第4話 因縁

 20××年 5月26日(日) 12:20 


 最寄り駅である夕ヶ池の改札前で二人は山萩の到着を待つ。

 彼女は本名で活動している為、人の多いこの駅構内では名を気軽に呼べず、また、その存在自体にも気付かれてはならない。有名人の友人とは面倒なものだと貝賀は思いつつ、それでも迎えに行きたいと言った角浦の気持ちを尊重してここまで付いてきた。

 この駅はそれなりに大きくモノレールに乗り換えができ、近くの駅ビルには多数の店が並ぶ。

 先程流れてきた人を見ただけでもゆうに200人は超えていただろう。そんな数にもし見つかり追われることとなれば、たまったものではない。


「あっ、電話かかってきた」


 ちょうど電車が到着した音が聴こえてきたあと、角浦の携帯に着信が入った。

 相手はもちろん山萩だ。


「もしもし、着いた?」

「うん。今から出るからどこで待ってるか教えてもらっていい?」

「改札を出たところにいるよ」

「わかった、じゃあすぐ行くね」


 ホームから改札までは1分もかからない。言葉の通り、すぐに山萩の姿が見え、その隣に一人の女性もいた。


「お待たせ。久しぶりだね!」

「久しぶり!」


 目立たないように落ち着いた服装でやってきた山萩はその手に持っていたキャリーバッグを置き、親友との再会に喜び抱き合う。その光景は誰が見てもよくあるもので、まさかそのなかの一人が芸能人だとは思っていない。だからこそ、二人のことを気にするような輩はいなかった。


「ああ、そうだ。この人のことなんだけど、説明する前にここじゃなんだから絢奈の家に行かない?」

「それもそうだね。じゃあ、案内するよ」

「楽しみ!」


 二人は笑顔でただ純粋に楽しそうに話している。

 貝賀はその姿を一歩引いたところで見守りつつ、山萩と共に来た女性に小声で話しかけた。


「あの、マネージャーさんで合ってますか?」

「はい、彼女のマネージャーを務めております、夕波ゆうなみと申します。本日は私の手違いによりご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません」


 彼女も小声で返したが、焦っていて相当早口になってしまっていた。

 とりあえず、なにかへまをやらかさないか心配した貝賀は落ち着かせるためになだめる。


「いえいえ、どうやら彼女自身、絢奈とただ遊びたかったというのもあるみたいなので、気にして頂かなくても結構ですよ。それよりマネージャーさんの方は近くのホテルでもとられているんですか?」

「ご心配、ありがとうございます。私の分は事務所の方から手配して頂けたので大丈夫です」

「そうですか。それは良かった」

「ちょっと貝賀、なにうちの人にも手、出してんのよ」


 全くそんな気はなかった貝賀だが、会話が聞こえない為にそのようすを見て勘違いした山萩が睨みつけながら話しかけた。彼女は彼のことを基本的に嫌っているわけではないが前科というものがある。そのため、つい気が立ってしまっているのだ。


「別にそんなんじゃねえよ。それより、行くなら早く行こう。荷物、もらってくぞ」

「あっ、ちょっと、無視すんな! それと勝手に持ってくな!」


 山萩の相手は面倒だとわかっている彼は足早に彼女の荷物を持ち去り、家の方へ歩いていった。

 その後ろ姿を睨む山萩であったが、怒っているわけではない。すぐに表情を柔らかくして角浦の方を向く。


「やっぱりあいつは変わらないね」

「まあね。さあ、私たちも追いかけよう。お姉さんもついてきてくださいね」

「あ、はい、ありがとうございます」


 遠慮気味な態度のマネージャーはその後も二人の数歩後ろを行き、決して並ぶことはなかった。会話にも混じることはなく、一度角浦が振ってはみたが質素な返事をするだけで特に何か自分の言葉で話すことはなかった。


「さあ、着いたよ」

「へえ、凄い綺麗なとこだね」

「オーナーさんが良い人でいろいろと業者さんに頼んでくれているから、そう見えるだけだよ」

「そうなんだ。でも、エレベーターがないのはきついねー」

「その通りなんだけど、ここで身体使ってないと怠けちゃうからそこまで苦じゃないよ」

「太っちゃうしね」

「あっ、今言っちゃいけないこと言った!」


 学生時代のように冗談を言いながら笑いあう二人。

 そのまま階段を上り、部屋に着くとなかに入っていく。


「お邪魔しまーす。うわ、広い!」

「あんまり家具おいてないからだよ。それより、お昼ご飯作るからソファで座って待ってて」

「それじゃあ、私も手伝う!」

「いいよいいよ、お客さんなんだから」

「ダメ! お世話になるのは私なんだし、一緒にやりたいし!」

「もうしょうがないなあ。それじゃあ、準備しておくから先に宏一に部屋のこと説明してもらって」

「了解」


 角浦の言うことに逆らうことのない彼女は、リビングで待っていた貝賀に近付く。


「お願いね」

「はいよ。こっちについてこい」


 彼は荷物を持ち上げ、普段は角浦が使っている部屋へと案内する。

 山萩はその後を大人しく付いていき、部屋のなかに入るとベッドに飛び込んだ。


「おい、一応マンションなんだから暴れないでくれよ」

「仕方ないじゃん。こういうのってなんだか飛び込みたくなるし」

「ガキかよ」

「ちょっ!? 今、私のことガキっていった!?」


 冗談めかして怒った彼女は立ち上がり、貝賀とくっつきそうなほど近くに寄った。

 突然の行動に驚いた彼はその瞬間、記憶の引き出しに押し込んでいた告白後の映像が再生され、当時感じていた恐怖心が蘇ったことでうまく言葉を発せなくなってしまう。


「なに? 男のくせして何も返す言葉もないの?」

「えっ、あっ、いや、あ、ああ……」


 ぐっと顔を上げ、睨むように見つめてくる山萩の顔を見れず、彼は視線を右往左往させ、明らかに狼狽えたようすでただ立ち尽くしていた。

 そのようすを見た彼女はさすがに何かおかしいと思い、若干距離をとって声色を変える。


「なにビビってんの。冗談だって! 全然怒ってないし、昔からよくこういうことしてたじゃん。貝賀、知らないうちに人変わりすぎ。ごめんごめん」


 そう言って話題を変えようと彼女は部屋を見渡す。

 距離を取ったことで貝賀は落ち着きを取り戻し、安堵に満たされ、締め付けられていた苦しさが一気に解放される。


「この部屋って絢奈のだよね。じゃあ、貝賀は別の部屋で寝てるの──って、なんで泣いてんの!?」

「えっ……」


 彼自身も気づかぬうちに雫が頬を伝い、痕を残していく。慌てて目元を腕で拭い、止めようとするも、それはどうしてか止まず、ポロポロと流れ続ける。


「ちょ、大丈夫? 私、本当に怒ってないから、ね? 安心して」


 先程から連続して起こっている事象の理由が思い浮かばず、彼女も困り顔だ。


「それは分かっているんだが、なんでか涙が出てくるんだ」

「ほ、ほら、とりあえず座りな。大丈夫、大丈夫だから」


 山萩は彼をベッドの上に座らせるとその頭をゆっくりと撫で始め、母親が子をあやすように優しい声色で、彼の顔を見つめながら、何度も何度も声をかけ続けた。

 数分後、ようやく涙が収まり、両者安堵の息を漏らす。


「本当にごめん」


 すくなからず自分の行動が何かの原因となってしまったのだろうと察した彼女は罪悪感から謝った。

 彼女自身は貝賀の心に刻み込まれた傷について何も知らない。

 もちろん今更そのことを伝える気もない貝賀は彼女の不安を取り払うように言葉を返す。


「いや、山萩は何も悪くないさ。俺もよくわからず、涙が出てしまったんだよ。気にすんな」

「嘘じゃん、そんなの……」

「本当になんでもないから。それにおまえがそんな感じで落ち込んでたら、これからせっかく料理しようって楽しみに待ってる絢奈に変に勘繰られて面倒なことになるだろ」

「それはそうかもしれないけど──」

「だから、大丈夫だって。それにおまえのおかげで涙も止まったんだ。なんだか小さい頃に戻った気分になって、凄い安心して、そう思ったら涙もどんどん収まっていったし」

「……そっか」

「それにな、おまえは高校の時から明るくて周りを元気づけてくれるやつだっただろ。それこそ太陽みたいにさ。そこに雲がかかってしまったら、周りも一気に落ち込んでしまう。それぐらいの影響力を持つのがおまえなんだから、絢奈の為だと思ってここは一つ頼むよ」

「そこまで言われたら、従うしかないけど……わかった」


 最後は貝賀に強引に押されるように自らを納得させ、立ち上がった。そうして、一度瞬きをすると、すぐに笑顔になる。


「よし、今日はいっぱい楽しもう!」

「俺もとことん付き合うぞ!」


 山萩のテンションに貝賀も合わせる。そこに違和感はない。

 彼女はモデルという仕事を通して、そういったスキルを身に着けてきた。いつでも、どこでも笑顔を絶やさないようやってきた彼女にとってこのぐらいのことは朝飯前だ。

 貝賀も角浦との同棲生活において、相手に変な心配を与えないようこれまで多くの作り笑顔を披露してきた。それをまた実践するぐらい、どうってことはない。

 その勢いのまま、部屋のことを早々と説明し終えてまたリビングに戻ろうとした。そのとき、ほんの一瞬であったが山萩は小さな声で呟く。


「優しすぎだっての……」


 それは当然貝賀の耳には届いていない。

 前を行く彼の背中は大きかった。とても男らしい体格で、まるで弱っている様子なんて見受けられない。そもそも、本当に彼の気が弱くなっただなんて思ってもいない。

 彼女はたしかになにか彼の身に起こっているのだろうと察した。それが恐らく精神的な問題なのだろうとも考えた。だが、それを彼は言葉にはしなかった。それは自分自身が信頼を得ていないだとか、恋人や親族でないからだとか、そういった理由で知らされていないのだろうと思った。

 彼女は彼のことが嫌いではない。女を弄び、その挙句飽きればすぐに見捨てたり、誑かした末に全てを裏切ったりするような男が嫌いなのだ。だからこそ、学生時代、角浦を振った彼をそういう男だと勘違いして責めた。

 そこには彼女自身の根底にある経験からなる嫌悪がある。そして、その嫌悪から生まれた理想がある。

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