第17話 時計の間
和馬叔父様の死の様子を小梅さんから聞いて、私は部屋に閉じこもった。私のせいだろうか。私が悪いのだろうか。あのとき、確かに和馬叔父様は生きていた。私がもし和馬叔父様の近くから離れなかったら、こんな事にはならなかったのかも知れない。
でも、いったい誰が叔父様を殺したのだろう。あの給孤独者会議の人たち? 和馬叔父様が連れて来たのに?
もしそうじゃないなら、犯人はうちの教団の人になる。それはもっと考えづらい。確かに和馬叔父様は、誰からも好かれる人じゃなかったけど、誰かから恨まれていたとも思えない。恨まれるほど重んじられてはいなかったから。父様も、姉様も、和馬叔父様をあまり気にはかけていなくて、教団の中でも、これといった役職には就かせなかった。和馬叔父様は、それを不満に思っていた。
そう、逆なんだ。和馬叔父様が誰かを恨んで殺したのなら話はわかる。和馬叔父様には動機がある。でも、殺される理由が思いつかない。和馬叔父様が死んで、得をする人がいるだろうか。誰も思いつかない。だって居ても居なくても、誰も困らない人だったから。
……いや、一人いる。和馬叔父様の存在に困っていた人が、一人だけいる。私だ。強いて挙げればだけど、私は得をする。和馬叔父様がいなくなれば、私は教祖にならなくて済むかも知れない。
待って。もしかして、私に教祖の座を追われるって思った朝陽姉様が、和馬叔父様を殺したとか……ない。それはない。だってそんな事を理由に人を殺すのだったら、私を殺した方が確実だもの。和馬叔父様が死んでも、給孤独者会議の人たちが、特にあの殻橋さんが居るなら、たぶん何も変わらない。
あれ、という事は、私が叔父様を殺した可能性もないって事なのかな。まあ、私にはちゃんと記憶があるし、人を殺して気付かないなんて事は、あるはずがないのだけれど。
そんな事を思っていたとき、ドアがノックされた。
チェーンをかけたままドアを少し開けると、申し訳なさそうな碧さんが立っていた。
「すみません、夕月様。こんなときなんですけど、ちょっといいでしょうか」
「何かあったんですか」
「はい、えーっと、あ、何て言ったっけ、あの子」
すると碧さんの向こうから、五味さんがニョキッと顔を出した。
「悪い、ジローを見なかったか」
「ジロー君? ジロー君が居ないんですか」
「ああ、部屋には居ないし、他のところもざっと見たんだが、見当たらないんだ。スキンヘッドの連中も見てないって言ってるし、外には出てないはずなんだが」
「羽瀬川さんたちにも聞いてみたんですけど、知らないって言ってまして」
碧さんの補足に、私は一つ思い当たった。
「三階は探しました?」
「廊下と階段は。部屋は誰もいないですし」
そう、三階には出家信者の部屋はない。この建物は元ホテルをそのまま使っているので、鍵がなければどの部屋にも入れない。ただし。
「時計の間は?」
「あっ」
碧さんが声を上げた。私はドアを開けて廊下に出た。
「一緒に行きます。その方が話が早いでしょ」
時計の間とは、先代教祖典前大覚の私室らしい。何でも大覚は柱時計の収集が趣味だったらしく、五十近い数の時計を一部屋に集めたのだそうだ。
「父様は誰でも気軽に時計に触れられるようにって、部屋の鍵を外してしまったんです。でも、みんな恐れ多いみたいで近寄らなくて。結局父様が寝たきりになってからは、朝陽姉様と渡兄様と和馬叔父様、そして私の四人で管理する事になったんですけど、みんな時計になんて興味がないから、ほぼ放ったらかしで」
階段を上りながら、夕月はおかしそうに笑った。とりあえず見る限りでは、典前和馬の死の影響はないようだ。まあ、あの死体を見てないって話だからな。見てりゃ態度も変わったのかも知れん。
三階の階段室から廊下に入り、すぐ左手の部屋のドアの前に立つ。
「ここに居てくれるといいんですけど」
レバー式のドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いた。開いた。部屋に入ってすぐ右の壁のボタンで照明を点ける。足下に車椅子が二台畳んで置いてある。視線を上げると、部屋の壁一面に所狭しと柱時計が並んでいた。どれも既に止まっているようで、時を刻む音は聞こえない。その静寂に染まった部屋の床、畳が敷き詰められた真ん中に、横たわったジローが寝息を立てていた。本当に居やがった。何でこんな部屋に入り込んだんだ。
「あら、可愛い顔して寝てるじゃない」
柴野碧の一段高いトーンの声が癇に障る。さすがに顔には出さないが。
「珍しいな、コイツが寝るなんて」
「寝るのが珍しいんですか?」
夕月が不思議そうにオレを振り返った。
「コイツは基本、事務所のソファか、自分のベッドじゃなきゃ横にはならない。それ以外で寝てるなんざ、初めて見るんじゃねえかな」
その説明に、夕月は興味深そうな顔をした。
「じゃあ、ここが気に入ったのかも知れませんね」
かも知れない。そうかも知れないのだが。
「しかし、あのハゲ坊主どもに文句をつけられてもアレだしな。おい、ジロー起きろ」
こっちは金がかかってるんだ。連中との無用のトラブルは避けたい。ところがジローは一瞬薄目を開けたと思ったら、また知らぬ顔で目を閉じてしまった。
「おいコラ、いま目開けただろ。ちゃんと見てたぞ」
けれどジローは目を開けない。
「あ、この野郎、無視すんじゃねえよ」
「まあまあ、落ち着きなって」
碧がオレの前に回って抑える。夕月も加勢する。
「そうですよ、こんなに気持ちよさそうに寝てるのに、可哀想です
「そうは言うがな」
「給孤独者会議の人たちには、私から話します。大丈夫ですから、このまま寝かせてあげてください」
夕月は一歩も引くつもりがないようだ。
「……ったく、しゃあねえな」
ここは一つ、負けておくか。そんなオレの考えを読んだのかどうかは知らんが、夕月は満面の笑みを見せた。
「ありがとう」そして碧を振り返った。「それじゃ、碧さんは毛布持ってきてあげて。私は給孤独者会議の人に話してくるから」
そう言って、夕月は部屋から走り出て行った。
「ホント、いい子よねえ。優しいし、しっかりしてるし」
碧がしみじみ言う。
「まあな、しっかりしてる感だけで言えば、教祖様より上かね」
「ああ、朝陽はちょっと抜けてるから」
その言葉を聞いたとき、オレはよほど不審な顔をしていたのだろう。碧はケラケラと笑った。
「あれ、言ってなかったっけ。あたしは朝陽と中学のときから友達なの。つまり教祖様の『ご友人枠』でこの教団に入れてもらったって訳。それでいまは夕月様の教育係」
「なるほどね。それでか」
碧はひとしきり笑うと、一つ溜息をついた。
「朝陽に助けてもらおうと思ったんだけど、でもね、朝陽を助けようとも思ってたんだよ。まあ実際には、あたしなんか助けになってないけど」
「そりゃな。簡単に助けられるような状況じゃねえわな」
「そう。お父さんが死んで、教祖になったら婚約者が死んで。そしたら今度は叔父さんだもんね。いくら何でも死にすぎ。体も心も追いつかないっつーの」
そう寂しそうに笑った。
「誰か居ないのかよ、いまの教祖様を助けられるヤツは」
ちょっとした興味本位だったが、碧は一瞬考えて、こう言った。
「居ると言えば居るよ」
「何だ、居るのか」
「うん、若先生」
「若先生? 天成渡か」
「そう。朝陽が下臼と婚約するって話になったときも、何で若先生じゃないの、って信者仲間で議論になったくらいだから。みんなビックリしてたよ。下臼って嫌なヤツでさ。いつも偉そうで、みんな大嫌いだったのに、何であんなのと婚約したのか。普通、若先生選ぶよね、って」
「そういう目はあったのか」
「だって初代教祖の息子ってだけでも、血筋的に問題ないじゃん。おまけに信者からの信頼も厚いし。誰が考えても、いいカップルなんだけど……なんだけどなあ」
碧は腕を組んで、うーむと考えた。
「あれがなきゃなあ」
「アレってなんだよ」
「ほら、居るじゃん。若先生のところに必ずくっついてる、コバンザメみたいな女。風見麻衣子」
オレは今朝方の胸倉をつかまれた件を思い出して、「ああ、アレな」と答えた。
「そう、あれ。あれがくっついて離れない以上、若先生と朝陽が一緒になるのは難しいね。でもあの女、若先生のお気に入りだし。おまけに手話通訳まで出来るから」
「引き離すのは無理ってか」
「そういう事。ホント邪魔な女。気は強いしケンカっ早いし、可愛げのない」
碧は心底からの嫌悪感を顔に表わし、それを隠そうともしない。だがその顔が不意に笑った。
「それじゃ、あたしは毛布取ってくるから、あんたは部屋に戻りなよ。一人じゃ寂しいかも知れないけどさ」
部屋から出て行こうとする碧に、オレは慌てて追加の質問をした。
「なあ、教祖様は中学生のとき、どうだったんだ、その、霊能力は」
「そりゃ凄かったよ。無くした物とか霊視でバンバン見つける、霊感ビンビンの凄い霊能者だったんだから」
「それから、ずっとか」
「ずっとじゃないよ。霊能者は大人になると力が落ちるらしいし。それで朝陽の霊能力も随分落ち着いたんだけど、でも、もしかしたら最近、またあの頃みたいに戻ってきたんじゃないかな。やっぱり血筋とか環境とかあるんだね」
そう言って一度オレの顔を見つめると、もう質問はないと見たのだろう、碧はドアを開けて外に出て行った。
部屋にはオレとジローの二人きり。ぶん殴るなら、いまだ。とは言え。
ジローは気持ちよさそうに寝息を立てている。警戒心ゼロって顔だ。
「ったく、しゃあねえな」
また同じ事をつぶやいて、オレは部屋を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます