第14話 政宗、信長に鷹を献上する

 天正五年(1577年)秋、政宗は米沢城本丸やかたの書院で、つい先ほど届いたばかりの一通の書状に目を通していた。書状は織田信長からのものだった。日付はうるう七月二十三日となっている。信長は書面の中で「これ程美しく見事な鷹を見たのは、先代(輝宗)から頂戴ちょうだいした鷹の時以来である。この嬉しさは言葉では言い尽くせない」と、喜びを表していた。

 政宗は二月ふたつきほど前、信長の下に奥州産の鷹一羽と名馬二頭を贈り物として届けていたのである。この書状はそれに対する礼状であった。信長は大の鷹狩り好きであったので、奥州産の鷹が余程気に入ったのであろう。政宗は天正元年に父輝宗が信長に鷹を献上し、大層喜ばれたという話を聞いていた。その事を念頭に、今回も鴇色ときいろの飛び切り美しい鷹を贈り物にしたのだった。政宗が信長に進物しんもつを献上するのは今回が初めてであった。政宗は贈り物が狙い通りの効果を発揮した事を素直に喜んだ。同時に、中央の実力者織田信長の脳裏に伊達政宗の名が刻まれたであろうことを思い、気持ちが少し高ぶった。

(ふむ。まずは上々じゃ。父上の代から続く信長とのよしみ、大切にせねばなるまいて……)

政宗は書面から目を離し、まだ見ぬ信長の姿を思い描くかのように遠くを見つめた。

 

 今、中央ではあらゆる物事が信長を中心に動いている。信長の力は圧倒的であった。このまま行けば、四、五年の内にも天下人に上り詰めるかも知れない。

(自分は果たして間に合うだろうか? 関東出陣はおろか、未だに南奥羽を制圧することさえ出来ていないのだ。我ながら、歯痒はがゆうてならぬわ……」

政宗の頭の中に素朴な疑問が浮かんだ。しかし、自ら直ぐに打ち消した。

(――あせることはない。中国の毛利もいれば九州の島津もいる。あ奴らがそう容易たやすく信長の軍門にくだるものか。それに、越後の上杉謙信も近々上洛するとの噂ではないか。そうなれば、信長との一戦は避けられまい。まだまだ戦は続くのだ)

政宗はそう考えて最初の疑問を吹き飛ばした。実際、信長は周りを強敵に囲まれ、苦戦の日々が続いていた。現に今日の書状の中でもそのことに触れていた。「自分にさからい刃向かってくる謙信はいずれ討伐してくれる。(伊達殿も)我らと共に謙信を討つべきである」と、訴えていた。

 

 謙信が信長と敵対しているのは事実だった。前年五月、謙信は信長と戦っていた石山本願寺の顕如けんにょと和睦した。そして、毛利輝元や足利義昭等と同盟し、信長包囲網を構築したのだった。上洛じょうらくを急ぐ謙信は同年九月に越中を平定し、十一月には能登に侵攻して能登国の拠点七尾城を攻めたのだった。今年になってから謙信の動きは一層あわただしくなっていた。「謙信上洛近し!」の噂が飛び交ったのはそのせいかもしれない。いずれにせよ、信長にはまだまだ倒すべき強敵は多かったのである。

如何いかに信長強しと言えど、天下を握るまでにはまだまだ一山も二山も越えねばなるまい。さすれば、わしが割り込む余地も有ろうというもの。ふっ、ふふ。謙信公にはもっと派手に信長とり合ってもらわねば……)

政宗の表情には余裕が戻っていた。政宗はゆっくりと書状をたたみ、文箱ふばこにしまった。


 信長からの書状に目を通した政宗は、己の胸に秘めた野心の炎をいつになく燃え上がらせた。書状がもたらした中央の動静を強く意識した結果であった。政宗の戦場は中央から遥か離れた辺境の地奥州である。如何に中央に関心を持つ政宗と言えど、普段考えることは周囲の強敵、難敵の事だけである。それ故、今日のように信長の書状を通して中央の動静が伝わると、そこに中央の風や匂い感じてしまい、否応なく内なる野心に火が付くのであった。

(わしも、いつまでものんびりと構えているつもりはない。あの信長のことじゃ、いつ何時電光石火でんこうせっか早業はやわざで天下を取ってしまわぬとも限らん。そうなってはもはや手遅れよ)

急ぐに越したことはない、と政宗は思った。

(まずは鉄砲じゃ。鉄砲を何とかせねば……)

政宗は今米沢城下に造成中の鉄砲鍛冶かじ職人の町を思い浮かべた。完成すれば、鉄砲の大量生産と新たな鉄砲鍛冶職人の養成が行われるはずだった。大きな屋根の作業場が幾つも建ち、その周りには数十棟の職人や職人頭の家が建ち並ぶ。文字通りの〈鉄砲町〉の出現であった。政宗はその為に、和泉いずみの堺やおうの国友などに人をり、何人もの腕の良い職人を引き抜いて米沢に連れて来ていた。相場の三倍の報酬を約束し、女中付きの一軒家を住まいとして与えるという厚遇であった。政宗は行く行くは米沢を堺や国友を越える鉄砲の一大生産地に発展させるつもりであった。

 又、政宗は鉄砲の大量生産と並行して、鉄砲の効率的な射撃方法や戦術、部隊編成、訓練方法などを配下の武将らに徹底的に研究させた。それらの成果を踏まえた上で、政宗は鉄砲足軽を全て常備兵として雇い入れ、政宗直属の鉄砲部隊とした。当時の足軽兵はほとんどが農民であり、戦が終われば村に帰って田畑を耕していた。正宗はこれでは練度も上がらず、優秀な射撃手の育成も難しいと判断したのだった。農民主体の鉄砲足軽を常備兵に変えることによって、平時でも欠かさず訓練が出来るようになり、射撃手の腕も格段に上がると考えたのだ。同時に、兵士一人一人の忠誠心が高まることへの期待も有った。

 政宗は鉄砲こそがこれからの戦の主役、勝敗を決めるカギだと考えていた。多くの鉄砲を持ち、鉄砲を用いた戦いにけている者だけが生き残っていくのだと。

だからこそ、政宗は今着々とその準備を進めているのである。

(年内にも、米沢で出来上がった最初の銃を、早くこの手で撃ってみたいものだ)

政宗は最初の完成品が届くのが今から楽しみだった。






 

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