Cantabile——Quarto Capitolo
翌日の5限目は音楽の授業だった。
授業も終盤になり、生徒たちがざわつく音楽室で、榎本が手を叩いて生徒も注目させる。
「はいはい、まだ授業は終わってないわよー」
ざわつきが収まり、生徒たちが榎本を見る。
三島はずっと空を見たままだった。
「そろそろ合唱コンクールの季節ね。来週の月曜には課題曲と自由曲リストを発表します。各クラスにプリント配るわね」
「先生!課題曲教えて!」
1人の男子生徒が手を挙げながら言った。
「それは出来ない相談だなー。来週のお楽しみって事で!なので、来週までに指揮者と伴奏を決めておいてねー」
その言葉で、生徒たちがまたざわつき始める。
「伴奏は三島がいいよな?」
「そうそう!三島君がいい!」
何処からともなく三島コールが沸き起こる。
仕方なく三島が立ち上がった。
「静かに!ありがとう、ありがとう。とりあえず、静かに」
生徒たちを何とか落ち着かせる三島。
静まったのを見計らって喋りだした。
「今回俺は、指揮者をやる」
全員が固まった。
榎本だけはニヤニヤと笑っていた。
「なんでだよ!」
「お前以外、誰が伴奏やるんだよ!」
「三島君が伴奏やれば優勝間違いなしなんだよ!」
不平不満が溢れ出した。
「いいから、静かに!俺の話を最後まで聞け!伴奏は高岡、お前がやってくれ」
その三島の言葉に、高岡は電気ショックを受けたかのように大きくビクつかせた。
「わ……、私……?」
「あぁ、お前がやってくれ。ピアノの実力としては俺よりも上手い。お前が弾いてくれた方が曲が映えると思う。で、俺が指揮者としてお前らを引っ張っていく。完璧な布陣だと思うんだが、どうだ?」
生徒たちがざわつく。
「でも、ホントに高岡はピアノ弾けるの?」
1人が言った。
「じゃあ、高岡さんに弾いてもらいましょ」
榎本が高岡を呼び寄せ、ピアノの前に座らせた。
「高岡ちゃん、思いっ切り弾いてやりな!」
高岡の耳元で榎本がささやく。
高岡はコクリと一度頷き、鍵盤に指を走らせた。
一瞬にして生徒たちは打ちのめされた。
予想以上の腕前に言葉を失った。
「スゲー……」
「嘘でしょ……」
口々に感嘆の溜息。
三島と榎本だけがニヤニヤと笑っていた。
「こんな感じでいいですか……?」
演奏とは裏腹に、おずおずと高岡が手を止めた。
「これで文句ないだろ?」
三島が偉そうに言う。
「なんで三島が威張ってんだよ」
「高岡さん凄い!なんで隠してたのぉ!」
また生徒たちがざわめき、榎本が手を叩いて落ち着かせた。
「はいはいはい、じゃあ、伴奏は高岡さん、指揮者は三島君でいいわね」
「異議なーし!」
「いいでーす!」
その言葉を聞いて、三島がニヤリと笑った。
「お前ら、去年以上にビシビシいくから覚悟しとけよ!」
三島の言葉に全員が最高潮に盛り上がったところで、終了のチャイムが鳴り響いた。
♪
放課後、三島はやはり屋上にいた。
今日は高岡も一緒だ。
「あれは、逃げたの?それとも、挑戦?」
「え?」
階段室の屋根の上に2人は腰掛け、夕焼けに照らされていた。
「今日の。私を伴奏に指名したのは、ピアノから逃げたのか、新しい挑戦なのか、どっちなんだろうって」
「あぁ、両方だよ。本番でジストニアが出たら終わりだし、クラスの合唱の指導は指揮者の方がやりやすいし。一石二鳥かな」
「ふぅ~ん」
「お前だって、試しに弾けって言われて、普通リスト弾くか?ショパン辺りでよかったんじゃねーの?」
「いや、あそこはインパクト大事かなと思って……。やり過ぎだったかな?」
「最高にクールだった。お前の事、根暗な陰キャだと思ってたウェイ系の奴らがめちゃくちゃ驚いてたじゃん」
「根暗な陰キャって……、間違いじゃないけど……。酷くない?」
「事実を事実として受け止めなければ、成長はないってね」
「誰の名言?」
「俺」
「嘘だぁー」
「なんだよ、疑ってんのか?」
「そんな事言うイメージないよ、三島君」
「それはそれでヒドくないか?」
2人して笑う。
階段室のドアが開いた。
「アンタたちさ……、立入禁止の屋上でデートすんのやめてくんない?」
榎本だった。
「いいじゃん、別にー。誰にも迷惑掛けてないしー」
「バッカ、私に迷惑掛けてんの!いいからさっさと帰れ!」
昨日と同じく、屋上から追い出される三島と高岡。
「高岡、今日もウチ来る?」
「え、行っていいなら行く」
「そういや、課題曲なんなの?教えてよ、カコ姉ぇ」
「え?ダメでーす。月曜の発表を待ってくださーい」
「ケチ!」
三島がブーブー言いながら階段を降りる。
「課題曲かー、何だろうね」
「うーん、高岡は好きな合唱曲ってあるの?」
「そうだなぁ、『モルダウ』とか案外好きだよ」
「『モルダウ』かー、インパクトはあるけど、暗くね?」
「まぁ、確かに」
グダグダと喋りながら階段を降りていく2人を見届ける榎本。
「すーぐ仲良くなっちゃって」
何となく少し寂しい気もする。
「何これ、親ってこんな気分なのかしら……。ヤダ、一気に老けたみたい。私はまだ若いのよ!」
そう自分に言い聞かせながら屋上へのドアの鍵を閉める榎本だった。
♪
三島と高岡は、合唱コンクールの課題曲の予想を言い合いながら歩いていた。
「ある程度難しい曲を選ぶだろ」
「あえて歌謡曲からの合唱曲とか。瑠璃色みたいな」
「カコ姉ぇはそんなミーハーな事しないよ。むしろ日本語じゃない可能性もある」
「それは無理だよぉ。校内の合唱コンクールだよ?」
「いや、カコ姉ぇならやりかねない」
「ホントにぃ?」
三島は不思議だった。
昨日初めてまともに話した筈の相手に、こんなにも打ち解け、くだらない話が出来るとは。
今まで同年代とまともに話した経験がなかった。
ヴァイオリン第一の生活の時は、学校自体が疎かになっていたし、その後も自暴自棄で友達を作るなど考えてもいなかった。
しかし、今になって普通に話が出来る相手と巡り合った。
幼い頃にコンクールへ出場していたという、近い境遇によるものだろう。
同世代と話す時にいつも感じていた違和感を、何故か分からないが、高岡からは全く感じない。
それが新鮮であり、嬉しかった。
「三島君って、案外お喋りなんだね」
「寡黙だと思ってたのか?」
「ううん、必要なこと以外は喋らないイメージだったから。人と馴れ合わないように生きてるのかと思ってた」
「何だそれ。サイボーグか何かか、俺は」
「そういう風に見えたって事。誰よりも人間臭いよね、三島君」
そう言って高岡がふふふと笑う。
高岡と話していると調子が狂う。
しかし、それが嫌ではなく、むしろ何処か心地いい。
「だいたい、俺もそんなに喋る方じゃないんだけどな」
「えー、嘘だー。めっちゃ喋ってるじゃん」
「お前が話を振るからだろー」
「何それ、まるで私がお喋りみたいじゃん!」
「違わねーだろ」
「違いますぅー!なんか三島君とは喋っちゃうんだよね……。なんでだろ?」
「知るかよ!」
くだらない話をしているうちに、三島の自宅に到着した。
「今日はベヒシュタイン弾いていい?」
「お好きに」
玄関を開け、そのまま地下のスタジオへと向かう。
「今日は……、大丈夫?」
高岡が恐る恐る聞く。
「何が?」
「昨日の今日で、スタジオ入るの嫌かなって」
「そこまではないよ」
高岡がいるから――とまでは言わなかった。
恐らく、1人だったらスタジオに入る事さえ臆していただろう。
お前のお陰で何とかなっている、そう言いたいが、気恥ずかしさで言葉を飲み込んでしまう。
「さて……」
高岡はベヒシュタインの前に座り、ある曲を弾き始めた。
「ん?モルダウ?」
「正解!やっぱり、この曲好きだなぁ」
鼻歌まじりに伴奏を弾く。
三島が何か思い付き、スタインウェイの前に座る。
「弾ける……?」
「大丈夫ー」
三島が高岡の伴奏に合わせて、女性ソプラノと男性テノールのメロディーラインを弾き始める。
「覚えてるの!?」
「何となくね」
完璧に記憶しているわけではない。
ある程度覚えているだけで、あとはアレンジで誤魔化している。
案外いけるもんだ。
そうやって合唱曲を5曲ほど一緒に演奏する。
昨日とは違う面白さを堪能する2人だった。
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