第3話 新片倉小十郎の誕生
耕平が片倉小十郎として生きていく覚悟を決めた日から、更に十日ほどが過ぎていた。いつの間にか中庭の山桜が、枝いっぱいに花を咲かせている。雪深い米沢城下にも確実に春は訪れていた。
その日、耕平は屋敷内の奥まった一室にいた。開け放たれた室内には春の陽光がふんだんに差し込んでいる。部屋の中央にどっかと腰を下ろし、小十郎愛用の
(――これで人を切るのか。確かに……切れそうだ)
耕平はいつか自分がこの太刀をふるって、実際に人を切る事になるかもしれないと思った。その時の
イノシシ狩りに同行した小十郎の配下の者たちの話によれば、小十郎が馬もろとも崖下に転がり落ちた時、突然地面に
耕平は抜き放った刀身を
「父上が参られました」
うむっ、と耕平が無言でうなずいた時には早くも、ドカドカッと遠慮のない足音が近づいていた。小十郎の父景綱であった。端正な顔立ちながら鋭い眼差しをしている。
「小十郎。ここであったか」
一声掛けると小十郎の前に来て腰を下ろした。耕平も居住まいを正して向き合う。
「綾殿。
景綱が綾に言った。
「はい。直ぐにお持ちいたしましょう」
綾が出ていくとすぐに景綱は切り出した。
「大殿から文が参ったのじゃ。そなたを早く城に上がらせよとの催促よ。若殿も大層首を長くして待っておるとのことじゃ」
有り難い事だが――と言いながら小十郎をじっと見た。
いつものことながら、声の出ない耕平はひたすら恐縮しながら、頭を深々と下げるより他なかった。
「まだ、声は出ぬのか? ふむっ――まだのようじゃの……」
景綱は少し落胆した様子を見せたが、すぐ気を取り直して続けた。
「なに、焦ることはない。そなたには強運が付いておる。必ず元の小十郎に戻れるぞ。いや、戻らいでか」
ワッハハと最後は豪快に笑い飛ばした。
そこへ、侍女を伴って綾が入ってきた。景綱と小十郎の間に白湯と菓子をそっと置いた。
「おお、有り難い」
言うが早いか、景綱は大きな
「お父上。何をそんなにお笑いになっていたのですか」
膝をそろえて座ると、綾が聞いた。耕平は綾の
「いや、なに。小十郎のことは万事綾殿に任せておけば安心だと申しておったのよ。これこの通り、そなたのおかげで小十郎が元気になったではないか。これからもよろしく頼みますぞ」
「まあ、もったいないお言葉。私はただ、母上様や玄庵殿のお言いつけ通りにご看病致しましただけでございます」
綾は恐縮したように頭を下げた。
「なんの、なんの。そなたの昼夜を分かたぬ必死の看病。当家でだれ一人知らぬものはおらぬ。改めて礼を申すぞ。のう、小十郎。そうであろうが? 綾殿のような
耕平は
(私もそう思います。――心から) と、口に出して言いたかったが、
「しかし、声が出ぬのであれば、登城しても何かと不便じゃ。いらぬ
景綱は一瞬沈黙した後に小十郎に言った。
「大殿へは、わしから今しばらくのご
耕平はよろしくお願いしますとばかりに、再び深々と頭を下げた。
景綱は更に半時ばかり留まって、若殿政宗の近況やら、この春に噂されている戦の見通しなどを熱心に話した後帰っていった。
その日の晩である。耕平が
(なるほど、この時代の人はこれを湯舟代わりに使うのだな――)
と、その時勝手に想像したものだった。
湯殿の前まで綾が案内し、耕平が着物を脱ぐのを手際よく手伝った。湯殿の入り口の傍には編み籠が置いてあり、その中に新しい下帯や着替えがすでに用意されていた。綾に手ぬぐいを渡され、耕平は背中を押されるように湯殿に入った。中はもうもうたる湯気とムッとするような熱気で満ち満ちていた。大タライにはすでに満々と湯が
(これだけの湯を用意するためには、いったい何回大釜で湯を沸かさなければならなかったのだろう?)
耕平は素直に驚いた。この時代、武士といえどもめったに湯浴みをしない理由が分かったような気がした。
湯殿は畳三枚分ぐらいの広さであった。足元は平らな大石と玉砂利で隙間なく覆われており、その上に
(サウナだ! ここはサウナ風呂なんだ!)
耕平は意外な発見に興奮した。そして同時に、この時代の人々の知恵に心底感動したのだった。戦国時代に来てまさかサウナに入れるとは、耕平は夢にも思わなかった。
(俺たちと同じだ! 平成時代の俺たちと同じじゃないか。この時代の人たちもやっぱり風呂に入りたいんだ。だから、知恵を振り絞ってサウナ風呂まで作ってしまったんだ!)
耕平は四百年以上もの時代差を超えて、今自分がいるこの時代の人たちに初めて親近感を覚えた。耕平にとってそれは新しい感覚であり、耕平自身がさらに深くこの時代に溶け込み始めた証でもあったのだ。
耕平はとりあえず大タライの前に腰を下ろし、両手で湯をすくってバシャバシャと顔を洗った。実に
「小十郎様。お湯加減はいかがですか?」
言いながら、綾は耕平の後ろに回った。
「今宵は、綾がお背中をお流しいたします」
綾は傍らの桶を取って耕平の肩からザァ―ッとお湯をかけ、持参のぬか袋で背中をこすり始めた。その手慣れたしぐさを見ると、これまでも何度か小十郎の背にぬか袋を当てたことが有るように見えた。
「綾は嬉しゅうございます。又こうして、小十郎様のお背中をお流し出来て……どれほどこの日をお待ちしておりましたことか……」
綾は不意に涙声になり、感極まったように耕平の背中にしがみついた。形の良い双の乳房が耕平の背中に押し付けられ、形を変えた。耕平の胸は早鐘を打つように高鳴った。綾の裸を目にして動揺している自分を見抜かれまいと、必死に冷静さを装っていたのだが無駄だった。耕平の体の男の部分は既にあからさまな変化を遂げていた。綾が
「あっ、 綾!」
「えっ?!」
綾が小さく声を上げ、何か言葉を続けようとしたが、耕平は構わずその愛らしい唇を無我夢中で吸った。綾も逆らわずそれに応えた。やがて夢から覚めたように唇を離した二人はしばし見つめ合った。二人ともまだ何が起こったのか、にわかには信じられないといった顔つきである。
「小十郎様! もしやお声が……、お声が戻ったのですね?」
綾が先に口を開いた。
「ああ、確かに声が戻ったぞ! この通りじゃ。いくらでも話せる。いくらでも声が出るぞ! 綾! そなたのお陰だ。そなたの……礼を言うぞ!」
「
綾の頬に涙が伝わり落ちた。
耕平は指先でやさしく涙をぬぐってやり、再び綾の愛らしい唇を吸った。不思議なことに、先ほどまで
その夜、耕平と綾は結ばれた。真の
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