第6話 フロントカウンターにて

 十二月の冷たい小雨が降る中を、銀色のクラウンは音もなく走った。車内にあるのは静寂、時折カーナビの音声案内が聞こえるのみ。オレは車で音楽を聴かない。ナビは後付けで、もちろん音楽も聴けるのだが、データは一曲も入っていなかった。高速に乗ったときには道路情報を聞くものの、それ以外は基本的に無音だ。助手席のジローは元より喋らないし、オレも独り言をつぶやく趣味はない。四角く切り取られた静謐な空間は、二時間に渡って移動し続けた。


 到着したのは、山のふもとにあるホテル。外壁は何度か塗り替えているのだろうが、その古臭さは消し切れていない。狭い駐車場にクラウンを停めると、オレはジローを連れてカウンターに向かった。時刻は午後四時過ぎ。チェックインには丁度良い頃合いだ。しかし、薄暗いロビーに人影はない。


「いらっしゃいませ」


 六十を過ぎたくらいだろうか、白髪の薄い頭を下げ、フロントマンは陽気そうな笑顔を見せている。陰鬱な雰囲気のロビーで、彼一人だけが違和感を持って浮き上がって見えた。


「予約している五味ですが」

「はい、五味様、二名様ですね。承っております」


 ノートをめくる音がする。この時代に、まだ手書きで顧客管理をしているのか。


「では、六〇二号室をご用意しております」


 長い直方体のキーホルダーがついた部屋の鍵を、小さな四角いトレーに乗せてこちらに差し出すと、フロントマンはこう続けた。


「こちらにはお仕事ですか」


 見れば、笑顔がウズウズしている。おそらく、ここのフロントはヒマなのだろう、喋りたくて仕方ないのだ。


「ええ、ちょっと用事でね」オレは鍵を受け取りながら言った。「ここってアレですよね、近くに何とかいう宗教団体ありましたっけ」

「天晴宮日月教団ですね。まあ近いと言っても、山を一つ越えた向こうですけど」


 食いついてきた。こりゃ楽だ。


「そう、その日月教団。ストーカーで死人が出たっていう」


「いやあ、もうあのときは大騒ぎでしたよ。この近辺は人がいませんから、爺さん婆さんばかりの過疎地域ですから、事件なんて滅多に起きません。それがいきなり殺人事件が起きて、パトカーは何台も来るわ、テレビ局のヘリは飛ぶわで、こっちとしちゃ、いい迷惑でした。まあそれでも、うちのホテルに警察関係者とかマスコミの人とか、何泊かしてくれましたから、儲かりはしたんですけどね」


「それでも、あんまり好きではない感じですか」


「気持ち悪いですからね。お経読んだり歌ったりはしないみたいですけど、信者向けに説教とかしてるのが、スピーカーから聞こえてくるらしいんですよ。いや、もちろんここまでは聞こえてきませんから、それは大丈夫です。だけど聞こえる場所の人は嫌がってますね」


「ああ、うるさいのは評判落としますよねえ」

「そうそう。ただね、ここだけの話なんですけどね」


 フロントマンは声を落とした。


「何です」

「いまの教祖っていうのが、結構若い女なんですけど、かなりの美人らしいんですよ」


「へえ」

「で、例の殺された弁護士も、この教祖の色香に惑わされたんじゃないかって、もっぱらの噂なんです」


「そりゃ見てみたいな」

「ああ、それは時期が悪かったですね。もうちょっと、来月になったら祭があるんですけど」


「祭とかあるんですか」


「一月十三日に『源朝忌』って祭があって、総本山の施設を一般に公開するんです。まあ公開したところで、見に行くのは物好きだけですけどね。このときなら、教祖の顔が見られると思うんですが」


「一月十三日、また中途半端な日付ですね。この日って何かありましたっけ」

「源頼朝の命日だそうです。先代の教祖が頼朝の生まれ変わりだとかで」


「なるほど。だから『源朝忌』ですか」


 新興宗教の教祖が、歴史上の偉人の生まれ変わりを自称する事はよくある。信者を増やすための、キャッチーでわかりやすいアイコンなのだろう。ただ頼朝はあんまり聞かないな。確かに有名人ではある。しかし宗教的に何かやった人物ではない。やったとしても、せいぜい戦勝祈願くらいじゃないのか。そんなのの生まれ変わりで、教祖的に大丈夫だったのか。オレが心配する事じゃないが。


「あと二週間もすれば、信者が集まってきますよ。どうせなら、うちに泊まってくれればいいんですけどね」


 何だかんだ言いながら、随分と詳しいじゃねえか。オレは喉元まで出かかった、その言葉を飲み込んだ。


「ところで、このホテルってレストランありましたよね」

「はい、最上階の八階にございます。まあレストランと言っても、喫茶店に毛の生えたような店ですが」


「何時までですか」

「夜八時がラストオーダーになっております」


 早いなと思ったが、田舎ではそんなものなのかも知れない。


「カレーライスはありますかね」

「お客様、当ホテルのレストランは、カレーライスが美味しいので有名なのです。有名と言っても、この近辺だけなのですけどね」


 フロントマンは嬉しそうに言った。別にオレが食う訳じゃないんだけどな。まあその程度の誤解はどうでもいい。フロントマンに礼を言い、ジローを連れてエレベーターに乗り込んだ。とにかく今夜はよく寝ておこう。明日が本番だ。

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