第26話 三つ目の事件

 夢を見ていた

 母さんの夢だ


 神を信じた母さん

 神に愛された母さん

 優しかった母さん

 そして僕を裏切った母さん


 時計を見る

 午前三時を過ぎたところ

 みんな眠っているだろうか

 それとも待っているだろうか


 闇に怯えながら

 静寂に恐怖しながら

 自分以外の誰かが死ぬのを


 だけどそれは叶わない

 僕は目を閉じる

 もう少しだけ眠っていよう


 まだ時間はある

 次の死までの時間は




 デジタル時計は午前三時五十九分から四時に変わった。何も起きなかった。私は自分でもビックリするくらい、大きな溜息をついた。


 小梅さんが殺されたとき、犯人は非常ベルのボタンを押した。もし、いま誰かが殺されていたとしたら、犯人はまた何らかの手段でみんなに知らせるはず。でも部屋の外からは何も聞こえて来ない。という事は、少なくとも次の午後三時までは何も起きないっていう事なんじゃないだろうか。


 そう考えたところまでは憶えている。次に気がついたとき、私はベッドで横になっていた。安心して眠ってしまったらしい。窓から光が差し込んでいる。目を覚まさせたのは電子音。内線電話が鳴っているのだ。私は眠い目をこすりながら通話ボタンを押した。


「はい」

「夕月様、大変です」それは大松さんの声。「すぐ三階に来てください、碧さんが!」




 激しくドアを叩くノックの音に、オレは目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。窓の外はもう明るい。顔を上げたときには築根が走っていた。ドアの開く音。そして。


「夕月ちゃん、どうしたの!」


 オレと原樹もドアに向かう。そこには涙で顔をグシャグシャにした夕月が立ち尽くしていた。


「どうした、何があった」

「五味さん……碧さんが、碧さんが」


 脳天に稲妻が落ちてきた。もちろん実際には落雷などない。だがそれほどの衝撃がオレを襲った。倒れそうになる体を何とか支えて、夕月にたずねる。


「何階だ」

「……三階」


 オレは走った。走れているのかどうか自分でもわからなかったが、とにかくよろめく足を前に進めた。階段で一つ下の階に降りる。廊下に出ると、突き当たりに人だかりが出来ていた。



 建築基準法だったか、施行令だったかな。とにかく法律で決まっている。建物の三階以上には、消防隊の進入口を設置しなくてはならない。それはたいていガラス窓で、その窓には正三角形のマークを張り付けるのが一般的だ。そのマークの断片が、割れたガラスに残っている。オレは大きく口を開けた窓の下部、ガラスが残っていない場所から首を出して、下をのぞき込んだ。


 この建物は一階と二階の天井が高い。一階は玄関ロビーで、二階には結婚式場があった。どちらも五、六メートルはあるだろう。天井の厚さを考慮すれば、三階のこの窓までの高さは十三、四メートルほどあるのではないか。下の地面はコンクリート敷きだ。ここから落ちたら、助かるかどうかは半々ってとこかも知れない。


 作務衣姿の柴野碧の体は、見事に大の字に倒れていた。体の周囲に見える黒い跡は出血か。ピクリとも動く様子は見えない。


「クソッ」


 千二百万。口に出かけた言葉を飲み込む。千二百万円だぞ。なんてこった。


「五味!」


 背後から聞こえた築根の声に、オレは首を引っ込めて振り返った。築根と夕月、そしてジローをおぶった原樹が、人混みを掻き分けてやって来た。なるほど、ジローを一人で置いておけないから連れてきたのか。よくやる。オレは笑いそうになってしまった。いかん、ショックがデカ過ぎるようだ。


 築根に窓を指さし、場所を譲った。


「おい五味、これはいったいどういう事だ」


 原樹の問いかけに、オレは言葉を探した。夕月も懸命に見つめている。


「……迂闊だったよ。いや、間抜けと言った方がいいな」


 自分の目が泳いでいるのがわかる。まったく間抜けだ。小梅の爺さんが六階で殺された時点で気付くべきだったんだ。三にこだわる犯人が、何故あのとき三階で殺さなかったのか。二人目か三人目のどちらかが三階で殺される事くらい、考えればわかるじゃねえか、このボンクラが。それに。


「オレは、ここに四つのグループがあると考えていた。だが実際には五つ目のグループがあったんだよ。それを見落としていた訳だ」

「五つ目のグループだと」


 そう、柴野碧は朝陽の旧友で夕月の教育係。おそらく朝陽派でも夕月派でもなかった。


「やられたよ。これじゃ何もわからないのと一緒だ。手も足も出ねえ」


 仮に犯人がオレの推理通り、各グループから一人ずつ殺していたとしても、次に殺されるのは、オレたちか給孤独者会議のどちらかだ。確率にして三十分の一以下。これより絞り込むヒントはない。お手上げだ。


「おやおや、随分と弱気な事ですね」


 あざ笑うかの如き声が聞こえた。人垣が割れる。その向こうには殻橋邦命。


「しかし己の不甲斐なさに気付いた事は、成長と言えるでしょう。謎解きと犯人捜しは私に任せて、あなた方は情報集めに集中すべきだと理解できましたか」

「聞いていいかい、殻橋さんよ」


 オレの問いに、殻橋は勝ち誇った笑顔を見せた。


「何でしょう。答えられる事なら答えて差し上げますが」

「アンタ、まだ警察を呼ばないつもりか」


「もちろん、犯人はまだ見つかっておりませんからね」

「なるほどね、よくわかったよ」


 その一言に、殻橋は眉を寄せた。


「何がわかったと言うのです」


「今度はアンタが聞く番か。いいだろう、お返しに答えてやるよ。この犯人はアンタの事を知っている。もしくは、よく知っているヤツが仲間に居る。アンタがどういう行動に出るか、最初から計算した上で殺人計画を立ててるんだ」


「やはり、我々給孤独者会議の犯行だと言いたいのですか」

「だから違うって言ったろうが」


 声が大きくなった。感情が抑えきれない。


「犯人にとっちゃ、アンタらは将棋のコマに過ぎないって事だ。コマに指し手の思惑なんぞ理解出来っこない。無駄だよ、やめときな」


 すると、みるみる殻橋の顔は赤く茹だって行った。プライドが傷ついたのだろうか、敵意のこもった視線でオレをしばらくにらみつけると、不意に背を向けてこう言った。


「三階は封鎖です! 今後誰も入れてはなりません!」


 そして早足で去って行った。お付きの道士たちが、慌てて跡を追う。


「ざまあみろ」


 原樹が小声でつぶやく。おまえ関係ねえじゃん、と突っ込みかけたがやめた。築根がオレの隣に立つ。


「五味、これからどうする」


 どうもこうもねえ。それが正直な気持ちだった。しかし、いまそれを言っても仕方ない。一つずつ問題をしらみ潰しにして行くしかないだろう。


「一旦部屋に戻ろうぜ。封鎖だっつってるしよ。外に出られないんなら、調べられる事もない。ここに居ても時間の無駄だ。夕月、おまえも来い」


「え、でも」


 夕月は窓の外に目をやった。


「死人は寂しがったりしねえよ。聞きたい事がある。とにかく来い」


 築根は夕月の肩に手を置いた。


「いまは一人で居ない方がいい。五味はそう言いたいんだよ」


 そんなつもりは全然ないのだが、この状況じゃ何も言わない方がいいだろう。夕月が小さくうなずくのを見て、俺は窓に背を向けた。

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