第20話 第二の予言

 食堂でちょっと遅い朝食を食べ終わると、風見さんが私のテーブルにやって来た。和馬叔父様の葬儀の件で相談があると。私に相談されても、何も答えられないのだけれど、朝陽姉様も渡兄様も待っているという。まあ一応は副教祖だし、参加だけはした方がいいのだろう。私はトレーを厨房に返すと、風見さんと一緒に朝陽姉様の部屋に向かった。



 相談、そう言われて来たはずなのに、五階にある朝陽姉様の部屋では一言も話せなかった。背後に護衛だろうか、道士を二人立たせ、大きなテーブルの一番奥に陣取った殻橋さんが、ずっと喋っていたからだ。私が部屋に入る前から、祭壇の大きさや棺桶の位置などについて話していたらしい。朝陽姉様の隣の席に座った私に挨拶するでもなく、チラリと見ただけで口を止めなかった。


「位牌や戒名など、本来の仏教には存在しないものです。我ら給孤独者会議では、そのようなものを認めません。ゆえに祭壇に位牌は不要。遺影の写真すら不要です。その代わり花で祭壇を埋め尽くします」


 和馬叔父様のお葬式は、殻橋さんが仕切る事に決まったようだ。私が居ない間に。やっぱり私、来なくても良かったんじゃないのかな。そう思いながら隣を見ると、朝陽姉様は目を輝かせ、熱心に殻橋さんの言葉に耳を傾けていた。姉様は、子供の頃からずっと日月教団の英才教育を受けて来た人だ。他の宗教の知識が珍しいのかも知れない。


 風見さんは殻橋さんの言葉を手話で訳し、渡兄様はそれを見つめていた。そしてその場に居る他の人たち――大松さん、竹中さん、小梅さん、そして羽瀬川さん――は目を見合わせていた。どうしたものか、という心の声を顔に浮かべながら。


「と、まあ式次第はこのような概要となりますが、教祖様のご意見はいかがです」


 そう言って、ようやく口を止めた殻橋さんに対し、朝陽姉様は、感激したように何度もうなずいた。


「素敵です。こんなお葬式もあるのですね。私、お葬式って、もっと堅苦しくて退屈なものだと思っていました」

「お気に召していただいたようで幸いです。確かに葬式仏教などという悪口もありますが、仏の教えとは本来もっと自由でおおらかな物ですからね」


 そして殻橋さんは、渡兄様にも話を振った。


「天成さんはいかがです。ご意見などございましたらどうぞ」


 渡兄様は数秒目を閉じると、深く息を吐き、おもむろに手を動かし始めた。それを風見さんが訳す。


「一つ申し上げてよろしいでしょうか」

「はい、何なりと」


 殻橋さんは笑顔で答えた。渡兄様は無表情に手話を続ける。


「葬儀の式次第については特にありません。すべてあなた方にお任せします。ただ」

「ただ?」


「あなたは、この殺人事件の犯人を、誰だと考えていますか」


 その一言で、一瞬にして部屋中に充満する不穏な空気。殻橋さんは少し眉を寄せ、不満げにこう答えた。


「現段階では、まだ情報が不足しています。明快な回答は難しいですね。それに、いまは葬儀について話し合っているのです。犯人捜しは」

「故人を悼むのなら、死者の霊を慰めるのなら、まずあのとき何があったのかを明らかにすべきなのではないでしょうか」


 風見さんの声が響く。渡兄様の手話は、これまで見た事がない程の勢いで繰り出された。


「単刀直入に申します。この事件の犯人は、典前朝陽教祖だと私は考えます」


 その場に居た皆が言葉を失った。ただ渡兄様の手話が激しく動き、風見さんの声だけが部屋に響く。


「無論、教祖が直接手にかけたとは思いません。正確には、教祖と共謀した信者の共犯でしょう。いまここに居る、お三方は特に怪しい」


「な、何て事をおっしゃるのですか!」


 大松さんが立ち上がった。


「そうですよ、いくら何でもムチャクチャです」


 竹中さんは困惑している。


「風見さん、それは本当なのですか。とても若先生の言葉とは思えません」


 小梅さんは泣きそうな顔だ。


「私は、渡さんの手話を正確に翻訳しているだけです。筆談をご希望でしたら、そうお伝えします」


 風見さんは冷酷なまでに冷静に答えた。私は朝陽姉様を見た。姉様は平然と、口元にわずかな微笑みさえ浮かべている。


「……しかし現実的な問題として」殻橋さんが氷のような視線で渡兄様を見つめた。「教祖とこのお三方には、死体発見時のアリバイがあります。我々の道士が何人も確認しておりますので、勘違いとは思えません」


 渡兄様の手話が走る。


「言い換えれば、死体発見時にしかアリバイがないという事です」

「それはつまり?」


「和馬さんが殺されたのは、発見時よりずっと前。教祖たちは、彼を殺した後で玄関ロビーに姿を現したのです」

「つまりその前に教祖様方が死体を壁に吊るしたという事ですか。それとも他に共犯者が居るという事でしょうか」


「いま、この総本山に暮らす出家信者は、大半が教祖派です。手伝う者など、いくらでも居るでしょう」

「しかし成人男性の死体は重いですよ。そう簡単に運べるでしょうか」


 殻橋さんは食い下がった。私もそう思う。そんな簡単に死体なんて運べるはずがない。けれど、渡兄様は大きくうなずいた。


「運べます。三階の階段室の隣に先代教祖の私室があるのですが、そこに車椅子が二台置かれているのです。それを使えば、老人でも女性でも死体を運べるはずです」


 すっかり忘れていた。そうだ、時計の間には確かに車椅子が二台置いてある。足の悪い人のために用意してある物だけど、いまここに出入りする人に必要はないので、置きっぱなしになっているのだ。


 殻橋さんは、ふむ、と口元に手を置いた。


「教祖様は、それをご存じだったのですか」

「はい、もちろん知っています」朝陽姉様は笑顔で答えた。「でも、それは風見さんだって知っているはずです」


 殻橋さんは風見さんを見た。


「知っているのですか」

「知っています」


 風見さんも落ち着き払っていた。朝陽姉様は静かに続けた。


「つまり死体を運んだのが風見さんである可能性は、ゼロではないという事です。風見さんは車椅子の扱いに慣れていますしね。そしてそれはすなわち、和馬叔父様を殺したのが風見さんである可能性も、ゼロではないという事になります。アリバイもないのでは」


 渡兄様の手が動く。


「残念ながら、風見にも僕にも和馬さんを殺す動機がない。しかしあなたにはある。夕月に教祖の座を奪われたくないという動機が」

「そうでしょうか。あなたにだって、和馬叔父様に夕月の後見人の立場を奪われるのではないかという……」


 その目が突然曇った。


 朝陽姉様の目は焦点を失い、顔は上を向き、椅子の背もたれに深く体重を乗せた。そして大きく口を開いたのだ。


「おひーさまのぼりや、おつきさまのぼりや、おひーさまのぼりや、おつきさまのぼりや」


 絶叫。耳をつんざく金切り声。朝陽姉様は体を痙攣させながら、天井の向こうに向かって声を叩きつけていた。また『お言葉』だ。


「姉様、落ち着いて」


 でも朝陽姉様には私の声など聞こえていない。わめくように言葉を吐き出す。


「我は典前大覚であるぞ。日月をおろそかにする雛子ども、我が言葉を聞き知らしめよ。祟りじゃ祟りじゃ三つの祟り、三つ揃って三つのところ、哀れな雛子が三つ転がる。三つ揃って三つのところ、哀れな雛子が三つ転がる。これにて一と一と三。我が怒りを知れ」


 叫び終わると、朝陽姉様の体は崩れ落ちた。失神しているようだ。


「姉様、姉様、姉様!」


 揺り動かしてもその目は開かない。助けを求めて周囲を見回したけど、皆呆然としている。ただ渡兄様の手だけが動いていた。


「教祖を監視してください」風見さんの声が響いた。「また誰かが殺されます」

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