第23話 保春院、政宗の窮地を救う

 政宗の母保春院(義姫)が出羽山形城に兄義光よしあきを訪ねたのは、四月の下旬に差し掛かる頃であった。保春院は義姫として伊達輝宗に嫁いだ後も、様々な理由を設けてしばしば山形城に里帰りをしていた。従って、保春院が山形城を訪れること自体はさほど珍しい事ではなかった。しかし、今回の訪問は今までとは事情が異なっていた。これまでの気楽な里帰りとは異なり、伊達と最上の和睦を図るための訪問であった。

 大崎家中の内紛はすでに政宗によって鎮圧され、大崎家当主大崎義隆は伊達の軍門にくだっていた。義隆は今や政宗の臣下同然であった。紛争の当事者である大崎義隆が政宗の仕置きを受け入れて屈服した以上、義光にはいくさを続ける大義名分が失われていた。しかし、義光は未だほこを納めず、伊達領への侵入を繰り返していたのである。

 保春院は大崎家中かちゅうの内紛をめぐって政宗と義光が戦を始めると、直ちに調停に動いていた。兄義光には再三書状を送って説得し、政宗には直談判して和睦を訴えた。そして、それでもらちが明かないと見るや甲冑を身に着けて輿こしに乗り、両軍が対峙している戦場に割って入った。二月の事である。場所は米沢と山形のほぼ中間地点、中山峠であった。そして、そのまま居座り続け、今日までかれこれ二月ふたつき程が経過していた。さすがに両軍とも手を出せず、おのずと事実上の停戦状態が続いていたのである。


 山形城本丸御殿の奥座敷で、保春院は兄最上義光と対面した。以前に会ったのは夫の輝宗が家督を政宗に譲った直後の頃であったから、ほぼ四年ぶりであった。二人の兄妹仲はすこぶる良好で、日頃から手紙のやり取りで近況を伝え合い、たまに会えば親しい友人同士のように会話がはずんだ。今日も、二人は互いの息災を喜び合い、若い頃の思い出話に花を咲かせた。そして、ひとしきり話が盛り上がったところで保春院は本題に移った。人払いをさせ、二人きりになったところで切り出した。

「兄上、どうか兵をお引き下さい。このままでは、取り返しのつかぬ事になりまする」

「何? 取り返しのつかぬ事にだと? たわけたことを……いったい取り返しのつかぬ事ををしたのはどっちだ? 政宗の方ではないか!」

先ほどまでの穏やかな表情とは打って変わり、義光は怒気どきを含んだ形相で言葉を吐いた。

よし! わしは兵を引かんぞ。政宗を許さぬ! 大崎家は我ら最上一族の本家ではないか。その本家を、あ奴は蹂躙じゅうりんしよった。当主の義隆を家来にしたのだぞ」

大崎氏は、南北朝時代の奥州管領斯波家兼しばいえかねを始祖とする斯波氏の一族で、最上氏はその分家であった。最上家当主である義光にとっては、一族の誇りを傷つけられたような気がしたのだった。ちなみに、義光の正室は大崎氏十一代当主大崎義直の娘である。

「どうあっても兵を引かぬと申されますか。ならば、兄上は最上と伊達、いずれかが滅びるまで戦を続けるお積りなのですか? なんと、愚かな」

保春院の口調も鋭くなってきた。保春院にとって最上は実家であり、伊達は婚家こんかである。どちらかが滅びるまで争えば、実の兄か我が子、いづれかを失うことになる。保春院にとって、それは耐え難い事であった。

「今、田村領内では石川弾正が謀反を起こし、それに合わせて相馬が怪しい動きを始めているとか。又、芦名勢もいずれ態勢を立て直して再び出陣して来るであろうとのこと。それ故、政宗は兵を南に動かしたがっております。ところが、兄上が兵を引かぬ為、政宗は軍勢を移動出来ませぬ。兄上! ここは両家の為に和議を結ぶことが何より肝要と心得まする」

保春院は臆することなくキッパリと言った。

「ならぬ! 和議などもっての外じゃ。此度は政宗を追いつめる良い機会よ。そう遠くない内に佐竹と芦名の連合軍が伊達領に攻め込むであろう。その時が勝負じゃ。のう、義よ。そなたには悪いが、これ以上政宗の好きにさせておくわけにはいかぬのだ。分かってくれ」

義光は幾度も修羅場しゅらばを潜り抜けてきた武将の顔に戻っていた。


 義光は子供の頃から妹義姫を可愛がり、長じてからもその愛情は変わることがなかった。だまし、騙され、親子兄弟が殺し合う乱世に在って、義光が唯一心を許せる相手が妹義姫であった。その為、義姫の願いなら大抵二つ返事で快諾かいだくする義光であったが、此度は容易に首を縦に振らなかった。

「昨今の政宗の振る舞いは目に余る。これは、わしだけの見方ではないぞ。仙道諸国の大名らも皆同じ考えじゃ。このまま放っておけば、奴め、どこまで増長するか知れたものではないわ。現に、南奥羽を平らげると息巻いているそうではないか」

 義光の眼の底には政宗へのあからさまな対抗心が渦巻いていた。政宗は南下政策を取る一方で、北方に於いても着々と己の支配領域を拡大させていた。大崎領をへいどんすると同時に、その北隣の葛西かさい七郡にも触手を伸ばしていた。葛西氏の当主葛西晴信は、長年にわたって伊達氏と手を結び、大崎氏に対抗してきたのだった。政宗は大崎氏を従えると、間髪を入れずに葛西晴信と正式に同盟関係を結んだ。最上義光からの働きかけを防ぐ為だった。義光は政宗のこのような動きに警戒をつのらせていた。大崎領に加えて葛西領までが伊達の勢力圏に入れば、最上領は東からも圧迫を受けることになるからである。義光は何としても政宗のこれ以上の勢力拡大を阻止したかった。

「私にとって、我が子政宗も兄上も掛け替えのない宝にございます。どちらも失いとうはございません。それ故今日まで、私なりに精一杯努めてまいりました。兄上! 兄上は十年前のあの時の事をもうお忘れですか?」

保春院の眼にはうっすらと涙がにじんでいた。十年前のあの時――。それは永禄十一年(1568年)、上山城主上山満兼かみのやまみつかねが義姫の夫輝宗と手を組んで、兄義光を攻めた時の事である。大軍に攻められ、義光は窮地に陥った。その時、兄の身を案じた義姫は、直ちに駕籠に乗って陣中の輝宗の下に駆け付けた。そして、妻の実家を攻める夫の理不尽さを非難し、猛然と抗議したのである。このまま兵を引かぬのなら、この場で私を即刻離縁して下され、とまで言った。その結果、輝宗は伊達軍を撤兵させたのであった。

「十年前? お―、おっ。覚えておるわい。忘れるものか。上山満兼との戦の折であったわ。あの時は、そなたにも苦労を掛けてしまった。義のお陰で命拾いをしたようなものじゃ。終生忘れぬぞ」

義光も十年前の窮状きゅうじょうをフッと思い出し、しんみりとした口調になった。

「嬉しゅうございます。あの時、私は唯々ただただ兄上のお役に立ちたい一心で、無我夢中でございました。もう、昔の話です」

保春院は一瞬遠くを見るような表情を見せたが、直ぐに義光を見つめて言った。

「兄上! どうか私を、哀れな妹を助けると思って兵を引いては頂けませぬか? 今の政宗は十年前の兄上と同じ立場なのです。この通り、伏してお願い申し上げまする」

保春院は両手を付き、額が床に付かんばかりにひれ伏した。義光のかたくなな心に動揺が走った。

(十年前、わしの危難を救う為に、こうして輝宗に頭を下げたのであろう。今度は、政宗の為と申すか?)

義光は、十年前の戦で伊達勢が一斉に引き揚げた時の安ど感を思い出していた。あの時、義姫の働きがなかったらどうなっていたであろうか。自分は義姫の働きに十分報いただろうか。様々な思いが瞬時に義光の脳裏を駆け抜けた。義光の決断は早かった。

「相分かった! もう良い。顔を上げよ。兵は引き揚げる」

義光は決然と保春院に告げた。

「えっ、それは真ですか? 兄上!」

保春院は驚いて顔を上げた。

「真じゃ。そなたの申す通り、伊達とは和議と致そう。義、そなたも、いつまでも峠に居座るのは止めにせい」

義光は、女人の身で早二月はやふたつきも山中暮らしを続けている妹の身を案じた。

「はい、兄上。そのお言葉さえ頂ければ、私は喜んで山を下りましょう。此度の兄上のお計らい、この義、一生忘れませぬ」

保春院は再び深々と頭を下げた。最上と伊達の和睦が成立した瞬間であった。

 数日後、最上勢は国境くにざかいの各戦場から一兵残らず兵を引き揚げた。保春院は中山峠の陣を引き払い、再び輿に乗って米沢城に戻った。そして、五月早々、後顧こうこの憂いが無くなった政宗は自ら兵四千を率いて出陣した。向かうは石川弾正籠る小手森城であった。


 

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