第22話 南方戦線異状有り

 二月十八日、千石城の政宗の下に二本松城主伊達成実の急使が到着した。十二日、大内定綱が兵四千を率いて伊達領に侵攻してきたとの火急の知らせであった。

「その日のうちに苗代田いなわしろた城(現在、福島県本宮市荒井字苗代田)が落城し、守備に当たらせていた地下人じげにん百人余りが討たれました。荒井城や太田城も奪われましてございます。又、敵はその後も郡山城、窪田城、高倉城、本宮城に攻め寄せておりまする!」

使者は一息に戦況を報告した。この時点で成実の兵力は僅か六百余り。如何に豪勇を誇る成実と言えども、七倍の敵相手では苦戦は免れなかったであろう。

 容易ならざる事態を察知した政宗は、直ちに亘理重宗、湯目景康、原田宗時を将とする四千の援軍派遣を決めた。同時に、大森城主片倉小十郎と小浜城主白石宗実には各々領地に戻り、南方戦線出陣に備えよと命じた。又、大崎領に於いては、最上勢に備えて四千の兵を残し、その指揮を留守政景にゆだねた。そして、自分自身は兵三千と共に米沢城に戻り、万が一の最上義光の米沢侵攻に備えることにしたのだった。


 三月上旬、伊達勢の援軍四千が二本松城に集結し、大内勢に対して反撃を開始した。四日、伊達軍は二本松城の南の本宮城に本陣を移し、苗代田城の奪還に動いた。伊達軍は六百挺の鉄砲を駆使して城兵を激しく攻撃した。政宗の軍制改革によって伊達軍の鉄砲衆の練度は高く、命中精度も上がっていた。城内の大内勢が伊達軍の火力にひるんだ。伊達軍はそのすきを見逃さず、一斉に突撃、城内になだれ込んだ。一刻いっとき(二時間)余りの戦闘で苗代田城を落としたのだった。その際、敵の将兵百五十余を討ち取った。勢いに乗った伊達軍は、翌日も荒井城、太田城を攻め落とした。

 他方、このままでは不利と考えた大内定綱は、本宮城や高倉城、窪田城の攻略を一旦あきらめ、兵をまとめると郡山城まで退却した。伊達軍の郡山城は既に陥落し、大内勢の手に落ちていた。大内定綱は郡山城に入ると防備を固め、伊達軍を迎え撃つ態勢を整えた。そして、会津の芦名義広に援軍を要請した。


 大内勢が郡山城に立てこもると戦線は膠着こうちゃく状態となった。防備を固めた大内勢は容易に隙を見せず、しびれを切らして攻撃に出た伊達兵は、その都度激しい銃撃を浴びて死傷者の山を築いた。侵攻してきた大内勢を郡山城まで押し戻した伊達軍ではあったが、これ以上いたずらに損害を増やすわけにはいかなかった。自然、にらみ合いの日々が多くなった。この時点で、伊達軍と大内勢の兵力はほぼ互角であったが、通常、城攻めをする場合、攻める側は守る側の倍以上の人数を要すると言われている。従って、攻めあぐんだ伊達軍が長期戦も視野に入れて様子見を決め込んだのはやむを得ない事であった。


 一つの転機が訪れたのは、膠着状態に入って二十日ほどが過ぎた頃であった。伊達軍の兵士が敵の斥候せっこう部隊の兵士を生け捕りにし、城内の様子をじんもんすると意外な事実が判明した。敵将大内定綱が二度にわたる援軍要請を無視され、芦名義広に不信感を抱いているという。又、想定外の籠城の為、城内の兵糧は最早尽きかけているとの事だった。

 伊達成実はこれらの内情を知り、とっさに考えた。

(――条件次第では、定綱を寝返らせることが出来るのではなかろうか? 少なくとも、試してみる価値は有りそうだ)

成実も唯の勇猛だけが取り柄の将ではない。必要とあらば、ためらうことなく調略を用いた。成実は、決断すると直ちに書状をしたためて米沢城の政宗のもとに送った。同時に、郡山城の大内定綱に和議を申し入れたのであった。

 

 郡山城をめぐる伊達軍と大内・芦名連合軍との戦いが膠着状態に入ると、この時を待っていたかのように一人の男が動き出した。陸奥小高城主相馬義胤である。義胤はかねてより田村領に進出する機会をうかがっていたが、宿敵伊達氏が北と南、二つの戦線を同時に抱える今をその好機と捉え、田村領侵攻を開始した。義胤は手始めに田村家臣石川弾正(小手森城主)に内応工作を行い、味方に引き込んだ。弾正は自分が小浜城主となった白石宗実の支配下に置かれたことに強い不満を持っていた。義胤はそこを巧みに突いて弾正を寝返らせたのである。


 四月八日、伊達成実の下へ政宗から書状が届いた。書状には大内定綱へ伊達郡内の保原、懸田等の所領を与える旨の判物はんもつが添えてあった。成実は先に政宗宛てにしたためた書状の中で、相馬義胤や石川弾正らの不穏な動きに触れた上で、今定綱を味方につける事の重要性を懸命に説いた。そして、定綱を納得させるために、所領を保証する政宗の書付かきつけが必要であると訴えたのであった。政宗は各地に放った間者からの報告で、既に相馬義胤や石川弾正らの動きを知っていたのであろう。政宗は成実の要望を受け入れた。


 十日、成実は定綱に政宗から届いた半物を示して、伊達への帰参を強く勧めた。定綱は所領を保証する政宗の判物を目にして一瞬驚いた表情を見せたが、やがて大きくうなずくと、静かに口を開いた。

「この定綱、これから後は一生涯政宗様の下知に従いまする。この事、何卒政宗様にお伝え願いとうございます」

そう言って、深々と頭を下げた。思いの外サバサバした表情であった。


 この頃、芦名家中では義広に従って佐竹家から入ってきた新参の家臣団と芦名家譜代家臣団との対立が激しさを増していた。外様的立場の定綱は、芦名家中のそんな現状に嫌気がさしていたのかもしれない。ともあれ、この日成実は見事に定綱を味方に引き込むことに成功したのであった。成実は城外の折衝会場から意気揚々と自軍の陣所に戻った。


 その半刻(一時間)後の事であった。突然郡山城の門が開き、大内定綱とその手勢千五百余が一斉に飛び出した。飛び出してそのまま伊達勢の中へ走り込み、やがてピタリと歩みを止めた。次の瞬間、左右の伊達軍がときの声を挙げ、開かれたままの城門目がけて殺到した。城兵らは一瞬何が起こったのか理解できず、なだれ込んでくる伊達軍に切り伏せられていった。小半刻の乱戦で城は落ちた。六百余の芦名兵が討ち取られ、他は命からがら城を脱出した。

 北方での戦いに乗じて、南方から伊達領侵攻を図った芦名義広であったが、その意図はこうして潰えたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る