Con Fuoco——Quarto Capitolo

 飲み会が始まって2時間が経過した。

 小野と秦が歌いたがりで助かった。

 世代的にも近く、二人で歌っている。

 加藤はジンジャーエールを飲む。

 最初の生ビール以外はソフトドリンクしか飲んでいない。

 酔いたくない、酔えない状況だ。

 マイクを握る人間は既に限られていた。

 小野と秦、そして村石だ。

 この3人、と言うかこの1組と1人が交互に歌っている。

 村石は歌が上手かった。

 そして、様々なジャンルを歌っていた、加藤の方を見ながら。

 恐らく、加藤がどのジャンルに反応するかを観察している。


「見え透いたトラップにはかからんよ……」


 もう一口ジンジャーエールを飲む。


「何か言った?加藤君?」


 菊永が隣に座ってきた。


「いえ、何も」

「それにしても、怜子ちゃんは歌上手いわね。加藤君の方を見つめてる気もするけど、気のせいかしら?」


 酒に酔ったという免罪符を持って、菊永が直接的に攻めてきた。

 色々誤魔化すのも面倒になってきた。


「村石さん、バンドやってるみたいですよ。昨日はスタジオ練習に行く途中に俺とバッタリ会っただけです。それで俺も学生時代にバンドやってたって話をしてて」

「なんだ、昨日のはそういう事だったんだ。でも、なんで加藤君を見つめてるの?求愛の歌にも見えるけど?」

「俺がヴォーカルやってたって言ちゃったからですよ、多分。実力を知りたいみたいで」

「えー、じゃあ歌ってあげなよー。私も聞きたいしー」


 はぁ、めんどくさい。


「じゃあ、私が勝手に入れちゃうぞー」

「知らない歌は無理ですよ!?」

「これなら大丈夫でしょ?」


 それは2015年に流行った女性アーティストのラブソングだった。


「まぁ、それくらいなら」

「やった!私好きなのよね、この曲!」


 菊永が嬉々として予約ボタンを押す。

 軽く歌うだけだ、もうどうでもよくなってきた。


「お?誰が歌うんだ?」


 竹田が言った。


「はーい!加藤君が歌いまーす!」


 菊永が小野からマイクを受け取り、加藤に渡した。

 村石が熱視線を送ってくるのを感じる。

 加藤はジンジャーエールを飲み干した。


 ♪


 3時間程の飲み会が終了した。

 小野と秦は意気投合して飲みなおしに繰り出していった。

 本木は飲み過ぎたのか、西谷に介抱されながら帰って行った。


「強制持ち帰りとでも呼ぶのかな……」


 山内がボソッと言った。


「なんか、絵に描いたような展開だな。まぁ、課長も離婚して4年だし、いいんじゃないか?」


 竹田が少し呆れながらも言った。


「今まで仕事にプライベートすら殺されてたから、急に人並みの生活に戻されて寂しくなったんじゃないかな」

「竹田さんも寂しいんですか?」


 那珂川が聞く。


「いや、俺には妻と2人の子供がいるから。定時で上がれるようになった事を素直に喜んでくれたよ」

「お子さんはおいくつなんですか?」

「上が高校受験、下は中学1年だよ。特に反抗期もなかったのが不思議だ。妻が頑張ってくれたお陰だよ。俺なんて、まともに家族サービスも出来なかったのに」

「これからは家族サービスできますね」

「頑張るよ」


 そう言って竹田は帰って行った。


「自分もこの辺で、お疲れ様でした」


 榎本も家路につく。


「山内ぃー、ラーメン食べて帰ろー」


 那珂川が無理やり山内の肩に腕を回す。


「分かったから!加藤さん、菊永さん、お疲れ様です。また明日!」


 山内と那珂川も帰って行った。

 加藤と菊永、村石が残された。


「加藤さん」

「はい」

「本気で歌ってなかったでしょ」


 村石は少し機嫌が悪いようだ。


「いや、酒飲んだら声でないし」

「そう言って、最初のビール以外は全部ソフトドリンクだったじゃない」


 菊永が突っ込んでくる。


「私もそれ見てました。ずっとジンジャエールをモスコミュールだって言って飲んでました。嘘つきです」

「けど、歌ったからいいでしょ?」

「軽く歌っただけなのに上手いとかふざけてるわ、加藤君」

「そうですよ、もっと歌ってくれてもよかったのに」


 菊永が予約した曲以降は、どんなに催促されても加藤は歌わなかった。


「久々だし、気分がのらなかったんです」

「じゃあ、どうやったら気分がノッて歌ってくれるんですか?いろんなジャンル歌ったのに、全然聞いてないし」


 村石がプリプリ怒っている。


「それより、今日は練習なかったの?」

「話逸らそうとしてますね、加藤さん。バンド練習は週に2回くらいで、次は土曜の夜です」

「そうなんだ」

「そうだ、土曜のバンド練習に加藤さん来ませんか?」

「なんで俺は行くんですか……、邪魔でしょ」

「そんな事ないです!新しいヴォーカルが欲しいんですよ!今は私とギターの子がツインヴォーカルやってるんですけど、限界を感じてるんです」

「そんな事言われても、俺の実力でバンド組めるとは思えないし、村石さんのバンドのクオリティを下げる可能性が高い」

「それがやってみないと分からないじゃないですか!」

「いやいや、無理だよ」

「本気で歌ってくれるまで、諦めませんから!」


 加藤を指差しながら、不機嫌そうに去っていった。


「なんで本気で歌ってあげないの?」

「いや、バンドとか言ってる歳じゃないですし」

「そう?別に趣味レベルならバンドもいいじゃない。じゃないとオヤジバンドが可哀そうよ?」

「いや、それがですね……」


 村石がバンドメンバーから好意を持たれているが、本人が全く気付いていない事、そのメンバーから加藤が敵視された事などを菊永に話した。


「そういう事なんだ」

「だから、面倒なことは避けたいんです」

「なるほどね」

「ご納得頂けましたか?」

「加藤君も大変ね」


 菊永が軽く笑った。


「ところで、加藤君」

「はい?」

「私を持ち帰る気はない?」


 なんとも突拍子もない申し出だった。


「……、ないですね」

「その微妙な間、何を考えたの?」

「……、菊永さんを持ち帰った時のリスクを」

「リスクって失礼じゃない?」

「すいません。ただ正直言って、俺に何のメリットもないなと」

「気持ちいい事が出来ます」

「社内に噂が流れるリスクがあります」

「それは流れないように出来るわ、私の情報操作力を甘く見ないでね」

「別にそういう事ではないですよ」

「まさか、『恋愛感情がなければ、ヤッちゃいけない!』とか、童貞みないな事は言わないわよね?」

「それはないです。ただ、今は興味がないです」

「私に魅力がないって事かしら?」

「いえ、そういう事でもないです。諒子さんは十分魅力的です」

「なんか、感情がこもってないなぁ」

「というか、俺である必要性がないでしょ?諒子さんならキープなんて何人もいるでしょ」

「歌よ」

「え?」

「気怠そうに、軽く歌ってた貴方を見て、本気の貴方が見たいと思った。いつも何処か斜に構えてる貴方を、はっきり言って良くは思ってなかったわ」

「ホントにハッキリ言いますね」

「けど、そんな貴方は何になら本気になれるのか気になったし、本気にしたいとも思った」

「それがお持ち帰りとどう繋がるんですか?」

「本気にさせるなら、まず自分が本気にならないとね、って事で飲みなおしよ!」


 加藤は菊永に繁華街へ連行された。


 ♪


 頭痛で目が覚める。

 こんなに飲んだのは学生以来だ。


「はぁ……」


 隣でスヤスヤと菊永が眠っている。

 結局、菊永に振り回されてこのザマだ。

 美人局ツツモタセかと疑いもしたが、菊永の性格上それはないと思った。

 最終的には根負けしてホテルに入った。


「それはそうと……」


 一度家に帰らなくてはならない。

 昨日と同じスーツだと流石にマズい。

 とりあえずシャワーを浴びに浴室へ向かおうとすると。


「どこ行くの?」


 目をこすりながら菊永が言った。


「シャワー浴びて帰ろうかと」

「じゃあ、その前にもう一回」

「どんだけ元気なんですか……」


 結局、ギリギリの時間まで解放してくれなかった。

 帰宅してスーツからスーツに着替える。


「何やってんだろ……」


 数日前まで残業で死にかけていたのが嘘のようだ。

 世の中のサラリーマンはみんなこんな事をしているのだろうか。

 だとしたら結構なハードワークだ。

 どうせなら休みの前日であって欲しかった。

 昨日の今日で菊永に会うのは気が引ける。


「諒子さんは慣れてるのかな?」


 ふと疑問に思った。

 あの時は勢いで「キープなんて何人もいるでしょ」と言ったが、全く否定されなかった。

 つまり、菊永にはキープ君が数人いる訳だ。

 しかも、それを知っている人間は少なくとも社内にはいない。

 ウチの部署の中でも、菊永は他部署に知り合いが多い、男女問わずにだ。

 それなのに、浮いた噂は一度も聞いた事がない。

 「私の情報操作力を甘く見ないでね」というセリフは本当らしい。


「情報収集の鬼だからな、諒子さん。情報の漁り方を知ってるって事は、操作のやり方も熟知してるって事か」


 昨晩の二人の行動がバレる心配はないだろう。

 駅を出て、会社に向かう途中のコンビニでおにぎりとお茶を買った。


「おはようございます」

「おはよー、なんか疲れてない?加藤」


 小野が加藤の顔を覗く。


「ちょっと二日酔いですかね……」

「そんなに酒弱かったの?大丈夫か?」

「大丈夫です、何とか」


 しょうもない嘘だと自分でも思う。

 とりあえずこの場を切り抜けられれば何でもいい。


「おはようございます、加藤さん。あの後飲み直したんですか?」


 村石がやって来た。

 厄介だ。

 飲んでいなかった事を知っている。


「まぁ、ちょっとね……」

「ふぅん……」


 何なんだその疑いの目は。


「加藤君、昨日はゴメンねぇ!」


 菊永が出勤してきた。


「あ、え、いえ」

「あれ?もしかして二日酔い?」

「ちょっとですね……」

「飲ませ過ぎちゃった?ごめんね!」


 なんとも明るく絡んでくる。

 加藤は気付いた。

 飲んだ事自体を隠す必要はないのだ。

 下手に隠せば逆効果なのだ。

 この様な接し方ならば、やましい関係はないと思われる。

 なるほど、上手いものだ。


「あの後大丈夫だった?終電に間に合った?」

「何とか間に合いました。すいません、お酒強くなくて」

「私が酒豪みたいじゃん!辞めてよー」

「お二人で飲んでたんですか?」

「あの後ね。村石ちゃんも誘えばよかったね!ごめんね!」

「いえいえ!先に帰っちゃったの私ですし」

「何だったら今日も行っちゃう?」

「だったらカラオケ行きましょうよ!ね、加藤さん!」

「いや、二日連続はマジで勘弁して下さい……」

「ははは、モテ期到来か?加藤」


 竹田が冷やかしてくる。

 冗談じゃない、俺は静かに暮らしたいだけだ。

 頼むから巻き込まないでくれ。

 加藤は朝から頭を抱えた。


 ♪


 結局、加藤はカラオケに連行された。

 ついでに本木も連行されている。

 菊永と村石の強引さに二人とも負けたのだ。


「何なんですか、このメンバー……」


 加藤以外、全員女性である。

 メチャクチャ居心地が悪い。


「絵里香ちゃんには聞く事があるからね、ついでに連れて来た」

「私、ついでなんですか!?ショック!」

「でも、本木さんも加藤さんの歌声聞きたいですよね?」

「それは聞きたい!」

「本命は加藤君の歌って事ね」


 何ともめんどくさい。


「分かりました、歌えばいいんでしょ?歌えば」

「絵里香ちゃんはさて置き、適当に歌ったら許さないからね」

「本気で歌わなかったらテキーララッパ飲みの刑です!」

「うん、それは色々と問題になるから辞めてね、怜子ちゃん」

「私の扱いが雑過ぎません?諒子さん」


 賑やかな御一行である。

 昨日とは違うカラオケ店に着いた。

 村石の行きつけらしい。


「ここなら機種に関係なく、どんな曲でも歌えます!」


 そう言って早速曲の予約を始める村石。

 菊永が全員分のドリンクなどを注文する。

 加藤と本木はちょこんと小さく座っている。


「さて、今日は楽しもうか、二人とも」


 無駄に凄みを醸し出す菊永。


「とりあえず昨日の曲でいいですか、加藤さん」


 満面の笑みでマイクを渡してくる村石。

 蛇に睨まれた蛙はこんな気分なのだろう。


「歌います、歌いますよ!」


 やけくそになる加藤。

 村石から選曲用のリモコンを奪い取る。

 高校の時にコピーしていた曲を予約した。


「課長との事でしょ、諒子さん!話せばいいんでしょ!」


 本木もやけくそになった。

 それを見て菊永と村石がニヤニヤしだすのが気に食わない。

 曲のイントロが流れ始めた。


「この曲懐かしい!」

「女性ヴォーカルの洋楽曲ですよ!?」

「加藤さん、マジで歌えるの?」


 2002年にデビューしたカナダ出身の女性シンガーソングライター、彼女の2番目のシングル曲だ。

 高校時代のバンドメンバーの一人が彼女の大ファンだった影響で、何曲かコピーした事がある。

 中でもこの曲がそいつの一番のお気に入りだった。

 学生時代、全く相手にしていなかった男の子が大人になってスーパースターになっていたという歌詞の内容だった筈だ。

 ハッキリ言って歌詞もよく思い出せない上、声が出る保証など皆無だ。

 しかし、思い浮かんだのがこの曲だった。

 やけくそだ、原曲キーで歌ってやる。

 加藤、ご乱心である。

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