第19話 大崎合戦(2)

 天正六年(1578年)一月十七日、政宗は米沢城内で軍評定いくさひょうじょうを開き、諸将に大崎出兵を命じた。政宗はその場で浜田景隆を陣代に命じ、泉田重光を先陣大将、留守政景を後陣大将に任命した。二人の大将には各々兵四千を与えた。

 そして、この日最も諸将を驚かしたのが、第三陣の発表であった。誰も事前に知らされていなかったと見え、政宗の口から片倉小十郎重綱の名が出たときは一瞬どよめきが起こった。

「皆に告げておく! 小十郎は伊達の別動隊じゃ。重光の指揮にも、政景の指揮にも入らぬ。遊撃隊として、必要に応じて別行動をとる」

政宗のりんとした声が響き渡った。居並ぶ武将たちは互いに顔を見合わせ、うなずき合ったり、驚き合ったりしていた。

「重光も政景も、異存は有るまいな?」

政宗は二人の方を見た。

「はっ!異存ございませぬ」

重光が応じた。

「それがしも、殿のお指図に従うまで」

政景も続いた。

「皆の者、よく聞け! 此度こたびの大崎攻め、油断はならぬぞ。敵は兵糧、武器弾薬を城に運び込み、我らが来るのを待ち構えている。心してかかれ!」

政宗はげきを飛ばした。

「お―っ!」

諸将の口から一斉に掛け声が上がった。評定の場は既に臨戦気分で満ち満ちていた。政宗は各武将の配置を決めた。伊達籐五郎成実には仙道方面の指揮を執るように命じた。小十郎の言う通り、芦名勢が必ずや行動を起こすと見たからであった。そして、政宗自身は隣国出羽の最上義光もがみよしあきの侵攻に備えて、米沢城に留まることにした。程なく軍評定が終わり、諸将は先を争うようにして米沢城を後にした。

 政宗が今回の大崎攻めで繰り出す兵は、小十郎の別動隊三千を入れて総勢一万一千余の大軍であった。

(これ程の大軍を擁して負けるわけがあるまい。鬼の小十郎も今度ばかりは拍子抜けするであろうよ……)

政宗は自軍の圧倒的な勝利を疑わなかった。


 同月下旬、伊達軍は続々と千石城せんごくじょう(現在、宮城県大崎市松山千石)に集結した。その数、凡そ一万一千。さほど広くもない山城が内も外も将兵で溢れた。

 同月末に城内で軍評定が開かれた。陣代の浜田景隆を始め、泉田重光、留守政景、それに片倉小十郎ら主だった武将たちが参列した。戦法をめぐって、先陣大将の泉田重光と後陣大将の留守政景の意見が対立した。敵の出城である師山もろやま城と桑折こおり城を攻略し、その後に大崎義隆のこもる本拠地中新田なかにいだ城を全軍で攻めるべしというのが留守政景の主張であった。これに対し、泉田重光は最初から敵の本拠地中新田城を全軍で一気に攻め落とすべしと言い張って一歩も引かなかった。二人の言い争いは次第に熱を帯び、最後はののしり合いに近い状態にまでなった。二人の間に陣代の浜田景隆が割って入り、なんとかその場を収めたが気まずい雰囲気は残ったままであった。この時、小十郎は一言も発していない。

(やはり、な。ここまで相性が悪いとは……)

苦々しく見守る他なかった。

 結局、泉田重光の先陣は中新田城の攻略に、留守政景の後陣は師山城の攻略に各々向かうことで決着した。攻撃開始は明後日の二月二日と決まった。


 攻撃開始の二日早朝、泉田重光が四千の兵を率いて中新田城攻略へと進発した。留守政景もその後を追うように、同じく四千の兵を率いて師山城へと向かった。空は鉛色の雲に覆われ、風は冷たかった。

 伊達軍の主力部隊が進発した後、千石城に残ったのは小十郎の別動隊のみであった。小十郎の狙いは桑折城の黒川晴氏(黒川郡鶴楯城主)であった。晴氏が伊達軍攻撃の為に城兵を率いて中新田城に向かった後、空き家同然になった桑折城を急襲してこれを焼き払い、すぐさま晴氏の後を追う作戦であった。小十郎は既に桑折城に斥候せっこう部隊を張り付けていた。

 

 小十郎は史実を知っている。伊達軍は大崎勢相手に大敗するのである。敗因としては、天候の急変(大雪)など幾つか有るが、最大の要因は黒川晴氏の寝返りであった。伊達軍は黒川勢と城から打って出た大崎兵に挟み撃ちにされ、多くの将兵が討ち死にするのである。泉田重光も留守政景も命からがら新沼城という小城に逃げ込む始末であった。その後、留守政景は岳父黒川晴氏の恩情により、泉田重光を人質に差し出すという条件でようやく解放されるのである。そして、大崎合戦に於ける伊達軍の惨敗を見て、反伊達勢力はこの時とばかりに伊達領に侵攻を始めるのである。

 

 小十郎の目論見もくろみは、伊達軍がこのような状況に陥ることを阻止することであった。勝算はあった。小十郎には史実を知っているという途方もない強みがある。小十郎はこの強みを最大限に生かし、それを武器にしてこの戦を勝ち抜くつもりだった。その手始めが対黒川晴氏戦であった。史実では突然現れた黒川勢に伊達軍が翻弄されるのであるが、今日はそのお株を奪ってやるつもりだった。小十郎率いる伊達軍が突然黒川勢を背後から襲うのである。黒川晴氏の軍勢を撃破することが勝ち戦に繋がることを史実が如実に物語っていた。黒川勢を打ち破れば、元々数で勝る伊達軍が勢いを取り戻し、忽ち形勢は逆転するに違いないと思った。そうなれば、伊達軍は大敗を免れるばかりか逆に勝利を得ることすら可能となるのだ。史実を知っている小十郎だからこそ出来る戦であった。

 

 小十郎はこれまで自分の歴史知識を積極的に使うことをためらってきた。史実と違う結果を招くことを心のどこかで恐れていたからである。しかし、今小十郎の心の内には大きな変化が生じていた。

(私は大崎合戦の結末、成り行きを既に知っている。これから奥羽で始まる戦の事も、天下の趨勢も知っているのだ。この知識を、わが主君政宗様のお役に立てて何が悪かろう?)

小十郎は、かつてない熱い感情が心の奥底から湧き上がってくるのを、抑えることができなかった。何をためらっているのだ、この臆病者め――と、自らを叱咤した。

(史実通りに事が運ぶだけなら、政宗様が天下を取ることなど永久に無いのだ! そうであろうが! それでいいのか? 良い訳が無かろう。今更歴史が変わることを心配してどうなる? そもそも、歴史を変えたかったのではないのか? ならば、遠慮のう変えてみよ!)

小十郎の心の内にわずかに残っていた迷いが、跡形もなく消え去った。小十郎は、自分が持っている知識の全てを、政宗の天下取りの為に捧げようと改めて誓うのだった。

 

 泉田重光、留守政景の両将が千石城を進発して一刻半(三時間)が過ぎたころ、桑折城を見張っていた斥候が馬を飛ばして戻ってきた。

「黒川晴氏の軍勢が桑折城を出ました! 中新田方面に向かっております。その数、凡そ二千五百!」

「うむ。晴氏奴、動いたか!」

小十郎は甲冑姿で床几しょうぎからスックと立ち上がった。右手には軍扇を握り絞めていた。

「出陣じゃ! 皆、用意を致せ! 桑折城を一気に攻め落とすのだ!」

小十郎は黒川勢二千五百と聞いて、それならば、今、桑折城はもぬけの殻同然であろうと思った。守備兵は恐らく百に満たない数であろう。一揉みにして火を放つのは造作もない事だった。

 それから間もなく、小十郎率いる三千の遊撃隊が隊列を組んで桑折城に向かった。風は一段と冷たくなり、いつの間にか小雪が将兵らの顔を濡らしていた。


















 

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