Appassionato——Settimo Capitolo

 晋太郎達は早々とライブハウスに到着していた。

 リハまで時間があるので、4人は連れ立って近くのラーメン屋に入った。

 下北沢でライブの時は、いつもこの店に寄る。

 それは、メンバーが5人だった頃からの習慣だ。


「智、食い過ぎるなよ?」

「それ毎回言ってるよな、練造」

「心配してんだよ」

「その辺りは抜かりないのが智だ」

「そうそう、練造とは違うんだよ」

「おい、喧嘩売ってんのか?厳」

「オッサンになってまで喧嘩すんなって……」


 晋太郎は溜息を吐きながら笑った。

 やはり、このメンバーが一番気兼ねなく話せる。

 コップに注がれた水を一口飲んだ時、ラーメン屋のドアが開いた。


「やっぱりここだー」


 杏奈と隆明だった。


「なんだ2人とも、もう来てたのか?」


 意外な組み合わせで晋太郎はちょっと驚いた。

 杏奈が来るのはだいたいライブの直前というのがいつもだし、隆明に関しては親父たちのバンドのライブに来る事自体が珍しかった。


「杏奈ちゃん、隆明とデートしてくれんの?」


 練造がニヤニヤと聞く。


「変な言い方は辞めろよ、親父!」

「幼馴染みたいなもんなんだから、デートくらいするでしょ、練造オジサン」


 あっけらかんと答える杏奈を、隆明は顔を赤くしながら丸くした目で見つめた。


「隆明ぃ~、ヤる時はセーフティセックスだぞ~」


 練造がニヤニヤと言う。


「何の話してんだよ、クソ親父が!」

「ナニの話に決まってんだろ、バカ息子が!」

「娘の父親の目の前でする話じゃないぞ、練造」

「練造オジサン、相変わらずサイテー」


 ケラケラと笑いながら杏奈がカウンター席に着く。


「私もラーメン食べよー。たっくんは?」

「じゃあ、俺も」


 そう言って隆明の杏奈の隣に座った。


「ライブ前は絶対にこの店だよね」

「ゲン担ぎみたいなモンだからな」

「それに……」


 慎太郎はレジの近くに飾られた古びた色紙を指差した。


「ここだけは、ずっと残してくれてるんだよ、勇がいた頃の色紙……」


 その色紙には5人分のサインと、色褪せた写真が添えられていた。


「アイツのお陰でバンドが出来て、アイツのせいでバンドが終わって、アイツのお陰でまたバンドが出来た。結局、アイツの呪縛から俺達は逃れられないんだよ」


 そう言って練造がラーメンを啜る。


「逃れられないというか、わざと逃れないって言えるかもな」


 智也も笑いながらラーメンを啜る。


「なんかそれって……」


 隆明がボソリと呟く。


「引き摺ってるって言うか、背負ってるって言った方が正しい気がする……」


 その言葉に、杏奈を含めた全員の動きが止まった。


「え?なに?なんか変な事言った?」


 5人分の視線を集め、隆明は急に挙動不審になる。


「良い事言うじゃん、たっくん!」

「へ?」

「本当に練造の息子か?嫁さんに似たのか」

「バカ、俺に似てるに決まってんだろ!」

「練造にはこんな気の利いた事は言えねーよ」

「確かに!」


 ラーメン屋に5人の笑い声が響いた。



 ライブイベントが始まる30分前、杏奈と隆明は駅の改札の前にいた。

 ソワソワしている隆明とは対照に、杏奈は少し不機嫌そうにスマホをいじっている。


「そろそろ着くかな……?」

「たっくん、落ち着きなって」

「いや、でも!」


 杏奈は挙動不審になっている隆明を溜息混じりに笑った。


「なんでたっくんが緊張してんのよー」

「だって、今から来る杏奈ちゃんの先輩って、杏奈ちゃんの元カレなんでしょ?」


 隆明はまだ杏奈に告白もしていない。

 しかし、杏奈は既に気付いている。

 というか、昔から知っていた。

 ただ、一向に告白して来ない隆明に少し呆れていた部分もある。

 大学で康介と付き合ったのには、隆明への当て付け的な意味もあった。


「たっくんさー」

「う、うん?」

「私の事、好きでしょ?」

「え!?」


 更に挙動不審が加速する隆明。


「昔から知ってた」

「そ、そうなんだ……」

「私と付き合いたいとは、一度も思わなかったの?」

「そんな事ない!付き合いたいよ!?むしろ結婚したい!」

「ハハハ、話飛び過ぎ」

「けど、もし断られたら、もう二度と会えなくなるんじゃないかって……」

「たっくん、相変わらずのヘタレだよね」

「だって……。それに、俺と違って、杏奈ちゃんはバンドやってるし、音楽にも滅茶苦茶詳しいから、俺なんかじゃ釣り合いが……」

「はぁ……」


 杏奈が溜息を吐いた。

 例の人物が目に入ったからだ。


「よ!待たせたな、杏奈!」


 馴れ馴れしく名前で呼んでくる康介。


「名前で呼ばないで下さい、先輩」

「いいじゃん、減るもんじゃないしー。で、こちらは?」

「幼馴染のたっくん……、じゃなくて……」

「阿部 隆明です」

「仲山 康介だ。長瀬とは同じサークルだ」

「はい、留年した事まで含めて、杏奈ちゃんに聞いてます」

「それはそれは……」


 隆明は自分が康介を睨みつけている事に気づいていなかった。

 言葉にもかなり棘がある。

 2人から向けられる冷たい視線に、流石の康介も軽いノリは出せなくなった。


「会場はこっちです。行きましょう」


 隆明が先陣を切って歩き始めた。

 杏奈にとっても、隆明の態度は意外だった。

 ここまであからさまに敵意を示す隆明は今まで見た事がなかった。


「なんか、俺、嫌われてる……?」


 康介がこっそりと杏奈に耳打ちする。


「だって、たっくんは未来の私の旦那だから」

「え?」


 杏奈はずっと覚えていた。

 幼稚園の時に交わした二人の約束。

 『大人になったら結婚しよう』

 その時と同じ笑顔で笑う隆明の事が、ずっとずっと好きなままなのだから。

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