第6話 初心

 昨日まではリビングのソファで寝ていた為身体の休めにもなり、貝賀はすぐに眠りにつくことが出来た。角浦はそれを部屋の扉の隙間から確認して自室へと入っていく。


「清恋、夜ご飯作ったのに冷めちゃったよ」 


 ベッドの上で掛け布団にくるまり、身体の隅々まで隠していた山萩は声が角浦のものだとわかり、ひょっこりと顔だけを出した。


「ご、ごめん」

「まあ、なにかあったみたいだから出てきたくなかったんだろうけど、ご飯は食べなきゃダメだよ」


 そう言って彼女は温めておいたクリームシチューをお盆から部屋にあるテーブルに置く。

 野菜多めのそれはとても美味しそうで匂いにつられるようにベッドから身体を曝け出した山萩は礼儀正しく料理の前に座り、瞳をキラキラ輝かせた。 


「食べながら話聞いてね」


 角浦は食事を促しつつ、貝賀との件を掘り下げる為、順序を追って話を進める。


「あのさ、宏一のことなんだけど、もしかして昔のこと思い出した?」


 彼女がそう聞くと、山萩は苦い顔をする。それから一度スプーンを置いて会話に混ざり始めた。


「思い出したっていうか苦手なんだよね、ああやって急に距離詰めてくるような男がさ」

「清恋のことも私はわかってるから仕方ないとは思うけど、それを宏一は知らないでしょ。別に我慢しろとは言わないよ、でも、なにか一言伝えてあげたほうが良かったんじゃない?」

「うっ……」


 山萩自身、どちらが悪かったかと問われれば自分の方が比率が高いと自覚している。彼女の過去に何があったか知らない貝賀が困惑してしまっているのも当然の反応だ。むしろ、それでもって角浦に相談し、機嫌を損ねるわけでもなく、解決に向けて頑張ろうとしている彼の行動に感激するまでもある。


「明日、謝るよ」

「謝るのは良いことだけど、どういう理由で今日のことを誤魔化すの?」

「それはなんでも大丈夫でしょ。急に手を握られてびっくりしたって普通だと思うし」

「それだけでそんな激しく反応起こすかな……」

「ま、まあ、それは適当に話しとくから」

「頼むよ。宏一、こういうのって一度気にしちゃうと落ち込むタイプだから」


 グッと顔を近付けて注意する角浦に押され、山萩はすこし背をのけぞらせる。


「わ、わかったよ。絢奈は貝賀のことになったらなんでも本気なんだから」

「べつに今回に限っては宏一だけじゃなくて清恋も関わっているんだから当たり前でしょ」


 実際の比率でいうと6:4で貝賀が先行はしているが大切な友人という関係性は変わらない。だからこそ、彼女はただ純粋に二人の仲に亀裂が入ることを望んでいないのだ。


「ていうかさ、絢奈ってまだ付き合えてないんでしょ」


 その後夕飯を食べ終え、ティッシュで口を拭いた山萩は話の焦点を角浦と貝賀の関係に変える。


「同棲してる今は満足してるかもしれないけど、貝賀だって誰か違う女見つけたらすぐ捨てられるよ」

「それならべつにそれでいいよ。もちろん付き合いたいとは思うけど、私じゃ恋愛対象にならないっていうのは多分今も変わってないだろうから」

「それじゃあ、欲求不満にならない? ストレスたまりそう」

「大丈夫だよ。やることはやるし」


 その瞬間、山萩の顔がキョトンとなった。角浦の発した言葉の意味を理解するまでに時間がかかり、徐々に頬が赤くなっていく。再度の告知になるが彼女は純潔モデルとして売り出している。基本、そういったイメージには多少の脚色があるだろうがこのカテゴリーに関しては一度の失態が全てを無に帰す。そのため、事実のみが語られているのだ。

 つまりは、彼女自身、正真正銘純潔であり、下の話には到底耐性がなく、角浦の言ったことを勝手に脳内で再生させ、自滅してしまっている。


「なに? もう子供じゃないんだからいちいち恥ずかしがらなくても」

「そ、そういうことじゃないじゃん! えっ、だって、それって、キスはもう終わってるってことだよね?」


 角浦はそれを聞いて鼻で笑う。それから山萩の初々しさに心から笑いが込み上げ、必死にこらえた。


「いやいやいや、笑われるのはもう慣れたけど、でも、そういうことでしょ!?」

「だから、子供じゃないんだよ。大人がやることやったっていったらキスどころじゃないでしょ」

「じゃ、じゃあ、一つずつ確認してもいい?」

「清恋も今でこんなんじゃ男から引かれそうだし、勉強がてらいいよ、答えてあげる」


 頬を紅潮させたままの山萩は若干興奮気味に前のめり、浮かんだことをそのまま吐き出すように質問をぶつける。


「き、キスより凄いってことはセックスってことだよね?」

「まあ、そうだね」

「裸、貝賀に見られたってことだよね?」

「見られたっていうか、見せたというか。そもそも服着たまましないでしょ」

「で、でも、そういう趣味のある人だっているっていうじゃん!」

「宏一はそんなアブノーマルな人じゃないよ。一応、前戯のときは服着てるときあるけど、最終的には脱ぐし」


 初めて他人に性行為のことを教えるということに意外にも恥ずかしさは感じられず、これまでの体験を思い起こしながら冷静に質問に答えていく角浦。

 その姿は山萩にとってはまるで勇者のようで、あるいは賢者のようでただただ尊敬の念があり、またその行為に確かな興味が湧いて仕方ない。彼女のなかでその行為自体は愛情表現という意味合いでは必要なものだと考えられ、いつかは愛した人となどと密かに思われている。

 だからこそ、経験者の言葉には重みがあり、愛する男との体験談は特に知っておきたいことなのだ。


「ど、どんな感じだった?」

「うーん、2回目からはいろいろ試すこととかあったけど、感じ方は人によると思う。でも、はっきり言えるのは初めて同士だとなかなか腕が拙くてうまくいかなかったりするから、どっちかは経験者の方が思い出としては良く残るってことかな」

「じゃあ、絢奈はそうでもなかったってこと?」

「雰囲気で気持ちよく感じられるかなとか思ってたけど、いざ本番ってなった瞬間にお互いに緊張に縛られてそれまではなんだったんだっていうぐらいにグダグダで雰囲気とか考えられなくなったよ」

「それって貝賀が下手だったわけじゃないの?」

「私は宏一以外としたことがないから詳しくは分からない。ただ、それ以降は大抵気持ち良くしてくれるし、終わった後もケアしてくれるし、してよかったなって思えてるから下手ってわけじゃないと思うけどなぁ」


 角浦は結局それは愛情があるからだと心のなかで付け加える。正直、好きでもない男として最終的に気持ちよかった、またしたいだなんて思わないだろうとも。

 それはさておき、山萩は話を聞き終え何度か頷き、自らの紅潮の治まりかけている頬を一叩きした。

 突然の行動に角浦は驚き、どうしたのと問いかける。


「私、ちゃんと明日貝賀に謝るよ。絢奈のことないがしろにしているわけでもないみたいだし、むしろ、うまくやってるみたいだし」

「うん、そう言ってくれて良かった。私もちゃんと隣で見守ってるから安心して」

「ありがとう」


 とりあえずは落ち着いた。

 二人の件が良い方向に向いたことで安堵に包まれた角浦は一度大きな息を吐き、笑顔で手を広げて勢いよく山萩に抱きつく。

 それに特に驚くことなく抱きしめ返した彼女はそのまま体重をベッドにかけるように背中を預けた。


「清恋がちゃんとわかってくれて良かったよ」

「私、そこまで頑固じゃないし!」

「えー、でも高校のときは宏一とのことがあってから毎日私に何かされてない? 大丈夫? とか聞いてきてたよ。何回大丈夫だって説明してもやっぱり信用ならないとか言って全然納得してくれなかったの覚えてるんだからね」

「あ、あれはちょっと時期が悪かったっていうか、うぅ……私が悪かったよ……」


 観念しましたとばかりに謝った山萩と角浦はともに笑い、空気は一層明るくなっていく。

 誰でも昔の失敗談を話すと気が緩くなり、当時のような感覚でなにごとも楽しく面白く感じられるようになる。二人はそれから小一時間ほど昔話に華を咲かせ、大いに笑い合い、身体が疲れ切ったところでベッドに二人で横になり、眠りについた。

 両者の寝顔はどちらも笑みの浮かんだ可愛らしいものであった。 

 翌朝、貝賀と山萩は角浦が見届けるなか、突然の接触について、それに対する反応とその後の態度について互いに謝罪し、最後は握手することで二人の間に出来たほんのわずかな傷は癒えた。そうして、皆表情を明るくして各々の仕事に赴いた。

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