Con Fuoco——Terzo Capitolo
今日はハヤシライスにしよう。
加藤は本屋で文庫本を探す間にそう決めた。
久々に文庫本と雑誌を買った。
それだけで少し心が軽くなった気がする。
とりあえずハヤシライスの材料を買わなければ、自宅には米以外何もない。
駅に向かう途中、繁華街の近くを横切る。
様々な人間が繁華街へ向かっている。
サラリーマンのオッサン達や、大学生らしき集団、デカいキャリーバッグを引きずる外国人。
楽しそうだな、などと漠然と眺めながら加藤は駅へ向かっていた。
「あれ?加藤さん?」
急に話しかけられた。
誰だ?
聞き覚えのない声だった。
「え?」
右を見ると、今日配属されてきた村石が立っていた。
聞き覚えがない筈だ。
「村石さんだったか、奇遇ですね」
「ですね。加藤さんは今お帰りですか?残業?」
「いえ、本屋で買い物ついでに、ちょっと立ち読みを。村石さんは……」
ふと村石が背負っている荷物が気になった。
「これから仲間たちとスタジオ練習なんです!」
そう言ってくるりとターンして背中の荷物を見せてくれた。
手にはエフェクターだろうか、四角いハードケースを持っている。
「ギターケース?ギター弾くんですか?」
「いえ、中身はベースです」
「へぇ、ベースかぁ。スラップとか出来るとカッコいいですよね」
「え?加藤さん、ベース経験者?」
「いや、ベースはやった事ないですよ」
「バンド経験はあるんですね!」
「あぁ……、高校の時にちょっとね」
そう言えば、そんな事もしていた。
「楽器は何やってたんですか?」
「え?あぁ、一応ギターヴォーカル」
「弾きながら歌えるんですか!?」
村石が目をキラキラさせた。
「いや、基本はバッキングだったから上手くないですよ。リードギターは他のメンバーがやってましたし」
「でもバンドマンだったんですね!そうだ、今度カラオケ行きましょうよ!加藤さんの歌聞きたいです!」
なんだこの食いつきっぷりは。
妙な事になってきた。
「いやいやいや、まともに歌ったの5年以上前だから、もう声出ないですよ」
「そんなこと言わずに!」
「レイ!時間無いぞ!」
先に歩いていたメンバーが村石を呼んだ。
どうやらスタジオの予約時間が迫っているらしい。
「ごめんごめん!加藤さん、私行きますね!カラオケには絶対連れていきますからね♪それじゃ!」
「え?あぁ……」
村石はペコリとお辞儀をし、パタパタとメンバーの元へ走って行った。
「レイの知り合い?」
「うん、新しい職場の上司!」
「ふーん」
村石を呼んだメンバーの一人が加藤を一瞥した。
加藤と一瞬目が合う。
「なんか、睨まれた?」
急いでいるところを俺が引き留めた形になったのが、気に食わなかったのだろうか。
いや、そういう事ではなく。
「彼は村石さんを好きなんだな」
そして、村石はそれに気が付いていない。
だからこそ、他の男と村石が話している所を見るのが不愉快なのだろう。
「若いなぁ」
その言葉を口にした瞬間、自分が急激に老けた気がして凹む。
生き生きとしている村石たちを少し羨ましく思いながら、加藤は家路についた。
♪
昨日程ではないが、やはり早めに目が覚めた。
時間はあるが、弁当まで作る気にはなれず、ボーッと朝のニュース番組を見ている。
いじめで自殺した女子中学生、詐欺で600万円を騙し取られた老婦人、飲酒運転で捕まる地方公務員。
ニュースを見ていると世の中に対して嫌気がさしてくる。
愛は世界を救わない。
人は度し難いほどに馬鹿で愚かで見苦しい。
「なんか久々だな、こんな気持ち」
学生時代を思い出した。
特に刺激のない日常、大人たちの身勝手な言動、自由な思考を遮る軋轢。
鬱憤がたまっていた。
そんなどうしようもない怒りややるせなさを歌にぶつけていた。
歌っている間は、自分が最強に思えた。
なんでも出来る気がした。
何かを変えられる気がした。
しかし、そんな事はなかった。
進学を決めた高校2年の秋、他のメンバーもそれぞれの道を選んだ。
いつの間にか音楽を辞めていた。
そして気付かされた。
自分自身の無力さ、凡庸さを。
自分は特別なんかじゃない。
特別じゃないからこそ、特別でありたいと願うのだ。
いつの間にか、考える事さえ辞めていた。
「はぁ、なんか憂鬱……」
昨日、村石とバンドの話をしたせいだろう。
忘れていた記憶を思い出した。
重い腰を上げる。
そろそろ出勤時間だった。
オフィスに着くと菊永がニヤニヤしながら近付いてきた。
「何かあったんですか?諒子さん」
「昨日、新しく来た村石ちゃんと一緒に帰ってなかった?」
「はぁ?」
どうやら見られていたらしい。
「確かに外で会いましたけど、偶然ですよ。村石さんも用事で急いでたみたいですし。本人に聞いてみたらどうです?」
「え?加藤さん、もう女の子に手ぇ出したんですか?」
本木が茶々を入れる。
「話をややこしい方向にしなで……」
「まぁ、それは冗談として。仕入れてきたわよ、他の部署の状況!」
「さっすが諒子さん!出来る女!」
「絵里香ちゃん、私をもっと褒めるんだ!」
「よっ!大統領!」
なんで朝からこんなに元気なんだ、この二人は。
「で?何が分かったんですか?」
加藤は少しうんざりしながら言った。
「どうも、他の部署も人員増強はあったみたい。ただ、ウチほどではないけどね」
「いきなり倍近くなりましたもんね。お陰で仕事も早く終わるし。そうだ諒子さん、今度は岩盤浴行きましょ!昨日友達からいいとこ教えてもらったんですよ!」
「いいわね、岩盤浴!残業ないって幸せだわ~」
「ですよね~、エステ行く時間も出来たし、新社長様様!」
「それで、その新社長がウチの部署にこれだけのテコ入れする理由は分かりました?」
脱線しかけた話を戻す。
「そこは全然分からないのよね。何か理由があるんだろうけど、噂にも出ないって事なら、今のところ社長の頭の中にしかないって事かなぁ」
「まぁ、どちらにしろ俺たちは俺たちの仕事をする以外ないですよ」
「加藤さんってそういうとこクールっていうか、冷たいですよねー」
「仕事に感情は要らないでしょ」
「それだと一生モテませんよぉ」
「そうだぞぉ、モテないぞぉ」
「いいから二人とも仕事してください……」
ニヤニヤしながら二人が自分のデスクに戻った。
その頃ちょうど、那珂川と村石がオフィスに入ってきた。
それから3分ほどして、榎本、山内、秦の3人も出勤してきた。
「おはよー!」
ついでに社長もオフィスへ現れた。
「今日からは事務処理の仕事は新たに配属された5人に任せて、みんな本来の仕事に戻ってね。」
「え?5人に丸投げしていいんですか?」
本木が言った。
「失敗しないか不安?」
「そうじゃなくて、なんか申し訳ないなって……。折角、開発専門の人が新しく5人も来てくれたのに、他の部署でも出来るレベルの事務処理を任せるなんて……」
「本木君は真面目だね」
社長はニコニコしていた。
実際、本木はふざけた言動は多いが、根は生真面目で仕事も早い。
むしろ、元々この部署に残っていたメンバーはみんな馬鹿が付くほど真面目なのだ。
だからこそ、他の社員からブラック部署と呼ばれる『アプリ開発課』に残っていたのだから。
「じゃあ、時間を決めて、この時間まではみんなで開発関係、この時間はみんなで事務処理ってのは?」
「いいですね!みんな一緒にやった方が早いです!」
「じゃあ決まり!時間に関してはみんなで決めてね、課長」
「はい、承知しました」
「じゃ、僕はこれで。みんな頑張ってね」
社長は手を振ってオフィスから出て行った。
「とりあえず新しい5人は、課長以外の5人とペアを作ろう。事務処理以外はツーマンセルで。いいですよね、課長?」
「うん、その方が捗りそうだね」
竹田の提案はなかなか効率的だった。
竹田と秦、小野と榎本、加藤と山内、菊永と村石、本木と那珂川がペアになった。
男は男同士、女は女同士のペアに綺麗に分かれた。
それすら社長の思惑通りなのでは、という疑念が浮かぶ。
「とりあえず、15:30まではそれぞれの作業、それ以降はキリがいい所で事務処理に移行って事でお願いします」
なんだか仕事の出来る部署の雰囲気だ。
昨日までの危篤状態のオフィスとは雲泥の差である。
仕事が少し楽しく思えてきた加藤であった。
♪
定時には社長がオフィスを訪れる。
ここ数日でお決まりとなりそうだ。
「みんな帰るよーって、帰る準備してたのね、いい事だ」
社長がニコニコしながら言った。
しかし定時に社長が来るから帰宅の準備をしていたのではない。
純粋に仕事が終わったのだ。
部署の全員、特に元々のメンバーはこの状況に驚いていた。
まるで夢のようだ。
仕事が定時に終わり、帰宅出来る。
「なんか、出来る部署っぽいですね」
本木が笑いながら言った。
「ぽいじゃなくて、ここは出来る部署だよ。数日見てた僕が保証する」
「社長からそう言って貰えると嬉しいです」
「素直な感想だよ。自信もって、本木ちゃん」
本木がえへへと笑った。
褒められる事に慣れていないらしい。
この部署の全員がそうだった。
営業部からは無能と言われ、前社長からは仕事が遅いと言われていた。
そう言えば、毎日来ていた営業部から無理な依頼やクレームが、ここ数日来ていない。
仕事がスムーズに進んでいたのはそのせいもある。
何かあったのだろうか。
「社長、営業部に何かしました……?」
加藤は素直に疑問をぶつけた。
「え?あぁ、彼ら、無能だったから再教育してる」
全員の目が点になった。
営業部はこの会社でも、トップの傲慢さを誇る。
仕事を取ってきてやっていると言う高圧的な態度で他の部署を威圧していた。
そのくせ外面が良く、全ての手柄をかっさらっていく為、取引先からは有能だと思われている。
その営業部を「無能」の一言で切り捨て、再教育しているらしい。
「え?僕、何か悪い事言った?」
加藤達が笑い出した。
「社長最高です!」
「あー、気分いい!」
「ざまぁみろってんだ!」
「だって、あいつら馬鹿じゃん?他の関係部署に断りなく納期やら予算やら勝手に決めるとか舐めすぎでしょ?クビにしないだけ感謝して欲しいよ、全く」
出向組はポカンとしていたが、元々のメンバーは全員笑っていた。
この社長になら付いて行ける。
加藤は安堵しながらそう思った。
「さぁ、馬鹿の話はそこまでにして、みんな帰るよー」
そう言って社長はオフィスから出て行った。
無理やり帰らせなくても大丈夫と判断したのだろう。
有難い事だと思いながら、加藤は鞄を手に取った。
「加藤さん、今日時間ありますよね?」
村石が話しかけてきた。
しかも加藤が暇だと勝手に断定している。
実際に暇だから言い返せない。
「まぁ、暇です……」
自分で口にすると余計惨めに思える。
「良かった!」
村石越しに、菊永と本木の視線を感じる加藤。
聞き耳を立てているのが目に見えるようだ。
「カラオケ行きましょうよ!」
「今から?」
「今からじゃないならいつ行くんですかー」
どうやら昨日の話は本気だったようだ。
そうなると、あらぬ噂を立てられないようにしなければならない。
「そうだなー……、どうせならみんなで行きませんか?課長や係長もどうです?」
「いやいや、若いメンバーで行ってきなよ。オジサンたちがいても楽しくないでしょ」
西谷が遠慮する。
むしろ遠慮しないでほしいのだが。
「そう言えば、歓迎会してませんよね、新しく来てくれた5人の」
そう言って、小野が加藤をチラリと見た。
加藤は、小野に最大の感謝を心の中で叫んだ。
小野は加藤の思惑を組んでくれたのだ。
「だから、これから歓迎会しませんか?予約なんてしてないので、カラオケかなんかでフード頼みながらですけど」
「いいですね!この人数が入るカラオケ探しますね!」
すかさず加藤が相槌を打つ。
「歓迎会なんで、課長や係長も参加ですよ?」
結局、全員でカラオケ飲み会へ行くことになった。
「小野さん、助かりました。ありがとうございます」
「いいよいいよ、変な噂立てたくないのは俺も分かるから」
カラオケへ移動する間に小野へこっそりお礼を言った。
噂と言うものは何処で尾ひれが付いて、何処へ泳いでいくか分からない。
システムの安全性にも明るくなければ開発は難しい。
そんな開発に携わっている人間が、プライベートの噂を垂れ流されているとなると、イメージが悪い。
何より、自分の知らない所でありもしない噂話をされる事が気持ち悪い。
小野も加藤と同じ考えなのだろう。
「先程電話した加藤です」
カラオケ店に到着した。
「はい、お待ちしておりました。加藤様ですね、こちらへどうぞ!」
元気のいいお姉さんが部屋へ案内してくれた。
通されたのは20人ほどが入れる大部屋だった。
天井には2台のプロジェクターが吊られている。
デュアルプロジェクターと言って、隣り合う壁2面に映像を映す仕様になっている。
「広いですねー、こんな部屋初めて来ました!」
「プロジェクター2台って意味あります?」
「カラオケなんて久しぶりだなー」
口々に感想を述べる。
加藤も久々だった。
「とりあえず、出向組から歌ってもらおうかな」
「えー、それはパワハラですよ課長ぉ」
ニヤニヤしながら本木が西谷をイジる。
「え?そうなの?これダメなの?」
「って事で、トップバッターは課長で!」
「いいねぇ!」
「課長、行っちゃってください!」
まだ酒も来ていないのだが、みんなノリノリになっている。
「えぇ、何歌えばいいの?」
西谷は端末をいじりながら言った。
「これなんてどうです?」
本木が世話を焼いている。
「……、あの2人出来てたの?」
竹田がボソッと言った。
「今まで全然気づかなかったけど、ぽいですよね?」
小野が乗ってくる。
「絵里香ちゃんはオジサン好きって事は知ってたけど、課長となの?」
菊永も興味津々だ。
「今まで忙殺されてたから分からなかったけど、そうとしか見えないですね……」
加藤も続く。
「課長と本木さんっていつから出来てるんですか?」
村石も加わってきた。
そして、またもや断定である。
「いや、分からないわね。もしかすると、絵里香ちゃんが所属した時からかもしれないわ、確証はないけど」
「失礼しまぁす」
ちょうど店員が入ってきて、酒などのドリンクを置いて行った。
「とりあえず、乾杯しましょ、課長!」
竹田が西谷にビールの中ジョッキを手渡した。
「えっと、みんなお疲れ様です。こんな形でみんなと飲める日が来るなんて思ってもいませんでした。しかも、全員出席してもらえるなんて、嬉しい限りです。思えば、我々の課が設立されて今日まで、歓迎会など全く行えませんでした。申し訳ない。だから今日はみんな、心行くまで飲んで歌ってください!乾杯!」
乾杯後の拍手が鳴りやむころに、曲のイントロが流れ始めた。
「課長!よろしくお願いします!」
本木が西谷にマイクを渡す。
とりあえず、加藤に歌う気はない。
どう切り抜けるかを考えていた。
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