第29話 山王館の戦い(2)

 六月十三日、政宗は高倉城で軍議を開いた。当日軍議に加わった者は伊達成実、浜田景隆、片倉重綱、伊東重信、原田宗時、桑折宗長、富塚宗綱、小梁川盛宗、遠藤宗信、白石宗実、田村宗顕らであった。なお、亘理重宗、屋代景頼、国分盛重、泉田重光らは連合軍に備えるために山王館に残り、軍議には加わっていない。同様に、大内定綱、湯目景康、鬼庭綱元らも軍議に加わることなく、郡山城の守備に就いていた。 


 高倉城大広間。五枚胴具足の上に陣羽織を羽織った政宗が、床几に腰を下ろしている。その足元には大きな図面が広げられており、板敷きの床に腰を下ろした武将らが左右から覗き込んでいた。皆、具足姿である。図面には山や川、地形などと共に、敵や味方の城や砦、陣地などが漏れなく描かれていた。

「藤五郎! 現在の状況はどうじゃ? 申してみよ」

政宗は伊達成実に最新の情勢報告を求めた。成実は、南方方面における伊達軍の若き総司令官として、八面六臂はちめんろっぴの活躍ぶりである。政宗の信頼もことのほか厚い。

「はっ! しからば、仰せに従い……」

成実は、すぐさま図面を使って目下の情勢を手際よく伝え始めた。


 この頃、伊達軍と佐竹・芦名連合軍は阿武隈川支流の逢瀬川を挟み、南北に分かれて対峙していた。伊達軍は逢瀬川の北、山王館を拠点にして一万の兵を集めていた。一方、連合軍側は逢瀬川の南、麓山ふもとやまを中心に、一万二千の兵を展開していた。また、麓山から更に南に位置する郡山城には伊達勢四千が入り、守りを固めていた。そして、この郡山城に対しては、佐竹義尚らに率いられた連合軍勢四千が攻撃の隙をうかがっていた。このように、両者は互いに大軍をこの地に集結させて睨み合ってきたが、不思議なことに、これまで大きな合戦は一度もなかった。


「現在のところ、敵に大きな動きは見られませぬ。ただ、物見の知らせによれば、郡山城の北側で何やら作業を始めている様子にございます。おそらくは、砦を築くつもりではないかと……」

成実は一通り現況を報告し、政宗の言葉を待った。

「ほう。砦を、のう……」

政宗は呟やくと、何やら思案気に少し頭を傾けた。

「恐れながら、敵の狙いは郡山城と山王館の連絡を絶ち、郡山城を孤立させた上で城攻めにかかるつもりかと推察仕りまする」

成実が政宗の思案を晴らすかのように答えた。

「うむ。さもあろう。或いはまた、それは見せかけで、真の狙いは山王館の攻略にあるやもしれぬ」

正宗が油断のない眼をして言った。

「はっ! 恐れ入りまする」

成実は平伏しながら、政宗の用心深さに感心した。政宗はその場で、山王館防御のための砦を築くよう成実に命じたのであった。


「殿! 敵が砦を築く前に、こちらから仕掛けてみとうございます。佐竹か芦名を痛めつければ、他の者は動揺いたしましょう程に……」

白石宗実が政宗の方を見て訴えた。早く戦いたくて仕方がないといった顔つきである。

「殿! それがしも、白石殿と同じ考えにございます。敵は所詮、寄せ集めの集団。形勢次第では、様子見を決め込むやからも現れましょうぞ。緒戦を制すれば、流れは一気に我らのものに……。是非、私奴わたくしめに先陣を賜りとうございます!」

勇猛で鳴る原田宗時も決戦を望んだ。他にも二、三人がまなじりを決して政宗に開戦をうながした。政宗はウムウムと小さく頷きながら、家臣達の意見に耳を傾けている。軍議や評定の場で政宗が見せる、いつもの光景であった。


(――思った通りだ。家臣たちは皆出陣の合図を待ちかねている。殿の御下知ごけちを今や遅しと待っているのだ。これではやはり、殿も勝負を避けるわけにはいかぬであろう)

小十郎は、政宗と家臣たちのやり取りを聞きながらそう思った。

 無理もない話である。一年後の天正七年に、政宗の運命を決めるような一大決戦の場が巡ってこようとは、この時点で小十郎以外誰一人知る者がないのである。知っていれば、政宗も家臣らも来年の決戦に備えて、今は兵力の消耗を避けるべきと考えるであろう。しかし、現実は違う。今、政宗は目の前の佐竹・芦名勢打倒に闘志を燃やし、家臣らは手柄を立てて恩賞に預からんと、はやる心を抑えかねていた。少なくとも、傍目はためにはそう見える。

(やはり、一戦は避けられぬか? 何が起こるか分からぬというに……)

さすがの小十郎も、もはや両軍の激突は不可避かと弱気になった。その時である。

「相分かった!」

政宗のりんとした声が響き渡った。

「そなたらの考え、本心、よう分かった! わしとて、そなたらと同じ気持ちじゃ。目の前の佐竹、芦名の兵を今すぐにでも蹴散らしてやりたい。本来なら、早速合戦に及ぶところじゃ。しかし、皆よく聞け! わしは戦わぬ! えて戦わぬことに決めたのじゃ」

政宗の口から思わぬ言葉が飛び出した。その瞬間、家臣たちはポカンとした表情で互いに顔を見合わせた。皆、政宗の真意を測りかねていた。

「と、殿! 真にございますか?」

伊達成実が驚愕きょうがくの表情で政宗に問いかけた。

「殿! 訳をお聞かせくだされ! 一体、何が……」

原田宗時が政宗に迫った。他の者も、何人か同調するように頷いた。


(――これは、驚いた。殿が、自ら戦をお避けになるとは……。一体、いかなる風の吹き回しであろうか?)

小十郎は、思いもしなかった事態に首をかしげた。なぜ、政宗がそのような決断に至ったのか、小十郎には思い当たるふしがなかった。

「今、越後で騒動が起きていることは、そなたらも知っておろう。謙信亡き後の、上杉の家督をめぐる争いじゃ」

政宗が、やおら切り出した。突然上杉と聞いて、家臣たちは皆、政宗が何を話し出すのやらとざわついた。

「景勝と景虎の争い、いよいよもって抜き差しならぬ有様じゃ。いずれが勝ちを収めるか、予断を許さぬ事態となっておる」

政宗は、今越後で繰り広げられている家督争いの状況を家臣たちに話し出した。


 ここで、越後国上杉氏の跡目争いについて簡単に触れておきたい。発端と経緯はあらまし次のようなものである。

 天正六年三月、越後の巨星上杉謙信が死去すると、その跡目をめぐって謙信の甥上杉景勝と養子の上杉景虎が争い始める(御館おたての乱)。景虎は相模さがみ国の北条家第三代当主北条氏康の子(現当主氏政の弟)であり、上杉氏と血縁はない。一方、景勝は謙信の甥(姉である仙洞院の子)であり、極めて近い血筋である。さらに、上条上杉家の血を引いているため、上杉家を継承する十分な資格、正統性を有することになる。そのせいもあってか、謙信の側近や旗本の半数以上が景勝の側に付いた。他方、上杉一門衆の多くが景虎側に加担した。実家である相模国北条氏が景虎の後押しをしたのは言うまでもない。斯くして、越後上杉氏は真っ二つに割れ、熾烈しれつな跡目争いを演じることになったのである。


「先月半ば、景虎は実家の北条を頼って援軍を要請した。しかし、氏政は援軍を送ることができなかったのだ。その方らも知っての通り、氏政らは今下野しもつけ国で佐竹、宇都宮の連合軍と合戦中じゃからのう。無理もない話よ」

政宗は一呼吸おいて更に続けた。

「その代わり、氏政は甲斐かいの武田に助勢を頼み込んだ。北条と武田は同盟関係にあるからのう。そして、武田勝頼はそれに応じて二万の大軍を率いて越後に向かった。しかし、これが曲者くせものじゃ。どうも怪しい動きをしておる。勝頼が本当に景虎や北条の側に立っているとは思えん。わしには、勝頼が漁夫の利を狙っているとしか思えぬのだ。ふっ、ふ、ふ。勝頼奴、なかなかの策士よ」

政宗は全て見通していると言わんばかりに皮肉っぽく笑った。


 小十郎は、政宗の言葉を一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてた。わざわざ上杉の跡目争いを話すからには、そのことと今度の政宗の決断がどこかでつながっているに違いないと思った。どこでどうつながっているのか、知りたかった。

「しかし、まあ、勝頼はよい。勝頼はよいとして、肝心なのは北条じゃ。北条がどう出るかじゃ」

政宗は表情を引き締め、話題を変えた。そちらの方が本題であるらしい。

「もし、わしが氏政の立場であったら、大急ぎで佐竹、宇都宮勢と和議を結び、兵を引き上げる。そして、迷うことなく越後に向けて進撃する」

「お―」

「景虎殿に加勢するためですな」

「なるほど、合点行き申す!」

何人かが感心して膝を叩いた。

「考えても見よ! もし、景虎が上杉の当主になれば、北条と上杉はもはや一体じゃ。当主同士が実の兄弟であるからのう。これほど固い同盟はあるまい。さすれば、東国に一大勢力が生まれることになる。そうなれば、今を時めく信長とて、容易に手出しはできぬであろうよ」

政宗は一気にまくし立てた。小十郎は政宗の鋭い読みに圧倒された。いつの間にか、手のひらがじっとり汗ばんでいた。

「それ故、氏政は下野国で佐竹などと戦をしている暇などはないのじゃ。氏政とて先刻承知のはず。事実、氏政自身が兵を率いて越後入りしたがっているとの噂が、わしの耳にも届いておる」

ここまで言って、政宗はぐるりと家臣たちを見まわした。今や、家臣らは固唾かたずをのんで政宗の話に聞き入っている。しわぶき一つ聞こえなかった。

「そこで、じゃ。氏政が佐竹と和議を結んで兵を引き揚げたら、どうなる? その後、佐竹はどうする? ここまで話せば、もう分かるであろう。成実! 続きを申せ!」

「はっ! 義重(佐竹義重)は芦名に援軍を送りまする」

「お―、そうじゃ。その通りよ。目の前から邪魔者がいなくなった義重は、自ら大軍を率いて我が子芦名義広の支援に駆けつけるはずじゃ。そうなれば、敵の軍勢は我が方の倍にはなろう。〈人取橋ひととりばし〉の二の舞じゃ。前回は辛うじて逃げおおせたが、此度こたびもうまくいくという保証はない。そこでわしは決めたのだ。此度は決戦を避け、和議に持ち込もうと、な」


(――なるほど、そういうことか。政宗様は、伊達家存亡の危機を迎えるようなあやういいくさは二度としたくないのだ。そのため、今回は早めにほこを収めようとしている。北条が佐竹と和議を結ぶ前に、先手を打って佐竹、芦名勢と和睦し、事を治めてしまいたいのだ。郡山城はすでに取り返し、田村領も伊達一色に染まった今、現状維持で丸く治まるなら、政宗様にとって悪い話ではない)

小十郎は得心した。それに、政宗の方針は、今は大戦おおいくさを始めてほしくないという小十郎の願いとも一致するのである。小十郎はひとまず安堵あんどした。


 十三日の軍議で、政宗は決戦回避の方針を下した。その日以降、伊達勢は逢瀬川と山王館の間に堅固な砦(窪田砦)を築くなどして持久戦に備えた。一方、連合軍側も郡山城の北側に二か所の砦を築いて伊達軍の分断を図った。しかし、双方とも大規模な合戦は避け、小競り合いに終始した。決戦を回避する理由は連合軍側にもあった。一つは、連合軍が必ずしも一枚岩ではなく、最後まで結束を保てるか不安であったこと。そして、もう一つは佐竹勢の援軍がもはや期待できないと見た佐竹、芦名以外の勢力が、決戦にしり込みを始めたからであった。


 七月に入ると、早々に岩城常隆(岩城大館城主)が石川昭光(石川郡三芦城主)と共に和議の仲介を申し出た。岩城常隆は当初連合軍に加わっていたが、途中から中立に転じていた。また、石川昭光は伊達晴宗の四男という血筋でもあり、どこまでも伊達家に対抗する考えは元々なかった。

 常隆は延々と小競り合いを繰り返す両者の気分を察知し、今が時節到来と和議を持ち掛けたのだった。両軍の小競り合いが続く間も和議交渉は進み、遂に七月十六日、佐竹と伊達が和議を結んだ。この頃、佐竹義重は下野国で北条軍と戦っている最中であり、南奥羽での戦線拡大を望んでいなかった。

 続いて、その二日後の十八日、芦名と伊達の間でも和議が成立した。こちらには、政宗の謀略の手が及んでいた。政宗は芦名氏の重臣猪苗代いなわしろ盛国を手なずけ、その子盛胤との間に分裂構想を引き起こさせていた。そのため、芦名家中は動揺し、戦の先行きに不安を感じていたのだった。こうして和議交渉はとんとん拍子に進み、同月二十一日両軍とも陣を引いた。

 なお、この後の八月五日、政宗は三春城に入り、田村宗顕を正式に田村家当主に据えている。





















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