第18話 事件の考察
エレベーターホールで上昇ボタンを押す。しかし二階で誰か乗っているのか、止まったままなかなか動かない。扉の上の階数表示を見つめながら、オレは考えた。
予言があった。そして人が殺された。犯人は誰だ。
常識的に考えるなら、一番怪しいのは予言者だ。予言をし、その予言通りの結果を作り出す。典型的なマッチポンプだが、予言が当たる事に何らかの意味や価値があるのなら、一番確実で合理的とも言える。だが今回の殺人事件の場合、予言者にはアリバイがある。……いや、そうだろうか。
和馬の死体が発見されたとき、典前朝陽は給孤独者会議の道士たちと揉み合っていた。それは事実なのだろう。だが和馬は、その場でその瞬間に殺された訳ではない。検視されていないから死亡時刻はわからないが、殺されてから発見されるまでに、タイムラグがあるはずだ。その時間差にアリバイをはめ込めば、殺す事は不可能じゃない。つまり和馬を殺して、あの場所に死体を逆さに吊り下げて、それから玄関に向かう事も理屈の上では可能だ。ただし。
「誰にも見つからなきゃ、の話だ」
そうオレがつぶやいたとき、チャイム音が鳴った。エレベーターが到着したのだ。扉が開く。
「五味。こんなところで何してるんだ」
中に居たのは築根と原樹。ああそうか、和馬の部屋は二階だったか。
「いや、ちょっと野暮用でね。そっちはもう終わったのか」
「一応な。部屋には乱闘した痕跡があった。あそこで殺された可能性は高い」
築根にうなずきながら、乗り込んで振り返った。三人とも同じ階だから、オレがボタンを押す必要はない。扉が閉まり、エレベーターは上昇を始める。無言で階数表示を見つめながらこう思った。
何で聞こえなかったんだ。
二階の和馬の部屋から一階のあの場所に死体を下ろすには、エレベーターを使ったはずだ。大階段を使って下ろすなんて事は出来ない。ロビーには道士どもがウヨウヨしていたのだから。
一階エレベーターの正面に、事務所入り口はある。奥まったエレベーターホールは、ロビーから見づらい。少なくとも玄関付近に居るヤツからは見えない。死体の移動には最適だ。だがエレベーターが到着すれば、チャイムが鳴る。誰も気付かないなんて事は……違うな。逆だ。
チャイムが鳴った。五階に到着したのだ。築根が降りる。原樹が降りる。そして最後に降りて、オレは言った。
「話を整理しようぜ」
築根と原樹の部屋にオレも入った。原樹は迷惑そうな顔をしたが、構いやしねえ。部屋に入ると真っ直ぐ窓に向かった。見える景色はオレの部屋と変わらないな。近隣に明かりはまったく見えない。街灯すらない。ずっと遠くに街の明かりが見えるだけだ。まさに陸の孤島。
「それで」その声に振り返ると、築根が部屋の真ん中で仁王立ちしていた。「何がわかった」
ああ、タバコが吸いてえ。だが今夜はおあずけだ。話す事を話して、さっさと寝ちまおう。
「典前和馬が、二階の自室で殺されたと仮定する」
オレは窓辺に座り込みながら話し始めた。
「その死体を、一階のあの現場まで運ばなきゃならん訳だが、どうやって運んだか」
「そりゃエレベーターだろう」
あぐらをかいた原樹が、当たり前だという風に答えた。
「だがエレベーターが一階に到着すれば、チャイムが鳴る。普通なら、スキンヘッドの誰かが気付くはずだ。なのに誰も死体の移動を見ていない。何故だ」
築根の表情がわずかに変わった。さすがに理解が早い。
「典前朝陽が玄関で揉めたというのは」
オレはうなずく。
「そう、陽動だ。典前朝陽が玄関前で道士共の注目を集めていた、その瞬間を狙って、和馬の死体の移動は行われた」
築根の顔が険しくなる。
「それはつまり、典前朝陽には共犯者が居たという事になる」
やっぱりコイツも朝陽が怪しいと考えていたか。
「ああ、もしかすると、殺人の実行犯も朝陽じゃないかも知れない」
「十分にあり得るな」
しかし原樹はキョトンとした顔で築根を見つめた。
「え、犯人はスキンヘッドじゃないんですか」
一瞬の変な間を置いて、築根はたずねた。
「どうしてそう思う」
「いや、だって死体にあんな細工するのは腕力が必要ですし、一人じゃ無理だ。いまここにいる出家信者には、爺さん婆さんと若い女しか居ません。第一、あの連中が来てから事件は起きたんですよ。犯人は、あいつらしか居ないでしょう」
築根は困った顔で、こめかみを押さえている。
「動機は」
「へ?」
「なぜ給孤独者会議が和馬を殺さなきゃならない。理由は。意味は」
「それは、その、逮捕して白状させれば」
「話にならん」
築根ににらまれて、原樹はデカイ体を小さくした。そして何故か恨めしそうにオレを見つめる。知るか。とは思うものの。
「確かに、起きた現象だけ見れば、給孤独者会議は有力な容疑者だ」
「そ、そうだろ、なあ」
原樹の顔が明るくなった。
「おい、五味」
困惑する築根を手で制して、オレは言葉を続けた。
「だが、それとまったく同じ理由で、有力な容疑者になり得る連中が他にも居るだろ」
原樹は再びキョトン。築根も思い当たらないらしい。
「他に? 誰だそれは」
まったく、コイツらはおめでてえな。
「決まってんだろ。オレたちだよ」
「あっ」
築根は納得したようだ。だが原樹は首を振る。
「いやいやいや、待て待て。おまえはともかく俺たちは刑事だぞ、そんな」
「いまどき刑事が無辜の善人だとか思ってるヤツはいねえよ。警官が起こした事件がどれだけ新聞に載ってるか、知らん訳じゃあるまい」
原樹もようやく理解したのか、苦々しい顔で押し黙った。
「それに、だ」
ああ、タバコが吸いてえ。いや、残りの本数を思い出せ。ここは我慢だ、我慢。
「今回の事件は、給孤独者会議の連中が起こしたにしちゃ、おかし過ぎるんだ」
「どこがおかしい」
築根の挑むような視線。せっかくの美人なのに、このクソ真面目なところは何とかならんもんかね。
「予言があった。で、それをなぞるように殺人が行われた。これっていわゆる『見立て殺人』の類いだよな」
「確かにそうだ」
「だが実際問題、見立て殺人の意味って何だ。ただ殺すだけでもリスクがあるのに、それに加えて、死体をわざわざ飾り付けてるんだぞ。何で死体を壁に吊るす必要がある。しかも逆さまに。常識的に考えれば馬鹿げてる。給孤独者会議に、あるいは日月教団に、死体を飾り立てる宗教的な意味でもあるんなら理解出来るが、現場の連中の反応を見る限り、そんな教義も習慣もないはずだ」
静まりかえったロビー、葬式を忘れていた信者たち、そこにあったのは拒絶だ。築根はうなずいた。
「自分たちに理解出来るものなら、あんな反応はしない、か」
「もしあの見立てに意味があるとするなら、それでいて宗教に関係がないのなら、逆さに吊るした事は重要じゃない。考えられるのは一つ。それは見る事、誰かにあの死体を見せる事それ自体だ」
オレのその言葉に、築根はハッと気付いた。
「メッセージって、そういう事か」
「犯人は、おそらくあの死体を誰かに見せたかった。それに成功したのかはわからん。給孤独者会議にせよ、日月教団の信者にせよ、全員が見た訳じゃないだろうからな。だが見せたいという意思はそこにある。ならばいったい、和馬の死体の何を見せたいのか。それは当然、予言が実現した事実だろう。典前朝陽の予言は当たる。それを見せつけたかったに違いない。だとすれば、給孤独者会議は容疑者から外れる。連中は予言を否定する立場だ。予言の実現をサポートするはずがない。それどころか、給孤独者会議に見せつけたかった、と考えれば一応話は通じる」
「なるほど、教団買収への抵抗として、典前朝陽が予言をして……いや待てよ」
「ああそうだ。それもちょっとおかしい。どうせ殺すんなら身内じゃなく、殻橋邦命を殺した方が話が早いんだからな」
「身内を殺さなければならなかった理由があるという事か」
築根は腕を組んで考え込んだ。オレは一つ溜息をついた。
「とりあえず、いまオレに言えるのは、この程度で限界だな。もう頭がスッカラカンだ」
原樹が不満げに鼻を鳴らす。
「何だよおい、結局犯人はわからないのか」
「当たり前だろ。ホームズじゃあるまいし、こんな少ない情報で真相なんかわかってたまるか」
築根は唸っている。頭がフル回転しているのだろう。その目がオレを見た。
「そもそも典前朝陽は、この事件の首謀者なのか」
「わからんよ。無関係じゃないのだけは確かなんだが」
オレは立ち上がった。今夜はもう部屋で眠りたい。
「殻橋にどこまで話すかは、アンタらに任せる。何にせよ明日だ。今日は寝ようぜ」
すると突然、原樹が立ち上がり、猛然とオレに近づいて来た。
「よし、俺も一緒に行こう」
「な、何だよいきなり。アンタの部屋はこっちだろうが」
だが原樹はオレの腕をつかむと、聞こえるか聞こえないかの小さな声でこう言った。
「眠れる訳ないだろうが!」
まったくコイツだけは面倒臭えな。それをオレが口にする前に、「では警部補、おやすみなさい」と言いながら、原樹はオレを小脇に抱えて部屋を出た。ポカンとした顔の築根を残して。
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