第30話 天下の形勢

 天正六年(1578年)十一月中頃、政宗は米沢城内の館で一人の修験者と会っていた。修験者は歳の頃なら三十路みそじ半ばであろうか? 筋骨たくましく、引き締まった容貌をしている。時折見せる鋭い目つきが、只者ではないことを物語っていた。修験者の名は良雲りょううん。伊達家ゆかりの行者長海上人ちょうかいしょうにんの計らいで、二年ほど前から政宗のもとに出入するようになっていた。そして、このたび良雲が館に参上したのは、一年余に及ぶ諸国行脚の結果を政宗に報告するためであった。政宗はかねてより良雲に、尾張や畿内の情勢を探り、「わしにじかに報告せよ」と命じていた。

 

 この頃、政宗はすでに「黒脛巾くろはばき組」という忍者集団を配下に置いている。政宗は四方八方に放った〈草〉からの知らせで、近隣諸国の動静や内情は手に取るように分かっていた。しかし、その反面、中央や遠国の動きを知るのは遅かった。なぜなら、政宗自身がこれまで近隣の敵対勢力との争いに忙殺され、中央や遠国の情勢に気を配る余裕がなかったからである。又、組織されて間のない黒脛巾組にとっても、中央や遠国にまで人手を割く余裕はなかったのであろう。しかし、[中原に鹿をう」という野心を持つ政宗にとって、中央の情勢をしっかり把握しておくことは極めて重要であった。政宗も、そのことは重々承知していた。

 

 政宗の決断は早かった。手薄だった中央方面の情報収集のために、遠国専門の密偵を育成することに踏み切ったのだった。政宗は、それらの者を比較的自由に全国を渡り歩ける職種、即ち修験者(山伏)や僧、商人、連歌師、猿楽師などの中から抜擢した。その数は良雲を含めて十人。そして、特筆すべきは、これら遠国専門の密偵を黒脛巾組とは全く別の集団としたことであった。新たな密偵は、黒脛巾組には属さず、政宗の命にのみ服して、全員が単独で行動した。

 

 政宗が、このように新たな密偵組織を黒脛巾組とはっきり区別したのには訳があった。そこには、政宗の或る狙いが込められていたのである。それは、政宗がこれらの者に、いずれは政宗の使者としての役目もになわせようと考えていたことであった。そのため、人選にあたっては武術や忍術の才よりも、胆力や弁舌、素養などを求めたのだった。将来政宗の使者としていずれかの国におもむき、相手方に政宗の真意を的確に伝える役目である。腹が座っていることはもちろん、相手を納得させる話術や見識がなければ務まるものではない。

 そして、今政宗の目の前にいる良雲は、正しくそのような期待を背負って選ばれし者の一人であった。良雲は紀伊国熊野三山での修行を終え、このたび一年ぶりに米沢に戻ったのだった。むろん、修業は表向き。実体は、中央の情勢や信長軍の動きを探ることにあった。


 政宗は興味津々しんしんといった面持ちで良雲の話に聞き入っていた。すでに半刻ほどが過ぎている。良雲は尾張や畿内の情勢を報告した後、各地の織田軍の動きについても詳しく触れていた。そして、今良雲が報告しているのは、北陸における織田軍の戦いであった。


 「――この三月、謙信が身罷みまかると、その跡目を巡って景勝、景虎二人の養子が争いを始めたのは先刻ご承知の通りです。上杉家中は真っ二つに割れ申した。そして、この機に付け込んだのが誰あろう信長です。信長はさっそく上杉支配下の越中に飛騨方面から織田軍を侵攻させました。先導役を果たしたのが神保長住じんぼながずみなる者にて……」

 良雲はしっかりした口調で、己の目と耳で確かめた事実を語った。


 この頃、信長のもとには、謙信によって越中国から追い出された旧守護代の神保長住が逃げ込んでいた。信長は越中国攻略にあたって、手始めとしてこの手駒を鉄砲玉代わりに使ったのだった。信長は長住に織田の兵三千をつけて、ほんの様子見のつもりで飛騨口から越中国に攻め入らせた。四月のことであった。長住は旧領を取り戻す好機とばかりに奮戦した。しかし、越中国南部を制するのがやっとで、それ以上の進出は上杉勢に阻まれた。長住が指揮する軍勢は、長住配下の千に織田軍三千を加えても高々四千に過ぎない。越中国全土を制圧するにはいかにも兵力不足であった。


 転機が訪れたのは九月に入ってからであった。わずかな兵力で越中半国を制圧したことに気を良くした信長は、本格的に越中国制圧に乗り出した。信長は九月に入ると、織田信忠付きの重臣斎藤利治に、援軍として越中国に出陣せよと命じた。同月下旬、斎藤利治は美濃や尾張の兵一万余を率いて飛騨口から越中国へ攻め入った。


「――十月四日、織田軍は撤退すると見せかけて、上杉軍を月岡野つきおかのという地まで誘い出し、一気に反撃に転じた模様にございます。討ち取った首級は三百六十余。生け捕りにした者約三千とのこと。某が越中を抜ける途中、富山近辺の百姓らに確かめたところ、どうやら真の話のようにございます」

 良雲は、後世「月岡野の戦い」として語り継がれることになる重要な戦を、自らの調査結果に基づき詳細に報告した。


 織田軍がこの戦いで上杉軍に大勝したことにより、それまで日和見ひよりみを決め込んでいた国人領主らが、次々に織田方に服した。越中国内で、織田勢は断然優位となったのだった。

「ふ―む。信長の目論見もくろみ通りになったか……」

 政宗は、独り言のようにつぶやいた。政宗にも、信長の意図はおよそ読めていた。京を目指して西へ西へと進撃する上杉の勢いを止めるために、信長はどこかにくさびを打ち込みたかったのに違いない。その場所が越中国だったのだと政宗は思った。越中を制すれば、上杉勢を前線と越後本国とに分断できる。孤立した前線の上杉軍は、もはや西へは進めない。

(謙信の急死に続く此度の越中での大敗。もはや、上杉にかつての勢いはない。義昭や毛利、顕如けんにょらは、さぞかし当てが外れたであろうな……)

 政宗には、反信長勢力の中心である将軍足利義昭や毛利輝元、本願寺顕如らの落胆ぶりが目に浮かぶようであった。


 そんな政宗の思惑を知ってか知らずか、良雲は淡々と報告を続け、最後に上杉家の跡目争いの現状に触れた。

「お―、それよ。良雲。景虎と景勝の跡目争い。何か、変わった知らせでも持って参ったか?」

 政宗が珍しく声を上げ、身を乗り出した。越後国は隣国であるだけに、政宗にとっても、新しい当主が誰になるかは重大関心事であった。

「はっ! されば申し上げまする。この九月、北条が景虎支援のため越後に攻め入ったことは、殿のお耳にも届いていることと思いますが、実はこの北条軍、十月中にほぼ全軍撤退いたしました」

「何、真か!」

 政宗の隻眼がキラリと光った。

「はい。相違ございませぬ。更に、それがしが越後路から陸奥へ抜ける道すがら、人々は皆『これで、景虎様勝利の見込みはなくなった』と口々に申しておりました」

 良雲は、米沢に戻る途中、越後国内で出会った様々な人々が、声を潜めるように話していた内容を政宗に告げた。

「う―む。北条が兵を引いたとあらば、さもあらん」

 政宗も越後の領民たちの見方に異存はなかった。武田と同盟を結んだ景勝方が勢いを増し、景虎方を日々追い詰めていた。景虎方にとっては、北条の援軍こそがこの苦境から脱出する唯一の切り札であったのだ。その北条軍が撤退となれば、もはや勝負はあったと見るほかはない。


「しかし、あの北条勢が、不利な状況にある景虎を見捨ててむざむざ退散するとは思えぬが……。何があった? まさか、手ひどく負けたわけではあるまい?」

 政宗は畳みかけるように聞いた。景虎は北条家当主氏政の実の弟であり、その弟が今危急存亡のときを迎えているのである。よほどのことがない限り、撤退などありえないはずであった。

「いいえ、戦に負けたわけではございませぬ。あえて申せば、雪に負けたのでございましょう。越後の雪と寒さに驚いた北条軍は、全滅を恐れて退いたのでございます」

 良雲が事の真相を淀みなく語り始めた。


 あらましはこうである。九月に越後に侵攻した北条軍は、上杉景勝の本城である坂戸城を攻めた。しかし、上杉勢の頑強な抵抗に遭ってどうしても落とすことができず、冬を迎えてしまったのだ。そして、十月下旬某日、越後国は城も田畑も一面深い雪で覆われた。旧暦十月下旬ともなれば越後国は冬。いつ大雪に見舞われてもおかしくはないのである。雪や寒さに不慣れな北条軍にとって、越後の冬は脅威であったに違いない。また、国境の三国みくに峠が雪で閉ざされてしまえば、敵地の中で全軍が孤立してしまう恐れもあった。総大将北条氏照は十月末日、全軍に撤退を命じたのだった。


 政宗は、良雲の話を聞いて全てを理解した。

(北条軍は恐らく、冬が来る前に景虎方と合流できるものと踏んでいたに違いない。それゆえ、冬の戦への備えができていなかったのだ。そして、実際に越後の冬に出くわし、想像以上の雪と寒さに恐怖したのであろう)

 この際、北条軍が撤退を決めたのは賢明であったと政宗は思った。そして同時に、これで次の上杉家の当主は景勝とみて間違いなかろう、と政宗自身も確信したのだった。

 それにしても――と政宗は思った。

(このような重大事を今日の今日まで知らずにいたとは……。我ながら情けない話よ。もし、良雲の報告がなかったら、知るのは何時になっていたことやら……)

 政宗は、目の前の良雲に心の内で礼を言った。そして、新たな諜報網を組織することに決めた自らの判断に、誤りがなかったことを確信するのだった。

 ほどなく、良雲は口頭での報告を終え、最後に、今回の諸国行脚の結果を詳細に記した報告書を政宗に差し出し、館を退出した。


 良雲が去った後、政宗の脳裏にはまだ見ぬ二人の男の影が浮かんでいた。一人は上杉景勝、もう一人は武田勝頼であった。

(この二人……なかなかあなどれぬぞ。この先どう動くか、目が離せぬわい)

 政宗は鋭い目つきで遠くを見た。政宗は上杉家の内紛(御館おたての乱)を巡る二人の行動を見て、景勝や勝頼が凡庸な武将ではないことを見抜いていた。

(いつの日か、戦場で相まみえる日が来るかも知れぬが、その時は……その時はきっと、打ち負かしてくれようぞ!)

静かに闘志を燃やす政宗であった。





































































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戦国ドラゴン伊達政宗 山川 白雲 @rsp97482

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