第28話 山王館の戦い(1)

 六月十一日夕刻、本宮城の政宗のもとに三春城から急使が到着した。使者の口上はおよそ次のようなものであった。

一、本日、三春城に於いて義胤よしたね率いる相馬勢五千を迎え撃ち、これを撃退した。

一、その際、田村勢は相馬隆胤を始め敵の将兵七百余りを打ち取った。田村勢の損害は軽微である。

一、相馬勢は全軍自領目指して撤退した。

一、主宗顕むねあきは明日にも兵一千を率いて政宗様の本陣に馳せ参ずる所存である。


 使者が口上を終えると、その場にいた政宗の側近や幕僚らから感嘆の声が上がった。皆一様に顔をほころばせた。無理もなかった。相手は宿敵相馬勢である。相馬勢相手にこれほどの大勝利を得たのは初めてであった。負傷兵を含めれば、相馬勢は全軍のほぼ二割を一挙に失ったことになる。それは、伊達勢にとってこの上ない朗報であった。佐竹・芦名連合軍との決戦を前に、幸先さいさきの良いことだと誰もが思った。


(――これで、義胤も当分動けまい。わしも、三春が安泰あんたいならば後ろを気にせずにいられる。でかしたぞ、宗顕!)

政宗は口を真一文字に結び、カッと見開いた隻眼せきがんで遠くを見た。期待以上の宗顕の働きであった。田村領は仙道筋のかなめの地である。決して、よそ者に渡してはならなかった。であればこそ、一年前、策略を練って小次郎(宗顕)を送り込んだのだ。その時の苦労が報われたと、政宗は思った。

(それにしても、なかなか見事ないくさぶりではないか。ちょっと見ぬ間に成長を遂げたか? 明日の対面が楽しみになってきたぞ)

政宗は米沢城で対面した時の、まだどこか少年らしさを残した宗顕の顔を思い出し、一瞬ほおをゆるめた。


 そして、この時、政宗の脳裏に浮かんだもう一つの顔があった。片倉小十郎である。政宗は小十郎の鋭い洞察力に改めて舌を巻いた。ひと月前、小手森城陥落の折、小十郎は政宗に次のように進言していた。すなわち、佐竹・芦名連合軍が再び伊達領に侵攻すれば、必ずや相馬勢が三春城占拠に動く。もし、三春城が相馬勢の手に落ちれば、伊達勢は背後を突かれる恐れがある。それ故、三春城の防備を固めなければならない。いては、鉄砲五百挺を田村勢に与えられたし。つまんで話せば、このような内容を小十郎は熱心に訴えたのだった。政宗は小十郎の進言を入れた。果たしてそのひと月後である。相馬勢は小十郎の予見通り、連合軍の動きに合わせて三春城占拠へと動いた。もし、小十郎の進言を受け入れていなかったら、今頃三春城は相馬勢の手に落ちていたかもしれない。その場合、小十郎が危惧きぐした通り、伊達勢は背後を相馬勢五千におびやかされることになるのだ。連合軍との決戦を前にして、伊達勢は急転直下苦境に立たされていたであろう。政宗は胸をなでおろした。

此度こたびもあやつの申す通りであったわ。相馬勢の、義胤の動きを見事に当ておった。まるで、相手の手の内を読み切っているかのようじゃ。天晴あっぱれと言う他あるまい)

政宗は、小十郎には先を見通す天賦の才があるのだと思った。

(これほどの逸材いつざいを家来に持つ者は、この日本ひのもとにもそう多くはあるまい)

政宗はちょっぴり鼻が高かった。


 さて、その小十郎であるが、小十郎が三春城攻防戦の結果を知ったのは、伊達軍の前線山王館さんのうだて(別名窪田城。現在、福島県郡山市富久山町久保田)に於いてであった。十二日のことである。その日、政宗の命を受けた伝令が山王館に駆け込んできた。すわ、何事かと身構える諸将らを前に、伝令の武者は開口一番、明日高倉城(現在、福島県郡山市日和田町高倉)で軍議が開かれる旨を伝えた。そして、軍議に加わるべき武将らの名を記した書状を、陣代を務める伊達成実に差し出した。急ぎの用向きはこれ一件であったが、伝令は帰りしなにもう一つの役目を果たした。

「殿から、ぜひ伝えよと仰せつかって参りました。吉報にございます!」

伝令はこう前置きをして、三春城での勝ち戦を伝えたのだった。

 この日、山王館に陣を張る諸将の中で、この知らせを最も喜んだのは片倉小十郎に違いなかった。逸早いちはやく相馬勢の三春城攻めを予見し、それに備えるよう宗顕や政宗に進言したのが小十郎本人であれば、それも当然と言えば当然であっただろう。

(やはり、鉄砲が役に立ったか! 見事な勝ちっぷりだ! おかげで、わしも殿に合わせる顔があるというものだ)

小十郎は鉄砲五百挺の調達で政宗と直談判した経緯いきさつもあり、今回の田村勢の活躍を心から喜んだ。そして何よりも、自らの進言が生かされ、紛れもなく政宗の力になれたことが嬉しくてたまらなかった。


 その日、前線にこれといった動きはなく、小十郎は日暮れ前に自陣宿舎に戻った。鎧を脱ぎ、ひとしきり汗をぬぐった後、着替えの小袖こそでにそでを通した。生き返ったような爽やかな気分であった。小十郎は板の間にドッカと腰を下ろし、明日の軍議に思いを馳せた。

(殿は、この後どうされるお積りであろうか? 三春城で相馬勢が敗退した今、殿は後顧こうこうれいなく連合軍と戦える。兵力も五分と五分。今の殿には、連合軍など恐るるに足らずであろう。してみればやはり……)

やはり、殿は一気に決着をつけるお積りであろうか? いやいや、そうとは限らぬぞ。小十郎の頭の中を二つの思考が飛び交った。

 

 正史せいしでは、伊達軍はここ南方戦線において、終始劣勢な兵力で戦っている。言うまでもなく、大崎出兵で伊達軍が大敗した為、南方に兵力をく余裕が全くなかったからである。しかし、それでも政宗の伊達軍は粘り強く戦い、佐竹・芦名の連合軍に対して一歩も引かなかった。その結果、最終的に和議にこぎつけ、勝利に等しい結果を手にしたのである。

 ひるがえって、今の状況はどうであろう。正史が伝えるそれとは全く様相が異なっている。伊達軍は大崎勢に大勝し、政宗は十分な兵力を南方戦線に集めている。勢いに乗る伊達軍に負ける要素は見当たらない。政宗が勝利を狙って決戦を挑んだとしても何ら不思議ではない状況である。政宗配下の武将らも大方は決戦を望むだろう。このまま進めば、一大決戦が繰り広げられる可能性があった。それでは困ると小十郎は思った。                  

(殿! 此度はお止めなされ! 殿が勝負をかけるのは来年。今年ではありませぬぞ)

小十郎は本宮城の政宗に心の中で呼びかけた。小十郎は、来年即ち天正七年、政宗に一大転機が訪れることを知っていた。

(殿は、来年摺上原すりあげはらの合戦で大勝利を収め、晴れて奥羽の覇者となるのです! それ故、今は自重なされませ!)

小十郎は脳裏に浮かぶ政宗の顔に向かって尚も呼び掛けた。来年の戦にこそ政宗の命運がかかっているのだ。その前には、いかなる危険もおかしてほしくなかった。

 果たして、主政宗はいかなる決断を下すのか、明日の軍議まで待つ他はないと知りながら、小十郎はもどかしい思いに駆られるのであった。 















 


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