第22話 二つ目の事件

 時間は何事もなく過ぎて行った。


「教祖は我々の厳重な監視下にあります。何も出来るはずがありません。故に何も起きる訳がないのです」


 殻橋邦命は自画自賛したものの、とりあえず典前和馬の葬式どころじゃなくなったのは確かだ。天晴宮日月教団総本山の中には、ピリピリとした空気が流れている。出入り口を塞ぐ道士の連中は、みな張り詰めた顔をしていた。給孤独者会議の本部に応援を要請するんじゃないかという正体不明の噂も、どこからか流れているようだ。


 築根は、午後になって殻橋に経過を話したらしい。現段階では典前朝陽が怪しいとしか言い様がない事、和馬の死体は誰かに見せる目的で飾り付けられたのだという事、この二点を話し、早急に警察に連絡をするよう促したのだが、笑顔で拒絶されたそうだ。


「有益な情報が見つからないのなら、ご報告は結構です、だとさ」


 部屋に戻ってきた築根は吐き捨てるようにそう言うと、団子をほどいて長い金髪をくしゃくしゃにかき回した。こりゃ相当頭に来てやがるな。珍しい。


「なあ、予言から何かわかる事はないのか」


 原樹がオレにたずねて来た。急に何だコイツ、気色悪い。


「何もねえよ。わかってるのは、もし次に誰か殺されたら、あと二人追加で殺されるんだろうな、って事だけだ」

「気の利いた推理小説なら」築根は両手で顔を覆っている。「誰が殺されるか、ヒントくらいくれるんだけどな」


「女たれがよい枡屋の娘ってか。それで標的に逃げられたんじゃ意味がないだろ。犯罪者にフェアプレイの精神を求めるもんじゃねえよ」


 実際オレにだってそんな物はない。まして人殺しにあるはずもない。


「結局、誰かが死ぬまで動けないのか」


 原樹が気の抜けたような顔で天井を見上げる。人が死ぬまで動かないのは警察の得意技だろ、と言いたい気もしたが、やめておいた。


「まあ、このまま何も起きない可能性だってゼロじゃない。気休めにもならんが」


 オレの言葉に、髪をくしゃくしゃにした築根は鼻で笑う。


「まったくだ」

「それより一晩連絡してないんだ、県警がここまで捜しに来るって事はないのか」


 そう上手くは行かんだろうな、と思いながらたずねたオレに、築根は首を振った。


「一晩じゃな。サボりだと思われてるかも知れない」

「日頃の行いか。もしかして二人で駆け落ちしたとか思われてたりしてな」


 横目で見ると、原樹の顔は、みるみる真っ赤に染まっていった。


「なっ……なっ」


 しかし築根は腹から笑う。


「ははははっ、それはない」


 可哀想な原樹くんは複雑な顔で押し黙ってしまった。


 築根は部屋を見回して、ようやく気付いたようだった。


「ところでジローは。隣の部屋か」

「いや、アイツは三階にお気に入りの場所があってな。たぶんそこで寝てるんだろ」


「おい、大丈夫なのか、こんなときに」

「大丈夫だろ。……と、思うが」


 そう言われてしまうと、大丈夫じゃないかも知れないと思えてくる。いや、確かにいまは何が起きてもおかしくはないのだが。


「とりあえず、見に行ってみないか」


 築根にそう言われて、オレは立ち上がった。別に悪い予感がした訳ではない。間違いない。ガキとオカルトは大嫌いだからな。



 オレ達は階段室に向かった。この建物に四階はないので、五階のすぐ下が三階だ。時計の間は三階の階段室の隣。エレベーターで下りるより階段の方が早い。


 だが階段室に入る前に、オレ達の足は止まる事になった。


 突如、館内に鳴り響く非常ベル。火災報知器だ、とオレの頭に浮かんだ直後、ベルが止まり、館内放送が聞こえた。


「いま、六階北側の非常ボタンが押されました」


 六階はこの上、おそらく現場に一番近いのはオレ達だ。髪を振り乱して築根が走った。オレも慌てて後を追う。後ろから原樹が追ってくる足音が聞こえる。階段を駆け上がり、六階の廊下に出てすぐ、それは見つかった。


 廊下の消火栓。赤い扉が開かれ、中からホースが出ている。そのホースを首にグルグル巻きにされて、老人が一人倒れていた。築根が走り寄る。


「原樹! 心臓マッサージ!」

「はい!」


 少し遅れて原樹も駆けつけ、二人で首からホースを外して、心臓マッサージと人工呼吸を試みた。だが老人の意識は戻ってこない。


 エレベーターのチャイムが鳴った。ぞろぞろと人の降りてくる音。そして足音は早くなり、消火栓の近くでバタバタと止まった。


「小梅さん!」


 そう声を上げたのは、事務員の大松。


「何で、何でこんな事に」


 大松の隣の男も、うろたえている。その後ろにはスキンヘッドの道士連中の姿が二つほどあるが、遠巻きにして近寄ってこない。荒事には慣れていても、人殺しにはそうそう慣れないと見える。まあそりゃそうか。


 そこに階段を駆け上がってくる音。飛び出してきたのは夕月だ。


「大松さん! 竹中さん!」

「夕月様、小梅さんが、小梅さんが」


 竹中と呼ばれた男が、うろたえた様子で夕月に駆け寄る。


 人工呼吸を繰り返す築根が顔を上げ、道士たちに向かって叫んだ。


「救急車を呼べ! いまなら間に合う!」

「間に合いませんよ」


 並ぶ道士たちの向こうから声がした。エレベーターで上ってきたのだろう、口元をハンカチで抑えた殻橋邦命がゆっくり歩いてくる。


「最寄りの町から、ここまで車で何分かかりました。救急車を呼んでも、病院に到着するには一時間はかかるでしょう。ここまでやって息を吹き返さないのに、それは無駄な行為ではありませんか」


「おまえ、見殺しにするのか!」


 火の出るような築根の視線を、殻橋は笑顔でかわした。


「勘違いなさってはいけません。犯人は許すべからざる仏敵です。必ず見つけ出します。それが何より故人への供養となるでしょう」


 築根は弾かれたように立ち上がった。その右手は上着の内側に。


「やめとけ」


 乱れた金髪が流れる。オレの声に築根は止まった。振り返る目に怒りと涙が浮かんでいる。オレは一つ溜息をついた。


「ここでドンパチやったところで、死人が増えるだけだ。何も解決しねえ」

「だが」


 エレベーターのチャイムが鳴った。また誰かが降りてくるのだろう。


「悔しいのはわかるが、そいつの言う事にも一理ある」


 オレは消火栓に近付いた。火災報知器の非常ボタンのプラスチックカバーが割れている。


「何で非常ベルが鳴ったと思う」


 築根は返事をしない。右手はまだ上着の中だ。原樹は心臓マッサージを続けている。


「ボタンを押したのは犯人だ。犯人はこの爺さん、小梅さんだったかな、とにかく絞め殺して、つまり死んだのを確認した上で、火災報知器のボタンを押したんだ」


「ホースで絞め殺したのですね」


 何故か得意げに殻橋が言う。


「それはないな」オレは鼻先で笑った。「このホースを引っ張り出して首にグルグル巻きにされるまで、抵抗もしない逃げもしない、そんなヤツは居ねえよ。まあ犯人が大人数なら無理ではないが」


 殻橋の目が細くなる。


「ほう。つまり我々給孤独者会議が怪しいとおっしゃる」


「まことに残念なお知らせだ。アンタらは容疑者には入ってねえんだな、これが。何故ならこの犯人は、いや犯人たちは、確実に大人数じゃない。二人か三人がせいぜいだろう」


 殻橋の向こうに、天成と風見がやって来るのが見えた。


「我々の中の二、三人が犯人かも知れませんよね」


 殻橋が問う。オレは答える。


「アンタらには殺さない理由はあるが、殺す動機はない」

「裏切り者が居るのかも知れません」


「その裏切り者が、何のために人を殺すよ」

「給孤独者会議の評判を落とすために」


「だったら、アンタを殺すのが一番早いんじゃねえか」


 殻橋はオレを見つめた。敵意に満ちた目だった。


「……確かに」


 そして沈黙。それを待っていたかのように、風見が声をかけた。


「私も聞いていいですか」


 天成は手を動かしていない。風見自身の疑問なのだろう。


「何だい」

「この殺人と、教祖の予言は関係あるんですか」


 オレはスマホを取り出して見せた。


「時計見てみな」


 風見もスマホを取り出して画面を見た。画面に表示されている時刻は、午後三時十九分。


「『三つの祟り』ってのは、『三個の』あるいは『三種類の』祟りって事だと思ってたんだがな、どうも『三にこだわった』という意味もあるのかも知れん」


「だから三時に殺した?」

「三時に殺して三時台のうちに死体を発見させる、そのための非常ベルだろう」


「どうしてそこまで三にこだわるんでしょう」

「安全策」


 意味がわからなかったのだろう、風見は眉を寄せた。オレは続ける。


「『三つ揃って三つ転がる』って事は、死体が三つ転がる予定なんだろう。だが現実に三人殺すのは大変だ。犯人としては、仮にそれを失敗しても予言を成就させたい。つまり、一人を殺した時点で『一と一と三』が成立するようにしておきたいって考えが働いたんじゃないか」


「それはまた強引ですね」

「強引だろうと、こじつけだろうと、たいした問題じゃない。とにかく確実に予言が的中する事、そこに重点を置いてんだよ、この犯人は」


「それはつまり」


 震えるその声に振り返ると、夕月が見つめている。


「朝陽姉様が犯人だって事ですか」


「間違いなく犯人グループの一人だとオレは思ってるよ」その目を見つめ返す。「だが実際問題、あの細腕で二人も殺せる訳がない。すなわち、おまえの姉貴の予言が当たって欲しいヤツが他に何人か居るはずだって事だ。それさえわかれば事件は無事解決ってとこなんだが、心当たりはねえか」


「……わかりません」


 夕月は小梅の死体に視線を落とした。


「私、わかりません!」


 その叫び声を聞きつけたのか、階段室から飛び出してきたのは柴野碧。


「夕月様」


 慌てて駆け寄ると、かばうように夕月を抱きしめた。そしてオレをにらみつける。


「あんた、夕月様に何したのよ」


 何もしてねえよ、とオレが言う前に風見麻衣子が声をかけた。


「碧さん、夕月様を部屋で休ませてください」


 碧は返事をせず、もう一度オレをにらみつけると、夕月の肩を抱いたままエレベーターに向かった。おいおい、千二百万が逃げて行く事にならんだろうな、まったく。


 小梅の死体に視線を戻すと、原樹が汗だくになりながら、途方に暮れた顔で息を切らせている。もう心臓マッサージはしていない。その隣に築根は立ち尽くす。右手はだらりと下げられ、そこには何も握られていない。


 オレの視界の隅で、何かが動いた。顔を向けると、天成渡が手を上げている。そして手話が始まった。風見が訳す。


「確認したいのですが、教祖はいま監視下にあります。ここに来て殺人を実行したとは思えません」

「ああ、それはあり得ないだろうな」


「では、誰かに指示を出したという事でしょうか」

「かも知れんし、事前に作戦を打ち合わせていたのかも知れん」


「あと二人、殺されると思いますか」

「実行は画策するだろう。本当に殺せるかどうかはわからん」


「殺せませんよ」


 それは殻橋の声。ああ、まだ居やがったのか。


「今後、午前三時も午後三時も、日月教団の関係者は部屋に閉じこもっていただきます。指示あるまで部屋から出るのは禁止です。そして六階は封鎖します。同じ事は絶対に繰り返させません。いいですね、周知徹底してください」


 天成にそう言うと、殻橋はオレに背を向けた。


「有意義な情報、ありがとうございました」


 言葉だけはクソ丁寧に。

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