第4話 弘治三年生まれの政宗

 小十郎は己の声を取り戻した後、現状の把握はあくと新たな知識の収得に以前にも増して余念がなかった。自ら問いかけが出来なかったこれまでとは違い、自分の声、自分の言葉で直接語り掛けることが出来るのである。自分が伝えたい、聞きたいと思っている肝心な点が相手に伝わらないというもどかしさはもうない。小十郎はせきを切ったようにこれまで聞けなかったことを妻の綾に尋ねた。綾で答えられぬことは父景綱に問うた。この時代の有様から伊達家と周辺諸国の関係、伊達家臣団のこと、中央とのつながり、果ては領主輝宗やその子政宗の人柄、能力に至るまで、問いかけは多岐にわたった。その結果、驚くべき事実が次々と明らかになった。   


 最も驚いたのは政宗が弘治三年(1557年)生まれであるという事実を知った時だった。小十郎が知っている政宗は永禄十年(1567年)生まれである。平成の世ではこれが定説であった。いかなる歴史書、教科書にもそう書いてある。それがなんと! ここでは、この世界では政宗は十年早く誕生していたのである。

 更に小十郎本人も史実とは異なり、この時すでに政宗と同じ十七歳であった。史実通りであれば、小十郎重綱は天正十三年(1585年)の生まれなので、政宗とは十八歳も違い、まだこの世に誕生していないはずだった。他にも似たような事例が幾つも出て来て小十郎の頭を混乱させた。小十郎はこの世界では様々な出来事が必ずしも史実通りに起きているわけではないことを知ったのだった。前の世界、平成の時代に身に着けた知識がそのまま通用するわけではないのだ。小十郎は、改めて自分が容易ならざる世界に入り込んだことを思い知ったのだった。

 しかし、小十郎にひるむ気配はなかった。戦国乱世に新たな命を授かり、新たな片倉小十郎としてよみがえったのだ。この上は命のあらんかぎり、まっしぐらに己の道を切り開いてゆく他あるまいと、固く心に決めるのだった。


 米沢城下が葉桜の季節を迎えるころ、小十郎は父景綱に伴われて主君輝宗のもとを訪れた。米沢城本丸館ほんまるやかたの一室で父子は主君の到来を待った。この日の小十郎の出立はと見れば、「ばら藤に井桁」の家紋を染め抜いた藍染めの大紋直垂おおもんひたたれで、小十郎に一際よく似合っていた。そして、景綱の隣に並ぶ小十郎の姿には、片倉家の次の当主にふさわしい風格と威厳がすでに備わっているように見えた。


 程なく伊達家十六代当主輝宗がぶらりと現れた。供は政宗一人だけだった。

「二人ともおもてを上げよ」

輝宗は上段に腰を下ろすと良く通る声で言った。たくわえたあごひげに白いものが混じっている。眼はどこか人懐っこい。景綱は一通りの挨拶を述べた後、

「本日は、倅小十郎、お陰をもちまして本復と相成りましたので、年寄りともどもご挨拶にまかり越してござりまする」

そう言って平伏した。

「うむっ。待ちかねておったぞ、景綱。よう参った。此度は小十郎の無事を聞いてわしも安堵いたした。危うく一騎当千の若武者を失うところであったわ」

輝宗は小十郎が最悪の事態をまぬがれたことを心底喜んでいるようだった。それもそのはず、小十郎の見かけによらぬ豪胆ぶりは伊達家中にすでに知れ渡っており、政宗のご近習衆きんじしゅうの一人として将来を嘱望されていたのだ。近い将来政宗の手足となり、伊達家を盛り立てて行ってくれるに違いない若武者の復帰を、輝宗が喜ばないはずがなかった。

「小十郎、遠慮はいらぬ。もそっと近う寄れ。近う、近う」

輝宗は上機嫌で小十郎を手招いた。小十郎は輝宗の側近くまで進み、落ち着き払って挨拶し、言上した。その堂々たる態度はとても十七歳の若者とは思えぬほどであった。輝宗は内心舌を巻いた。

(こ奴を政宗の近習きんじに加えたわしの目に狂いはなかったわ。さすが、景綱の倅よ――)

輝宗は己の判断の正しさに密かにほくそ笑んだ。

「小十郎、わしは今年も出陣するぞ。相馬を攻める。畠山も討つのじゃ。これから忙しくなるぞ。覚悟は良いか?」

やや気持ちを高ぶらせて輝宗は言った。

「望むところです。この小十郎いかなる戦場でも存分の働きをして見せまする。して、初戦の相手はやはり相馬そうまですか?」

小十郎は戦と聞いて意気込んだ。

「あっはは。小十郎! そうくな。いずれ出陣するが、雑魚ざこなどに用はない。我らの狙いは唯一つ。芦名あしなを討って関東への出陣じゃ。十分策を練って、攻める時には一気呵成に攻めるのだ。その時には小十郎、たんと働いてもらうぞ」

それまで二人のやり取りを静かに聞いていた政宗が、隻眼せきがんをカッと見開いて小十郎に声をかけた。

「はっ、喜んで!」

小十郎は答えて正宗の顔をしっかりと見た。政宗と目が合った。すずやかな眼差しの奥に子供のような無邪気さをたたえていた。生意気盛りのやんちゃ坊主のようにも見える。

「ところで小十郎、ちょっと見ぬ間に一段と男ぶりが上がったのう。館内やかたうちの女どもが騒いでおったぞ。わっははは、綾は果報者じゃ。これ程の美形びけいを独り占めにしておるのだから……。どうじゃ、小十郎。綾とは仲睦まじくやっておるか?」

政宗はいたずらっぽい目で小十郎をからかった。政宗はすでに十三歳で愛姫めごひめと結婚していたが、この時小十郎と綾は婚儀からまだ半年も経たない新婚夫婦であった。

「はっ、此度も綾の献身的な看病に命を救われたようなもの……。頭が上がりませぬ」

「わっははは、そのようだな。わしの耳にも綾の見事な働きぶりは聞こえてきておるぞ。綾もお前のような男ぶりの良い亭主をよほど死なせたくなかったと見える。エンマ大王と大戦をしてお前を取り戻したのだ。女子ながらあっ晴れではないか? いや、まことにあっ晴れじゃ。あやかりたいものよ。わっははは」

政宗は茶目っ気たっぷりに冗談を言って笑った。小十郎は苦笑しながらも、政宗が綾の献身ぶりを戦に例えてめてくれたことを嬉しく思った。小十郎の中で政宗との距離が一気に縮まった。 

(この大将ならついて行ける!)

小十郎は直感し、胸を熱くした。父景綱が政宗をほめるのも無理はないと思った。政宗には人を引き付ける何かが有る。それこそが政宗が並の武将ではないという証拠でもあった。


 小十郎にはこの日の接見で期するものが二つあった。一つは自分が完璧に小十郎に成りきることであり、二つ目は政宗の人物像を見極める事だった。一つ目の目的は既に遂げられたと言ってよかった。輝宗父子は目の前の小十郎を何ら疑うことなく、以前の小十郎その人として受け入れていた。疑いのかけらも持っていないことは明らかだった。もっとも、実父である景綱や妻の綾ですら何の疑いも抱いていないのであるから当然と言えば当然の話ではあるが……。それに、小十郎はこの時代の人間に成りきるべく、必死にサムライの礼儀作法や言葉遣い、諸々の知識を身に着けようと努力してきたのだ。その苦労が実を結んだのかもしれない。そして、二つ目の目的は今まさに遂げられた。政宗は噂通りの、否それ以上の人物であることを小十郎に印象付けたのである。小十郎は初対面で政宗の不思議な魅力のとりこになっていた。

「小十郎よ。政宗は近頃関東出陣などと大口を叩いておる。勇ましいのは悪くはないが、いささか大風呂敷が過ぎるとは思わんか? 今、伊達の周りは敵だらけじゃ。まずは足元を固めるのが先決。わしはそう考えておる。じゃが、政宗にはそれが不満のようじゃ。小十郎。そなたはどうじゃ? まさか、政宗に同調はするまいのう? そなたの存念を申せ。遠慮はいらぬぞ」

輝宗が珍しく若い者の意見を聞きたがっている。

「されば、申し上げまする。今、中央では信長の勢いますます盛んになり、日々西へ西へとその勢力を拡大しております。このまま行けば、恐らく十年もたたずに中国、四国、更には九州一円までもが信長の手に落ちましょう。その後は関東に矛先を向けてくるは必定。その時は、我ら奥州勢は如何に相成りましょうや? 先を争って信長の前にひれ伏す光景が目に浮かびまする」

小十郎はそこで一息入れるように輝宗を見た。

「ふ―む。信長の勢いを持ってすれば、さもありなん。昨年は甲斐の信玄公が身罷みまかり、浅井・朝倉も滅んだ。信長の勢いは容易には止まらぬ。じゃによって、わしも信長への文と進物はおこたらぬようにしておるのよ」

輝宗はあごひげを指でなでながら噛みしめるように言った。小十郎は続けた。

「その昔、この奥州で栄華を誇った藤原三代が、鎌倉幕府の軍勢に滅ぼされた話を思い出します。我らは決して二の舞を踏んではなりませぬ」

「おお。その通りじゃ、小十郎。わしとてそこまで愚かではないぞ。信長公が関東征伐の折には及ばずながら合力いたす覚悟じゃ。心配いたすな」

「大殿! そうではございませぬ。それがしには信長にひれ伏す考えなど毛頭有りません。政宗様とて同じ考えと心得ます。それがしは政宗様の天下取りの為に、信長と一戦あるのみと考えまする」

「なっ、なんと! 政宗が天下をとな! うむっ、又途方もないことを言い出すものじゃ」

輝宗は心底あきれ返ったように小十郎を見たが、小十郎は構わずに話を続けた。

「その為には、我らは信長が関東に攻め入る前に奥州を平定し、関東の半分は平らげておかねばなりませぬ。奥州と関東の半分を手に入れれば、お味方は優に十万を超える大軍で信長を迎え撃つことができます。さすれば、我らに従う大名も少なくないはず。我らに勝機は十分ありまする。そして、このようなことが出来るお人こそ政宗様なのです。この小十郎。政宗様の天下取りのお手伝いを致しとうございます」

「こ、小十郎! そなた、本気で申しておるのか? このわしを、からこうておるのではあるまいな?」

輝宗はあまりにも大胆な小十郎の話に、いささか度肝を抜かれる思いだった。確かに今日まで、親として政宗に期待するものは大きかったが、天下を望んでくれとまでは考えたことがなかった。だが、今小十郎はそれを望んでいるのである。親としてこれを喜ぶべきか否か、輝宗は少々戸惑いを覚えた。

「なんで偽りなど申しましょうや。本気も本気! 大本気でございます! 政宗様は、奥州の片田舎で朽ち果てるようなお方ではありませぬ。必ずや中央に駒を進め、天下を争う日が参りましょう」

小十郎は落ち着き払って、平然と言ってのけた。

「わっははは。よう言うた、小十郎! それでこそ小十郎じゃ。安心せい! わしは出羽の山猿で終わる気など毛頭ないわ。必ず都に旗を立てて見せる。小十郎! 共に進もうぞ」

わが意を得たとばかりに、政宗がえるように叫んだ。

「はっ! お供いたします!」

小十郎は一際高い声で答えた。

(やはり、政宗様は天下を狙われている!)

小十郎は政宗の野心に触れ、嬉しく思うと同時に、心は早くも戦場を駆け抜けていた。

「う―む。こ奴らめ。そろいもそろって……たわけたことを……」

輝宗は誰に言うともなく低い声でつぶやいた。しかし、その言葉とは裏腹に、輝宗の心の中を心地よい風が吹き抜けていた。

(小十郎はいつの間にか、わしが見込んだ以上の男になりおったわ。大した者よ。籐五郎といい、この小十郎といい、政宗の周りには良い参謀が揃っておる。この者達が政宗を盛り立てて行ってくれれば……或いは――)

輝宗の頭の中を「天下」の二文字がよぎった。

(いずれにせよ、わしなどには到底思いもつかぬことじゃ。案外、政宗に全てを任せる時期が来ているのかも知れぬ――)

そう思った瞬間、輝宗は肩の荷が下りたような気がして大きく息を吐いた。


その後、小半時ばかり中央の情勢などを語り合った後、景綱親子は本丸館を退去した。うまの刻(正午)に掛かるころで、降り注ぐ日差しのように小十郎の心も明るかった。


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