Agitato——Nono Capitolo

 雅樹は、自宅の前に座り込んだ男を見付けた。

 遠目でもそれが康嗣である事は分かった。


「何してんだ、康嗣。風邪引くぞ?」

「どういう事だ……」


 康嗣は絞り出すように言った。


「これはどういう事だ!」


 雅樹にチラシを投げつけた。

 床に落ちたチラシを見つめ、雅樹は康嗣に向き直った。


「3人で決めた事だ。もうメンバーじゃないお前にとやかく言われる筋合いはない。帰れ」


 雅樹は自宅のドアを開け、中に入ろうとする。

 康嗣が咄嗟に雅樹の腕を掴んだ。


「バンドでデビューするんじゃなかったのかよ……」

「今は時期じゃない。ソロとしてデビューした方が現実的だ」

「お前らはどうするんだよ!バンドはどうなるんだ!」

「関係ないだろ!」


 雅樹が声を荒げ、康嗣の腕を振りほどいた。


「関係あるに決まってんだろ!もうメンバーじゃなくても!俺はお前らと友人関係まで辞めたつもりはない!」

「コージ……」

「どういう事か、ちゃんと説明してくれ……」


 日を改めて、康嗣と雅樹、佑太の3人が会う事になった。

 輝は連日のプロモーションでスケジュールに空きがないらしい。


「で、なんで今更お前に会わなきゃいけないんだ……」


 佑太は不機嫌だった。


「これはどういう事だ」


 康嗣がテーブルの上にチラシを出した。

 佑太は苦々しく舌打ちをした。


「バンドでデビューするんじゃなかったのかよ」

「しゃーないだろ、レーベルの意向だ。俺と雅樹は形式上はサポートメンバー。曲は今まで通りマサキが作曲、ヒカルが作詞だ」

「何が『シンガーソングライター』だ。マサキの曲だろ。ゴーストライターやれってのか?」

「俺に文句垂れんなや!俺だって……、最初は反対した……」

「コージ、お前の気持ちはよく分かる。俺達の事を思って怒ってくれてる事も」

「だったら!」

「蹴る訳にいくかよ……」


 下を向いたままの雅樹の声は、今までに聞いた事もない程、思い詰めたような声だった。


「お前を切ってまで存続させたようとしたバンドだ。バンドでデビューしなきゃ、お前に顔向けできない、そう思ってた」


 雅樹の肩が震えている事に、康嗣は気付いた。


「でもな、俺の力じゃどうにもならなかったんだ!」


 顔を上げた雅樹の顔は涙で濡れていた。


「すまない、康嗣!俺のせいだ!俺が、俺がこの流れを止められなかったから!」

「マサキだけのせいじゃない。俺も止められなかった……」


 そう言って押し黙る二人に、康嗣はイライラした。

 結局はレーベルの意向で、この二人は切られたのだ。

 それが仕方ないと言っている。

 まるで3ヶ月前の自分を見てるようで腹が立った。


「ヒカルはなんて言ってるんだ」

「あいつはプロモーションで走り回ってるよ」


 雅樹は煙草を取り出して火を点けた。


「今日は赤坂のテレビ局じゃなかったかな」


 佑太がアイスコーヒーを飲みながら言う。


「おい!」


 雅樹が佑太を止めたが既に遅かった。

 康嗣は千円札をテーブルに置いて店を飛び出していった。


「コージ!待て!ユータ!コージを止めろ!」


 佑太も康嗣を追って、店を飛び出す。

 雅樹はテーブルに伏せられた伝票と、康嗣が置いていった千円札を掴み、レジへ向かった。


「コージ!待てって!」

「俺は納得できない!」

「仕方ないんだって!」

「仕方なくねー!レーベルの意向だとか、知った事か!3人じゃないとダメだろ!」

「コージ……」


 地下鉄の駅へ走り込み、改札を通過する。

 締まり始めたドアに無理矢理身体をねじ込み、康嗣だけを乗せた電車が発車した。

 佑太はそれを見送る事しかできなかった。


「ユータ!」


 遅れて来た雅樹が佑太に追いついた。


「コージは!?」

「行っちまった……」

「あいつ、何する気だ!」

「コージの事だ、分かり切ってるだろ?」

「アイツ、捕まるぞ!とにかく追うぞ!」

「マサキ」

「なんだよ?」

「アイツはまだ、俺達の仲間なんだな」

「……、当たり前だ。バンドは辞めたが、友達を辞めたつもりはない」

「アイツも同じみたいだ」


 しばらくして赤坂見附へ向かう電車がやって来た。


「しゃーねーな!の問題児を止めに行くか!」

「全く、世話の焼ける……」


 二人は笑っていた。



「お疲れ様でしたー」


 バラエティー番組の収録を終えた輝は、マネージャーと一緒にエレベータで地下の駐車場へ向かっていた。


「次はお台場に向かいます。お腹空いてたりしませんか?」

「大丈夫です」


 輝は機械的な返事を返す。


「疲れてない?大丈夫?」


 マネージャーが輝の顔覗き込む。

 連日、プロモーションの為にテレビ局は勿論、ネット番組にまで連れ回され疲れているのは確かだ。


「大丈夫ですよ。売れる為なんだから」


 輝はマネージャーに笑顔を向けるが、マネージャーは余計に心配そうな顔をするだけだった。

 扉が開いて、外に出る。

 駐車している車へ向かっていた時だ。


「ヒカル!!」


 怒号の様な康嗣の声が、駐車場一杯に響き渡った。

 その声を聴き、雅樹の作るパンク系の曲は康嗣が歌うべきだな、などと輝は何処か冷静に考える。

 康嗣は走ってきた勢いそのままに、輝に拳を向けた。

 しかし、その拳は輝を捉える事なく、庇いに入ったマネージャーに左頬を殴り飛ばした。

 華奢な女性であるマネージャーは綺麗に3メートルほど吹っ飛ぶ。

 輝は微動だにせず、康嗣を見据えていた。

 マネージャーを気遣う事もせずに自分を見据えるその態度に、康嗣は余計に腹が立った。


「ヒカル!てめぇ!」


 康嗣が再び叫んだ時、守衛の2人が康嗣を押さえ込もうとダブルタックルする。

 しかし、康嗣はびくともしなかった。


「どういうつもりだ!3人でデビューするんじゃなかったのかよ!」


 その言葉に輝は康嗣を見据えて言った。


「最初から、僕以外はデビュー出来なかったんだよ。ソロデビューしか道はなかったんだ」

「それをお前は分かってたのか!」

「会社に取り合ったのは僕だ。初めは、コージを切ればバンドとしてデビューさせてやると言われた。コージが辞めたと言ったら、その調子で他の2人も切れと言われた……」

「それを、2人は知ってるのか……?」

「言えなかった……。だから何とか取り合って、サポートメンバーとして残れるようにしてもらった……。けど、その内サポートメンバーからも外されるだろう……。会社は僕しか要らないんだ」

「それが分かっててデビューするのかよ、お前は!」


 康嗣の言葉に、輝が歯を食いしばるのが分かった。

 輝は下を向き、一度溜息を着いた後、もう一度康嗣を見る。


「するよ。僕だけでもデビューして、有名になる」

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