第12話 田村家を継ぐ者(2)

  小十郎は政宗との対面を終えて下城した後、そのまま半月ほど米沢屋敷に滞在した。その間、父景綱から他国と交渉する際の要点や策略などを学ぶのに余念がなかった。何しろ景綱は先代輝宗の懐刀ふところがたなとも称された男である。豊富な経験談が湯水のようにあふれ出た。如何いかに相手を説き伏せて味方につけるか、その極意の数々が披露された。これまでどちらかと言えば武辺一辺倒だった小十郎にとっては、何もかもが新鮮で興味深い話だった。いくさの裏にはもう一つの別の戦が有るのだと実感した。実際、戦国乱世のこの時代、戦国大名達は表と裏、両方の戦いでしのぎを削っていたのだ。又、米沢滞在中に、小十郎は何人かの人物に会って熱心に話を聞いた。田村家の内情に通じているという男や相馬と田村を行き来している商人など、様々であった。「まず、敵を知ることから始めよ」という景綱の言葉を早速実践したのだった。


 重大な使命を帯びて小十郎が大森城に戻ったのは十二月中頃であった。小十郎は直ちに動いた。田村家中で伊達派の旗頭と目される田村月斎(顕頼あきより)に書状をしたためた。書状の中身はあらまし次の通りであった。

即ち、田村家中で今起きている跡目争いに、あるじ政宗が心を痛めていること。

早期に解決を図るため、月斎殿に協力したい。ついては相談の為、正月明けに一度お会いしたい。全ては主政宗の内諾を得てやっていることである、などであった。小十郎は書状を家来の佐久間忠直に密かに届けさせた。


 同日、佐久間忠直が返書を持ち帰った。返書には、会見承諾の意思と、当方年寄りの為遠出は出来難い故、三春の月斎の屋敷までご足労願いたい、と書かれていた。日にちは一月十日が宜しかろうとあった。


 翌天正五年(1577年)一月十日、小十郎は佐久間忠直等十人程の供を連れて、三春の田村月斎の屋敷を訪れた。小十郎は供のものと別れ、別室で田村月斎と対面した。月斎はうに七十歳は過ぎているだろうと思える老人であった。しかし、顔の色つやも良く、かくしゃくとしていた。

 小十郎は主君政宗が田村家の現状を如何にうれいているかを述べた後で、現在の田村家中の様子を尋ねた。

「お恥ずかしい話ですが、今家中は真っ二つに割れておりもうす。我らはあくまでも、政宗様と愛姫めごひめ様との間に御子みこがお誕生になるまでお待ち申し上げる覚悟。同じ志を持つ者同士、血判状をしたため、二心無きを誓い合っておりまする」

月斎は一語一語かみしめるように言葉を吐いた。急死した田村清顕が生前に語っていたのは、政宗と愛姫の間に誕生した男子を田村家の後継者に迎えるという強い意志であった。月斎らはその意志を守ろうとしていた。

「うむ。それで、相馬から養子を迎えようと顕基あきもと殿が動いているというのは真でござるか? 月斎殿」

小十郎は小野新町城主田村顕基が清顕後室(十四代相馬顕胤の娘)と手を組み、相馬から養子を迎え入れようと画策しているとの噂を耳にしていた。顕基は月斎のおいであった。

「真でござる、重綱殿。重臣共をそそのかし、相馬と組むべしと説いて回っております。今のところ、同調する者はそれほど多くはござらぬが、大越顕光や郡司敏良等が奴のもとに走りました」

月斎は無念そうに唇をかんだ。思った以上に相馬派の勢いが増している、と小十郎は感じ取った。

「真に、言いにくい事では有りますが……」

月斎は言いづらそうに口ごもった。

「何でござろう、月斎殿。私に遠慮などいりませぬぞ。何なりと申して下され」

小十郎に促されて月斎は遠慮がちに口を開いた。

「顕基は、あの顕基奴は、政宗様と愛姫様は不仲ゆえ、御子などはいつお出来になるかわからん。そんな当てにもならぬものを待つよりは、相馬から跡取りを迎える方が余程田村家の為じゃ、とほざいており申す。あの、恩知らず奴が!」

月斎は唇を震わせた。確かに一時、政宗と正室愛姫の不仲説がまことしやかに流布るふしたことが有った。しかし、それは不仲というよりは政宗の幼い妻に対する配慮の結果であった。早熟な政宗は愛姫が大人の女として成熟するまで少しばかり時を待ったのである。そのことが不仲説を呼んだのであるが、いづれにしてもだいぶ昔の話であった。

「言いたい者には言わせておけば良いのです、月斎殿。殿と愛姫様は仲むつまじゅう過ごしておられます。いづれ御子様ご誕生となる日もそう遠くないでしょう」

小十郎は月斎の心中を察してやや楽観的に言った。

「おう、そうとも。我らは皆その日が来るのを信じておる。亡き清顕公のご意志を継ぐまでじゃ」

月斎は小十郎の言葉に励まされたか、落ち着いた表情に戻り、口元を引き締めた。

「月斎殿。先ほどは相馬に与する面々の名を伺ったが、我ら伊達にお味方する御重臣方はいかほどの人数おられるのであろう?」

小十郎は相馬派の意外な勢いを知り、多少の不安を覚えて訊ねた。

「さよう。その事じゃが、ご重臣方のあらまし七割は我らに同調致しております。それ故数では圧倒的に我らに分がございます。今家中の事は我ら田村一門と橋本あきのり殿とで、万事相談の上取り行っておりまする」

月斎は家中の実権を握っている点に力を込め、胸を張って答えた。橋本顕徳は清顕の死後、田村一門と肩を並べて家中の運営を取り仕切っている実力者であった。

「それを聞いて安堵いたしました。橋本殿にもいずれお目にかかりたいものです」

小十郎は相馬義胤の魔手がまだ田村家中の中枢部に及んでいないことを知り、ほっとした。しかし、急がねばと思った。

「おう、そうなされよ。顕徳殿には私の方からも伝えておきますほどに……。ところで重綱殿、何時ぞやの書面には跡目争い解決の為、この月斎にお力を貸して下さると記されておりましたが、それは真にございますか?」

月斎は小十郎の眼をじっと見つめて訊ねた。小十郎も目をそらさず答えた。

「無論の事にございます。その為に、私が今日ここに来ているのです」

「ふむ。して、政宗様も全てこのことをご存じだと、そう申されるのですな?」

月斎の眼が一瞬光った。

「いかにも! 政宗様は全てご承知です」

「ならば、お訊ねいたす。政宗様は田村家の跡目についていかなる方策をお持ちでありましょうや? この月斎にいかなるお力添えをなさるおつもりか? とくとお聞きしとうござる」

月斎は、はたと小十郎を見た。政宗の意思を伝える機会をうかがっていた小十郎は、月斎の方からたずねてくれたのを好機と捉え、おもむろに口を開いた。

「政宗様は、田村家の跡取りに弟君の小次郎様を是非にと申しております」

「げっ!」

月斎は悲鳴を上げた。

「月斎殿が驚かれるのは無理も有りませぬ。なれど、田村の地をいつまでも主無しのままで置くわけには参らぬのです。何となれば、田村は仙道における要衝の地。隣国が常に狙っております。現にこうして相馬がちょっかいを出してくるではありませんか。岩城常隆も隙あらばと窺っております。ですから、どこからも侮りを受けぬようにしっかりした跡目を立てる必要が有るのです」

小十郎はやや早口に、しかし力を込めて説いた。月斎は食い入るように小十郎の顔を見つめた。

「ま、真の話でござるか? 弟君の小次郎殿を……、政宗様が?」

月斎はかろうじて問い返した。小十郎が大きくうなずく。

「もし、田村の地が他国の支配を受けるようなことになれば、ご自分の仙道制覇が遅れてしまうと政宗様はお考えなのです」

「仙道制覇とな!?」

「はい、月斎殿。我が主政宗様はここ二、三年のうちに、必ず仙道諸国を切り従え、奥羽の覇者となりましょう。そして、やがては関東御出陣へと駒をお進めになるのです。そして、その先には……」

小十郎はそこまで言って口をつぐんだ。つい喋りそうになってしまったが、今小十郎が自信を持って言えるのは奥羽の覇者迄であった。

「大層な自信でござるな、重綱殿。まあ―良いわ。それは良いとして、我らの願いはどうなる? 愛姫様のお血筋の御子を田村の跡取りに迎えるという、我らの願いは。小次郎君をお迎えするという事は、亡き清顕公の御意志を踏みにじるもの。到底承服できかねますぞ! 重綱殿!」

月斎はいきどおって語気を強めた。田村の血筋が軽んじられているようで我慢がならなかったのだ。田村氏は彼の坂上田村麻呂を祖とする一族で、代々田村郡を支配してきた。その由緒ある血筋が軽んじられたとあっては黙っているわけにはいかなかったのだ。小十郎にもこの辺りまでの月斎の反応は予め読めていた。ここから先が肝心な点であった。小十郎は細心の注意を払って話を続けた。

「政宗様は今でも、奥方様との間に男のお子がご誕生の時は、田村家にお入れになる御所存に変わりは有りません。只いつになるかは分かりませぬゆえ、その間の不安を取り除くために小次郎君をとお考えなのです」

「ならば、小次郎君は愛姫様に御子がご誕生なさるまでの代役と申されるか?」

月斎は拍子抜けしたような顔をして小十郎の顔を見た。

「あっ。いや、代役とは申しませんが……」

小十郎は月斎の率直な物言いに思わず苦笑した。

「政宗様は奥方様に御子がご誕生すれば、必ずやしかるべき時に田村家にお入れになるはず。したがって、小次郎君はそれまでの間田村家の家督かとくを代行する、言わば〈名代みょうだい〉にございます」

「ふ―む。名代のう……。本日は思いがけない話を次々耳にし、いささか戸惑い申した。いづれも大事な話故即答は出来ぬが、近々顕徳殿とも相談の上ご返答申し上げよう」

月斎の顔には明らかに疲労の色が浮かんでいた。小十郎も今日のところはこの辺が潮時と心得、話の詰めに入った。小十郎は改めて、後継者不在のままにしておくことの愚を丁寧に説いた。そして、政宗が本気で仙道諸国平定を視野に入れていることを力説し、その実現の為にも田村家の力が必要なのだと訴えた。そして最後に、橋本顕徳と力を合わせ、小次郎を跡目に迎え入れる方向で家中を取りまとめるよう強く要請した。月斎は無言で小十郎の話を聞いていたが、小十郎の言葉の端々から政宗の並々ならぬ決意を感じ取っていた。こうして小十郎と田村月斎の顔合わせが終了した。その日午の刻(12時)頃、小十郎一行は田村月斎の屋敷を後にした。


 小十郎は田村月斎の屋敷から戻った六日後、今度は橋本顕徳に書状を届けた。たびの跡目相続の件で、伊達側に立って家中を取りまとめようとする労をねぎらい、感謝の意を伝えたうえで、ぜひ一度会って忌憚きたんなく話をしたいと伝えた。その結果、一月下旬に大森城での対面が実現した。それまで月斎からはまだ色よい返事が届いていなかったので、状況を探るには良い機会だった。


 小十郎は当主館の奥座敷で顕徳と対面した。側近の佐久間忠直らも退席させて二人きりで向き合った。顕徳は髪の毛に白いものが目立ち、五十歳は越えているだろうと思われた。しかし、穏やかな物腰の中にもどこか威厳を感じさせた。

小十郎は厳寒のみぎりに訪れてくれたことに謝意を述べ、今日は田村家の跡目について顕徳殿の真意をお聞かせ願いたいと切り出した。顕徳は既にその件については月斎から聞かされていたと見え、躊躇ちゅうちょなく話し出した。

「私としては、小次郎君が田村家家督を代行する名代として田村家にお入りいただく分には、何も異存はござらぬ。愛姫様に御子が御誕生するまでの一時の辛抱と心得まする」

「ほう。これは心強い。月斎殿もご同意であろうか?」

「はい。私と同様にございます。実は重綱殿、私が今日こちらに参るにあたり、月斎殿から書状を託されて来ております」

この通りと、一通の書状を差し出した。

「詳しい経緯は書面をお読みいただくとして、月斎殿は間違いなく小次郎君をお迎えすることに賛同いたしております。私からもよくよく伝えてくれと念を押されました」

「それは重ねがさね心強うござる。して、その後の家中の風向きはいかが相成りましたかな?」

「はい。その事ですが、私と月斎殿とで旗色を明らかにせぬ者らを説き伏せに回ったところ、今では九割方が我らに同調いたしております」

顕徳は落ち着き払って答えた。僅か半月足らずの間にしては上々の出来であった。小十郎も胸をなでおろした。

「それでは、事は順調に運んでいると見て良いのですな? 顕徳殿」

「如何にも。近々跡目を決めるための評定ひょうじょうを開き、決着を図る所存にございます」

顕徳は事も無げに言った。

「なに、決着とな? 真ですか? 顕徳殿 」

期待以上の進展に、小十郎も驚いた。顕徳の口からはさらに興味深い報告がもたらされた。

「月斎殿とも相談の上、早ければ月内にも評定を開くつもりでおりますが、実はここに来て家中に不穏な動きが有るのでございます。顕基殿らが相馬の軍勢を三春城内に手引きし、一挙に我らを制圧せんとするたくらみです」

小十郎にとって初耳のこの話、事実であれば由々しき問題であった。

「それが真であれば、我らも見過ごすわけには参らぬ。その時は我ら伊達も軍勢を差し向けねばならぬが……」

小十郎が眉を曇らせて思案顔になった。顕徳が小十郎の言葉をさえぎるように言った。

「ご案じ召さるな、重綱殿。我らとて只手をこまねいている訳ではござらぬ。その時は顕基殿らを一網打尽いちもうだじんの上、相馬兵など一兵たりとも城内には入れ申さぬ。既に手配は整っております」

顕徳はどこまでも落ち着き払って答えた。全身から自信がにじみ出ていた。

「相馬が兵を動かせば、逆にそれを理由に家中から相馬派を一掃する手筈てはずになっております。よって、如何なる企みも徒労に終わるでありましょう」

「う―む」

小十郎は思わず唸った。正に一軍の将にふさわしい見事な采配ぶりであると思った。小十郎は、跡目問題をこのまま顕徳と月斎に任せておくことに何の不安も感じなかった。後は近々開かれるという評定の結果を待てばよいだけだと思った。肩の荷が下りた気がした。この後、小十郎は顕徳と昼餉ひるげを共にして、天下の情勢などを語り合った。昼過ぎ、橋本顕徳は三人の家来を従え、馬を飛ばして三春へと帰っていった。


 天正五年(1577年)二月十八日、伊達輝宗の次男小次郎(政宗の弟)は正式に田村家に養子入りとなった。名目上はあくまでも、愛姫に御子が誕生するまで家督を代行する名代としてであったが、実質はまぎれもない家督相続だった。数日後には田村氏顕の娘松姫(清顕の姪)と縁組することになった。清顕と氏顕は両親を同じくする兄弟なので、松姫は田村の血を引いている。将来生まれてくる子も当然田村の血を引くことになる。その事によって田村家中に残る反発を和らげる効果があった。小次郎は政宗から宗の一文字、田村家からも顕の一文字をそれぞれへんとして与えられた。以後、田村小次郎宗顕と名乗った。宗顕はこの時、兄政宗とは四つ違いの十七歳であった。

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