Cantabile——Sesto Capitolo

 三島は教室に一人残っていた。

 自分のスマホに録音したクラスの合唱を聞きながら、楽譜に書き込みをしている。


「三島君?」


 高岡が背後から話し掛けれも全く気が付かない。

 こっそりと覗き込むと、楽譜の量の多さに驚いた。

 よく見ると、4パートそれぞれで一冊の冊子にしている様だ。

 そのパートごとの冊子に、それぞれの改善点や注意点を書き込んでいる。

 しかも、4パートを同時にだ。

 つまり、4パートのそれぞれを聞き分けながら、そのそれぞれの改善点を見つけ出し、その内容をそれぞれ別の楽譜に記入していっている。

 人間業ではない。


「凄い……」


 思わず感嘆の声が漏れる高岡。


「あんまり見られると恥ずかしいんだけど?」


 いつの間にか三島は手を止めて高岡の顔を見ていた。

 その距離の近さに高岡はハッとのけぞり、ゴメンと謝る。


「もう最終下校時刻だよ……?」

「あー、そんな時間か」


 三島は大きく伸びをし、首をパキパキと鳴らした。


「肩凝るわー」

「凄いね、三島君。やっぱり天才だよ」

「こういう時にしか使えない無駄な能力だよ」


 三島は楽譜などを鞄に仕舞いながら素っ気なく返す。


「そんな事ない!三島君は凄いよ!もっと自信持って!」


 高岡は柄にもなく大声を上げた。

 そんな高岡の様子に少し驚く三島。


「あ……、ああ、ありがとう……」

「ゴメン、いきなり大声出して……」


 高岡は恥ずかしそうに耳まで赤くなった。

 そんな高岡の頭を三島がワシワシと撫でる。


「いや、嬉しいよ。今日もウチ来るか?」


 耳まで赤いのは変わらず、高岡は笑顔で頷いた。



 夕食後は二人でスタジオに籠っていた。

 録音した合唱を聞き、お互いに改善点を出し、まとめながら高岡の伴奏にも手を加えていく。


「クレシェンド、デクレッシェンドは理想的になってきた」

「うん。ちゃんと抑揚がついてきて、曲に深みが出てきたね」

「問題はここのスタッカートだな」

「不明瞭な時があるもんね」

「明日はいつもより発声練習を長めにしよう」

「うん。それと、歌詞の情景を思い描きながら歌えるようになると、もっと良くなると思うんだけど……」

「それはもう少し後で良くないか?今やらせたらアイツらパンクしそうだ」

「うーん、放課後の練習じゃなくて、朝とかの空き時間に瞑想するとか」

「なるほど、いいかも。今、自分たちで上手くなってきてるのが実感出来てるからな。効果的だと思う」


 お互いに意見を出し合いながら、明日の練習内容などを組み上げていく。

 ほんの一か月前まで、一言も言葉を交わした事のなかった2人とは思えない程に、何もかもがスムーズだった。


「今日も精が出ますな、お二人さ~ん」


 榎本がニヤニヤとしながらスタジオの入り口に立っていた。

 今日は遅くなると言っていたので、三島と高岡は先に夕食を済ませ、スタジオに籠ったのだ。


「あぁ、おかえり」

「お邪魔してます」

「いいのいいの、私の事は気にしないで!心置きなくイチャついてください!」


 そう言い残して榎本は後ろ手にヒラヒラと手を振って去って行った。


「あ!ちょ!何なんだよ……」


 三島は頭を掻いた。

 どうも榎本は勘違いをしているようだ。


「なんか勘違いしてるよな、カコ姉ぇ……」

「ねぇ、三島君」


 高岡が急に真面目な声で呼びかけてきた。


「ん?どうした?」

「三島君は、私の事どう思ってるの……?」

「え?」


 三島の思考が停止する。


「どうって……?」

「私はね……、三島君と話すようになってまだ一ヶ月も経ってないけど……、その……」


 高岡の声は段々と小さくなり、モジモジし始めた。

 その雰囲気に、流石の三島も察知したのか、急速に顔が赤くなっていく。


「いや、うん。俺も高岡はいい奴だと思ってるよ……?」

「……、それだけ?」

「え?」


 自然と沈黙する二人。

 どちらともなく、ゆっくりと顔を近付けていく。

 お互いの吐息がかかる。

 高岡が目を閉じた。


「隆司ぃ!お客さん!!」


 烈火のごとき勢いでスタジオのドアが開け放たれた。


「あら?これは完全に野暮だったね……」


 榎本は苦笑いするしかなく、二人は赤面したまま固まってしまった。

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