第19話 もう一人の代受苦者

「了解しました、やってみます

 でも本当に続けて大丈夫ですか

 君の負担が心配です」


 そんなメールを嬉しく思う

 でも続けなければならない


 プランB

 次の作戦を実行し

 最強の予言者を生み出す事で

 あなたの望みが叶うのだから




 どんな夜でも必ず明ける。眠るつもりなんてなかったのに、私は気がついたら部屋の椅子で眠っていた。目が覚めれば空はもう明るくて、外から聞こえる鳥の声。もしかしたら悪い夢だったのだろうか、和馬叔父様が殺されたなんて。そんな私のボンヤリとした希望を打ち砕くかのように――小さな音だったのに、私の胸には大砲の音のように響いた――部屋のドアがノックされた。


「はい」


 返事をしてから気付いた。声を出すべきではなかったのではないか。知らずに済ませられた現実を、自ら招き入れてしまったのではないかと。


 しかし無情にもドアは開けられ、向こうから碧さんの笑顔が現われた。鍵を閉め忘れていたのだ。


「夕月様、朝食はどうされますか。こちらにお持ちしましょうか」

「いえ、食堂で食べます。……あの」


「どうかされましたか」


 たずねるべきなのだろうか。本当にそれは知るべき事なのだろうか。心は迷ったけれど、私はたずねた。たずねずには居られなかった。


「和馬叔父様は」


 すると碧さんは少し目を伏せた。


「いまはお部屋です。今日お葬式をする予定だと羽瀬川さんが。教祖様もそれでいいと」

「そう、ですか」


 夢じゃなかった。全身から力が抜けていく感覚。いけない。心の内側から声がする。暗闇に囚われてはいけない。そうだ。


「碧さん、ジロー君はどうしてます」

「ああ、あの子なら五味さんが起こしてました。あたしが声をかけてもピクリともしなかったのに、えらいものですね。もう食堂に行ってると思いますよ」


「そう、良かった」


 私は椅子から立ち上がった。少し足下がふらつく気がするけど、大丈夫。きっと大丈夫。食堂に行こう。朝食を摂ろう。朝陽姉様や渡兄様と話そう。そうすれば、きっといつものように。




 二階の食堂は、かつてここがホテルだった頃、レストランとして営業していたのではないかと思われた。結婚式場と同じフロアなだけあって、天井が高い。四、五メートルはあるだろうか。蛍光灯を取り替えるのは一苦労だな。朝食のトーストをかじりながらそんな事を考えているオレの隣で、ジローはカレーライスをむさぼり食っていた。厨房に無理を言って用意してもらったのだ。まったく世話の焼ける。と、そこに。


「聞いておりませんね」


 責め立てるような響きの声が、一番奥のテーブルから聞こえた。殻橋邦命だ。日月教団の出家信者の婆さんを立たせて、自分は椅子でふんぞり返っている。


「ですが、このままというのは、あまりに酷い……」


 婆さんは何やら相談をしていたらしいのだが、すっかり困惑した様子だ。それを殻橋はにらみつけた。


「勘違いなさっているのではありませんか」

「と、おっしゃいますと」


「私は葬儀がいけないと申し上げているのではありません。ただ、物事には順序というものがあるのです」


 なるほど、婆さんは典前和馬の葬式をやろうとしていたのか。とりあえず給孤独者会議にも話を通しておこうとしたんだろう。そこに噛みつかれた訳だ。


「問題は二つあります。ご承知の通り、この天晴宮日月教団は給孤独者会議の傘下教団となりました。そしてこの場を預かっているのは、この私、殻橋邦命です。ならばまず第一に、私に話を通すべきでした」


「ですからこうやって」


「順序があると申しましたでしょう。あなたは教祖より先に、いやそれよりも葬儀の準備を始めるよりも前に、私のところに来るべきだったのです」

「そんな」


「第二に、葬儀は仏式でなければなりません。旧来のこの教団のやり方では許可できません。給孤独者会議の方式でのみ葬儀を認めましょう」

「私たちは、そんなやり方を知りません」


「だから最初に私のところまで話を通すべきだったのです。そうすれば、ちゃんと指示を出して差し上げましたものを」


 殻橋はコーヒーを不味そうに飲んだ。立ち尽くす婆さんの体は小刻みに震えて見えた。あとちょっとした切っ掛けを与えれば導火線に火が点く、そんな空気が漂う中。


「こっちです」


 食堂の扉を開けて、作務衣姿の出家信者が誰かを待っている。そこに現われたのは、電動車椅子の天成渡と、付き添う風見麻衣子だった。それに気付いたのか、殻橋の顔に苦々しさが浮かぶ。天成たちは真っ直ぐ殻橋の元に向かった。


「羽瀬川さん、大丈夫ですか」


 風見が声をかけると、婆さんは声を出さずに首だけでうなずいた。


「殻橋さん、これはどういう……」


 言いかけた風見を、天成が手を上げて止める。そして手話で話し始めた。


「……失礼があったのなら、私からお詫び致します。しかし、あくまでも善意から出た事です。ご理解ください」


 通訳する風見の言葉に、殻橋は渋々という感じでうなずいた。


「それはもちろん、理解しております。ただ、こちらにも立場があるのです」

「お立場はわかります。ですから、ご指示をいただければ、それに従いましょう。大事なのは故人を悼む事です。自分たちのやり方に固執するつもりはありません」


 風見麻衣子の口から出て来る天成渡の言葉に、殻橋邦命は毒気を抜かれたような顔で深い溜息をついた。


「わかりました。今回の事は、水に流しましょう。この後、教祖様とお話しできますか。葬儀の式次第について打ち合わせたいのですが」


 そう言って殻橋は微笑んだ。その場に流れるのは、さっきまでと打って変わった和やかな空気。


 ああ、なるほどね。天成渡も代受苦者って訳か。

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