恋の芽が顔を出した日

木種

第1話 過去と現在

 20××年 某日


 青年には仲の良い女友達がいた。

 その女性とは中学3年時から高校までの計4年間、不運か幸運か、クラスメイトとして過ごした。

 青年が貝賀かいが宏一こういち、女友達が角浦かくうら絢奈あやなだったため、毎年度始めには必ず彼の後ろに彼女がいた。

 中学時に共通の趣味からよく話すようになり徐々に友好関係に発展、それからは互いに嫌がる性格ではなかったためスキンシップ等を交わしていき、高校2年時より周囲に恋人のようだとからかわれていた。

 それに煽られた角浦は期待に応えるように行動に出る。


「あのさ……私たち付き合わない?」


 各地で大荒れた雪が姿を消し、暖かな日差しがかかる早春の頃だった。

 四月には学校を去る貝賀たちにとっては数少ない登校日。

 残りもあと2回、それに次は3週間もあととなる。そんな日の放課後、いつものように2人は最寄り駅までの見慣れた道を歩いていた。その道中、本来右に曲がるはずのT字路で角浦が突然貝賀の手を取り左手に行き、そのまま人気のない裏路地へと入っていく。果たして何用かと驚く彼を気遣うようすもなく、息を整え告げた。

 それが先の言葉だ。


「…………は? 冗談なら面白くねえぞ」


 急な告白に一時停止状態であった貝賀だったが、思考が回復すると眉間にしわを寄せ角浦に迫る。

 対して角浦は目を逸らし、顔をほんのり赤めていた。


「じょ、冗談とか言わないで。私は、本気だから……」


 尻になるにつれ言葉は弱く、声は小さくなっていった。

 恥ずかしさの絶頂か、彼女は顔を見られないよう手で覆い隠してその場に佇む。膝を折り、コンクリートに身を委ねて返事を待つ。

 だが、待てど待てど彼の声は聞こえてこない。たしかにそこに姿はあり、息遣いが鮮明に耳を通っているのだが、言葉はひとつとして見えなかった。


「あの……返事、欲しいんだけど」


 催促するのは如何なものかと心配した角浦だったがそれは杞憂に終わり、「ああ、すまない」と貝賀は吐く。

 そうして、こう続けた。


「本当にすまないが、俺は絢奈のことをそういうふうに見たことがなかった……これからも、その、仲の良い友人でいよう」



 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★



 20××年 5月18日(土)


 高校卒業と共に始めたコンビニのアルバイト。6時間の勤務を終えた貝賀は更衣室内で一人、紺のコートを羽織り、着替えを済ませていた。


「メール来てるな」


 スマートフォンでLINEがやり取りの主流となっている御時世だが、未だにメールを送ってくるのは母親だけだ。年に数えるほどしか連絡など寄越さない母親からだということもあり、彼はすぐにそれを確認する。


「なになに、俺宛に手紙が届いてただって……」


 貝賀は20歳のフリーター。黒髪短髪の高身長で運動能力に長けており、容姿はいたって普通であったがそれなりに人気があった男だ。また、自立欲が高く現在は親に迷惑をかけることを嫌いアルバイトを掛け持ちして家賃8万のマンションを借りている。つまり、この実家宛に手紙を書いた送り主は貝賀がそこを離れていることを知らない人物となる。ゆえに、おおよそ絞られてくるわけだが面倒くさがった彼は考えることをやめ、添付されていた写真を開いた。


「手紙っつうか、披露宴の招待状だな、こりゃ」


 それは可愛らしい封と綺麗に印字された文字が並ぶ紙が撮られたものだった。

 ドラマなどで見慣れたその紙にはたしかに貝賀の名前が記されており、送り間違いというわけでもなさそうだ。

 送り主を確認するために招待状がズームされた2枚目の写真を見る。そこには浅木紹子あさき しょうこ広川泰介ひろかわ たいすけという名があった。

 

「浅木先生か」


 この浅木紹子は貝賀の高校時代、1年時、3年時と担任教師として共に過ごした女性である。気が強く、高い運動能力の持ち主で身体は締まっており、現役高校生より活発であった。また、正義感が強く生徒会の担当でもあり、生徒、保護者問わず支持されていたという印象が彼のなかにも残っている。

 それに貝賀は合点がいった。たしかに頻繁に連絡を取り合っているわけではない高校教師が自分のその後を知っているはずがないと。

 

「結婚したんだな。まあ、俺が3年の時で28だったから今年で31か。あのときから彼氏はいるって言ってたもんなぁ」

 

 貝賀は学生時代を懐かしむ。

 当時を思い出せば、今は交流をとらなくなった同級生や後輩、嫌いだった教師の顔さえも頭のなかに浮かび上がってくる。日常のなんてこともない一幕を楽しいと思えた特別な場所だった教室も同様に姿を見せた。

 

「よし、どうせ皆も来るだろうし、あいつも誘って行くか」

 

 貝賀はそう呟くと、母親に今週中にその手紙を取りに行くと返信して外に出る。今朝から降り続けている雨のせいもあってか空は暗く、傘を差して帰路についた。

 歩いて帰ったために自宅に到着した今、時刻は日を跨ぐギリギリだ。

 彼の住むマンションは築20年の5階建てではあるが、半年前に改装したためにまるで新築かのように思えるほど綺麗な外観となっている。最寄駅から徒歩15分、駅の周辺には先ほどまで働いていたコンビニやスーパーもある。また、2週間に1度清掃業者を呼び、フロントなり各階の廊下なりを掃除してもらい中まで清潔に保たれているため住み心地が非常に良い。

 家賃8万円にしては良物件だ。まあ、都会ではないが。

 

「部屋は2LKで十分すぎる広さだってのに、どうしてエレベーターがないんだろうな……」


 そこが唯一このアパートの難点である。今回のように仕事帰りの疲れた身体には何段もの階段を上るのは辛い。だからといって、フロントで一夜を過ごすわけにはいかず、溜め息をつきながら重い足取りで一段ずつ上り、3階に着いた。その階段から一番近い部屋の玄関前に立ち、インターホンを押す。

 

「はーい、ちょっと待ってて」

 

 部屋のなかから若い女性の声が返ってきた。

 それから急ぎ足で玄関に向かってくる足音が聞こえ、鍵が外れる。

 ゆっくりと開かれた扉の先にいた女性は明るい茶髪を短く整え、風呂上りで頬をほてらせながらも貝賀の帰りを早く待っていたといわんばかりの笑顔を見せて言った。


「おかえり、宏一」

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