Con Fuoco——Articolo Capitolo

「全然眠れませんでしたね!」


 あっけらかんと村石が言う。


「『全然寝かさなかった』の間違いだろ……」


 加藤が頭を抱えた。

 二人は加藤の家からライヴハウスに向かう私鉄電車の中だ。

 土曜の昼間、乗降客はそれなりに多いので、あえて普通電車に乗っている。


「ライヴ前夜くらいゆっくり寝かせてくれない?」

「いやー、緊張しちゃって!」

「発情の間違いだろ……」

「えへへへ」


 村石が腕を絡めてくる。

 なんだかんだ、二人は順調だった。

 音楽以外では特に喧嘩する事もなく、村石がイチャ付いてくるのを加藤がなだめすかすのが定型になっている。


「加藤さん、緊張してます?」

「……、かなりね」


 駅の改札を抜けながら加藤が言った。


「いきなりだったこの間より、しっかり時間がある分、今日の方がメチャクチャ緊張してる」

「表情が硬いー」


 村石が加藤の頬をつねる。


「痛い痛い!」

「まずは笑って!じゃないと楽しめませんよ?」


 村石がニカッと笑う。

 それに倣って、加藤も笑顔を作る。


「硬い硬い!」


 今度は加藤の頬をこね回す村石。


「痛いって!」

「表情筋を解さないと!」


 頬をこね回されているうちに、ライヴハウスへ着いた。

 スタッフ用の出入り口を通り、控室へ入った。


「お、来た来た」


 先に来ていたタケが二人を見付けた。


「入り時間ギリギリに来るなよ、心配するだろうが」

「間に合ってるから大丈夫だってー。ルーとジムは?」

「連れション」

「仲良しかよ」

「2人が帰って来たら主催者に挨拶行くぞ」

「はぁーい」


 5人が揃ったところで、主催者であるバンドのもとへ向かった。

 今は各バンドのリハを見ているらしい。

 フロアに3人組の男が立っていた。


「おはようございます!4番目に出演するRickeyです!今日は呼んで頂き、ありがとうございます!」


 ジムの声に合わせ、5人は横一列に並んで頭を下げた。


「お、来たな噂のバンド!俺らはShin Rubberシン・ラバーって言うスリーピースバンド。俺はギターの浅野」

「ベース兼ヴォーカルの原野でーす」

「ドラムの松尾です」

「えっと、僕らは……」

「大丈夫、知ってるよ、君がルー君ね」

「はい!」

「前回の君らのライヴ、生で見せてもらったよ」


 そう言って松尾が加藤を見た。

 加藤は何とも言えない気持ちになった。

 知ってるような、知らないような、そんな曖昧な感触だ。


「では、加藤君に質問だ」


 松尾が加藤を指差す。


「『Shin Rubber』はどういう意味でしょう?」

「え?」

「はい!」


 村石が元気に手を挙げる。


「はい、レイちゃん!」

「新恋人!」

「違います!」

「はい!」

「ルー君!」

「罪のゴム!」

「意味が分からん!」

「じゃあ、新しいゴム?」

「違います!」


 他のメンバーが大喜利を始める中、加藤はある事に気付き、目を見開いた。


「Shinは脛か!Rubberは擦るの『Rub』に人を表す『er』って事!?」

「つまり?」

「すねこすり!!」

「正解!!」

「松尾か!!!」

「やっと思い出したかぁ!」


 加藤と松尾が抱き合った。


「え?どういう事?」


 村石をはじめとしたRickeyのメンバー全員がポカンとしている。


「いやいや、思い出してくれないと思ったぞ?」

「まさかお前がここでバンドやってるなんて知らなかったから。てか、Rickey指名したのはお前か!」

「加藤さん、どういう事?」

「松尾は俺の高校時代の友達だよ!」

「ついでに言うと、高校時代に『すねこすり』ってバンドを一緒に組んでたんだ」

「まさか、その名前をまだ使ってるとは」

「今、3つのバンド掛け持ちしてんだよね。これは完全に趣味のバンドだからこの名前にしたんだよ」

「俺ら、普段は別のバンドやってるんだ。年に2回だけ、こうやってイベントやってるんだよね」

「前回のライヴはビックリしたよー。ピンチヒッターで出てきたのが加藤なんだもん!」


 松尾は笑いながら肩を組んでくる。


「まさか、あの場に松尾がいるとは」

「俺も、まさか加藤が出るとは思ってなかったぜ。それよりも、まだバンドやってたんだな」

「え?あぁ、やってたというか、あの日からまた始めた感じだ」

「どっちにしろ、お前が音楽嫌いになってなかったのが嬉しいよ。高校の時、お前がいきなり消えたから、みんな心配してたんだぞ」

「急に辞めたんですか?加藤さん」

「え、あぁ……」


 加藤は言葉に詰まる。


「こいつ、ホントはメンバーの誰よりも音楽が好きだったんだよ。それは全員分かってた。バンドを引っ張ってたのは紛れもなく加藤だった。けど、進学を決めた時から、バント練習に来なくなった。俺たちに気を遣ってたんだろ?」

「そういう訳じゃ……」

「バンドに誘った自分が、誰よりも先に一抜けしなきゃならくなった。それに悩んだんだろ?」

「それもあった。けど一番は、あのままだったらプロを目指してしまっていたからだ」

「どういう事だ?」


 タケが加藤を見た。


「プロを目指して何が悪いんだ?」

「俺に、メンバーの人生を背負うだけの覚悟がなかったんだよ」


 ジムが加藤の肩に、優しく手を置いた。


「プロを目指すのは悪い事じゃない。ただ、必ず成功する訳じゃない。そうなったとき、メンバーの人生を棒に振る事になる。それは途轍もない覚悟が必要なんだよ、特にバンドに誘った本人にとってはね」

「俺のせいでクソみたいな人生を送る事になるかもしれない。自分ひとりならどうにでも出来るけど、人を巻き込む覚悟が俺には出来なかった。ただ、説明もなく辞めたのは、本当に申し訳ない」


 加藤が松尾に頭を下げた。


「謝らないでくれ。俺は、あれでよかったんだと思ってる。お前の言う通り、あのままだったらプロを本気で目指してたと思う。成功するイメージがなかった訳じゃない。俺たちならやれる気がしてたのも本当だ」

「あぁ、あの時の俺たちは本当に『最強』だった」

「けど、あれでよかったんだよ。音楽性に多少の差異があったのも確かだ。それが歪んで亀裂になってたかもしれない。俺たちの『最強』は思い出でいいんだよ」

「……、ありがとう」

「だからお前は、歌え!」

「え?」


 松尾の話が飛躍し過ぎて、加藤の思考が一瞬止まる。


「だからお前はもう責任を感じる必要もない。あの時のメンバーは誰もお前を恨んでないんだよ。お前は責任を感じて、音楽から遠ざかってたんだろ?」

「……、そうなのかな……?」

「加藤さん、久々にギター出した時の自分の顔、どんなだったか知らないでしょ?」


 加藤が村石の方を見る。


「加藤さん、誰かに謝りたいって顔してましたよ。やっとその意味が分かりました」

「だから加藤、歌え!思いっ切り歌ってやれ!」


 自分の事を何も理解していなかった。

 音楽から遠ざかっていた理由。

 歌わなくなった理由。

 音楽が頭の中から消えたんじゃない、加藤自身が消してしまったのだ。

 メンバーたちへの罪悪感から。

 辞めてしまった責任感から。

 それでも、ギターを捨てられなかったのは……。


「やっぱり、俺はどうしようもなく音楽が好きなんだな……」


 加藤が呟いた。


「知ってるよ。だからにいるんだろ?」

「松尾……、俺、音楽やっていいのか?」

「何言ってんだ!音楽やるのに許可なんていらねーだろ!やりたいように、やりたい事をやれ!」

「『音楽の神様が導いてくれる』か……」

「そういう事だ!今日のライヴ、期待してるぞ!」


 加藤と松尾はガッチリと握手を交わした。


 ♪


「ヤバい……、めっちゃ緊張する……」


 加藤は控室にいた。

 そろそろ出番である。

 前のバンドもラストの曲に入っていた。


「大丈夫だよ、カート」


 ルーが加藤の肩を叩く。


「カート、上手くやろうと思わないで。楽しもう!」


 ジムが笑顔でサムズアップしてくる。


「カートがダメでも、ジムとレイが歌えばいい。気楽にいけ」


 タケがスティックをクルクルと回しながら言う。


「加藤さんは何やってもカッコいいから大丈夫です!」


 村石も笑顔でサムズアップしてくる。

 いいメンバーだ。

 こんな気のいいメンバーと、またバンドが出来る事が嬉しい。

 そう思えている事に加藤は気付いた。

 仲間がいる事の安心感。

 そして、音楽の楽しさを思い出させてくれたメンバーへの感謝。

 いつの間にか緊張は解けていた。


「レイ」


 加藤が村石を呼ぶ。


「はい?」


 村石が振り返った瞬間、加藤は唇を重ねた。


「え?」

「俺に音楽を思い出させてくれてありがとう」

「みんな、行くよ!」


 5人は照明の当たるステージへ上がった。




01:Con Fuoco————Fine...

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