第24話 嘘と真
20××年 6月26日(日) 18:20
貝賀と角浦は今、自宅のリビングで夕飯を食べ終え、今日のデートで観に行った映画の話をしている。内容は高卒社会人同士のたった数日のなかで巻き起こる恋愛劇であった。
「奥手だったヒロインが勇気を振り絞ってきっかけをつくるシーン良かったね」
「最近、ああいう冴えない女性とイケメン男性の恋愛ものが多くて、その分外れも増えているけど、今回のはヒロインを応援せざるを得ないほど健気で可愛らしかったな」
「だね。あの娘可愛かった。宏一もああいう娘が好きなの?」
「好きっていうか、まあ、誰でも自分のために頑張ってる人を見たら良く思うだろ」
人の努力している姿は何よりも華々しく、他人の注目を浴びる。それが恋愛と混ざり合うとなおその想いは強くなり、見入ってしまうものだ。
それはたとえ恋愛というものをわかりきってはいない貝賀も例外でなく、上映中に瞳を潤わせていた。
「あんなふうに誰の努力もいろんな人に気付いてもらえたらいいのにね」
「そうだな。たった一人でもそれに気付いてあげられればその人は報われるもんだろうしな」
「本当にね」
実際、貝賀自身は角浦の努力を多く知っている。その対象が自分なのだからわかりやすいという点もあるが、先に彼が言ったように誰か一人でもいいというのがミソであり、角浦自身がこれまで続けてこれたのも貝賀がその変化であったり、失敗であったりを見ないふりをせずに共に時間を共有してきたからだ。
それは角浦自身が何より感じていることで、その点に関しては貝賀に感謝しきれないほどの想いを募らせている。そして、恋情を膨らませている。
「まあ、あの主人公もちゃんとそれに向き合ってあげてるのがさらに良かったよ。変に人間臭いところも理解できる部分が多くて、ただの理想じゃなくて現実味がある展開にも共感できたし」
「そうなんだよね。主人公が本当に誠実な人で良かったなって思う。演技も上手かったから違和感なく観れた」
「全然知らない名前だったけど、これからは色々なところに出るかもな。客足も多いみたいだったからどっかの番組で取り上げられそうなものだし」
とにかく今回も満足といったようすの二人はその後も盛り上がった。
ちなみに今回は初めに昼食を取り、それから映画館へ向かい、帰宅するという短いプランだ。これは同棲しているからこそ成り立つものであるため、本当に付き合い始めたとしても可能であるという観点から角浦は実行に移った。
映画があまりにも心に響く良作であったために帰りの足取りは早く、自宅に着いて早々とやるべきことを終わらせてからこれまでずっと話していた。時間にして1時間半。
それでも尽きない会話は互いの興奮具合を表してもいるが、それほど二人の共感部分が多く、ひとつひとつの細かな部分でさえ話を膨らませることができる共有認識の証明となっている。
そうして、音の絶えない時間が続き、さすがに疲れが見えてきた20時頃。
「ふぅ、今日はとても楽しかった。次で最後か……」
「最後っていっても上手くいけば、そのまま付き合ってくれてもいいんだよ?」
「そうだな」
「他人行儀みたいな言い方して」
「なんだかここまで自分が楽しめるとは思っていなかったから驚きがあって、落ち着かないんだよ」
「そっか。それなら良かった」
満足そうに安堵した笑いはこれまでのどれよりも優しく儚くあった。
貝賀はそれを見て下を向く。
「どうしたの?」
「ああ、うん、今の時間が本当に幸せで。ありがとう」
「こちらこそありがとう。来週、期待して待ってるから。今日はちょっと早くに寝るね。おやすみ」
「……おやすみ」
角浦が部屋を出るまで貝賀が顔を上げることはなかった。それは確かに彼が瞳を見られたくなかったからで、その意味を聞かれたくなかったからで、彼女が自室へと入った音を確認してからスマホを取り出し、メッセージを送る。
「話、終わった」
「ちゃんと気持ち伝えた?」
「一応、いつも感じてることはな。それよか、明日そっち行くけど仕事休みだからって遅くまで寝るなよ」
「わかってるって。新幹線で来るんでしょ?」
「11時には駅に着いてそこから家まで30分だからそれぐらいに家の鍵開けておいてくれ」
「わざわざ少し遠めの所で降りてもらってごめんね」
「気にすんなよ。じゃあ、早めに寝るから」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
LINEを落とした貝賀は自室に戻り、鍵付きのキャリーバッグを開けて昨日届いた封筒の中身を取り出す。
一枚のチケットは用意されたもので、貝賀は荷物の最終確認を行ってから眠りについた。
20××年 6月27日(月) 7:10
いつもとは違い、早くにリビングにある貝賀の姿に違和感を感じた角浦は問う。
「珍しいね。昨日、眠れなかった?」
夏の入りということもあり、たとえ夜だからといって毛布一枚でも暑苦しく感じるほどの熱気がある。
貝賀は汗っかきというわけではないが体調のことを心配した角浦は初めにその可能性を疑った。
「昨日は俺も早く眠れたからむしろ身体は元気いっぱいだよ」
「なんだ、それが理由か。でも、どうしてわざわざ早寝なんてしたの?」
「本当は事前に伝えておくべきだとは思ったんだが、昨日までしっかり予定が決まらなくて言えなかったことがあって……」
「そんな神妙な顔してなに?」
「そこまで大事というわけでもないかもしれないんだが、今日から一人で2泊3日の旅行に行こうと思うんだ」
「えっ?」
あまりにも突拍子のない返答につい声が裏返ってしまった彼女。
こほんと一度調子を整えてから続ける。
「どこに行くの?」
「そのまえに何をしに行くかを伝えようと思って」
「う、うん、それも聞いておきたい」
「実はバイト先の友人に明日開催される同人誌即売会の手伝いをして欲しいと頼まれて、男だから仲が良くて気軽に良いと言ったのは良かったものの、その開催地が東京で向かわざるをえなくなってしまったんだよ」
「なるほど、そういうわけね」
まずは相手が女でなかったことに安堵した。そして、癖が出ていないことも確認でき、角浦は確かな信用を感じた。
もし、これが自分の知らない女であったならば、どれほどのショックを受けていただろうかと勝手に想像しただけでも身体が震えるほど切望を感じ、彼女はそんな思考を捨て、意識を会話に戻す。
「それで前日の今日から準備して明日に備えるってことね。わかった」
「ごめんな、いろいろと手配がうまくいかなくて報告が遅くなってしまって」
「ううん、ちゃんと今伝えてくれたんだからそれで十分だよ」
「ありがとう。それじゃあ、もう仕度済ませて家出るから行くよ」
「ちょっと待って。今日から二日は絶対会えないわけでしょ?」
「ああ、そうだけど」
「なら、行く前に一回だけキスしてほしい」
一緒にいることが当たり前となっている角浦にとって、その2日間がどれだけ辛いものになるかは貝賀も想像に難くない。彼女の性格を考慮すれば毎晩連絡を入れることもビデオ通話を要求することも貝賀が嫌がるだろうとしないだろう。だからこそ、今の間に満足感を満たそうとする角浦。
だが、貝賀はすこし間を置いてからこう答えた。
「ごめん、今はそういう気分じゃないんだ」
席を立ち、部屋から出ていこうとする彼に近付こうとしていた彼女の足が止まり、沈黙が流れる。
貝賀は冗談など言っているわけではないとその面持ちから察せられ、彼女はそれ以上身体が動かなくなった。
「また帰ってきたら……お願いするよ」
そう言った彼の表情はどれほど歪んでいるだろうか。
自己嫌悪が重なり、重圧がそのまま降りかかったかのように苦しそうに、けれどたしかな悲壮感を漂わせ、角浦をその瞳には映せず、ほんの少し視線は下を向いている。
角浦はただ胸が締め付けられた。断られた悲しみと彼の微かに覗く表情が心にナイフを刺してくるようで、駄々をこねるように粘ることも振られた女の如くネチネチ嫌味を言うことさえもできず、許されないとさえ感じていた。そうして、一度唾を飲み、震える声でただ一言。
「わかった、いってらっしゃい」
自分の瞳は笑っているだろうか、口角はあげられているだろうか、眉は下がっていないだろうか、心配事は多くある。けれど、今は貝賀に迷惑だけは掛けてはいけない。最大限の完璧な笑顔で送り届けるのが自分の仕事だ。
これしきでは壊れない強い心で持ちこたえた彼女はそう自分に言い聞かせ、胸前で手を振った。
「……いってきます」
それでも貝賀の表情は変わらない。心に傷を負った少年のように痛々しく、絞り出された声も細々としていた。そうして、数分も掛けないで家から出ていった。
その間も弱弱しく手は下げずに立ち尽くしていたままの角浦は扉の閉まる音と共に涙が溢れんばかりに瞳から零れ落ち、その頬を濡らす。声はもう上がらない。小さな嗚咽だけが部屋中に垂れ流され、広がっていく。それは彼女の孤独感を増幅させ、さらなる不信とそこから生まれる恐怖心を刺激し、一つずつたしかに心にひびを入れていった。
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