Con Fuoco——Nono Capitolo

 強烈な頭痛が加藤を叩き起す。

 見知らぬ天井だった。

 慌てて周りを見渡す。

 カーテンを閉め切った暗い室内は散らかっていた。

 ワンルームの間取りに、ベッドとちゃぶ台、メタルラックと無骨なデスク。

 家具らしい家具はそれくらいでテレビもない。

 デスクの上にはタワータイプのデスクトップが鎮座している。

 メタルラックにはレコードとCDが再生できるマルチプレイヤーが置いてある。

 周りには様々な時代のCDやレコードが散らかっていた。

 床には音楽雑誌やスコアブックなどと共に、システムエンジニア向けの手引書なのも散乱している。

 そして、一番目を引いたのは2本のベース。

 フェンダーのジャズベースとミュージックマン・スティングレイ、そして空のベーススタンドがもう1つ。

 この部屋の主が隣で寝ていた。


「村石……」


 加藤は頭を抱えた。

 お互いに一糸まとわぬ姿でベッドにいる時点でそういう事なのだろう。

 別の意味でも頭痛がしてきた。


「はぁ……」


 自分はこんなにも女にだらしない人間だったのか。

 自己嫌悪に陥る加藤。

 時計は午前10時を回ったところだった。


「あれ……、加藤さん……」


 村石が目を覚ました。


「起きたんですか?おはようございます」


 寝起きでまだポワポワしている。


「村石さん……、これは……、その……、そういう事なんだよね……?」

「加藤さん、やっぱりお酒弱いんですね」


 村石がクスクスと笑う。


「それに、昨日は怜子って呼んでくれたのに」


 悪戯っぽく笑う村石。

 加藤は再び頭を抱えてしまった。


「なんでこうなったのか、全く覚えてないんだけど……」

「逆に、何処まで覚えてます?ルーにキスされたところは?」

「そこまでは何とか。てか、やっぱりアレは夢じゃなかったのね……」


 ガックリと肩を落とす加藤。


「その後はメチャクチャでしたよー。私と菊永さんで加藤さんの取り合い、加藤さんはルーにビールを飲まされまくってゲロゲロ~」


 ケラケラと笑いながら説明する村石。


「俺、吐いたのか……」

「近くにあったどんぶりでキャッチしたので大丈夫です!」

「え、村石さんが介抱してくれたの?」

「だから私の家にいるんですよ?」

「……、申し訳ない」

「謝らないでください、一番悪いのはルーですから」


 酔った女性を介抱したことは何度もあるが、自分が女性に介抱される日が来るとは夢にも思っていなかった。

 むしろ夢であって欲しい。

 仕事の同僚、と言うか入ってきたばかりの立場上後輩にあたる女性に醜態を晒したのだ。

 その上、菊永との関係もある。

 加藤の頭に「転職」の二文字が過った。


「今、菊永さんの事考えたでしょ」


 思わず吹き出す加藤。

 勢い余って鼻水が出た。

 ティッシュで鼻をかみながら村石を見る。


「その感じだと、セフレ程度の関係ですか?」

「……、まぁ」

「別にそこの事に対して、とやかく言うつもりはありません。ただ……」

「ただ……?」

「昨晩の約束通り、今日から加藤さんは私の物なので」

「……、はぁ?」

「加藤さんは覚えてないでしょうけど、昨日の夜、加藤さんの彼女は私って事を約束してもらいましたので」

「……、いつそんな約束したの……?」

「エッチの前ですよ?」


 眩暈がしてきた。


「菊永さんとの関係は加藤さんに任せます。ただ、私のと約束を最優先にしてください。それだけです」


 村石がニカッと笑う。

 加藤はフラフラとベッドから立ち上がる。


「どうしました?」

「……、ちょっとシャワー借りていい?」

「どうぞー」

「頭冷やす……」

「一緒に入ります?」

「……それじゃ、頭冷やせないでしょ……」


 村石をそのままに、加藤は浴室に入った。


「可愛いなぁ、もう」


 村石が悪戯っぽく笑った。


 ♪


 昼過ぎから村石に連れられ、出かける事になった加藤。

 村石の家は神奈川県川崎市だった。

 私鉄とJR線が乗り入れる駅が最寄り駅で、そこまで歩いて15分くらいの場所にある楽器可のアパートだ。

 駅までの道すがら、村石が腕を絡めてくる。

 傍から見たら立派なカップルだ。


「村石さん?」

「レイって呼んでくださいよー。もうウチのメンバーなんだし」

「……、レイ、なんでベース持ってきてるの……?」

「なんでって、スタジオ行くからに決まってるじゃないですか!」


 昨日の今日でまた歌えと言うのか。

 加藤は二日酔いでふらつく頭を抱えた。


「スタジオはもう予約済みなので大丈夫ですよ!ルーとタケも来ます!」

「やる気満々じゃん……」


 折角の休みがバンド練習で潰れるようだ。


「てか、一回ウチに帰っていい?」

「逃げるつもりですか?」

「いや、自分のギターを出したい」

「じゃあ、ルーに連絡しときます。加藤さんチに行きましょう」

「やっぱり付いてくるの?」

「逃亡は許しません!」


 逃げるつもりはなかったが、とりあえず付いてくるのならそれでもいい。

 加藤達は駅に向かった。

 まずは一日の利用者数日本一のターミナル駅へ向かう。

 そこから中央線に乗り換えに2駅で加藤の自宅の最寄り駅に着く。

 特に人の少ない東口から出て、10分程度歩くと加藤の家だ。


「お邪魔しま~す」


 村石がキョロキョロしながら中に入る。


「片付いてると言うより、物自体が少ないですね」

「帰って寝るだけだったからね。最近は料理する時間が出来たから、これでも増えた方だよ」

「ふ~ん」


 勝手に冷蔵庫を開ける村石。

 作り置きのおかずが入ったタッパーが整然と並んでいる。

 生野菜などもあるが、適度に空間が開いており、ゴチャゴチャした印象はない。


「加藤さんって几帳面なんですね」

「そう?料理に関してだけだよ」

「あぁ、確かにだらしない部分はありますよね」


 村石はニヤニヤしながら加藤を見てくる。


「はいはい、そうですね」


 村石の方を見る事もなく、加藤は感情なく言った。

 クローゼットの奥からセミハードのギターケースを引っ張り出す。


「フェンダー?」

「フェンダーはフェンダーだけど、フェンダー・ジャパンだよ。学生時代に買った奴だから、高いのは買えなくて」


 経年によって少し黄ばんだ白いボディに、黒のピックガード。

 ペグや摘みも手入れをしていなかったためくすんでいる。


「高校生に10万はきつかったなー」

「新品で買ったんですか!?」

「中古屋も回ったけど、新品のこいつの真っ白なボディに惚れたんだ。ピックガードが黒ってのもよかった」

「シンプルにカッコいいギターです。でも、弦貼ってないんですね」

「また弾く事になるとは思ってなかったからね。かと言って、売りに行く気にもならなくて」

「加藤さんにも愛着ってあるんですね」

「何処まで俺の事を冷血漢だと思ってるのよ……」

「だって、『仕事に感情は要らない』って言ってたじゃないですかー」

「仕事は仕事」

「なんか都合いいなぁー」

「それより、さっさと戻ろう。二人を待たせてるんだし」


 加藤と村石は再びターミナル駅を経由して、昨日のライヴハウスの最寄り駅に降り立った。

 駅から何度か角を曲がり、5分ほどで貸しスタジオに着く。

 3階建ての建物にバンドスタジオが10部屋ある。

 それとは別棟でピアノ用のスタジオもあるらしいが、加藤達には関係がない。

 エントランスから中に入り、左手にあるフロントに寄る。

 よく使っているスタジオらしく、村石が挨拶しただけでルー達が使っている部屋を教えてくれた。

 とりあえず加藤は会員登録の簡単な手続きをする。

 それが終わり、待ってくれていた村石と一緒に2階へ。

 真ん中が予約していた部屋らしい。

 スタジオ特有のドアノブを握る。

 久々の感覚に、何とも言えない気分になる。

 ドアノブを上げ、ロックを解除すると、中の爆音が隙間から溢れ出してきた。


「カート、遅いよー」


 加藤達を見てルーが演奏の手を止めた。


「仲良く登場だね、お二人さん」

「ジム!」

「指以外は元気だから来ちゃった」


 ルーの向かい、鏡の前にジムが座っていた。


「その背中のは、自分のギターか?カート」


 タケがドラム用の椅子スローンに座ったまま訊ねる。


「久々に引っ張り出してきた」

「遅くなった理由はそれか」

「え?聞いてなかったの、ルー」

「めんどくさいから説明省いちゃった」

「昼間っからヤッてんじゃねーかって言ってたんだがな」

「タケが泣きそうな顔してたね」

「うっせぇぞジム!」


 何とも仲のいい4人だと加藤は思った。

 4人の会話を聞きながら、ギターケースからテレキャスターを出す。


「なんだよー、ジャガーじゃないのかよー」

「そのネタはもういいって、ルー」

「『カート』と言えば『ジャガー』でしょー」


 そう言いながらルーがあの曲のイントロを弾き始める。


「そうなると、俺はそろそろ死なないといけなくなる」


 加藤が笑いながら言う。


「そいつは困る!」


 ルーが困った顔で気を付けをした。


「てか、弦貼ってないんだね」


 ジムが中腰になって加藤のテレキャスターを覗き込む。


「弾きもしないで張りっぱなしにすると痛みそうで」

「分かるー!僕もしばらく弾かないギターは弦外すもん」


 加藤とルーとジム。

 3人のギタリストが集まってギター談義が始まった。


「なんか、一気に仲良くなってるな」

「全員ギター出来るからね。……」

「……?どうした?」

「なんかつまんない」

「カートが取られてか?」

「……、うっさい!」


 村石が拗ねる。

 自分のベースをケースから取り出した。

 昨日のライヴでも使っていたグレッチのエレクトロトーン・ベースだ。

 不機嫌なままチューニングを始めた。


「弾かなくなってだいぶ経つんじゃない?」

「うーん、10年近いかな?」

「そうだ、俺でよければ、弦張るついでにメンテナンスもやるよ」

「え?メンテナンス出来るの?」

「ジムは新宿の楽器屋で店員やってるんだよ。ギターフロアのね」

「なるほど、お願いしていいかな?」

「もちろん!その間にみんなと練習してて」

「ありがとう」


 ジムにお礼を言って振り返ると、ご機嫌斜めの村石がいた。


「え?なに?」

「構って欲しかったみたいだぞ」

「あぁ、ゴメン」

「ルーとかジムとは笑って話すのに、私には笑ってくれないじゃないですかー」

「ゴメンゴメン」

「謝るんだったら歌えぇ!!」


 村石がいきなりベースを弾き始めた。

 昨日のライヴの1曲目だ。

 すぐさまタケのドラムが入ってくる。


「今日は頭から全力で歌ってください!!」

「いいねぇ~、この曲だけは赤点だったからね!」


 ルーも乗ってきた。

 ジムは笑顔でテレキャスターをいじりながら、耳はメンバーの演奏に傾けていた。


 ♪


 あのライヴ以降、加藤の生活に音楽と村石が入り込んできた。

 週に1~2回のバンド練習に、個人的に始めた週1回のヴォイストレーニング。

 毎晩ギターを1時間以上触ってから寝る習慣も付けた。

 そのお陰か、加藤のギターテクニックは目に見えて上達した。

 ルーとジムの教え方も厳しいながら上手かった。

 それに応えようと、加藤も必死で練習した。

 仕事以外の時間のほとんどを音楽に費やすようになっていた。

 その音楽と同じくらいに加藤のプライベートを侵食したのが村石だ。

 ちなみに、二人が付き合いだした事は、初ライヴの次の週の月曜には部署内に広まっていた。

 菊永の仕業なのは火を見るよりも明らかだった。


「加藤さん、マジで女の子に手ぇ出すの早すぎでしょ、ドン引きです」


 本木には面と向かってそう言われたが、そこに村石が通りかかり「告ったのは私からなんですよね。ライヴの加藤さんがかっこよすぎて」とフォローしてくれた。

 村石の言葉に、本木は何も言えなくなった。

 加藤と菊永の関係も、あの打ち上げ以来解消されている。


「そんな歳じゃないとか言ってた割に、楽しそうじゃない」


 偶然二人きりになった場面で、一度、菊永から嫌味を言われた。


「そうだと思ってたんですけどね、やっぱ好きなんですよ、音楽。これだけはどうしようもなかったですね」

「まぁ、そんな事に熱を上げるようなお子ちゃまは要らないわ。キープ君は他にもいるし」

「俺、『ガキ臭い』ですかね」

「ええ、『ガキ臭い』わ」

「『Smells like ガキ teen spirit臭い』か、笑える」

「何言ってんの?」

「俺はそろそろ死なないといけないかもですね」

「はぁ?」


 加藤は笑いながらその場を後にした。

 ルーにこの話をすると、案の定大いに笑ってくれた。

 そうこうしていると、加藤が村石達のバンドに参加して1か月が過ぎた。

 ジムの指もすっかり治り、今日は5人全員がプレイヤーとして揃う初めてのバンド練習だ。


「ジム、もう大丈夫?」

「心配しなくても、もう大丈夫だから」

「それより、問題があるんだけど……」


 ルーが申し訳なさそうに言った。

 加藤はすぐに思い当たった。


「ギターが3人は多いよね」


 ルーが加藤を見ながら頷く。


「そう言うだろうと思ってね。みんなには内緒にしてた事があるんだ」


 ジムが改まって言った。


「残念ながら、楽器ならだいたい何でも出来るんだよね」

「……、はぁ?」


 ジム以外の全員の声が揃った。


「なので、私は曲によって楽器を変えます!」


 ジムが拳を突き上げた。


「おぉ~~」


 何故か拍手が起きる。


「キーボードはもちろん、トランペットもサックスも、何ならバンジョーや三線サンシンも出来るよ!」

「そんなにコロコロ変えて大丈夫なの?」

「まぁ、それは冗談として。ルーのギターテクも十分成熟したから任せて大丈夫だと思うし、カートも上手くなったから、ギターは二人で大丈夫だと判断しました」

「確かに、二人とも安定感が出てきたよな」

「まぁ、ジムが言うから間違いないでしょ」

「だから、仕事がなくなった僕はバンドの音に、もっと厚みが欲しいと思った訳」

「それで、色々やると」

「キーボードとサックスを行ったり来たりすると思うよ」

「確かに、サックス欲しい曲とかあるもんね」

「でも、何でも出来るなんて『鬼才』みたいだ」

「『道楽半分にいろんな楽器に手を出しすぎた』なんて言われないようにしないとね」

「あ、そう言えば」


 話がひとしきり終わったところで、ルーが手を叩いた。


「なに?嫌な予感なんだけど」


 村石が顔をしかめる。


「サクさんがまたライヴやってくれって」

「いつ?」

「来週の土曜」

「はぁ!?!?」


 ルー以外の全員が大声を出した。


「いやいやいや!急すぎんだろ!」

「何でも、元々出る予定だったバンドが、メンバーの産休で出れなくなったって」

「なんじゃそりゃ!!」

「まさか、OKしちゃったの!?」

「え?ダメだった?」

「馬鹿か!!!」


 みんなが取り乱す中、ジムは冷静だった。


「いいんじゃないかな?カートの加入と、メンバーのスキルのレベルアップでこのバンドはより良くなった。それを見せるチャンスだ」

「ジムならそう言ってくれるって思ってた!それに、僕らのバンドがちょっと噂になってるらしいんだ」

「噂?」

「カートが飛び入りでやったライヴ。あれがちょっと有名になってるみたい」

「そんなに?確かにいいライヴだったけど、あれぐらいのレベルのバンドなんて五万といるだろ」

「僕もそう思ったんだけど、どうもウチのバンドに代打指名したのはサクさんとは違うみたい」

「そうなの?」

「まぁ、そういう事には口出ししない人だからね、サクさんは」

「じゃあ誰よ?」

「何でも、そのイベントを主催してるバンドの人が僕らを名指ししたらしい」

「名指し?そんな事あるんだね」

「まぁ、ライヴに行ってみれば分かるんじゃないかな!」


 ルーが笑って言った。

 とにかく、新体制となったRickeyの初ライヴは来週の土曜、後10日しかない。

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