Cantabile——Articolo Capitolo

「これで、4クラス全ての合唱が終わりました。今から採点に入ります。審査員の先生方は別室にて採点をよろしくお願いします。生徒のみなさんは15分後に、もう一度ここへ集合してください」


 進行役の生徒会長の指示通り、審査員の5人の先生達はステージ横の通用口から体育館を後にした。

 もちろん、審査員長は榎本だ。

 審査員の退場後、体育館の中は堰を切ったようにざわめき出した。


「大丈夫だよな、三島!?俺たちのクラス、優勝出来るよな!?」


 高橋が三島の元に駆け寄り、捲し立てる様に言った。


「落ち着け。やれる事は全部やった。お前だって、出し切っただろ?」

「あ、あぁ……。でも、1年も上手かったぞ!」

「そりゃ本戦だからな。上手いとこしか残ってないだろ」

「だいたい、なんでお前はそんなに落ち着てるんだよ!」


 クラス全員がソワソワしている。

 予選会は何とか本戦に出れる4クラスに残った。

 その際の順位は2位。

 1位は高橋が言っている1年4組だ。

 予選会を1年のクラスがトップ通過したのは、去年の三島達のクラスと同じ状況だ。

 当然ながら、本戦でも勢いがあった。

 全体的な完成度も高く、優勝候補である事は間違いない。


「お前は焦りすぎだ」

「んな事言ったって!」


 高橋を筆頭に、皆落ち着きがない。


「はぁ……」


 三島は溜息を吐きながら高岡の方を見る。

 高岡はガチガチに固まっていた。


「お前もかよ……」


 頭を抱えながら三島は高岡の元に行く。


「高岡、大丈夫か?」


 三島が高岡の肩を叩くと、ビクリと電流が走った様に強張らせた。


「み、三島君……」

「お前な……、もう審査だぞ?後は待つだけだからもう緊張しなくていいんだぞ?」

「でも……、折角みんな頑張ったんだから……」

「はぁ……」


 三島が再び溜息を吐いた。


「みんな、聞いてくれ!」


 三島がその場にいるクラス全員に呼びかけた。


「いい合唱だった!今までで最高の出来だ!俺が保証する!結果発表が残ってるけど、そんなんは関係ない!俺は、これだけ素晴らしい合唱を、このクラスの全員で作り上げられた事に誇りを持っている!最高の合唱をありがとう!最高の演奏者プレイヤー達!」


 そう言って、三島が頭を下げた。

 クラス全員が一度静まり返った。

 が、すぐに笑い声が上がる。


「なんか、優勝逃したみたいな言い方じゃね?」

「負けたみたいで縁起が悪いぞー」

「絶対優勝するんだから!」


 先程とは違うざわつきだった。

 それを見て、高岡はやはり三島は凄いのだと再確認した。

 クラス全体の雰囲気を一瞬で変えてしまう。

 そんなある種のカリスマ性を、三島は持ち合わせているのだ。


「てか三島。いつまで彼女の事、苗字で呼んでんだよ」


 高橋から思いがけないツッコミが入る。


「そうだそうだ!」

「高岡が可哀そうだぞー」


 野次まで飛んでくる始末。

 三島は頭を掻いた。


「いや、まだ付き合ってもないんだがな……」

「お?まだって事は、付き合う予定はあるんだな?」


 高橋がニヤニヤしながら揚げ足を取りに来る。


「いや、そういう意味では……」

「いつまでも『高岡』呼びじゃ嫌だよなー、高岡ー」


 急に話を振られてオロオロする高岡。


「高岡はどう思ってんだ?」


 高橋がニヤニヤしながら高岡の肩に腕を回す。


「え!?」

「三島の事、どう思ってるかって話」

「どうって……」


 耳まで赤くなりながら三島の方を見る高岡。

 三島と目が合い、恥ずかしそうに一度俯くが、意を決したように向き直った。


「好きだよ、三島君の事。ホントは弱い癖に、不器用で、意地っ張りで、強がりで、だけど優しくて、真面目で、何処か臆病で……」

「おい、辞めろ……」

「私に出来るか分からないけど、ずっと傍で支えたい。一緒に音楽をやりたい。そう思ってる……」


 ヒューヒューとクラス全員が変な盛り上がりを見せる。

 三島は頭を抱えたくなってきた。


「けど多分、三島君には私なんかより、榎本先生やユリアさんの方が合ってる気がするんだ……」


 その高岡の言葉に、全員が静まり返った。


「なんで、カコ姉ぇとユリアさんが出てくるんだ……?」


 三島にはそれが疑問だった。


「だって、今まで一番傍にいたのは榎本先生だし、ユリアさんは三島君の事を一番理解してくれるだろうから……。私には……、何も出来ないから……」


 そう言って高岡は再び俯いてしまった。


「違う……」


 三島は高岡の手を掴んだ。


「違うよ、高岡。確かに今まで一番傍にいてくれたのはカコ姉ぇだし、ユリアさんはヴァイオリニストとして尊敬してる。けど、俺が本当に音楽に戻ろうと思った切っ掛けをくれたのは、紛れもなくお前だ!お前がいたから、ピアノが弾けなくなった翌日でもスタジオに入れたし、ピアノの前に座る事が出来たんだ!お前がいなかったらスタジオに近付く事も出来なかった筈だ……。お前のお陰なんだよ……」


 三島は高岡を真っすぐに見つめる。

 高岡には驚き以外の何物でもなかった。

 自分が三島にそれだけの影響を与えていたとは思ってもいなかった。

 それと同時に、嬉しかった。

 ハッキリ言って、榎本やユリアに嫉妬していたからだ。

 自分は榎本程長い時間を共にした訳でもなく、ユリアの様にヴァイオリニストとして共感出来るものもないからだ。

 自分には何もないと思っていた。

 それが、三島からこんなにも想われていた事が何よりも嬉しく、誇らしかった。

 自然と目が潤んだ。


「お前じゃないとダメなんだ。美琴、俺の共演者パートナーになってくれないか?これから先、ずっと……」

「……はい」


 クラスメイト達が爆発したように騒ぎ出す。

 あまりの騒ぎに体育館にいた教師たちが諫めに来た。


「お前ら!静かにしろ!」

「結果発表はまだなのよ!」


 教師達から怒られているが、全く収まる気配がない。

 その騒ぎの中心で三島と高岡はもみくちゃにされながら、笑い合った。


「審査結果が出ました!生徒の皆さんは静かにしてください!」


 生徒会長がマイク越しに注意する。

 審査員の教師達も戻ってきたところだった。

 三島達のクラスもとりあえずは落ち着きを取り戻す。


「それでは順位の発表を、審査員長の榎本先生、お願いします」


 本戦に残ったのは1年4組、2年2組、2年5組と、三島達の2年3組だ。


「今回も素晴らしい合唱でした。順位を付けるのが勿体ないくらいに、どのクラスも素晴らしかった。でも、これはコンクール。順位を付けないといけません……」


 榎本はもったいぶるように総評を述べる。

 手には順位を書いているであろう紙を持っている。

 一通りの挨拶が終わる。


「では、まずは4位。第4位は……、2年5組!」


 5組から落胆の声が上がる。

 それから拍手が起こった。


「続いて、第3位は……、2年2組!」


 再び落胆の声が上がる。

 2組の伴奏者は泣き崩れていた。

 しかし、発表は続く。


「……、先に1位を発表しましょうか」


 榎本の提案に場内がざわついた。

 高岡は手を握り締め、祈った。


「それでは発表します。優勝は……」


 場内が水を打ったように静まり返る。

 クラス全員が手を合わせるなり、隣の友人と手を握り合うなりしている。

 息が詰まる思いで三島も目を閉じた。

 榎本はスーッと息を吸う。


「2年3組!」


 まさに爆発だった。

 三島と高橋は互いに強く抱き締め合い叫ぶ。

 高岡はその場に崩れ落ちて泣いた。


「第2位は1年4組でした。こらこら、騒ぎ過ぎだ、お前たち」


 榎本が注意するが、収まるものではなかった。


「静かにしてください!優勝した2年3組の皆さんには、もう一度自由曲を歌って頂きますので、舞台袖へ移動をお願いします」


 生徒会長の指示が辛うじて聞こえる中、三島達は舞台袖へ移動する。


「隆司!」


 移動の途中で榎本に呼び止められた。


「何?」

「これ」

「え?」


 それは、ヴァイオリンのハードケースだった。


「アンタの作り上げたクラス合唱の完成形を、私達に見せなさい」


 そう言ってそのハードケースを手渡すと、榎本は席に戻った。

 三島は首を傾げながらそれをもって舞台袖に入る。


「なんだそれ」


 三島が開けたハードケースの中を高橋が覗き込む。


「これ……」


 そこには少し古いヴァイオリンが入っていた。


「ヴァイオリン?」


 高岡も腫れた目で覗き込む。


「これ……、親父が若い時に使ってたヴァイオリンだ……」


 それには見覚えがあった。

 若い時の父親の写真に写っていたものだ。

 しかし、それは三島の家に保管されていなかったものだ。

 ふと、一枚の紙が入っている事に気が付いた。


『Es ist Zeit, dies an Sie zurückzugeben.――Julia』


 ドイツ語が完璧に読める訳ではないが、意味は分かった。


「みんな、俺が指揮しなくても歌えるな?」


 三島の言葉に、全員がキョトンとした。


「美琴、リズムキープは任せる。みんなも思いっ切り歌え!俺も思いっ切り弾く!」

「分かったよ、俺達のヴァイオリニスト!」


 高橋が返事してくれた。


「これで、本当に全てが揃ったんだ!もう一回、観客にブチかましてやろうぜ!」


 高橋の言葉に全員が答える。

 高岡を先頭に、ステージに上がる。

 最後尾の三島はヴァイオリンを持って、指揮者台の上に上がった。

 会場がざわつく。


「それでは、優勝した2年3組の皆さんで自由曲『COSMOS』です」


 三島は礼をした後、ヴァイオリンを構える。

 三島の父親のヴァイオリンが煌々と輝く様なを奏で始めた。



「リュウ!素晴らしかったデース!」


 何処からもぐりこんだのか分からないが、ステージを降りてきた三島にヘルゲンが抱き付いた。


「ユリアさん!?来てたんですか!?」

「え?でも、関係者以外立入禁止では……?」


 高岡が冷ややかな目で見つめながら言った。


「私が連れて来たの」


 榎本だった。


「そんなに妬かないの、高岡ちゃん!」


 榎本が高岡に抱き付く。


「べ、別に妬いてなんかないです!」

「んもぉ、可愛いんだからぁ」


 そう言ってむくれ顔の高岡の頬をつつく。


「それよりユリアさん、ありがとうございました。親父のヴァイオリン、ユリアさんが持っててくれたんですね」

と一緒に、お父さんから預かっていました」


 ユリアがニコニコと笑っている。


?」


 高岡が首を傾げる。


「うん。親父が死ぬ前に俺へ書いた手紙……」


 そう言って、学ランの内ポケットから白い封筒を取り出した。


「読むか?」

「え?いいの?」


 三島は高岡にそれを渡した。

 高岡が中の便箋を取出して開いた。

 数枚に渡るその便箋のほとんどに、三島の父の謝罪の言葉が並んでいた。

 そしてその中に、三島のジストニアの原因が書いてあった。


『お前をジストニアにしてしまったのは私であり、楽譜だ。

 楽譜の奴隷になれという私の言いつけを忠実に守ったお前は、

 楽譜に縛られることによって、本来の自由な表現が出来なくなった。

 それがお前にとっての最大のストレスだった』


「楽譜だったんだよ、俺にとってのは。だから、楽譜を見ながら弾いたピアノでも出た」

「逆に、楽譜がなかった時は自然に弾けたんだ……」


 思わず納得した。

 しかし、楽譜を見れないという事は、プロとして活動できないという事ではないだろうか。

 高岡の顔が心配の色に染まる。


「心配すんな、美琴。プロにも色々ある。カコ姉ぇだって言っただろ?オケだけがプロじゃないって」

「そうデス!だから、早く私のコンサートに呼べるくらいの力を取り戻してくだサイ!」


 ユリアが三島に頬擦りする。

 それを見た高岡の顔色が別のものへと変わる。

 榎本が困ったような笑顔で高岡の頭を撫でた。


「それで、久々に弾いた感想はどうデスか?」


 三島は大きく息を吸って、微笑む。。


「やっぱ、楽しい!」


 『神童復活』というニュースがクラシック界に駆け巡るのは、もう少し先の事である。




Cantabile——Fine...

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