第35話 逆流する真相

 二階、椿の間には長机が四角く並べられ、出入り口から一番奥の上座に殻橋さんと、その隣に朝陽姉様が、そして向かい側には五味さんが一人で座っている。殻橋さんに向かって左に渡兄様と風見さん、大松さんと竹中さん、最後に私が座った。閉じられた出入り口の前にはスキンヘッドの道士の人が三人立っていた。ピンと張り詰めた空気。


「ご自分から種明かしをすると言い出したのです、よもや逃げはしないでしょうね」


 挑発的な殻橋さんを前にして、でも五味さんは寂しそうな顔でタバコのパッケージを見つめていた。


「タバコ吸ってもいいかな。コレなしじゃ頭が回らなくてね」


 殻橋さんは不愉快そうに眉を寄せた。対して五味さんは屈託のない笑顔を見せる。


「逃げも隠れもしないからさ。最後の一本なんだよ。頼むよ」


 殻橋さんがにらむように道士の人に目配せをすると、部屋の隅の台の上から灰皿を取って、五味さんの前に持って来て置いた。ゴトンという音。


「おお、スマンね」


 五味さんは嬉しそうにタバコを咥えると、ライターで火を着けた。そして大きく吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。


「……まず前提として」五味さんは不意に話し始めた。「オレは『犯人』って言葉を使う。その方が説明しやすいからなんだが、いいかな」

「お好きになさい」


 殻橋さんは鼻をハンカチで覆いながらそう言った。


「助かるよ」


 五味さんはニッと歯を見せると、こう続けた。


「ところで、『久里ヶ岳奉賛協会』って知ってるか」

「田舎の小さなカルトですね。それが何か」


 殻橋さんは不審げに質問を返した。五味さんはうなずいてさらに続けた。


「そこの会長ってのは、目が見えないと周囲に言ってるんだそうだが、実は見えるらしい」

「ほう、それで」


 殻橋さんが少し食いついた。興味のある話だったようだ。


「そういう思い込みレベルの事は、よくある話だって頭に入れておいてくれ」


 意味がわからない、といった顔の殻橋さんを横目に、五味さんは美味しそうにタバコの煙を吸い込み、深く息を吐くとこう言った。


「じゃあ話は逆に進めよう」

「逆?」


 渡兄様のために手話を繰り出す風見さんが、手を止めて小さくつぶやいた。五味さんはうなずく。


「そう、逆だ。最初は今朝の事件から始める。この事件、被害者は給孤独者会議のメンバーだった。命じられて三階の時計の間で怪しいヤツがいないかを見張っていた。いや、違うな。正確に言うなら、見張れと命じられていたが、見張っていなかったんだ」


「何ですって」


 殻橋さんのハンカチを持つ手が握りしめられた。五味さんは表情を変えない。


「何故なら彼は見張る必要がなかったから。どうしてその必要がなかったか。答は簡単だ。彼は誰が犯人か知っていたのさ」

「気付いていたという事ですか」


「いいや、違う。彼は犯人の一味だったんだよ」

「そんな馬鹿な」


 吐き捨てるような殻橋さんの言葉に、五味さんは満足そうな笑みを浮かべた。


「オレが言ってるんだぜ。信じないのかい。いまさら嘘をついても意味なんかねえだろ。彼は犯人の仲間として、今回の事件の計画立案に参加した。殻橋邦命という人物をよく知る彼の言葉は、さぞ参考になったろう。ジャマーのターゲットから、PHSの周波数帯域を外したのも彼だ」


 殻橋さんは数秒考えて「……続けなさい」と言った。五味さんはうなずいた。


「彼は道士のリーダー格だった。あのとき他のメンバーに見張る場所を割り振って、自分は時計の間に入った。だがこれは犯人からの指示だった。そして午前三時、ドアが開いた。時計の間のドアには鍵がないからな、誰でも開けられる。そのとき彼は居眠りでもしていたのかも知れない。それとも犯人の姿を見て愕然としたのかも知れない。とにかく簡単に後ろを取られ、首を絞めて殺された。そして犯人は、彼が死んだ事を確認してから消火器で頭を殴り、時計の針を三に合わせた。な、トリックらしいトリックなんて何もないだろ」


 殻橋さんは無言で五味さんをにらみつけていた。


「ちなみに大松さん」

「は、はい」


 急に五味さんに話を振られて、大松さんはビックリしていた。


「時計の間の防音工事は金がかかりましたか」

「えっ、はあ、二代目様が随分念入りにやっていましたね。でも何でそれを」


「柱時計の針を回せば鐘が鳴るんですよ。あれだけの数の柱時計がボンボン音を鳴らしてるのに、他の部屋に聞こえないくらいですからね、生半可な防音室じゃないでしょう。中で人が絞め殺されても、暴れても抵抗しても、その程度じゃ誰も気付かない。犯人はそれを知ってる人間だ。さて、それじゃ次に行きますか」


 そのときの五味さんは、私の目には楽しそうに見えた。私が狂っているからだろうか。それとも。


「昨日、柴野碧さんを三階の廊下に呼び出したのは、犯人の仲間だ。碧さんはソイツを嫌っていた。だから朝方に内線電話のPHSを鳴らされた事に腹を立てて、ノコノコ出向いてしまった。午前三時を過ぎていた事に安心したのかも知れない。現場には相手が居た。碧さんの全神経は、当然そちらに向けられた。だがそのとき、犯人に後ろから腕を回され首を絞められた。碧さんはまさかと思っただろう。そんな事は有り得ないと。だが有り得ない事が起きたんだ」


 そのとき私は、ホームズのあの言葉を思い出していた。あらゆる不可能を排除したとき、最後に残ったものがいかに有り得なくとも、それが真実である。五味さんは続けた。


「犯人は碧さんを殺した後、廊下の消火器でガラス窓を割り、死体を外へと放り出した。あのとき三階には誰も居ない。窓を割った音くらいでは誰も気付かなかったかも知れない。碧さんの死体を見つけたのは誰です?」


 これに竹中さんが答えた。


「風見さんから窓が割れていると連絡があって、確認に行った私が見つけました」

「なるほど、そういう事ですか。では次に行きます」


 五味さんは淡々と、流れ作業のように話を進めた。


「一昨日の午後三時、六階で小梅さんが殺された。このときも犯人はPHSで呼び出したんだが、午後は日月教団の信者は作業とかあるんですかね」


 また大松さんが答えた。


「午後三時頃なら、夕食の準備で、みんな食堂にいる時間帯です」

「つまり、六階には誰も居ない」


「はい」


「犯人はそれを知っていて小梅さんを呼び出した。現場に犯人たちが居るのを見ても、小梅さんは驚かなかったろう。いつも通りの様子に見えたからだ。だから犯人の仲間に話しかけられたとき、そちらに向き合ってしまった。それは犯人に背を向ける事を意味したんだが、背を向けても大丈夫、という意識すらなかったかもしれない。それほど無警戒だった。犯人は小梅さんの背後から腕を首に回し、一気に締め上げた。そして死んだ事を確認してから、小さな思いつきを行動に移した。消火栓のホースを小梅さんの首に巻いたんだ。自分を捜そうとしている連中が、どの程度なのかを見極めようとしてね。最後に犯人は非常ベルを押し、六階の部屋に隠れた」


「部屋に隠れた?」


 私は思わず声を出してしまった。五味さんは横目で私を見た。


「エレベーターは上ってくる、階段で上がってくるヤツも居るかも知れない、だから迂闊に下りる訳には行かない。それよりも、ある程度人が集まるまで待って、何食わぬ顔でそこに加わる方がいい。部屋から出るところさえ見られなければ、問題はないからな。つまり犯人はマスターキーを持っていた事になる」


「でも、何で小梅さんだったんですか」


 竹中さんが問いかけた。五味さんは、質問に質問で返した。


「小梅さんより古参の信者って誰か居ますか」


 竹中さんは大松さんと顔を見合わせた。


「それは……誰も居ないんじゃないかな」


 五味さんはうなずいた。


「おそらく小梅さんは、知らなくていい事を知っていたんでしょう。だから選ばれた」

「おそらく?」責め立てるような殻橋さんの声。「あなたが選んだんでしょう」


「その方が説明しやすいんでね。さて次に行きますか」


 五味さんはひょうひょうと受け流した。


「典前和馬さんを殺す前には予言がなされた。この予言の内容は犯人が文面を考え、教祖様にメールで送ったものだ。犯人は出来る事なら、この一回で終わらせたかったんだろう。それだけに内容が凝っている。二回目の予言に比べて表現が細かい。そして殺人を実行した犯人も、予言内容の再現度にこだわりが見える。何としても教祖様を予言者にしたいという意気込みが感じられると言ってもいい」


 朝陽姉様は、うつむいたまま表情を変えない。五味さんは鼻先で小さく笑った。


「和馬さんを殺したのは彼の自室でだ。夜の訪問にも和馬さんは驚かなかった。以前からよくある事だったんだろう。不審にも思わず彼は犯人を部屋に招き入れた。そして警戒心もなく背を向けた。それを犯人は、用意していた紐で後ろから絞め殺した。紐を使ったのはこの事件だけだ。紐で絞め殺すと、自分の手にも跡が残る。犯人はそれに気付いたんじゃないかな、『おそらく』はね」


 五味さんは殻橋さんを見て笑う。殻橋さんはムッとした顔でにらみつけていた。


「犯人たちは和馬さんの死体を車椅子に乗せ、エレベーターで一階に降りた。ちょうどそのとき『偶然』にも、玄関ホールでは教祖様が大松さん、竹中さん、小梅さんと一緒に、給孤独者会議の道士たちと騒ぎを起こしていた。だからエレベーターが一階に着いた事に誰も気付かず、犯人たちは悠々と車椅子を押して事務所に入る事が出来た訳だ」


「あのときに」


 大松さんはそう言って絶句した。


「そして犯人たちは予言の通り、和馬さんの死体を逆さ十字にしてS字フックで壁にかけ、最後に胸を果物ナイフで刺した。ナイフは事務所に置いてある事を知っていたんだろうな。後はカウンターに上り、あのデカい絵を二人で持ち上げ、押して、下に落とすと同時にカウンターから飛び降りた。ロビーに居た全員の目が絵に集まっている間にエレベーターに飛び乗り、上に参ります、といったところだ」


 立て板に水の如く、五味さんはスラスラと犯行の様子を話して見せた。私はわからなくなりつつあった。五味さんは弁明するのではないか、自分は犯人ではないと主張するのではないかと思っていた。なのにそんな様子を見せる事なく、ただただ犯行を説明して行く。もしかして本当に五味さんが犯人なのだろうか。そんな疑いが湧き出た心を、肯定するかのように五味さんは続けた。


「殺人と『見立て』は何とか成功した。だが結果的に見れば、この犯行は失敗だった。何故なら、本当にこの死体を見せたかった人間に、見せる事が出来なかったからだ。そこで犯人は次の手を打った。それがプランB、すなわち二つ目の予言を出し、三人の殺人を実行に移した理由さ」


 そこで何故か五味さんは私を見て、ニッと笑った。


「さて、次だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る