第5話 ストーカー

「それが本当にできるなら嬉しいけれど

 君にばかり迷惑をかけるのは心苦しい」


 あなたはそう言う

 でもその気遣いは無用だ

 僕はいま幸せなのだから


 あなたのためにこの身のすべてを使う事こそ

 僕に残された、ただ一つの喜び

 そう、これだけがたった一つの

 僕の生きている証


 いまこそあなたの望む世界を




 変化は突然にやって来る。


 父様が亡くなって、姉様が教祖の跡を継いで、私は副教祖になった。副教祖と言っても、これまでと変わった事は何もない。新しく入信した人にイロイロ説明したり、おばあちゃんたちの話し相手をしたり。『お言葉』は朝陽姉様の仕事だったし、教団の事務全般は、いままで通り渡兄様が取り仕切っていた。


 和馬叔父様は、それが気に入らないらしく、陰で私に教祖になれと言ってきた。実際の仕事は全部自分がやってやるから、お飾りになれと。そんなムチャクチャな。朝陽姉様を教祖に決めたのは父様だし、みんなそれで納得してる。だいたい私の後見人の渡兄様がそんな事を認めるはずがないのに。


 朝陽姉様と弁護士の下臼さんが婚約したのも気に入らないそうだ。下臼さんは姉様より十歳年上だけど、オジサンっぽくはない。好き嫌いを別にすれば、お似合いだと思うのに。教団を独占しようとしている、ってそれ和馬叔父様の事じゃないの。


 教祖になれば高校に通わせてやるとも言われた。それは嬉しいけど、中学もマトモに行っていないのに、どこの高校に入れるんだろって思うし、友達の作り方もわかんないし、不安の方が大きいって答えたら、和馬叔父様に怒鳴られた。「おまえは人間のクズか!」って。ひどいよ。



 そんなある日、教団の総本山に、沢山のスーツ姿の人がやって来た。玄関で紙を見せながら、大きな声を上げている。地方検察庁、家宅捜索、そんな言葉が聞こえた。下臼さんが慌てて対応に出たけど、スーツの人たちは、それを押しのけてドカドカと建物の中に入ってきた。段ボールを抱えた人たちが、後に続いて入ってくる。その向こうには、テレビカメラが見えた。


 下臼さんは、呆れたような顔で人の流れを見守っていた。私はそれを、大階段の上から見ていた。大人の人は大変だなあ、そんな事を思いながら。そのとき。


 下臼さんの後ろに、真っ黒い格好の女の人が立った。喪服みたいだなって思いながら何となく見ていると、気付いた下臼さんが振り返り、突然こう怒鳴った。


「おまえなんか知るか! 出て行け!」


 次の瞬間、黒い女の人は下臼さんにぶつかった。下臼さんは相手の体を抱きしめながら後ろに倒れてそれっきり。胸から血を流して死んだ。その女の人がストーカーで、下臼さんにつきまとっていたというのを知ったのは後の事。スーツ姿の男の人たちが飛びかかって女の人を押さえつけ、ナイフを取り上げる様子を私は呆然と見ていた。


 下臼さんが死んだ事を知らせると、和馬叔父様は笑った。朝陽姉様は「そう」とだけ無表情に答えた。哀しそうな顔をしたのは、渡兄様だけだった。


 これって普通なんだろうか。それとも、私の家族はみんな狂っているんだろうか。その頃の私には、よくわからなくなっていた。




「私は下臼聡一郎さんと愛し合っていたのです。でも彼の双子の弟が、邪魔をして私たちを会わせてくれません。その弟は酷い男で、聡一郎さんには多大な迷惑がかかっていました。聡一郎さんと弟は本当にそっくりで、誰にも見分けがつきませんから、みんなその弟がした悪い事を、聡一郎さんがした事だと誤解してしまうのです。でも私にはわかります。私にだけは、聡一郎さんと弟の区別がつくのです。どうやって見分けるのか? 簡単ですよ。『私を愛していますか』とたずねれば良いのです。あの男はこう答えました。『おまえなんか知るか! 出て行け!』私にはわかりました。あれは弟だったのです。だから刺したら死にました。もし聡一郎さんなら、刺しても死ななかったはずです。私たちの愛は本物なのですから」


 逮捕された女は警察の取り調べに対し、こうスラスラと供述したという。これがメディアで報じられると、退屈な世間にセンセーションを巻き起こした。ネットではあちこちで祭となり、一時は双生児事件の印象がかすむ程の騒ぎとなった。


 しかし、この事件に謎はない。犯人は現行犯で捕まっているし、犯行も認めている。あと残されているのは精神鑑定が行われるかどうかくらいであり、あっという間に世間は興味を失って行った。

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