第18話 大崎合戦(1)

 小十郎は大崎領から戻った日の翌日、米沢城内で政宗と対面した。政宗は待ち兼ねていたと見えて、上段の間に腰を下ろすなり口を開いた。

「小十郎! 大儀であったぞ。待っておったわ。首尾を申せ!」

身を乗り出すようにして報告を求めた。それではと、小十郎は挨拶もそこそこに氏家吉継との会談内容を詳しく報告した。

 報告は政宗の期待にたがわず、満足すべき内容だった。狙い通りに、吉継の口から援軍要請の言葉を引き出していた。そればかりか、内紛鎮定後は政宗に臣従するとの約束まで取り付けていたのである。乱平定後は大崎領の統治を政宗に任せると言っているのに等しかった。これ以上望むべくもない程の成果と言えた。

(――やはり、この男は使える! 武勇に優れているだけではないぞ。知恵の方も相当なものだ)

政宗は改めて小十郎の非凡さに驚いた。今後、諸国との交渉事には欠かせない男だと思った。そんな政宗の内心を知ってか知らずか、小十郎は端正な顔を政宗に向けたまま端座している。その姿には若いに似合わず威厳があった。政宗は思わず笑みを浮かべた。小十郎への信頼と期待は揺るぎないものになっていた。

「ようやった、小十郎! でかしたぞ! 後は援軍を差し向けて刑部らを討ち取るまでじゃ」

政宗は晴れ晴れとした表情で小十郎にねぎらいの言葉をかけた。大崎五郡は最早手に入れたも同然と言わんばかりの顔である。

 

 南進を図る政宗にとって、北に位置する大崎氏の動向は常に要注意であった。いつ何時出羽の最上義光もがみよしあきと手を組んで、政宗に牙をかないとも限らなかったからである。政宗は、南の仙道方面で戦っている最中に北方から攻め込まれるのだけは何としても避けたかった。その為、政宗は以前から大崎領を我が物にしてしまおうとすきををうかがっていたのだ。そんな折、大崎家中で派手な内紛が勃発し、今回願ってもない介入の機会を得たという訳である。大崎領併吞へいどんは伊達氏歴代当主の宿願であった。今その宿願が政宗によって叶えられようとしている。政宗は仙道制覇に一歩近づいたような気がして、自ずと気持ちが高ぶった。

「大軍を送って一気にけりをつける。総大将は留守政景と泉田重光で良かろう。わしがわざわざ出向くまでもあるまい。そうであろう? 小十郎」

 

 政宗はこの度の大崎家内紛への介入を楽観視していた。兵の数や実戦経験の数に於いて、伊達勢は大崎勢を遥かに凌駕りょうがしていた。まともに遣り合えば、伊達勢の圧勝は目に見えていた。無論、政宗は大崎義隆が最上義光に援軍を請うであろうことは計算に入れている。ただ、その場合でも、義光が送る援軍は精々二、三千と踏んでいた。何故なら、大崎領に大軍を送れば、その隙をついて政宗と同盟を結んでいる庄内地方の大名大宝寺義勝が、最上領に攻め入る可能性が高かったからである。義光はその事を恐れて、大軍の派遣は控えるであろうと、政宗は考えていたのだった。三千の援軍であれば、伊達の別動隊を充てて防げばよい。その間に大崎勢を完膚なきまでに叩くまでだと政宗は計算していた。いずれにせよ、大崎領は伊達の支配下に入る。そうなれば、今後は背後の心配をせずに南進できるのである。政宗の仙道制覇への夢はいやが上にも膨らむのだった。


 「殿! 御油断は禁物にございます。この戦、敵も必死なれば、思わぬ苦戦となるやもしれませぬ。万が一、手こずるような事にでもなれば、少々厄介なことに相成りましょう」

小十郎は政宗のはやる心を見透かしてきっぱりと言った。

「ほお―。我らが大崎勢相手に苦戦すると言うのか? 重光と政景では勝てぬと申すか?」

政宗は怪訝けげんそうな顔をして小十郎に問い返した。

「あ、いえ、決してそのようなことではございませぬ」

小十郎は一瞬口ごもったが、意を決して言葉を続けた。

「殿、私は此度こたびの大崎出兵、決して油断ならぬものと心得ております。確かに氏家吉継をお味方に引き入れましたが、大崎家臣の大半は義隆に従っております。又、最上義光の援軍も加わることでしょう。敵は籠城の支度を整えて我らを待ち構えているはず。重光殿や政景殿と言えども決して楽な戦とはならぬと考えます」

小十郎は何故警戒しなければならないのか、その訳を冷静に述べた。しかし、政宗にとって、小十郎が指摘した点はすべて織り込み済みであった。特に目新しい事実はなかったのである。政宗の自信はびくともしなかった。

「ふ―む。わしはな、小十郎。重光と政景に各々五千の兵を与えて競わせるつもりじゃ。あの二人が互いに負けじと突き進めば、落とせぬ城など有るものか。あっと言う間に大崎全土を抑えるであろうよ。それ故、わしは安心して米沢で吉報を待つと言っておるのだ」

政宗は泉田重光と留守政景への厚い信頼を語った。政宗の頭には二人の武将が苦戦する姿などどこにもなかった。

「はっ! 御尤ごもっともにございます。私とてお味方の勝利を信じております。ただ、戦は何が起こるかわかりませぬ。万が一、大崎攻めに手こずるようなことがあれば、我らはたちまち窮地に陥ることになります。〈人取橋〉の二の舞にならぬとも限りませぬ。それ故、用心に用心を重ねねばと申し上げているのでございます」

小十郎は食い下がった。人取橋と聞いて政宗の眉がピクリと動いた。

「何、人取橋だと? 聞き捨てならぬわ。小十郎! 人取橋の二の舞とは一体いかなることじゃ、申して見よ」

「はっ! されば、申し上げます。現在、殿の周りには油断ならぬ敵が幾つも控えております。その敵は皆、隙あらばと殿を狙っておりまする。それ故、此度の大崎攻めで隙を見せれば好機とばかりに一斉に襲い掛かって来るに相違ありません」

「う―む。芦名や佐竹が動くであろうな……」

政宗がつぶやいた。

「芦名や佐竹ばかりではありません。彼らとよしみを通じている仙道筋の諸大名も呼応して動きまする。更に、東からは相馬義胤そうまよしたねが田村領を狙って侵攻を始めるに相違ありません。そして、これから戦う最上・大崎連合軍です。殿はこれらの敵を一度に相手にすることになるのです」

「…………」

政宗は黙ったまま耳を傾けていた。

「又しても、多勢に無勢の戦い。正に人取橋の二の舞では有りませんか? もし、そうなった場合、今度もうまく切り抜けられるなどという保証がどこに有りましょうや? 私は政宗様のお命も、伊達家の行く末も共に累卵の危機を迎えるものと危惧致しまする」

小十郎の顔は真剣そのものであった。小十郎は伊達軍が大崎勢相手に大敗することを知っている。そして、それが引き金になって、政宗が三方の敵とほぼ同時に戦う羽目になることも知っていた。それだけに、小十郎の言葉には力がこもっていた。

「そうならぬ為、我らはこの戦必ず勝たねばなりませぬ。周りの敵が付け入るような隙を見せてはならないのです。それ程大事な一戦と心得ます。私はこの戦に万全を期すため、御殿おんとの自らの御出陣を願いとうございます」

小十郎は政宗の顔をハッタと見つめた。政宗は大きく一呼吸した。

「ふ―む。此度の大崎攻め、それ程の大事であるか。どうやら、そなたにはこの政宗にも見えぬ何かが見えておるようじゃな」

「恐れ入ります。あくまでも万が一を考えての老婆心にございます。見当違いの時は平にご容赦願いまする」

小十郎は平伏した。平伏しながら、政宗が自ら出陣すると告げてくれるように祈った。政宗が陣頭の指揮をとれば、二人の総大将泉田重光、留守政景の不和から来る作戦の不徹底や不統一が避けられると思った。全軍の統率さえ取れれば今の伊達軍に負ける要素はないのだ。恐らく大敗は避けられるだろう。そうなれば、その後の展開が全く違ってくるはずだった。小十郎は政宗の言葉を待った。

「小十郎! 決めたぞ! 此度の大崎攻め、そなたに三千の兵を与える。伊達の別動隊として存分の働きをするがよい。良いな!」

思いもかけない政宗の言葉だった。

「と、殿! それは……」

小十郎は意表を突かれて言葉に詰まった。

「小十郎! 今更いなやは許さぬぞ! 散々わしを脅しおって……この戦、そなたの力で見事勝ち戦に導いてみよ! よいか!」

政宗は畳みかけた。語気が強くなっている。もはや、小十郎に選択の余地はなかった。

「はっ! この小十郎、命に代えましても勝ち戦に導きまする!」

小十郎は政宗に向かって宣言した。

(何という事だ! こんなことになるとは……)

小十郎は予想外の展開に戸惑いながらも、政宗の命令をやり遂げる覚悟だけはしっかりと胸に刻むのであった。









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