったという連絡を受けている彼女の脳裏に浮かんだのは、彼が何かいけないことをしてしまった可能性。だが、それはないと信頼から消去した。


「じゃあ、本当に何があったんだろ」


 なにも分からず、首を傾げて考えていると貝賀が帰ってきた。そのようすは酷く落ち込んでいて、見るからに山萩となにかひと悶着あったと察せられるほどだ。

 なにがあったのか知らない角浦は傷を掘らないよう注意しながら話しかける。


「おかえり。どうしちゃったの?」

「あ、ああ。いや、何かあったわけじゃないんだが、むしろ、なにが起きたのかよく分からん」

「えっと、とりあえず話聞いていい?」

「頼む」


 二人は声を山萩に聞かれないようリビングへと移動して席に着いた。


「それでどこから事が起こったの?」

「恐らく、ここの階段を上っていたときだと思うんだが……」


 そこから10数分の間、彼はつい数分前に起こったことを全て話した。

 自らがどういった失敗を犯したのか、本来どうすべきだったのかを考察したものもすべて彼女に伝えた。それを聞いて彼女は数回頷いた後、答えを示す。


「宏一が悪いところとそうでないところがあるけど、多分今回は単純に清恋のことを知らない人ならだれでもそういうふうに反応されると思うよ。たとえ、日本一のイケメンでもね」

「それって、どうしようもなくないか?」

「そうだね、これから数日は一緒にいるんだから仲直りってわけじゃないけど、気まずい感じのままだと空気悪くなるし、ちょっと私から話してみるよ」

「すまんな、迷惑かけて……」

「べつに気にしないで、これぐらい。ちょっと清恋も面倒なところはあるから」


 ここは任せたと貝賀は自室で寝ることになり、今日は角浦が山萩と同室になった。

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