第14話 作為
エレベーターは五階で停止した。この建物は地上五階建て。という事は最上階のようにも思えるが、ここは最上階の一つ下だ。別にトリックがある訳じゃない。『四』は縁起が悪いので、三階の次を五階と表示している訳だ。くだらねえ。
オレとジローには廊下の奥の一部屋があてがわれた。隣は築根と原樹の部屋だ。部屋に入るとき、原樹は何やらドギマギしていたが、そんな状況じゃねえだろ。まったく、とことん空気の読めない野郎だ。
部屋の中には据え付けのダブルベッドがあるだけで、他には何もない。当たり前だが、冷蔵庫もテレビも撤去されている。隣の部屋も同じ状況なら、おそらく原樹は、いまごろ顔から火を噴いている事だろう。あ、ユニットバスとトイレもあるな。水も流れる。暖房も効いている。これなら食い物さえあれば、何日かは監禁されても大丈夫そうだ。
さて、それでは。オレはベッドに座ると、ジローを目で探した。案の定、窓側の隅っこで膝を抱えて座っている。まるで置物のように動かない。その目は虚空をさまよっている。だが耳は聞こえているはずだ。
「ジロー、さっきの典前朝陽の『予言』を出せ」
ジローは音もなく立ち上がり、オレの正面にまで歩いてきた。そして向かい合うと合掌して、やや前のめりに体重をかけ、つま先立ちで目を見開き天を仰いだ。あのときの典前朝陽と寸分違わぬその姿。これがジローの特技であり、コイツを飼う理由だ。オレはこれを『人間コピー機』と呼んでいる。
しかし典前朝陽は、確かにあのホテルのフロントマンが言ってたように、いい女だった。多少天然と言うか、純粋培養されたような、ほわほわとした感じはあったが、顔の作りは整っているし、巫女服のような着物の上からでもスタイルの良さは見て取れたし、間違いなくいい女だ。もっともオレの好みかどうかは、また別の話ではある。
そんな事を一瞬考えていると、ジローの口が大きく開かれた。
「おひーさま」
「ちょっと待て、ストップ!」
声がデカい。確かにあのときの朝陽の声もデカかった。だがそれをそのまま出されたのでは、他の部屋にまで聞こえる。いらん邪魔が入るかも知れない。
「声だけは小さく、それ以外はそのままで出せ。いいな、小声でだぞ」
ジローは数秒固まった後、急に解凍されたかのように再び動き出した。
「……のぼりや、おつきさまのぼりや」
声が小さくなった。まあこんなもんだな。オレはタバコを一本咥えた。
「我は典前大覚であるぞ。日月をおろそかにする雛子ども、我が言葉を聞き知らしめよ。祟るぞ祟るぞ十文字、夜のチマタの十文字、哀れな雛子は逆さになって、赤く輝く十文字。哀れな雛子は逆さになって、赤く輝く十文字」
「よし止めろ」
ジローはそのまま停止した。まるで動画のストップボタンをクリックしたかのようだ。
予言の内容としては「哀れな雛子は逆さになって、赤く輝く十文字」この部分が一番重要なんだろう。繰り返してるからな。ただ「夜のチマタ」ってのは何だ。スマホの予測変換では「巷」「岐」「衢」が出て来るが、このうちのどれだ。まあどれにしたところで分かれ道の意味らしいが。今度夕月に会ったら聞いてみるか。アイツなら知ってるだろ。それにしても。
「予言かね、これは」
思わず口に出た。これが予言なら、どうって事はない。そう、ただの予言なら。何故なら予言は所詮予言だ。当たるも八卦、当たらぬも八卦のレベルの話である。どちらかと言えば、当たらない確率の方が高い。そんなもんは無視して構わない。だが。
もしこれが予言ではなく『予告』なら。それは何かを起こす宣言に等しい。
咥えたタバコに火を点ける。ここはいま、外界から閉ざされている。いわゆるクローズドサークル、つまり推理小説に出て来る絶海の孤島や、嵐の中で孤立した山小屋と同じような状況って訳だ。単なる偶然か? 何か臭えんだよな。作為を感じると言ってもいい。ただでさえそうなのに、そこに予言まで出てきやがった。いくら何でも出来過ぎじゃねえか。
……いや、考え過ぎか。そもそもオレが考える必要のある事なのか。だいたい宗教団体の中に居るってだけで、充分非日常的に過ぎる。連中にとっては、こういうのもよくある事なのかも知れん。よしんば何らかの作為があったにせよ、オレに関係なきゃ、それはそれで構わないはずだ。
柴野碧の件は、早めに依頼者へ連絡する必要がある。何とか半額の三千万円で納得させなければならない。碧の気が変わる可能性もあるし、こういうのは勢いが大事だ。何日もこんな田舎でチンタラやってる訳には行かない。
「面倒な騒ぎは起こさんでくれよ。頼むぜ」
そのとき、ドアがノックされる音がした。ジローはまだストップしたままだ。
「やめだ。今日はもういい」
ジローが再び動き出し、部屋の隅に向かうのを確認してから、オレはタバコをもみ消してドアに向かった。その向こうで待っていたのは。
「遅いよ。何やってんの。寝てたの」
作務衣姿の柴野碧が立っていた。右手に茶色いコンビニの袋、左手に白い大きめのレジ袋を持って。
「ああ、スマン。ちょっとな。何か用か」
「これ。頭ツルツルの人が、あの子に持って行けって」
と、茶色い袋を差し出す。ジローのカレーライスだな。コンビニまで買いに行ってたのか。クソ遠いのに。
「それと、こっちはあんたの分」
と、白い袋も差し出した。中にはミネラルウォーターと、丸い缶に入ったビスケット。そして紙コップ。
「……非常食か?」
「そ。信者用の食堂はあるけど、今日はもう閉まってるし。晩ご飯はこれで我慢して」
「食堂があるのか。カレーライスは食えるか」
「レトルトでいいならあるんじゃない。何よ、あんた毎日カレー食べさせてんの」
「他に食わねえから、しゃあないんだよ」
「へえ、お父さんは大変だ」
そう言うと、碧はケラケラ笑った。
「随分と楽しそうだな」
「ふっふーん。天罰覿面」碧はニイッと歯を見せた。「やっぱり神様はいるんだね。あたし、訴えられても勝てるような気がしてきたよ」
「もし神様がいても、アンタの味方はしねえと思うが」
「そうかな、『罪なき者だけが石を投げよ』って言うじゃん。神様は案外あたしみたいな者の味方かもよ」
「おいおい」
「まあとりあえず、あんたら四人の世話係は、あたしがやる事に決まったみたいだから、何かあったらお姉さんに相談しなさい。そいじゃ、また明日の朝ね」
上機嫌で背を向けて去って行く碧を見送って、オレはドアを静かに閉めた。ジローの前に行き、カレーを置く。
「食え」
その言葉にバネが弾けたかの如くジローは反応し、もどかしげにカレーライスを袋から取り出すと、中身をぶちまけるんじゃないかという勢いで蓋を外して、プラスチックのスプーンを握り、犬のようにむさぼり食った。地獄の餓鬼もかくや、という感じである。
それを見ながら、オレは胸ポケットからタバコを出した。残り三本だ。だがまだ内ポケットに一箱入ってる。駐車場のクラウンの中にも二、三箱入れてるんだが、取りに出られるのはいつになるやら。大事に吸わないとな、と思いつつ、脳裏に浮かぶのは楽しげな柴野碧の様子。アレはマジで気が変わるかも。
「マズいぞ、こりゃ」
女の笑顔が脳裏から離れないのは高校時代以来か。まったくときめかないのが腹立たしい。いや、別の意味でドキドキはしているのだが、嬉しくも切なくも何ともない。
オレは一つ溜息をついた。くだらん事を考えてる場合じゃない。何か対策を考えないとな。予言の事は、もうどうでもいい。どうせ何も起きないだろう。非常食の缶をパカンと開けながら、オレは女心に頭を巡らせていた。
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