第34話 ただ一つの解答
午前八時。私が大広間に入ると、もう日月教団の出家信者が全員揃っていた。給孤独者会議の道士の人たちも二十人くらい居る。誰もハッキリした話し声など発していないのに、そこはザワザワと空気が揺らめいていた。
辺りは暗く、演壇の上だけがスポットライトで明るい。もう少し前に出ようかと思い、何気なく足下に目をやって、声が出そうなくらいビックリした。ジロー君が膝を抱えて座り込んでいる。一人で来たのだろうか。五味さんを探したけど周りには居なかった。やっぱり監禁されてるっていうのは本当らしい。ジロー君は代受苦者だから見逃されたのだろう。
そうこうしていると、突然ハウリングが響き、マイクに息のかかる音がした。演壇の上には殻橋さんが立っている。
「お待たせ致しました、ではこれより、ここ数日に起きた一連の殺人事件についてご報告申し上げます」
そう言って見せた笑顔には、いままで以上に自信が満ち溢れていた。
「と言っても、もう皆様お気付きかも知れませんが、ここにはあの三人が居りません。そう、築根と原樹という刑事、そして五味という探偵、この三人はグルなのです。ここで起こった数々の不可解な事件は、すべてこの三人こそが犯人。これぞまさに天啓。彼らをその原因とする事で、きっと必ずや、あらゆる謎が解明されると、ここに明言致しましょう」
スキンヘッドの道士の人たちからは拍手が起こったけれど、うちの信者たちは、みな困惑している。それはそうだ。あの人たちに四人も殺す理由なんかないのだから。
「あの人たちが犯人だという証拠はあるんですか」
私は思わず声を上げた。場内が静まりかえり、みんな私の方を振り返っていた。しかし殻橋さんは、自信たっぷりにこう答えた。
「証拠。それは物的証拠の事ですか。ならばそんな物はありません。なくて良いのです。証拠ごときにこだわる者は、物事の本質を見失いますから」
いくら何でもそれはムチャクチャだ。
「でも、それでは誰も信じてくれません」
「構いませんよ」けれど殻橋さんは満面の笑みを浮かべた。「いまこの部屋にいる方々が信じてくださればね」
「そんな」
私は絶句した。唖然とした。こんな理屈が通っていいのか。私は狂っていると五味さんは言った。でもその私から見ても、こんなの狂っている。と、そのとき。
「あの三人をどうするつもりですか」
振り向けば、いつの間に来ていたのだろう、風見さんが立っていた。隣には渡兄様が乗った電動車椅子がある。
風見さんに一つうなずくと、殻橋さんはこう言った。
「知恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人という。と、お釈迦様もおっしゃっています」
「それ福沢諭吉ですよね」
そんな突っ込みにも殻橋さんは動じない。
「かも知れません。まあそれはともかく、人の命を弄ぶ輩は、仏敵であります。仏弟子として悪は滅せねばなりません。すなわち」
殻橋さんは大広間の一同を見渡した。白い総髪が揺れる。そして一瞬の間を置いて、ニヤリと笑った口元から、この言葉が飛び出したのだった。
「死をもって罪を償っていただきます」
道士たちが勝利の絶叫を上げ、うちの信者たちは恐怖に震えていた。これが狂気なのか。私が今日までぬくぬくと暮らしていた場所は、こんな世界だったのか。目からは涙が溢れ、体は自然と演壇に背を向けた。こんな場所には居られない。こんなところに居てはいけない。
そうだ、ジロー君。彼もこんな場所に居させてはいけない。連れて出なくては。でも、もうジロー君の姿はどこにもなかった。
「いったい、こんな子供に何が出来ると言うんだ」
部屋に戻ってきたジローを、原樹は怪訝な顔で出迎えた。
「ガキには『ガキの使い』ってのが出来るんだよ。ジロー、何してる。さっさとこっちに来い」
オレは体を起こし、ソファに座り直す。ジローは正面に真っ直ぐ歩いてくると、こちらを向いて立った。視線の中にオレの姿は映っていない。その目は虚空を見つめている。オレは一度タバコを深く吸い込んだ。
「よし、おまえの見てきたものを出せ。まずは殻橋邦命を、ただし小さな声で、だ」
一瞬の間をおいて、ジローは動き出した。腰に両手を当て、脚を肩幅に開く。少し右に重心をかけ、胸を張って顎を少し上に向ける。周囲を
「築根と原樹という刑事、そして五味という探偵、この三人はグルなのです」
ジローが小さな声で殻橋邦命の演説を再現する。
「ここで起こった数々の不可解な事件は、すべてこの三人こそが犯人。これぞまさに天啓。彼らをその原因とする事で、きっと必ずや、あらゆる謎が解明されると、ここに明言致しましょう」
「やっぱりな、全部オレらのせいにする気か」
オレは溜息をついた。まあ想定内ではある。オレの想定内と言うより、真犯人の想定内と言う方が正しいのだろうが。
などと考えていると、原樹がオレの肩を揺すった。目を点にしながら。
「お、おい、これ何をやってるんだ」
「見てわかんねえものは、聞いてもわかんねえよ」
ジローの顔に相手を見下すような笑顔が浮かんだ。
「証拠。それは物的証拠の事ですか。ならばそんな物はありません」
「開き直りやがった」
これには思わず苦笑するしかなかった。だがまあ警察じゃないしな、証拠主義にこだわれば、いつまで経っても解決しないと考えるのは正しい。アイツらにとって重要なのは法律に違反しているかどうかじゃない。自分たちの正義に従うかどうか、要は敵か味方か、それだけだ。
オレはタバコをくゆらせながら思った。殻橋邦命は真犯人じゃない。それはほぼ間違いないと言える。給孤独者会議の中でコイツだけが例外だった。しかし、やはりコイツではない。馬鹿ではないし人望もあるようだが、ここまで考え抜かれた計画を立てて実行できるほどの器じゃない。
真犯人はそれを見越していた。実際のところ殻橋が居なければ、一連の事件を起こす事は不可能だったろう。それくらい重要な役回りを演じているのは間違いない。
おそらく、殻橋のこの姿は、真犯人も見ているはずだ。だからオレはジローを通して殻橋を見る。その向こう側に居る真犯人を見つめるために。
「知恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人という」
「どっちが人非人なんだか」
築根のつぶやく声が聞こえる。オレは可能性を考える。コイツか、ソイツか、それともアイツか。殻橋を動かすことが出来る場所に居るのは誰だ。一つずつ選択肢を潰していく。間違えるなよ。予断は敵だ。すべては一人に収束するはずなんだ。
「死をもって罪を償っていただきます」
「おい、いまのはどういうこった。つまり殺すって事だよな」
原樹が声を荒げる。だからそう言ったじゃねえかよボンクラ。築根が口を押さえてくれなかったら、そう怒鳴っていたかも知れない。
「大きな声を出すな。気取られる」
「しかし警部補」
「まだ慌てるときじゃない。チャンスはある。そうだろう、五味」
築根の言葉を無視する。鼻の前でタバコが揺れる。残るのは一人。最後に残ったのは一人だけ。たとえ明確な決め手がなくとも、それが有り得ない人物であっても、最後に残ったコイツが真犯人だと考えるしかない。
オレはジローを止めた。そしてその名前を告げた。
天成渡のコピーを出せと。
ジローは一瞬の間をおいて歩き出し、窓際の籐椅子に座った。そのままじっと無表情に動かない。無音の時間が流れた。だがオレが焦れるより早く、ジローが動く。少しだけ、口元がほんの少しだけ緩んだ。それは確信の微笑みに見えた。
「やっぱりな。そういう事かよ」
「間違いないのか」
築根の問いかけには、納得が行かないという響きがある。まあそりゃそうだろう。普通に考えれば有り得ない。だが他に誰が居る。犯人が教祖ならば納得できるような状況を作り出せる人間が、教祖以外にいるとしたら。それはここでは天成渡だけだ。他には誰も居ない。ならばそうなのだ。そう思えないのは、ただ目が曇っているだけに過ぎない。
オレはタバコを灰皿にねじ込むと、ドアに向かった。内側から三回ノックする。鍵の外れる音。ドアが開き、見張りの片割れが顔をのぞかせた。
「何か用か」
「うちのガキは極端な偏食で、カレーライスしか食えないんだ」
見張りは、いささか面食らったような、困ったような顔を浮かべた。
「それがどうかしたのか」
「悪いけど、ガキの分の昼飯を持ってきてくれるよう、事務の大松さんに頼んでくれないか。ルームサービスを頼むにも電話はないし、相変わらず携帯は使えないしね」
そんなの知った事か。顔にはそう書いてあるが、こっちはそれでは困るのだ。
「ほら、代受苦者だしさ。頼むよ」
見張りはムッとして目をそらした。しかし、このマジックワードは効くはずだ。思った通り、舌打ちをして「しばらく待ってろ」と言い残してドアを閉めた。殻橋邦命様々だな。
「どうなんだ、何とかなりそうなのか」
飛びかかって来そうな勢いで原樹がオレを出迎えた。築根は呆れている。
「だから慌てるなって」
「よし、こうなれば私が突破口を開きます。警部補は逃げてください」
「よしじゃない、話を聞け」
一人興奮している原樹の横を通り過ぎ、オレはまたソファに寝転んだ。
「とりあえず揃うべきは揃った。果報は寝て待てだ」
さて、順番をどうするか考えておくか。
その後、オレと築根と原樹は打ち合わせを行った。そして午前十一時過ぎ。ドアがノックされ、再び大松がワゴンを押して入って来た。カレーライスが四つ乗っている。
「困りますねえ、私も忙しいんですから」
だったら誰かに頼んでも良さそうなものだが、そうしないのは想定内だ。ワゴンを受け取って、オレは大松に顔を近づけた。
「わざわざ来てもらって申し訳ないんだが大松さん、一つ頼まれて欲しいんですがね」
「何をです」
怪訝な顔をしてはいるが、嫌そうではない。オレは耳元でこう言った。
「最後に種明かしをしたい。殻橋邦命にそう伝えてくれませんか」
すると大松は真面目な顔でこう返した。
「それは私も参加できますか」
「もちろん」
大松は歯を見せ、親指を立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます