第8話 政宗の慟哭

 小手森城が陥落かんらくして僅か数日後の十月三日、二本松城主畠山義継が政宗に降伏してきた。小手森城の戦いに敗れて逃げ込んできた大内定綱をかくまったものの、政宗率いる伊達勢の勢いに恐れをなし、急遽きゅうきょ服属を願い出たものであった。政宗は降伏を認める条件として、「嫡男ちゃくなんを人質として米沢に差し出すこと。所領の内、杉田川以南、油井川以北の地は没収する」との厳しい条件を突きつけた。杉田川以南と油井川以北の領地を共に失えば、所領が二本松近辺の五箇村だけになってしまうというものだった。そうなればもはや大名とは呼べない。義継は必死になって条件をゆるめてくれるように嘆願したが政宗は聞き入れなかった。

此度こたびの戦で大内勢に味方したのは許し難い。本来であれば首をねるところよ。条件がめぬなら、城ごと押しつぶすまでじゃ!」

ここまで言われては義継もその場を引き下がるほかなかった。しかし、どうにもあきらめ切れない義継は、翌日にわらをもすがる気持ちで政宗の父輝宗にとりなしを頼んだ。かつて輝宗が相馬そうま氏との戦いに伊具へ出兵した時、加勢の兵を出した経緯いきさつがあったからである。しかし、このような努力も報われることはなかった。翌々日の六日、伊達成実の陣所で輝宗に謁見えっけんした義継は、輝宗の口から当初の条件通りであるという結論を告げられた。「万事休す」であった。事ここに至って義継はしぶしぶ承諾し、政宗の軍門に下ったのであった。


 同日夕刻、伊達成実の陣所から戻った小十郎の顔には苦悩の色がにじんでいた。

(このままでは大殿のお命が危うい。如何いかにしたら良いものか――)

小十郎の脳裏に人のよさそうな輝宗の顔が浮かんでは消えた。

 思えば小十郎のこの苦悩は、畠山義継という武将の名を聞いた時からすでに始まっていた。                               

 

 一年ほど前の話である。青山耕平が片倉小十郎重綱としてこの世界によみがえって間もない頃、小十郎が周辺諸国の動静など、この時代に生きる者として必要な知識を求めていた時に、父景綱の口からヒョイと出たのが義継の名だった。この世界に来て初めて畠山義継の名を耳にしたその時、小十郎の背中を冷たいものが突き抜けた。小十郎の頭の中にあの変事のことがすぐに浮かんだからである。あの変事、すなわち畠山義継による伊達輝宗拉致らち殺害の一件である。義継こそが変事の首謀者その人なのである。しかし、当然ながらこの時点でそのことを知る者は小十郎以外には誰もいない。小十郎は四百年後の日本からこの時代に飛び込んできた若者である。歴史上有名な事件であるだけに、歴史好きのこの若者はその顛末てんまつを良く知っていた。しかし、小十郎はそのことはおくびにも出さず、父景綱の前で平静を装った。いかなる疑いも持たれてはならなかったからである。


 その日以来小十郎は、いつか起こるかもしれない変事への恐れを胸に秘めたまま、極力そのことを考えぬようにして今日まで過ごしてきたのである。あまりに悲惨な出来事なだけに考えたくなかったというのが正確かもしれない。更には、もしかしたら、こちらの世界ではあのような変事は起きないかも知れないではないか?という淡い期待も小十郎には有った。それだけに、義継が政宗に降伏して来たとの一報を受けた時は、わきの下を冷や汗が流れる思いだった。同時に、一刻も早く和議の内容を知りたいと思ったのだった。和議の条件次第では、義継が凶行を思いとどまる可能性があるからである。

 その為、本日伊達成実の陣所で義継が輝宗に謁見するとの話を耳にすると、矢も楯もたまらず昼前から成実の陣所を訪れたのだった。和議に関する条件について最終的な結論が下されるはずだった。


 うまの刻(十二時)頃、 謁見が終了した。義継一行が帰った後、小十郎は会見の場に同席した成実から詳しく話を聞いた。和睦の条件は当初と変わらず、「嫡男を人質に差し出し、五箇村以外の領地は全て没収」という厳しいものであった。輝宗のとりなしに最後の望みをかけた義継の落胆振りが目に浮かぶようである。さすがの義継も遂にあきらめ、おとなしく和議の条件に応じたとのことだった。義継は明後日改めてお礼言上に宮森城みやのもりじょうを訪れたい、と言い残して帰って行ったという。

 明後日は十月八日、変事の有った日と同じ日である。場所も宮森城と来れば、これ又史実に合致している。加えて義継は身の丈五尺七寸(約173センチ)は有ろうかという偉丈夫であるという。当時としてはかなり大柄な体格と言えよう。五尺一寸(約154センチ)足らずの小柄な輝宗を力ずくで馬に乗せ、連れ去ることは十分可能に思えるのだった。このまま史実通りに事が進んでいきそうで小十郎は怖かった。

(う―む。これはいかん。何とかせねば――)

不安が小十郎を襲った。眉根を寄せ、うれい顔で黙りこくった小十郎を見て、成実が不思議そうに尋ねた。

「いかがされた? 小十郎殿。何か、心配事でもお有りか?」

「あ、いや、何……心配というほどのことではござらぬが、明後日畠山殿が宮森城へ出向しゅっこうするとの話がござったので、ちと……」

「ほ―。ちと、何でござろう? 明後日は私も同席するよう大殿から仰せつかっておりまする。何かご懸念が有れば私がうけたまわっておきましょう程に」

「あ、いや。あっははは。そうでござったか。籐五郎殿もご同席か……なるほど、なるほど。それならば安心というもの……」

小十郎はとっさに笑いに紛らそうとしたが、なおも怪訝けげんそうな顔で自分を見る成実の視線に負けて言葉を続けた。

「籐五郎(成実)殿、正直に申そう。私は此度の和議、畠山殿は大層不服とお見受けした。領地の大半を召し上げられて、もはや以前のような体面を保つこともかなわぬ有様。内心、はらわたが煮えくり返っておろう。まだまだ腹の虫が治まっておらぬはず。それ故、明後日の宮森城での御対面がつい気がかりで……。逆恨みした義継が大殿に不埒ふらちな振る舞いに及ばねば良いがと、ふと、考えてしまったのじゃ。」

「さようでござったか、小十郎殿。相分かり申した。それがしも大殿の身辺には特段の目配りを致しますゆえ、ご安心下され」

籐五郎成実はきっぱりと言った。落ち着いた態度の中に自信が満ち溢れていた。さすがに小十郎もそれ以上深くは言及できなかった。


小十郎は成実から聞き出すべきことは全て聞き出し、伝えるべきことの幾分かを伝えた後、日暮れ前に自陣に戻ったのだった。明後日の八日に義継を迎えるのは、輝宗の他、成実や留守政景等ごく少数の譜代家臣のみという話も知らされていた。又、八日の日には小浜近郊の小瀬川近辺で、政宗が鷹狩りを催すだろうという事も聞き及んでいた。

(明日一日の猶予しかない。それまでに何とか良い方策を考えねば――)

何故大殿輝宗に危機が迫っているのか、何故自分がそのことを知っているのか、誰にも真相を話すことが出来ないだけに、小十郎の苦悩は一層深かった。


 翌日、小十郎は宮森城を訪れ、輝宗に拝謁はいえつした。明日の義継出向の際は、ぜひ自分を警護の任に当たらせてほしいと願い出るつもりだったのだ。許しが出れば、当日は片倉家選りすぐりの郎党三十人ほどを引き連れ、自ら厳重な警護に当たる決意だった。もはや自ら身を挺して大殿をお守りする以外に方法はない、と小十郎は悲壮な決意を固めていた。

 小十郎はいらざる誤解を招かぬよう用心深く言葉を選び、警護の任を願い出た。「相分かった、小十郎。そなたの好きにせい。じゃが、明日そなたが警護する相手はわしではのうて政宗じゃ。それでは不服か?」

輝宗は穏やかな笑みを浮かべ、いたずらっぽい目で小十郎を見た。どこか少年っぽい目つきが政宗と共通していた。小十郎は輝宗の口から飛び出した思いがけない言葉に一瞬己が耳を疑った。

「大殿! 今、何んと仰せられましたか? 私がご警護するのは大殿ではないと? それは、一体いかなることで……」

「あっははは。明日、わしはここにはおらぬ。小浜で鷹狩りじゃ。久しぶりの狩り故、腕が鳴るわ」

「な、何と! 鷹狩りを……それでは、畠山殿のお相手は……」

「無論、政宗じゃ。やつも、それは面白いと隠居爺のわがままを許してくれたぞ。政宗は明朝宮森城に入る。そして、入れ替わりにわしは小浜の狩場へと向かうのじゃ」

小十郎は余りのことに呆気あっけに取られた。無理もない。変事の日における輝宗と政宗の居場所が入れ替わってしまうのである。誰がこんなことを想像できたであろう?小十郎の頭の中は混乱した。

(これは一体どういう事だ? 何が起ころうとしているのだ?)

しかし、輝宗は小十郎の当惑などお構いなく話を続けた。

「今や伊達の当主は政宗じゃ。もはやわしの出る幕ではない。和議も無事整ったからには、向後義継は政宗の家来も同然じゃ。わしの代わりに政宗が応対とあれば、家来の義継に何の不満があろう」

輝宗は事も無げに言った。小十郎も輝宗が戯言ざれごとを言っているのではないことだけは分かった。明日は政宗がここ宮森城のあるじになるのだ。

「それ故、小十郎! 明日は政宗の為に存分に励んでくれ。わしからも頼むぞ」

「ハッ、有りがたきお言葉。肝に銘じまする」

答えながら、小十郎は新たな不安と緊張感に包まれていた。

(何という事だ。お命を狙われるのが政宗様になってしまったとは……。そんな馬鹿な事が有ってたまるか! 断じてそうはさせぬぞ。この小十郎、命に代えても政宗様をお守り致す!)

小十郎の胸の内は政宗を守る強い決意で満たされていった。

「それにしても、政宗は良い家来を持ったものよ。成実といい、そなたといい。誠に心強い限りじゃ。そなた等が政宗の周りにいる限り、わしには何の心配もないわい」

輝宗は政宗の若き参謀たちに全幅の信頼を置いていた。そして、政宗の洋々たる前途を確信したかのように目を細めた。小十郎は輝宗の自分に対する誉め言葉を聞きながらも、頭の中は政宗に迫りくる危機のことで一杯だった。小十郎はそれから程なく輝宗の下を辞して自陣に戻った。


十月八日ひつじの刻(午後二時)、畠山義継主従が和議成立御礼と称して宮森城を訪れた。五十人ほどの共侍を引き連れ、献上品を持参していた。てっきり輝宗と対面するとばかり思っていた義継は政宗の顔を見て、「これは!」と言ったきりしばらく言葉が出なかった。驚いたのであろう。宮森城に来るまではまさかそこに政宗が待っているなどとは、夢にも思わなかったに違いない。

 

 その頃、小十郎は片倉家選りすぐりの若侍三十人程を引き連れ、屋敷の周囲の警

戒に当たっていた。屋敷から外門までの通路に全員を配置していた。事件が起きるとすればこの辺りと踏んでいたからである。又、屋敷内での義継主従の動向は逐一家来に報告させていた。ほんのわずかな異変も見逃さない為だった。更に、念の為にくらを付けた馬三十頭と鉄砲二十挺を密かに用意していた。

 

 政宗にとって今日の対面は新しい主従関係の確認でしかなかった。義継に五箇村だけでも残してやったのは、今後の奮起を促す為である。失った所領を取り戻すために如何に粉骨砕身伊達家のために働いてくれるか、そのことに期待しての和睦条件だったのである。

義継の挨拶も済み、同行した三人の重臣たちの紹介も済んだ後、政宗は穏やかな表情で義継に言った。

「のう、義継。そなた、わしに所領を減らされ、落胆しておろう。しかし、戦で失った所領は戦で取り戻せばよいのじゃ。戦場で獅子奮迅ししふんじんの働きを、このわしに見せてみよ。この政宗、必ずやその労に報いて見せよう」

「ハッ! 有り難きお言葉。しかと胸に刻みまする。」

義継は平伏した。そして、顔を下に向けたまま、(若造め、今に見ておれ……)と、心の中でつぶやいていた。政宗は続けた。

「わしは、たとえ敵であった者でも、心改めて忠義を尽くす者には分け隔てなく知行を与える。そなたも、そのことをよくよく肝に銘じて励むがよかろう」

「それがし、これからは政宗様の為に命を懸けまする!」

言うが早いか、義継は恥も外聞もなく板の間に額をこすりつけた。

(待っていてくれたのが隠居の輝宗ではなくて政宗とは驚いたわい。おかげで予定がすっかり狂ってしまった。もはや、長居は無用じゃ)

義継は一刻も早くこの場を立ち去ろうと思った。


 それから間もなく、義継一行は役目を終え、友好的な雰囲気のまま静かに帰っていった。小十郎は何事も起こらなかったことに感謝し、胸をなでおろした。すぐに政宗の下へ挨拶に出向いた。政宗の傍らには成実も控えていた。

「小十郎、大儀であったぞ」

政宗は小十郎の顔を見るなり、開口一番労をねぎらった。今朝宮森城に入った直後から、今日の厳重な警備の訳を成実から聞かされていた。

「小十郎殿、此度は見事な御警護振り、成実感服仕りました」

成実も肩の荷を下ろしたように晴々した顔で声をかけた。その場にいた誰もがホッとした空気に包まれようとしていた次の瞬間だった。突然、屋敷門の近くに馬蹄ばていの音が響き、誰かが大声で叫ぶ声が聞こえてきた。ただならぬ様子だった。

 その直後、一人の武者が息せき切って大広間に飛び込んで来た。顔面蒼白である。遠藤山城守基信の家来と名乗ったその男は、政宗の前に出るとせきを切ったように小浜での急変を告げた。

「政宗様! 大殿が、鷹狩り中に畠山の手の者に掛かり、お命を奪われましてございます! 無念でございます!」

「何! まことか?! 」 

政宗は呆然として声もなかった。男の話によれば、馬上の輝宗に向けて雑木林の中から二発の銃弾が放たれ、そのうちの一発が心の臓を撃ち抜いたのだという。狙撃手は二人で、馬に乗って逃げ出したところを追いかけ、捕らえたところ、自ら畠山の家来であることを名乗ったとのことだった。

「おのれ! 義継奴! わしをたばかりおったか?! 小十郎、追え! まだ遠くへは行っておらぬ。奴の首を取るのじゃ!」

政宗は憤怒ふんぬの形相で小十郎に命じた。小十郎は既に駆け出していた。小十郎にとっても予想外の出来事だった。鷹狩りの主役が政宗から輝宗に変わったことを知っているのは、味方でもごくわずかである。ましてや畠山勢などが知る由もなかった。

(――と、いうことは……義継奴の狙いは、最初から政宗様に有ったのか?! 何という事だ! それでは、輝宗様が政宗様の身代わりになったも同然ではないか?! 何とおいたわしい……」

小十郎の胸に義継への敵対心が沸々と沸き起こっていた。


 小十郎の手勢三十騎が一団となって真っ先に飛び出した。その後を成実と留守政景の手勢五十騎が追った。総勢八十騎の追手が義継一行に追いついたのは、阿武隈川の手前、高田が原という地であった。川を渡れば、畠山の本拠地二本松城が目の前だった。絶対に川を渡らせてはならなかった。

小十郎は自らの手勢で義継ら一行の行く手を阻み、直ちに火縄の用意を命じた。後から来た成実と政景の手勢が両側から義継らの一団を挟むように展開した。

「義継! よく聞け! うぬの命もここまでよ。よくも輝宗様を手に掛けてくれたな。逃げおおせるとでも思ったか? れ者奴!」

小十郎は大声で言い放った。義継は思ったよりも早い追手の出現にあわてながらも、覚悟を決めたように家来たちに下知した。

「聞いたか皆の者! 未方は輝宗の命を取ったぞ! 幸先が良いではないか? この上は、二本松に戻って政宗と一戦あるのみじゃ。蹴散らして通るぞ。それ! 進め!」

義継は馬上で太刀を抜くと自ら先頭に立って突進した。

 小十郎は直ちに鉄砲で迎え撃った。                   

「撃て!」         

号令と共に二十挺の火縄銃が火を噴いた。義継の体が馬上から転げ落ちた。銃声と同時に、左右から伊達勢がすさまじい勢いで襲い掛かった。義継主従五十余人はまたたく間に惨殺された。


 同日夕刻、政宗は小浜城に戻り、父輝宗の亡骸なきがらと対面した。亡骸の前に義継の首を捧げた。輝宗の死に顔は意外にも穏やかな表情だった。しかし、その穏やかな顔がより一層政宗の悲しみを深くさせたのだった。政宗は自分のうかつさを責めずにはおれなかった。鷹狩りの場所は小浜城の近くとは言え、昨日までは敵地だったところである。何故もう少し用心しなかったのか? 悔やんでも悔やみ切れなかった。戦国乱世に生きる者として己の甘さを恥じた。父輝宗は自分の身代わりとなって死んだのだ……。政宗は心の中で父に詫び、静かに涙をぬぐった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る