第2話 片倉小十郎重綱
青山耕平の意識が
≪母上様。今日はなんだか小十郎様のお顔の色が、昨日までとは違うような気が致します。――とても血色がよろしゅうございます≫
≪おう。確かにそうじゃ。そなたの申す通り顔色が良くなっている。玄庵殿も申しておりました。脈もしっかりしておるし、もう一息じゃと……≫
≪はい。母上様≫
若い方の女の声が一段と高く
(何か変だ――母上様とか、そなたがどうのとか……まるで時代劇に出てくるセリフじゃないか?)
目をつぶったままの耕平の
(これは夢か? ――俺はまだ夢を見てるのか? いやいや、この声は夢なんかじゃない。早く眼を開けねば。早く、早く……)
耕平は
(誰なんだろう? この人たち――) ここはどこなのか声に出して
何か気配を感じたのか、二人の女姓が耕平の顔を
「こ、小十郎様! 重綱様! お気が付かれましたか!?」
「小十郎! 気が付いたかへ。これ、小十郎!」
覚醒して半月余りが経った。周囲の手厚い看護によって、耕平の体はメキメキと回復に向かっていた。今では、屋敷内を一人で歩き回れるまでに元気を取り戻していた。しかし、声だけは相変わらず出ない。一言も発することが出来ないのだ。その為、周囲の者が自分のことを片倉小十郎と呼ぶ度に、「違う!」と叫びたかったが、声が出ないのではそれも
耕平は、最初言葉をしゃべれないもどかしさに
耕平にとって、見るもの聞くもの全てが驚きの連続だった。家の者達の話によれ
ば、イノシシ狩りをしている最中に大きな地揺れが起こり、驚いた馬が小十郎を乗せたまま暴走して崖下に転落したのだという。気を失ったままの小十郎を急ぎ引き上げて屋敷まで運んだが、その後三日三晩眠り続けたとのことである。
又、奥方の綾からも驚くべき話を聞かされた。今は天正二年(1574年)で、ここは
耕平は最初聞いた時に我が耳を疑った。
(この俺が、今、戦国時代にいる?! しかも、あの片倉小十郎重綱と間違われて……タイムスリップでもしたというのか? ――まるでSFだ! そんな馬鹿な!)
にわかには信じがたい話だったが、事実と認めてしまえば周りの状況や変化は全てつじつまがが合っていた。人や建物、言葉や生活習慣、その他諸々、どれをとっても全てが、今この時代が戦国時代であることを物語っていた。決して映画のセットや時代劇の撮影現場に紛れ込んだのではなかった。耕平は自分の身にとんでもないことが起こったのだということを認めざるを得なかった。
綾は夫の片倉小十郎に何の疑いも違和感も持っていない様子だった。覚醒した直後こそ妻である自分の顔さえ忘れてしまっている夫に驚いたものだったが、それも頭を強く打ったためだと納得し、一層看病に励んだのである。今では以前にも増して夫との絆を強く感じていた。実際に父親の景綱が何の疑いもなく耕平を己が息子として、これまで何度も見舞っている。生死の境をさまよっていた跡取り息子が日に日に元気になっていく様子を見て、景綱は涙を流さんばかりに喜んだ。そんな景綱の姿を見れば、片倉家の者ならずとも疑う者などいるはずがなかった。誰もが耕平を本物の小十郎本人と見なしていた。
(瓜二つという言葉があるが……俺の顔は余程小十郎様の顔に似ているのだろ
う――)
耕平は自分が「小十郎」と呼ばれることになってからずうっとそう思ってきたのだった。
この謎が解けたのはつい先日のことである。妻の綾が部屋を留守にしている隙に、綾の愛用の鏡で自分の顔を覗いたその時だった。耕平の顔に衝撃が走った。鏡に写っているその顔は、見たことも会ったこともない他人の顔だった。
(これが……これが、小十郎の顔か! 何という……)
そこには、目が覚めるような美青年の顔があったのである。
片倉小十郎重綱は戦国武将随一の
ただ単に耕平の顔が小十郎の顔に似ていたのではなかったのだ。青山耕平の顔も体も、肉体そのものが全て小十郎のそれと入れ替わっていたのだった。
(――何ということだ! 俺は、この男に、片倉小十郎重綱に生まれ変わったのだ!)
耕平は
耕平は改めてもう一度鏡の中の自分の顔を確かめた。まぎれもない現実がそこにあった。何度見ても小十郎の顔だった。かつての自分の顔、青山耕平の顔を見ることはもう二度とないかもしれないと思った。
(この顔が、――今の俺の顔。これからもずうっと……俺は、青山耕平は本当に片倉小十郎に生まれ変わったのだ!)
耕平はその時初めて、自分はもはや片倉小十郎として生きていく以外に、生きる道がないのだと思った。もう元の世界には戻れないのだと直感したのだった。そして同時に、これから何か途方もないことが起こりそうな予感がして心が震えた。
耕平は改めて自分に言い聞かせた。俺は小十郎だ。今日から片倉小十郎重綱として生きてゆこう。自分に与えられたこの新しい世界――平成の世からはるか
(――片倉小十郎重綱としてこの戦国の世を生きられるなら、悪くはない)
耕平は小十郎の活躍を知っているだけに、楽観的だった。
平成の世にあのまま生きていれば、平凡なサラリーマンで一生を終わるのがオチだと耕平は思った。
(しかし、ここでは一国一城の主も夢ではない! 否、政宗様と共に天下取りだって不可能ではないぞ!)
耕平はかつて味わったことのない高揚感に包まれていた。そして、この先何が起ころうとも、懸命にこの時代を生きてゆこうと決心したのだった。片倉家の為、そして、――綾の為に。耕平の心の中で何かが吹っ切れた瞬間だった。
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