第15話 帰郷

 20××年 6月7日(日) 14:40 


 事前に新幹線の席を取っていたようで時間はかからず、約一年ぶりに地元に帰ってきた。高校の最寄り駅に着いた頃には思い出話に華が咲いている。


「この道を歩くのも卒業式以来か」


 二人にとってなによりも記憶に詰まっている通学路。当時あった住宅やパン屋など多くの見覚えのあるものが残っているのは二年しか経っていないとはいえ懐かしく感じられる。 


「卒業式、私泣いちゃったんだよね」

「覚えてるよ。帰り道もずっと泣き止まなくて駅前ですごく他人に見られたからな」

「そ、それは仕方ないでしょ。皆と別れるのすごく辛かったし」

「わかってるよ。でも、絢奈があそこまで感情的だとは思ってなかったから驚いたし、面白かった」

「そういうこと言わないの!」


 当時の光景を頭に思い浮かべた貝賀は笑う。

 手を繋ぎながら歩いている角浦は手が空いておらず、拗ねたように彼を見上げる。恥ずかしさから頬を赤くしているところが愛らしい。


「そういえば、さっき車内で話してたことだけど、今日は俺たちが付き合ってる体でいいんだよな?」

「うん、そうしてもらえるといろいろ聞かれたときに嘘を重ねなくていいから助かるかな。私たちのことを知っている後輩ちゃんがいるから」

「俺もそっちの方が気が楽だ」

「ついでに恋人気分も味わえるしね」

「そうだな」


 感情のない返事に彼女は一瞬表情を曇らせる。それを見逃さないでいた彼は今回の目的のおおよそを理解し、想定していたもので間違いはないだろうと確信した。なんのためにとまではいわないが、彼女なりの考えがあるのだろうということで余計な詮索はせず設定を話し合う。

 結果、再度告白した角浦の粘り勝ちという筋書きで告白場所などは決めず、その後のことを現状に合わせて問われれば答えるという方向に定まった。芝居じみたことをする必要がない分、二人にとって好条件であろう。

 それからは祝日ということもあり、人通りのない道を他愛ない話をしながら歩き、数分後高校に到着する。来客者用の受付口に寄って手続きを済ましたのち、まずは角浦が連絡していた浅木先生に会いに生徒会室を訪れる。


「失礼します」


 ノックした貝賀は若干の緊張を感じながら声をかけた。


「入っていいぞ」


 返ってきたのはたしかに浅木のものだ。訪問者がまだ誰か分かっていないために普段と変わらない対応を見せた。

 この時期は特にイベントはないと経験から知っていた彼であったが先生がいることがわかり、一安心する。そして、扉を開けた。


「お久しぶりです、浅木先生」


 顔を合わせるとともに挨拶を済まし、角浦も続いた。

 訪問者が二人であると知った浅木は喜びに笑顔を浮かべ、立ち上がる。


「おお、二人とも久しぶり! 来るならそう言っておいてよ!」

「連絡済みのはずですよ」

「あれ、そうだったっけ? まあいいや、顔が見れて本当に嬉しいよ」


 三人の関係性を詳しくは知らない現生徒会メンバーは殆どが見知らぬ者たちをポカンと見つめることしかできなかったが、一人だけ浅木に続いて席を立ち近寄る者がいた。


「貝賀先輩!」

「浜屋じゃないか、おまえ生徒会続けてたんだな」


 浜屋奈和はまやなおは貝賀が3年時、次期生徒会メンバーとして見学に来ていた際に知り合った後輩だ。当然、共に活動などは叶わなかったが一ヶ月という期間で二人の関係性は良好なものとなっていた。


「そんなの当たり前ですよ。私、先輩みたいに皆から頼られるようになりたくてあのときから真面目に頑張ってきたんですから!」

「そういえばそんなこと言ってたな。でも、あのときは仕事を手伝うとか言ってミスばっかりだっただろ。上手くやれてるのか?」


 記憶の引き出しから出てくる浜屋は涙目なことが多い。


「それが聞いてくれよ、貝賀。昔は私も不安だったんだが、今となっては学力一位を取るぐらい賢くなってな。仕事も上手く処理してくれるし、後輩たちとも仲が良いし、もう浜屋なしではやっていけないぐらいに成長してるんだよ」


 フォローするような形にはなったが、浅木が興奮気味に言ったことから事実だとわかった彼は素直に浜屋を褒める。

 照れくさそうに頬を緩め、視線を彼から逸らした彼女は隣にいる角浦に目がいった。


「あ、角浦さんも来てたんですね。やっぱりお二人は仲が良いんだ」

「言わずもがなだな。二人は私が見てきたなかで一番仲の良いコンビだったから貝賀が見えた瞬間、角浦もいるんだろうなと思ったよ」

「なんで先生が自慢してるんですか。それに私が連絡したんですって……まあ、奈和ちゃんが元気そうでよかった」

「ありがとうございます。角浦さんもお元気そうでよかったです」

 

 明らかな対応の違い。浜屋の視線はすぐに貝賀へと移る。 


「先輩はこの後お時間ありますか?」

「あるにはあるけど、あとでな。連絡するから待ってろ」

「本当ですか!? じゃあ、楽しみにしてますね」 


 浜屋の笑顔は幼さがあり可愛らしい。しかし、それに一切影響を与えられないのが貝賀だ。喜ぶ彼女の方はすでに見ておらず、浅木に話しかけた。


「これから絢奈と校内を見回っていこうかと思うんですが、今は入ってはいけない場所があれば先生の分かる範囲で構いませんので教えてもらってもいいですか?」

「部活動中の教室以外であればどこを寄ってもらっても大丈夫だとは思うが、まだ教室に残っている生徒もいるだろうからそこらへんは配慮してくれよ」

「わかりました。ありがとうございます。あ、そうだ、遅くなりましたがご結婚おめでとうございます」

「やっと言ってくれたか! いつそのことを口にするか待っていたんだぞ!」

「すみません。でも、どうせ話し始めると長いかなと思って、それじゃあ」

「あっ、ちょっと待てよ! 話しぐらい聞いていけよ!」


 呼び止める浅木をよそに二人は生徒会室から出ていき、今いる二階から三年時使用していた三階の教室へと向かった。

 どうやら今日は誰もいないようで教室は静けさに満ちている。閉じ忘れられた窓から風が流れ込みカーテンを揺らす。その隙間から漏れる日光が教卓の前に立つ彼を照らしている。


「二年なのに凄く長く感じるな……」


 バイトがない日はおおよそ家にいる貝賀は毎日が楽しみでしかなかった学生時に比べ、一年が長く感じられた。当然、その間に何もしていないわけではないが、それでも時間は余るほどあった。だからこそ、今回のように母校を訪れると月日をより感じている。

 対して、角浦はそんなことより言及したいことがあるようで教卓前から彼を見上げ、話しかけた。


「さっきの奈和ちゃんのことだけど、あとで会って本当に良いの?」

「どういうことだ?」

「わざわざ私がいる前で誘うってことは告白しようとしてるんでしょ。さすがにあそこで私たちが恋人だって明かすのは可哀想だったからしなかったけど、断られるぐらいならしてあげたほうが良かったのかなって」

「いや、多分あいつも断られるってわかってるよ」

「どうしてそう言えるの?」


 角浦はわけがわからず聞き返す。

 浜屋は貝賀とともにいた時間でいえば生徒会期間の一ヶ月のみ。果たしてその間に恋心が芽生えるかと問われれば難しいものがある。しかし、彼女の場合、積極的に生徒会活動に参加するほどの熱意を持っていた。そのなかで入学式、生徒会役員からの挨拶で見た彼の姿に憧れたとすればそこにはたしかな想いがあっただろう。そのときは恋情でなくとも、交流を交わすうちに想いが膨れ上がる場合も考えられる。


「これは絢奈の知らないことだとは思うが」


 そう前置きをした彼は彼女に視線を合わせず、窓から見える景色を儚げに見つめながら続ける。


「卒業式の日、俺は生徒会の皆と、新生徒会に別れを告げるためにあの部屋に寄ったんだ。短い間だったが出来る限りのことを教えた後輩たちは泣いてくれたり、プレゼントをくれたりいろいろしてくれたんだが、そのときに浜屋にこの後時間があるかと聞かれたよ。さすがに俺も察してはいたし、もやもやさせたまま終わらせるのもどうかと思ったから二人だけの時間をつくった」

「振ったんだ」

「そうだな。ただ、また泣かせてしまうって心配してた俺にはフラれても笑って必死に誤魔化そうとするあいつの顔が忘れられなくて、卒業してからも何度か連絡を取り合っていたんだ」


 彼女が彼の連絡先を知っていたのもこのためである。

 角浦との同棲が始まるまでは幾度か実家で遊ぶこともあり、また外に出かけてデートじみたこともありとそれなりに友人という関係を楽しんでいた。一度振られた身、浜屋にとってその関係が苦しいものであったかといえばそうでもない。

 彼女も彼女なりに割り切り、その立場でできる楽しみ方を存分に味わっていた。ただ、だからといって過去の気持ちが切れるわけではなく、むしろ出会いを重ねるたびに一度砕けた想いは再生し、さらにその大きさを増した。

 同棲後は会う機会がなく、LINEでのやりとりと通話のみとなり、浜屋のなかで再度気持ちが静まっていたが、昨日、彼は事前に彼女に生徒会室を寄ることを伝えた。また、その後の展開を全て彼女から教えられていた。だからこそ、自らが振ることもそれで彼女の気持ちが晴れることもわかりきっているのだ。

 そのことを今初めて知った角浦はなんともいえない気持ちになり、いっぱいいっぱいに言葉を紡いでいく。


「それで奈和ちゃんは本当に満足するの?」

「それは……わからない。あいつにとってそれが妥協案に過ぎないのなら結局時が過ぎた頃に同じようなことが起こるだろうな」

「宏一はそれでいいの?」

「それもわからない。すべてはあいつ次第だ。もし、ここで気持ちを捨てきれないようなら俺が全てを断ち切るつもりではいる。あいつにとっては辛いことになるかもしれないが、そうするしかないとも思う。一度俺たちの全てをリセットすることであいつの未来が明るくなるならその役目は俺が背負うべきだろ」

「そう。それならいいんだけど。私はついて行かないから終わったらまたここに来て」

「他のとこは回らなくてもいいのか?」

「今の話聞いて長引かせることなんてできるわけないでしょ。ほら、いっておいでよ」

「すまん」


 そう言い残した貝賀は一人教室から出ていくとスマホを取り出して浜屋に連絡を入れた。

 残った角浦は外の景色を覗くため窓際まで行き、彼の見ていた景色を眺める。

 彼はこの空の何を見て、なにを感じていたのだろう。考えてもわかるはずのない答えをただ考え込み、呆れて息を吐く。


「なにやってるんだろ」


 彼女にはわからない。彼という存在がなにをもとに行動し、なにを優先し、なにを大事にしているのか。

 一年もの間、誰よりも近くで見てきたにも関わらず、未だに彼の全てを知ることはできなかった。だからこそ、今の告白には驚かされた。私の知らない彼がいる。そのことで頭がいっぱいになり、泣きたくなり、彼の顔をこれ以上見てしまえば涙が溢れそうで離れるために浜屋のもとに向かわせ、心を落ち着かせる。


「あっ……」


 ふと下を見た瞬間、二人で歩く貝賀と浜屋の姿が見えた。

 なにか話しているように見えたが彼女には聞こえてこない。そのまま過ぎ去っていくかと思われたが、二人は彼女からはっきりと姿が見える場所で足を止める。

 どうしてここなのだろうと考えた角浦であったが、その答えはすぐに思い出せた。この教室から見えるそこは位置的に面する教室の窓以外からは確認することが出来ない穴場スポットなのだ。16時まではそこに向かう途中にある購買がやっているのだが時刻はすでに過ぎているため人通りはない。学生時代からあった告白の名所だ。


「さて、ここからだなぁ」


 角浦は現状に満足していない。

 今回の浜屋を利用することで貝賀の価値観を変える機会が生まれる。それを狙っていた。

 彼女自身、約二年前にフラれた要因が曖昧になってしまった距離感にあると思っていたがそれは違い、彼が恋愛を理解していないだけであるとわかったときからいつでもチャンスをうかがっていたのだ。


「ごめんね、奈和ちゃん」


 見下ろす先で貝賀に抱かれ、その胸のなかで涙を流す浜屋を尻目に開けられた窓を閉めた。

 十数分後、浜屋との関係に答えを示した貝賀が教室に戻ってくる。


「もういいの?」

「ああ、あいつも納得してくれたよ」

「そう」


 角浦は覗いていたことは教えず、黒板の前に立ち、チョークを手に取って文字を書き始める。

 なにをしたいのかわからない彼は扉から作業を終えるまで見守っていた。そして、そこに恋愛と書かれているのを見つけると、その場から彼女に問うた。


「急にどうしたんだ」

「今日、なんて言って断ったの?」

「いつも通りだよ。俺にはわからないって正直に伝えたんだ。まあ、絢奈と付き合っているっていう口実を使ってもいいとは思ったんだが、わざわざあいつに嘘をつく必要はないかと思ってな」

「宏一は変わらないんだね」


 皮肉であるとわかっていても貝賀が言い返すことはない。それはたしかな罪悪感が彼のなかで生きている証拠だ。それを確認した彼女はさらに問う。 


「もし、私が今でも宏一のことが好きだと言ったら付き合ってくれる?」

「答えは分かってるだろ」

「だよね」


 なにが聞きたいのかわかっていない彼は彼女に歩み寄り、書かれた文字を消そうとした。

 そのとき、再度彼女が問うた。 


「宏一はさ、恋と愛の違いって分かる?」

「それは言葉の意味でか?」

「そんなわけないでしょ」

「……であれば、わからないな」 


 一度手に取った黒板消しを置き、彼女の顔を見つめて話を続ける。彼の表情は真剣だ。


「絢奈はわかるのか?」

「私は恋ならわかるよ。でも、愛っていうのは多分まだわかってはいない」

「そういうのは定義があるわけじゃないだろう。個人での価値観が違うだけで、誰かにとって絢奈はもう愛を知っているかもしれないし、まだまだ恋すら知らない可能性だってある」

「でも、宏一は自分の価値観で両方ともをわかっていないんでしょ」

「まあ、それは事実だがだからといってどうということはないだろ」

「自分の価値観で理解できないなら、一回それを捨てて誰かの価値観を知るのはどうかな?」 


 彼女なりに考えた最善策。

 誰もが持つそれを否定して、新たなものを体験させる。それにより、相手に自らの全てを理解させて共有する。そこからまた新たにステージを踏んでいけば、なにかを変えられるかもしれない。その第一歩を今彼女は踏み出した。 


「それは俺が絢奈の価値観を知るってことか?」

「私はそうしたいと思ってる。今でも宏一のことが好きだけど、このまま宏一が勝手に誰かと付き合って捨てられるぐらいなら、自分で何か試してみたい。そのためには結局宏一の協力ありきなんだけど……」 


 貝賀は静かに目を伏せた。

 彼女の提案に文句はない。だが、その相手が彼女であることがむしろやりにくいのではないか。これまで一年間もの間、二人だけの時間を共有してきた。ある意味では彼女の価値観を自分なりに理解してきたのではないだろうか。

 そんな考えが彼の頭のなかを回り、即答することはできないでいた。


「私は今、宏一がなにを考えてるのか分からない。二人でお風呂入ったり、セックスしたりしてきたけど、それでもわからないことがあるの。好きな匂いも料理も体位も知ってるのに」

「その一つが恋愛観ってことか」

「そう。多分、宏一も私のことを知ってるように思えても知らないことがあると思う。それこそどんな理想の恋愛を描いているのかなんて体験もしたことないのにわかりっこないでしょ」


 なるほどと彼は思った。

 百聞は一見にしかずというが、まさにそれが当てはまる。実際に彼女のことをおおよそは知り得ている。だが、これまで幾度も二人で出掛けてきたとはいえ、貝賀のことを考慮して恋人じみたことはそのときに行わず、家でも無駄にくっつくことはせず、求められた際それに答える程度で甘えるとすれば性交中か大学のレポートなどで疲れたときぐらいだ。


「一理あるな」

「何事も挑戦は大事だと思うから」

「うーん……」


 たしかにこれまで彼は仮にでも付き合ったことはなかった。それは愛情なくそういった関係で接することを嫌い、また相手に失礼だと思っていたからだ。しかし、今回は相手からの提案に加え、自らの事情を誰よりも理解している人間となる。

 心の隅に追いやっていた興味が湧いて出てきた。

 彼女であるならば、なにか変えてくれるかもしれないという期待も込め、返事をする。


「わかった。一度真正面から向き合ってみるよ」

「そう言ってくれると思った。それじゃあ、よろしくね宏一」

「こちらこそよろしくな」


 帰り道、二人は手を繋ぎ、適度な距離で並んで歩く。話す表情は明るく、その笑顔は華やいでいた。

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