第16話 忍び集団黒脛巾組

 天正五年(1577年)十一月、政宗は米沢城内の館で二人の男から報告を受けていた。一人は安部対馬守安定(信夫郡しのぶぐん鳥谷野とりやの城主)で、もう一人はその配下の気仙沼左近であった。安部対馬守は伊達家の忍び集団〈黒脛巾組くろはばきぐみ〉の統括者であり、気仙沼左近はその配下で、十人余りの手下を使う黒脛巾組内のかしらの一人であった。二人はかねてより政宗から、大崎氏家中の内紛を至急探索の上報告せよ、と厳命されていた。今日は三月みつきに及ぶ探索活動の成果を政宗に報告していたのである。何時いつものように、室内には政宗と報告者の二人しかいなかった。

「――主君である大崎義隆の寵愛ちょうあいが、おのれから井場野いばの惣八郎そうはちろうに移ったことをねたんだ新井田刑部あらいだぎょうぶが、井場野惣八郎を亡き者にせんとたくらんだことが全ての始まりにございます」

安部対馬守は、此度こたびの大崎氏家中の争いについてそもそもの発端を語った。

「ふ―む。それで、井場野は氏家吉継うじいえよしつぐに泣き付いたという訳じゃな?」

政宗が言った。

「左様にございます。新井田刑部は大崎家の重臣の家柄にて、権勢を誇りますれば、井場野は我が身不利と見て氏家吉継に助けを求めたものと思われます」

安部対馬守が答えた。

 

 氏家家は、大崎家に於いて代々執事を務めてきた筆頭家老の家柄であった。実力は大崎氏家中随一である。井場野にしてみれば、己の命を守るためには氏家吉継に頼る以外に道はなかったのである。他方、氏家吉継は主君の寵愛をいことに傲慢ごうまんに振る舞う新井田刑部を、日頃から苦々しく思っていた。そこへ、刑部に命を狙われた井場野惣八郎が助けを求めて現れたのである。ごく自然な流れとして、氏家吉継は井場野に救いの手を指し伸べることになったのであった。かくして大崎氏家中は家臣らが二派に分裂して争うことになったのだが、新井田刑部は大胆にも井場野惣八郎と氏家吉継を討つだけでなく、主君の大崎義隆をも切腹に追い込もうと考えたのだった。正に〈可愛さ余って憎さ百倍〉とはこの事である。自分を捨てて他の愛人(男)に走る恋人など、いっそのこと殺してしまえ、という訳である。しかし、さすがに主君殺しを自らの一派だけで決行することに不安を感じたのか、刑部は政宗に加勢を求めた。そして、今後は政宗に奉公することを誓ったのだった。この春の事である。政宗も大崎氏と境界をめぐる紛争を抱えていたので、有利な決着が図れるものと思い承諾を与えたのだった。それに、政宗には元々大崎領に対して下心したごころがあった。大崎義隆の領国大崎五郡(栗原・玉造・賀美・志田・遠田)は農耕に適した肥沃ひよくな土地であり、石高こくだかも多かった。その為、大崎領は政宗が北方地域で最も手に入れたいと思っていた土地だった。紛争に介入して領土を奪ったり、支配権を握ったりすることは政宗の得意とするところであった。政宗はわれるままに加勢し、喜んで紛争に介入したのだった。

 

 それ以来今日まで、政宗は新井田刑部からの色よい知らせを待ち続けていたのだが、一向にその気配がなかった。氏家吉継を討ち、当主大崎義隆に腹を切らせた後は政宗に臣従するとの約束であった。その約束が守られていなかった。それどころか、新井田刑部は腹を切らせるはずの大崎義隆をようして味方を集め、氏家討伐を進めようとしていた。政宗には裏切り行為としか思えなかった。

「それにしても、刑部の甘言かんげんに乗せられて敵の城まで出向いた挙句あげく、軟禁されてしまうとは、義隆という男、余程のうつけ者よ」

政宗は憮然ぶぜんとした表情で言った。

「吉継がいち早く刑部の謀反むほんを察知して義隆に知らせたようですが、それが裏目に出たものと見えます。争いを治めようと刑部に謹慎を命じたまでは良かったものの、まんまと奸計かんけいにはまって新井田城(現在、大崎市古川新田)まで連れ出される始末。やはり、元はお気に入りの相手故、油断めされたのでありましょうな……」

対馬守が新井田城軟禁の経緯を詳しく話した。

「一つ解せぬのは、何故なにゆえ刑部は義隆を生かしておくのじゃ? さっさとれば良いものを……」

政宗は如何にもに落ちぬという風情ふぜいで対馬守を見た。

「さ―。そこでございます。私も初めは刑部が当主義隆を利用するだけ利用した後で、殺しにかかるものと思うておりましたが、これが、さにあらず。あきれ果てたる仕儀となっておりまする」

対馬守の表情に心なしか戸惑いの色が浮かんでいた。

「ふむ。委細を申して見よ」

政宗は片手であごのあたりをなでながら先をうながした。

「はっ。ここから先は左近の報告をお聞き下されませ。こ奴が一部始終を見てきておりますほどに」

対馬守は左近に向かって、有りのままを殿に報告せよと命じた。         

 気仙沼左近は歳の頃三十がらみの実直そうな男で、行商人のいでたちが良く似合っていた。左近は新井田城に忍び込んだ時の様子を話し始めた。

「新井田城は城というよりは館と言ったほうが似合っております。周りを低い土塁で囲んだだけの、守りの手薄な館でございました。私はあたりが暗くなるのを待って館に忍び込み、刑部の寝所近くの屋根裏に潜んだのでございます。天井板をほんの少しずらすだけで、その隙間から部屋の様子がよく見えました……」

 左近の低くよく通る声で語られた報告内容は驚くべきものだった。夜もだいぶ更けた頃、刑部に手を引かれて寝所に現れたのが、なんと大崎義隆だったとのこと。二人は仲睦まじくしとねを共にし、互いに激しく求め合って情交を結んだという。その際、刑部は義隆に一生お側に仕えることを懇願し、義隆も喜んでこれを許したとのことだった。

「なんと、よりを戻しおったか!」

政宗は驚きの声を挙げた。

「そのようでございます」

浮かぬ顔で対馬守が答えた。

(う―む。これではいくら待てども色よい知らせなど来るわけがないわ。刑部の奴め、わしとの約束を反故ほごにしよったな)

政宗の表情に一瞬いら立ちの色が浮かんだ。そして、ふっと思い出したようにたずねた。

「氏家吉継はどうじゃ? 今どうなっておる?」

「はい。今では当主義隆を擁する刑部一派に家臣の大半が従っておりますれば、氏家一派は数の上で劣勢となっておりまする。しかし、まだ決定的な差とまではなっておりませぬゆえ、刑部一派も攻めあぐねているところかと推察つかまつります」

「なかなかの人物と聞いたが、真か?」

「はっ、気骨のある御仁との御城下での風評にございます。己が正しいと思えば主家にも楯突くとか……。今は刑部の策略であべこべに当主に弓引く謀反人のごとき立場に立たされておりますが、もともと氏家吉継には当主である義隆に敵対する気など更々なきものと聞いております」

「ふ―む。成るほどのう」

政宗は何やら思案顔で遠くを見た。

(どうやら、乗り換えたほうがよさそうだが……。一度確かめて見ねばなるまい)

政宗の思案の先には、既に片倉小十郎の顔がはっきりと浮かんでいたのだった。



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