第11話 田村家を継ぐ者(1)

 天正四年(1576年)十一月下旬、大森城主片倉小十郎重綱の下へ政宗から一通の書状が届いた。

大森城の住み心地はどうか? に始まって、当分いくさは有るまいから今のうちに子作りに励めなど、他愛もない話が続いた後に本題が簡潔につづられていた。

即ち、田村家中かちゅうで今起きている跡目争いに触れ、この件で小十郎の知恵を借りたいゆえ、直ちに米沢に参上せよとの下命であった。

(はて、何事であろうか?)

小十郎は見当がつきかねて一瞬戸惑った。田村城主田村清顕が死去したのは先月九日である。清顕には男子がいなかった。その為、跡目をめぐって、相馬氏から養子を迎えようとする一派と、あくまで伊達氏に頼ろうとする一派とが対立しているという話は小十郎も知っていた。しかし、小十郎自身は政宗の正室が清顕の娘であり、これまでの関係や経緯から考えても、跡目問題は伊達氏主導のもとに解決されるものとばかり思っていたのだ。それが、どうもそうでもないらしい。何らかの理由で相馬派が勢いを増したのであろうか? それとも他に……。政宗の書状だけでは詳しいことは何も分からなかった。

(急ぎ米沢に参るしかあるまい。それにしてもこの小十郎に、殿のお役に立つような知恵が有れば良いのだが……)

 小十郎は政宗の顔を思い浮かべ、期待に応えられるか少し不安を覚えた。小十郎は〈人取橋の戦い〉後、政宗が自分に対して一層の信頼を寄せるようになったことを強く感じていた。仙道の要衝であり、宿敵相馬氏との最前線でもある此処ここ大森城を任されたのは政宗の信頼の証であった。小十郎の前は政宗の腹心とも言える伊達成実が守っていたのだ。信頼のおける家臣でなければ任せられない重要拠点であった。その要の城を今自分は任されている。そう思うと胸が熱くなった。小十郎は政宗の信頼に何としても応えたかった。

(――待てよ。父上ならば、何かご存じかも知れぬ)

 小十郎は、ふっと父景綱を思った。景綱は小十郎が綾を連れて大森城に引き移った後も、奥方と共にそのまま米沢の片倉屋敷に止まっていた。景綱は「ここを己の隠居所にする」と小十郎に告げた。小十郎も景綱の思いを尊重し、その意向を受け入れたのだった。小十郎にとっても、自分の留守中に両親が米沢の屋敷を守っていてくれるのは有り難く、心強くもあった。無論十分な数の奉公人も残してあった。いつ何時小十郎が戻って来ても、片倉家の米沢屋敷としての体面と機能を備えていた。

 最近は伊達の勢力圏が拡がり、重臣たちの赴任先ふにんさきも益々米沢本国から遠ざかる傾向にあった。赴任先から所要のために米沢本国に戻る重臣たちにとって、便宜上べんぎじょう滞在施設は必要不可欠であった。その為、この頃では他の重臣たちも政宗の許可を得て、皆米沢城下に夫々の屋敷を構えるようになっていた。

 (父上はずうっと御城下にお住まいじゃ。殿のお側近くの者から何か聞き及んでいるやも知れぬ。まずは父上に相談してみねば……)

小十郎は静かに目を閉じた。思えばこの一年、戦続きで、景綱とはろくに話もしていなかった。良い機会だと思った。そして、次の瞬間には奥羽山脈の雪景色を思い浮かべていた。

(――今頃は、峠はさぞかし雪であろうな? さても、難儀な事じゃ……)

小十郎は大森から米沢に抜ける道、その途中に立ちはだかる難所板谷峠いたやとうげに早くも思いを馳せていた。心は既に米沢に飛んでいたのである。


 翌日早朝、小十郎は僅かばかりの供回りを連れて大森城を立った。全員騎乗姿で、冬支度に身を固めていた。途中難所の板谷峠は案の定積雪が多かったが、幸い峠を越すまでは雪が止んでいたので思いの外に行程ははかどった。昼過ぎには峠を下り、麓の百姓家で囲炉裏を借りて遅い昼食ちゅうじきを取った。ここまで来れば一安心であった。日が落ちる前に米沢屋敷に入れそうだった。

 そして、予定通り一行が米沢屋敷に着いたのはさるの刻(午後4時)頃であった。当主の前触れなしの帰国に奉公人達は上へ下への大騒ぎであったが、どこか華やいだ雰囲気が漂っていた。先の合戦で小十郎の豪勇ぶりが知れ渡っており、奉公人達の間に、〈おらが英雄〉を迎えるような高揚した気分が満ちていたからであろう。


 夕餉ゆうげの膳が下げられた後、小十郎は別室で父景綱と向き合った。傍らに置かれた大火鉢では炭火が赤々と燃えている。二人の間には酒器が置かれていた。互いに杯を交わした。最初に小十郎が口を開いた。

「父上。私はこの度殿から田村家の跡目争いの事で呼ばれております。その方の知恵を借りたいと申されまして……」

「ほう―。田村の跡目争い、のう……」

景綱は口許まで運んだ杯を一瞬止め、遠くを見る目で静かに杯を飲み干した。

「知恵を出せと言われても、私には見当もつきません。そもそも、今田村家で何が起こっているかも知らないのですから」

「ふむ。わしとて委細を承知しているわけではないが……。相馬が裏で糸を引いていることだけは間違いなかろう。それにしても、殿が今直々に乗り出すほどの事であろうか? 殿にとっては、今はむしろ芦名の跡目争いの方が遥かにお大事なはず。――どうも解せぬな」

景綱は片手であごひげをなでながら頭を少し傾けて見せた。

 

言われてみれば確かにそうであった。先月の田村清顕に続き、今月に入って芦名の幼い当主亀王丸が急死したのだ。芦名の家中も今後継者の座をめぐって揉めている。こちらは伊達輝宗の次男小次郎(政宗の弟)を迎えるか、佐竹義重の次男義広を迎えるかの争いだった。もし、小次郎が芦名家の後継者として収まることになれば、南奥羽の形勢は一気に伊達氏に傾き、政宗は奥羽の覇者に限りなく近づく事になるであろう。同じ跡目でも重さがまるで違うのだ。それに、十六代芦名盛氏と先代輝宗の間では、「小次郎が成長した後に芦名家に養子として入る」という約束が交わされていた。政宗が芦名の跡目争いの方により強い関心を示すのは自然の成り行きであろう。

 他方、田村家の方は元々当主田村清顕に男子がなかったために、田村家から嫁いだ愛姫めごひめ(政宗正室)と政宗の間に男子が誕生したら、その子を跡取りにするという約束がなされていたのである。ところが、愛姫に男子が誕生する前に清顕が急死してしまった為に、図らずも後継者争いが表面化してしまったのである。しかし、今田村家中は橋本顕徳や田村月斎ら伊達派の重臣達が力を持っており、そう易々と相馬派に牛耳られる恐れはなかった。したがって、今政宗が直々に乗り出すほどの緊急性はないはずなのである。

「ならば、何故私をわざわざお呼びになったのか? いかなる御用向きでありましょうや?」

小十郎は自問するようにつぶやいて杯を干した。

「父上は何か聞き及んではおりませぬか? 」

「何も聞いてはおらぬぞ。のう、小十郎。殿は、政宗様は大事な話になればなるほど誰にも漏らさぬ。なにも漏れてこぬという事はそれだけ大事な話という事じゃ。心して掛かるがよい」

景綱にあっさりと言われ、やはり父もご存じなかったかと小十郎は妙に納得した。同時に、政宗に会う前にあれこれ詮索している自分がひどく馬鹿らしく思えてきたのだった。小十郎は己の詰まらぬ疑問で父をわずらわすことを止めにした。どのような御下命であろうがその時はその時だと割り切った。肩の力が抜けて顔に笑みが浮かんだ。

「殿にお目に掛かるのは二本松城以来です。今から楽しみです」

「おう。そう来なくては……。それでこそ小十郎じゃ。つまらぬ心配などせず、堂々とお目にかかってこい。さあ―、飲め」

景綱は相好を崩して小十郎の盃に酒を注いだ。小十郎も注ぎ返した。領内の話から天下の形勢まで、二人は心置きなく語り合った。うまい酒だった。やがて睡魔が小十郎を襲った。

(おっ。これはいかん。潮時じゃ……)

 小十郎は退散することにした。    

「今日は母上の元気なお姿にお目にかかれ、今又こうして父上とうまい酒を酌み交わすことが出来ました。小十郎は真に果報者にございます」

小十郎は睡魔をかわしながら景綱に告げた。

「ん? あっはは。如何した小十郎。酔うたか?」

「はい。今宵はいささか酔いが早うございます。あっはは」

無理もなかった。今日は大森城を早朝出立の上、雪の峠越えであった。如何に若いとはいえ、体はくたくたであった。

「小十郎、話は又いつでもできる。明日の登城に差し支えるような事が有ってはならぬ。早う休むがよい」

景綱が気遣きづかって言った。

「何のこれしき、と言いたいところですが、あっはは。父上! この小十郎、明日お家の大事につながるお役目を控えておりますれば、これにてご免こうむりまする」

小十郎はふらふらと立ち上がった。

最後に冗談めかして言った一言がまさかその通りになるとは、この時小十郎は夢にも思わなかった。景綱が両手をパンパンと叩いた。板戸が開いて若侍が現れ、小十郎を寝所へと導いて行った。


 小十郎は翌日昼前に登城した。案内されて座敷に入るとすでに政宗が待っていた。

「小十郎。遠慮はいらぬ。近う参れ」

政宗が上段の間からニッと笑みを浮かべて小十郎を呼んだ。小十郎は政宗の前に進み出て型通りの挨拶あいさつをした。

「大儀であった、小十郎。今時分板谷を超えるのは難儀であったろう。雪の具合はどうであった? 」

政宗は冬に板谷峠を越える苦労を思い、問うた。

「なに、さほどの事はござりませんでした。雪も二尺(約60センチ)ばかりは積もっておりましたが、我らの雪備えは万全でございますゆえ……」

「わっはは。頼もしいぞ、小十郎。さすがは、鬼の小十郎じゃ。益々頼みがいが有ると言うものじゃ。わっはは」

 政宗の明るい笑い声が響いてるところへ二人の侍女が茶を運んできた。小十郎は侍女が部屋を出てゆくのを見計らって、おもむろに口を開いた。

「ところで、殿。此度こたびの御用のおもむき、如何なるものでありましょうや? お聞かせ願いとうございます」

「おう。その事よ……」

政宗は身を乗り出した。隻眼がキラリと光った。

「わしは、のう小十郎……」

政宗はにらみつけるように小十郎を見つめ、一呼吸おいてから切り出した。

「わしは、小次郎を田村の跡目に入れるつもりじゃ」

小十郎は一瞬耳を疑った。予想だにしない言葉が今政宗の口から出たのである。

「ま、真でございますか? 御弟君を、小次郎様を田村家の跡目に……」

小十郎は二の句が継げなかった。一体そんなことが可能なのであろうか? 田村の血を受け継いでない者が田村の跡目を継ぐことなど、田村家中の者達がすんなりと認めるとは思えなかった。第一、小次郎は伊達家が推す芦名家跡取り候補ではないか! 芦名の跡目をむざむざと佐竹の次男などにに渡して良いのか? 殿は何を考えておられる? 小十郎の頭の中を様々な疑問が飛び交った。

「おう、真じゃ。戯言ざれごとなどではないぞ、小十郎。その為に、そなたを呼んだのだ」

政宗の眼は真剣だった。

「そなたも知っての通り、今田村と芦名双方で跡目をめぐる争いが起きておる。本来であれば、双方に伊達の縁者を送り込みたいところだが、わしは芦名の跡目争いには加わらぬことに決めた。その代わり、田村の跡目にはしっかりと伊達の血を引いた者を入れるのだ。それが、小次郎じゃ」

「な、なれど、先代輝宗様と芦名盛氏様の間で小次郎君を養子に入れる話が決まっていたのではありませんか? ならば、芦名側はその約束を守る勤めが有るというもの……」

「わっはは。たわけ! この戦国の世にそんな空証文からしょうもん、いつまで通用すると思うてか? 盛氏公が存命ならばいざ知らず……とうの昔に破り捨てられておるわ」

政宗は、論外だと言わんばかりに言い放った。

「それにな、先の戦で我らは芦名の将兵を散々討ち取っている。奴らから見れば我らは憎い仇。一緒に戦った佐竹は頼もしい味方。さすれば、佐竹に特別の親しみを感じるのは当然の事じゃ。今の芦名家中で伊達に味方する重臣はほとんどおらぬ。よって、芦名に小次郎の居場所はないのだ」

政宗は冷静に現下の情勢を見ていた。小十郎の脳裏に人取り橋の激戦模様が甦った。死闘を繰り広げる中で何人もの芦名将兵を切り伏せていた。その時の芦名兵の断末魔の表情までが、不意に浮かび上がってきた。政宗の言う通りだと小十郎は思った。ほんの数か月前まで殺し合っていたのだ。憎悪や敵対心がそんなに早く消えるものではない。政宗は話を続けた。

「無論、小次郎を田村家の跡取りとして受け入れさせるのは容易たやすいことではなかろう。田村家中に様々な不平不満が起こるやも知れぬ。又、相馬側の出方しだいによっては戦にならぬとも限らぬ。そこで小十郎、そなたの知恵が必要なのじゃ。田村家中を一つにまとめ、見事小次郎の養子縁組の話、まとめてみよ」

小十郎は唖然とした。事はあまりにも重大であった。

「二兎を追う者は一兎をも得ずと言うが、わしは田村の跡目一本に絞って確実に一兎を仕留めたいのだ。どうじゃ、小十郎。この役目引き受けてくれるであろうな?」

政宗はまるでいたずら小僧のように目をキラキラ輝かせ、笑みを浮かべて小十郎を見た。こうなれば、小十郎はもはや俎板まないたの鯉。どこにも逃げ場はなかった。小十郎は覚悟を決めた。

「はっ、仰せに従いまする。この小十郎、命に代えましても御殿の為、お役目を全ういたす所存にございます」

力強く言い切った。









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