第8話 寝顔
20××年 5月31日 15:20
「起きて、ねえ、起きて……起きてってば!」
「……なんだよ、まだそんな経ってないだろ──って、え?」
気持ちよい眠りから起こされ誰だと微かに瞼を開けた貝賀はその視点に驚いた。
本来、自らの膝元、または起きていたとしても横あたりに彼女の顔があるはずだ。しかし、今彼には頭上にその顔が映っている。つまりは自分が膝元にいるということになる。そのことに気付いた貝賀は刹那、あまりの近さに動揺してしまうかと思われたが、たしかに鼓動は早くとも頬は熱くならず、汗もかかずに頭も回っていた。
「あ、あれ?」
「あれじゃなくて、寝ちゃったのはしょうがないけど、足そろそろ痺れて痛いから早く起き上がって」
「すまん。でも、先に寝たのおまえだよな?」
「たしかに私も膝枕させちゃったのは悪かったよ。でも、起こしてくれたらよかったのに。ひとつ、無駄になっちゃってたし」
山萩の指さす先には明らかに冷めているラーメンがひとつ寂しそうに放置されている。
それを体勢を変えて確認した彼は片付ける為に頭を上げ、身体を起こし、一度ほぐしてから手に取った。そのまま流し場に捨て、鑑賞会で使った食器とともに洗っている間、彼女が自ら膝枕の形をとってしまったと誤解していることに気付いたが、わざわざそれを説明してまで解くのは面倒だと思い、黙っておくことにした。
「ていうか、貝賀って本当顔いいよね」
「それは性格が悪いっていう遠まわしな嫌味か?」
「そんなんじゃないって」
「わかってる、わかってる。ありがとさん」
適当にあしらいながらも普段あまり言われない褒め言葉にたしかな喜びを感じ、つい口元が緩みにやけてしまう。彼女にそれを見られまいとわざと咳払いをして誤魔化す。実際には彼に対して彼女は背を向けていたのだが、それほどまでに喜びに浸る自分を隠したかったのだ。男とは時にそういったことを気にしてしまう。気恥ずかしさというものだろう。
「あっ、ちなみに寝顔撮っておいたから」
「はいはい……ん? 今、なんて?」
「あまりにもカッコよかったから、寝顔撮らせていただきましたってだけ」
「あっ、ちょっ、おまえ!」
ニヤッとからかうような笑みを浮かべる彼女は振り向いた彼にスマホの画面を見せつけた。そこには加工アプリで俗に言う盛られた彼の顔写真が映しだされている。たしかに彼女のいうように顔が良く映っており、婚活サイトに顔写真として載せればすぐにでも人気になりそうなほどであった。
だが、それはあくまで他人の意見だ。本人からすれば相当な自信家でなければルックスに関して自画自賛する輩なんていないであろうから、特に気の抜けている寝顔など撮られたくない。
「すぐに消せ!」
「えー、なんで? そんなに嫌なの?」
「どうせ、SNSで高校の皆に見せようとしたんだろ」
「よくわかってんじゃん。まあ、そこまで嫌がるならさすがにしないけどね」
「本当、そういうことするのはやめてくれ。それとちゃんと消しておけよ」
「はいはい」
残念そうに画面をタップした彼女は最後まで確認してこなかった彼の目を盗み、写真を消さず、そのままファイルを閉じた。
「はあ……せっかく気持ちよく寝れて疲れが抜けたと思ったのに、今の一瞬で焦りすぎてなんかまた疲れた気がする」
「じゃあ、また膝枕してあげようか? その気持ちよく眠れたってのも私のおかげなんだし」
「そんな冗談言っても誰も乗らねえよ。ていうか、膝枕したの写真の為だろ」
そこでようやく気が付いた。自分が寝てしまっていたとはいえ、そこから膝枕の形になるには山萩が俺と同様に悪戯心を働かせなければならない。
バレちゃったかと彼女も反応している。
「はぁ……まあ、いいや。お互い様だし。俺、もう一回寝るから」
そう言った彼は食器乾燥機のスイッチを入れ、重い足取りで先ほどまで山萩のいたソファに浸かるように横になり、自分が昼に持ってきた毛布を掛けて瞼を閉じた。そこから就寝するまでに時間はかからず、残された彼女は暇そうに椅子に座る。
「別に冗談じゃなかったんだけどな……」
それは容姿を褒めたことと膝枕の提案どちらにも当てはまり、あしらわれたことに寂しさが胸のなかを渦巻いていた。
「どうせ絢奈なら嫌がらないで従ったくせに」
あくまで想像でしかないが、2人の間の信頼なり絆なりは現状を見れば誰だって相当なものだとわかる。だからこそ、親友であった角浦の家に泊まっている身としては仲間外れというような疎外感がある。それは恐らく自身でなくとも感じるであろうものだと頭のなかでは理解しているが、そう簡単に否定を受け入れられるほど心は強くない。
「絢奈があそこまで好きになる理由もわからなくはないけど。良い奴だし」
一応彼に聞かれないようぼそっと呟き、また寝顔を見ようと近づく。
綺麗な肌はモデルである彼女からすれば、特になにかしているわけでもなさそうなのにどうしてなのかと苛立ちすら覚えるほどで、憎らしくなり起こさない程度に軽くつまむ。程よく柔らかく、手触りも良い。
「運動もできるし、勉強もできるし、そりゃモテるわ」
彼女自身、貝賀の顔が抜きんでて良いわけではないことは分かっている。しかし、ここまでスペックがあると平均値より上、いや、極端に形の悪いものでなければ一定数は人気が出ていただろうとも今となっては思っている。
彼女は男友達というものを作ったことはない。当然、話すことはあるが個人的に会うことはなく、誘いもすべて断っている。加えてモデル活動もあり、高校時代の途中からは誰も言い寄ってくることはなかった。そんななか、3年時に初めて彼と同クラスになり、1年時から委員会の仕事で仲の良かった角浦とのつながりで話す機会があってから関わりを多少持つようになっていった。告白の件がありながらもこれまでの出会ってきた男性のなかでは誰よりも信頼を置いている。それは家族含めてだ。
「思えば、2人きりで映画観るとか初めてだったかも」
昼時のことを思い出し、そのなかで貝賀の泣き顔が思い浮かんであまりにも酷い形相だったのでクスッと笑みがこぼれてしまう。
「全然緊張とかなかったし、なんだかんだいってとっつきやすいんだろうなあ、貝賀は」
そう呟いた彼女は手を離し、優しい瞳で彼を見つめる。
対して、そんなふうに褒められていると知らずの彼は深い眠りのなかに堕ち、気持ちよさそうに頬を緩めていた。
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