第8話 政宗の慟哭
小手森城が
「
ここまで言われては義継もその場を引き下がるほかなかった。しかし、どうにもあきらめ切れない義継は、翌日に
同日夕刻、伊達成実の陣所から戻った小十郎の顔には苦悩の色がにじんでいた。
(このままでは大殿のお命が危うい。
小十郎の脳裏に人のよさそうな輝宗の顔が浮かんでは消えた。
思えば小十郎のこの苦悩は、畠山義継という武将の名を聞いた時からすでに始まっていた。
一年ほど前の話である。青山耕平が片倉小十郎重綱としてこの世界に
その日以来小十郎は、いつか起こるかもしれない変事への恐れを胸に秘めたまま、極力そのことを考えぬようにして今日まで過ごしてきたのである。あまりに悲惨な出来事なだけに考えたくなかったというのが正確かもしれない。更には、もしかしたら、こちらの世界ではあのような変事は起きないかも知れないではないか?という淡い期待も小十郎には有った。それだけに、義継が政宗に降伏して来たとの一報を受けた時は、わきの下を冷や汗が流れる思いだった。同時に、一刻も早く和議の内容を知りたいと思ったのだった。和議の条件次第では、義継が凶行を思いとどまる可能性があるからである。
その為、本日伊達成実の陣所で義継が輝宗に謁見するとの話を耳にすると、矢も楯もたまらず昼前から成実の陣所を訪れたのだった。和議に関する条件について最終的な結論が下されるはずだった。
明後日は十月八日、変事の有った日と同じ日である。場所も宮森城と来れば、これ又史実に合致している。加えて義継は身の丈五尺七寸(約173センチ)は有ろうかという偉丈夫であるという。当時としてはかなり大柄な体格と言えよう。五尺一寸(約154センチ)足らずの小柄な輝宗を力ずくで馬に乗せ、連れ去ることは十分可能に思えるのだった。このまま史実通りに事が進んでいきそうで小十郎は怖かった。
(う―む。これはいかん。何とかせねば――)
不安が小十郎を襲った。眉根を寄せ、
「いかがされた? 小十郎殿。何か、心配事でもお有りか?」
「あ、いや、何……心配というほどのことではござらぬが、明後日畠山殿が宮森城へ
「ほ―。ちと、何でござろう? 明後日は私も同席するよう大殿から仰せつかっておりまする。何かご懸念が有れば私が
「あ、いや。あっははは。そうでござったか。籐五郎殿もご同席か……なるほど、なるほど。それならば安心というもの……」
小十郎はとっさに笑いに紛らそうとしたが、なおも
「籐五郎(成実)殿、正直に申そう。私は此度の和議、畠山殿は大層不服とお見受けした。領地の大半を召し上げられて、もはや以前のような体面を保つことも
「さようでござったか、小十郎殿。相分かり申した。それがしも大殿の身辺には特段の目配りを致しますゆえ、ご安心下され」
籐五郎成実はきっぱりと言った。落ち着いた態度の中に自信が満ち溢れていた。さすがに小十郎もそれ以上深くは言及できなかった。
小十郎は成実から聞き出すべきことは全て聞き出し、伝えるべきことの幾分かを伝えた後、日暮れ前に自陣に戻ったのだった。明後日の八日に義継を迎えるのは、輝宗の他、成実や留守政景等ごく少数の譜代家臣のみという話も知らされていた。又、八日の日には小浜近郊の小瀬川近辺で、政宗が鷹狩りを催すだろうという事も聞き及んでいた。
(明日一日の猶予しかない。それまでに何とか良い方策を考えねば――)
何故大殿輝宗に危機が迫っているのか、何故自分がそのことを知っているのか、誰にも真相を話すことが出来ないだけに、小十郎の苦悩は一層深かった。
翌日、小十郎は宮森城を訪れ、輝宗に
小十郎はいらざる誤解を招かぬよう用心深く言葉を選び、警護の任を願い出た。「相分かった、小十郎。そなたの好きにせい。じゃが、明日そなたが警護する相手はわしではのうて政宗じゃ。それでは不服か?」
輝宗は穏やかな笑みを浮かべ、いたずらっぽい目で小十郎を見た。どこか少年っぽい目つきが政宗と共通していた。小十郎は輝宗の口から飛び出した思いがけない言葉に一瞬己が耳を疑った。
「大殿! 今、何んと仰せられましたか? 私がご警護するのは大殿ではないと? それは、一体いかなることで……」
「あっははは。明日、わしはここにはおらぬ。小浜で鷹狩りじゃ。久しぶりの狩り故、腕が鳴るわ」
「な、何と! 鷹狩りを……それでは、畠山殿のお相手は……」
「無論、政宗じゃ。
小十郎は余りのことに
(これは一体どういう事だ? 何が起ころうとしているのだ?)
しかし、輝宗は小十郎の当惑などお構いなく話を続けた。
「今や伊達の当主は政宗じゃ。もはやわしの出る幕ではない。和議も無事整ったからには、向後義継は政宗の家来も同然じゃ。わしの代わりに政宗が応対とあれば、家来の義継に何の不満があろう」
輝宗は事も無げに言った。小十郎も輝宗が
「それ故、小十郎! 明日は政宗の為に存分に励んでくれ。わしからも頼むぞ」
「ハッ、有りがたきお言葉。肝に銘じまする」
答えながら、小十郎は新たな不安と緊張感に包まれていた。
(何という事だ。お命を狙われるのが政宗様になってしまったとは……。そんな馬鹿な事が有ってたまるか! 断じてそうはさせぬぞ。この小十郎、命に代えても政宗様をお守り致す!)
小十郎の胸の内は政宗を守る強い決意で満たされていった。
「それにしても、政宗は良い家来を持ったものよ。成実といい、そなたといい。誠に心強い限りじゃ。そなた等が政宗の周りにいる限り、わしには何の心配もないわい」
輝宗は政宗の若き参謀たちに全幅の信頼を置いていた。そして、政宗の洋々たる前途を確信したかのように目を細めた。小十郎は輝宗の自分に対する誉め言葉を聞きながらも、頭の中は政宗に迫りくる危機のことで一杯だった。小十郎はそれから程なく輝宗の下を辞して自陣に戻った。
十月八日
その頃、小十郎は片倉家選りすぐりの若侍三十人程を引き連れ、屋敷の周囲の警
戒に当たっていた。屋敷から外門までの通路に全員を配置していた。事件が起きるとすればこの辺りと踏んでいたからである。又、屋敷内での義継主従の動向は逐一家来に報告させていた。ほんのわずかな異変も見逃さない為だった。更に、念の為に
政宗にとって今日の対面は新しい主従関係の確認でしかなかった。義継に五箇村だけでも残してやったのは、今後の奮起を促す為である。失った所領を取り戻すために如何に粉骨砕身伊達家のために働いてくれるか、そのことに期待しての和睦条件だったのである。
義継の挨拶も済み、同行した三人の重臣たちの紹介も済んだ後、政宗は穏やかな表情で義継に言った。
「のう、義継。そなた、わしに所領を減らされ、落胆しておろう。しかし、戦で失った所領は戦で取り戻せばよいのじゃ。戦場で
「ハッ! 有り難きお言葉。しかと胸に刻みまする。」
義継は平伏した。そして、顔を下に向けたまま、(若造め、今に見ておれ……)と、心の中で
「わしは、たとえ敵であった者でも、心改めて忠義を尽くす者には分け隔てなく知行を与える。そなたも、そのことをよくよく肝に銘じて励むがよかろう」
「それがし、これからは政宗様の為に命を懸けまする!」
言うが早いか、義継は恥も外聞もなく板の間に額をこすりつけた。
(待っていてくれたのが隠居の輝宗ではなくて政宗とは驚いたわい。おかげで予定がすっかり狂ってしまった。もはや、長居は無用じゃ)
義継は一刻も早くこの場を立ち去ろうと思った。
それから間もなく、義継一行は役目を終え、友好的な雰囲気のまま静かに帰っていった。小十郎は何事も起こらなかったことに感謝し、胸をなでおろした。すぐに政宗の下へ挨拶に出向いた。政宗の傍らには成実も控えていた。
「小十郎、大儀であったぞ」
政宗は小十郎の顔を見るなり、開口一番労をねぎらった。今朝宮森城に入った直後から、今日の厳重な警備の訳を成実から聞かされていた。
「小十郎殿、此度は見事な御警護振り、成実感服仕りました」
成実も肩の荷を下ろしたように晴々した顔で声をかけた。その場にいた誰もがホッとした空気に包まれようとしていた次の瞬間だった。突然、屋敷門の近くに
その直後、一人の武者が息せき切って大広間に飛び込んで来た。顔面蒼白である。遠藤山城守基信の家来と名乗ったその男は、政宗の前に出ると
「政宗様! 大殿が、鷹狩り中に畠山の手の者に掛かり、お命を奪われましてございます! 無念でございます!」
「何! まことか?! 」
政宗は呆然として声もなかった。男の話によれば、馬上の輝宗に向けて雑木林の中から二発の銃弾が放たれ、そのうちの一発が心の臓を撃ち抜いたのだという。狙撃手は二人で、馬に乗って逃げ出したところを追いかけ、捕らえたところ、自ら畠山の家来であることを名乗ったとのことだった。
「おのれ! 義継奴! わしを
政宗は
(――と、いうことは……義継奴の狙いは、最初から政宗様に有ったのか?! 何という事だ! それでは、輝宗様が政宗様の身代わりになったも同然ではないか?! 何とおいたわしい……」
小十郎の胸に義継への敵対心が沸々と沸き起こっていた。
小十郎の手勢三十騎が一団となって真っ先に飛び出した。その後を成実と留守政景の手勢五十騎が追った。総勢八十騎の追手が義継一行に追いついたのは、阿武隈川の手前、高田が原という地であった。川を渡れば、畠山の本拠地二本松城が目の前だった。絶対に川を渡らせてはならなかった。
小十郎は自らの手勢で義継ら一行の行く手を阻み、直ちに火縄の用意を命じた。後から来た成実と政景の手勢が両側から義継らの一団を挟むように展開した。
「義継! よく聞け! うぬの命もここまでよ。よくも輝宗様を手に掛けてくれたな。逃げおおせるとでも思ったか?
小十郎は大声で言い放った。義継は思ったよりも早い追手の出現に
「聞いたか皆の者! 未方は輝宗の命を取ったぞ! 幸先が良いではないか? この上は、二本松に戻って政宗と一戦あるのみじゃ。蹴散らして通るぞ。それ! 進め!」
義継は馬上で太刀を抜くと自ら先頭に立って突進した。
小十郎は直ちに鉄砲で迎え撃った。
「撃て!」
号令と共に二十挺の火縄銃が火を噴いた。義継の体が馬上から転げ落ちた。銃声と同時に、左右から伊達勢がすさまじい勢いで襲い掛かった。義継主従五十余人は
同日夕刻、政宗は小浜城に戻り、父輝宗の
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