第21話 大崎仕置き

 大崎平野の戦いで大勝した伊達軍は再び中新田城を包囲した。城を囲む伊達軍は、新たに着陣した氏家吉継の兵一千を加えて総勢一万二千。対する城側の大崎軍は、負傷兵を入れても四千余りであった。強力な援軍がない限り、もはや落城は時間の問題であった。そして、頼みの綱の最上義光もがみよしあきの援軍は、国境付近で伊達軍に行く手をはばまれていたのである。他方、城を包囲する伊達軍の陣営では、又もや泉田、留守両大将の意見が対立していた。泉田重光は直ちに総攻めをして黒川晴氏らの首を挙げるべしと主張したが、留守政景は和議を主張して譲らなかった。政景にとって黒川晴氏は岳父がくふであり、何としても和議に持ち込んでその命を救いたかったのである。

 結局、政景の熱意に負けた重光が和議に同意し、伊達と大崎の和議交渉が開始された。交渉の仲立ちをしたのは留守政景であった。数日の交渉の後、伊達側が最終的に示した条件は次のようなものであった。

一、大崎義隆は向後伊達政宗に臣従する。

一、黒川晴氏の身柄を引き渡す。

一、新井田刑部の首を差し出す。

以上の三点に同意するなら、大崎義隆並びに城兵らの命を保証する。

 そして、最後に伊達側が告げた言葉が、

「不同意なら、交渉を打ち切り、直ちに総攻めにかかる。その際は撫で斬りを覚悟せよ!」

であった。最後通牒つうちょうである。大崎義隆は和議条件を受け入れた。頼みの最上義光の援軍が来ない以上、他に選択肢はなかったのだ。

 二月八日、伊達陣内に新井田刑部の首桶が届けられ、黒川晴氏の身柄が引き渡された。同日、伊達軍は城の囲みを解いた。


 二月十五日、政宗は千五百の兵を引き連れて米沢から大崎領入りした。戦局の終結に伴い、今回の大崎家内紛に関する最終的な処分を行うためだった。

 政宗は大崎義隆の居城名生城みょうじょうに乗り込み、義隆やその家臣らの前で処分を言い渡した。最初に申し渡したのが領地の一部没収であった。いわゆる大崎五郡(栗原、玉造、賀美、志田、遠田)の内、玉造郡を伊達領に編入し、そのまま玉造郡岩手沢(現在、宮城県大崎市岩出山)城主氏家吉継に与えるというものであった。当然、その瞬間から氏家吉継は政宗の家臣となる。次に言い渡されたのが黒川晴氏の処分だった。晴氏は当初裏切り者として打ち首に処されそうになったが、留守政景の必死の働きかけによって命だけは救われた。晴氏はその所領(黒川郡)を全て没収され、身柄は留守政景預かりとなった。かくして、政宗の大崎仕置きは滞りなく終了し、大崎義隆は完全に伊達の軍門に下ったのであった。


 十七日、政宗は千石城内の館に浜田景隆、泉田重光、留守政景、片倉小十郎、小山田頼定らを招き、合戦の勝利を祝うと共にその労をねぎらった。居並ぶ武将たちの前にはそれぞれ膳が置いてあり、焼き味噌と香の物、それに少しばかりの酒が載っていた。簡素極まりない膳であったが、皆山海の珍味を味わうがごとくうまそうに口に運んでいた。

 政宗も戦の結果には満足していた。最小限の犠牲で勝利を得たのである。実質的に大崎領を我が物にし、長年の大崎併吞へいどんの夢をかなえたのだ。今後は北方の動静を気にせずに南進できるというものだった。

 更にもう一つ政宗を喜ばせたのが片倉小十郎の働きであった。此度こたびの合戦については軍奉行いくさぶぎょうの小山田頼定から詳しい報告を受けていた。結果だけ見れば伊達軍の圧勝だが、実は一歩間違えれば結果は逆になっていたであろうというのが頼定の見方であった。あの日、片倉小十郎率いる部隊が現れなければ、伊達勢は大敗を喫していたに違いないと頼定は力説した。それ故、今回の戦の最大の功労者は重綱殿であると断言した。政宗にも異論はなかった。小十郎の存在無しには、あのような鮮やかな結果は得られなかったであろうと思った。そして、小十郎の神がかった能力を信じて第三陣の大将に任命したのは自分である。その判断は間違っていなかったのだ。小十郎は、見事に伊達軍を勝利に導いた。政宗にとってこれほど嬉しく、痛快なことはなかった。

(――籐五郎と小十郎、二人は武将としてどちらが上であろうか?)

政宗はこの場にいない伊達成実の顔を思い浮かべながら、フッとそんなことを考えた。二人の力量を比べるなどまだまだ早いと、政宗自身よく承知しているのだが、ついつい比べてしまうのだった。

 

 その伊達籐五郎成実であるが、実はこの頃、芦名義広の支援を受けた大内定綱の軍勢四千の侵攻を受け、防戦に大わらわの最中であった。成実が率いる兵は僅か六百余りに過ぎなかった。伊達軍の大半は大崎攻めに投入されており、成実らの南方戦線は兵力が手薄になっていたのである。侵攻初日の二月十二日に早くも苗代田城いなわしろたじょう(現在、福島県本宮氏荒井字苗代田)を奪われ、守備に当たっていた配下の地侍じざむらい百人余が討ち死にを遂げていた。そして、近辺の荒井城や太田城も敵の手に落ちたのだった。大内勢は更に郡山城や本宮城などにも攻撃の矛先を向けていた。南方戦線は正にこの時、風雲急を告げていたのである。しかし、今ここに居る政宗はまだこの事を知らない。翌日、米沢経由で成実からの急使が政宗の元に到着し、初めて知ることになるのだ。



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