第25話 相馬義胤の陰謀
天正六年五月十日、政宗は石川弾正の拠る小手森城と百目木城を一日で攻め落とした。弾正は辛くも相馬領へと落ち延びた。そのひと月前の四月には、大内定綱を寝返らせて芦名勢から郡山城を取り戻している。いずれの戦いでも、伊達軍は数百の敵を討ち取っていた。圧勝である。ここに来て、伊達軍の勢いは増していた。政宗は次なる標的を相馬勢に狙い定めた。
この動きにいささか慌てたのが相馬義胤である。当初の
義胤の狙いは田村領である。政宗が南北二つの戦場を抱えて苦戦している間に、田村領をかすめ取ってしまおうという寸法だったのだ。ところが、今や状況は一変してしまった。政宗の窮地に付け入るどころか自分が窮地に立たされていた。兵力に勝る伊達軍の攻勢を相馬勢が一手に引き受ける羽目に陥ったのである。いかに勇猛果敢で鳴る相馬勢とはいえ、今の伊達軍に単独で対峙するのは荷が重かった。今の伊達軍は先代輝宗の時代の伊達軍では最早ない。政宗の胸中には、輝宗にはなかった中央進出の野望がある。そのため、政宗は積極的に勢力拡大を図り、ここ数年、近隣の反伊達勢力と戦に続く戦の日々を送ってきた。時には政宗自身の命が危ぶまれるほどの激戦も
義胤は小高城に戻ると、すぐに佐竹義重や芦名義弘、岩城常隆らに使者や書状を送り、援軍を要請した。今すぐ大連合を組んで政宗に当たらねば、手遅れになりかねないと危機感を訴えた。他方、支援を要請された佐竹義重や芦名義広にしても、政宗への警戒感は義胤以上であった。日増しに強まる伊達氏の南下圧力をひしひしと感じていたからである。
相馬義胤の援軍要請からほどなく、佐竹や芦名を中心に同盟が組まれた。加わったのは、佐竹や芦名の他に二階堂盛義、白川義親、石川昭光の諸氏であった。
六月上旬、同盟軍約一万が須賀川の地に集結し、郡山、窪田方面に進出した。また、これとは別に高玉方面から芦名勢六千が郡山城を目指した。一方、佐竹芦名連合軍の動きを知った政宗は、相馬勢への追撃を中断し、七千の兵を率いて郡山城に向かった。郡山城とその北側に位置する窪田城には、伊達成実や大内定綱らの軍勢七千が入っている。これらを合わせれば伊達軍は総勢一万四千。対する佐竹芦名連合軍は一万六千。ほぼ
相馬義胤は佐竹芦名連合軍出陣の知らせを小高城で知った。待ちに待った知らせであった。一時は数に勝る伊達軍に国境深く攻め込まれ、苦戦必至であったが、今伊達軍は潮が引くように相馬領から姿を消していた。
「一つ解せぬのは佐竹の兵力じゃ。須賀川に集まった同盟軍のうち、佐竹勢はわずか五千というではないか? 三年前の〈人取橋〉の折に比ぶれば、三分の一にもならぬ数じゃ。しかも、
隆胤はいかにも不満そうに口を尖らせた。
「私も同感です。今の政宗は三年前よりも手ごわい。この機会に叩き潰しておかねばならぬというに、いったい何を考えておるのか?」
郷胤もいらだった様子で隆胤に同調した。二人共、これまで伊達勢との戦ではしばしば兄義胤を助けて奮戦し、軍功も上げていた。義胤にとっては最も信頼のおける心強い味方であった。義胤はおもむろに口を開いた。
「おそらく、北条が動き出しているため、本領を離れるわけにはいかぬのであろう。義重にとって、氏政は政宗以上に恐ろしい相手であろうからのう。むしろ、この時期に五千の援軍を出してくれたことをありがたく思わねばなるまいて――」
義胤はそう言って、一人うなずいた。
「う―む。又しても北条か。兄上はそのあたりの事情をよくご承知なのですね?」
思わず隆胤が問う。
「無論じゃ。そもそも義重のもとに使者を送ったのは、このわしぞ。わしが佐竹の内情を知らずしてなんとする。わしが遣わす使者は密偵も兼ねておるからのう。此度もいろいろ探って戻ってきてくれた」
義胤の話によれば、今北条氏政の軍勢が
「なるほど。それで納得したわ。しかし、そのような事情であれば、五千の佐竹勢はいつ本国に引き返すかわからぬぞ。やれやれ、先が思いやられるわい」
郷胤が嘆いて見せた。
「実は、わしもそれが頭痛の種よ。万が一、佐竹勢が撤退するようなことにでもなれば、たちまち連合運は瓦解。われら相馬勢は孤立しかねぬ。実に危ういことじゃ」
義胤はそう言って、一瞬顔を曇らせた。
「そうなった場合、頼りは芦名だが……」
隆胤が言いかけると、義胤がその言葉を引き取った。
「その場合、芦名は頼りにならぬ。芦名の御当主義広殿は実家の佐竹が頼りじゃ。佐竹が兵を引けば、芦名も兵を引くであろうよ」
「ほ、ほう。芦名も頼りになりませぬか。しからば、兄上はいかなる方策を持って此度の戦に臨まれるおつもりか。この隆胤、
隆胤は言葉に力を込め、義胤に迫った。郷胤も期待のこもった眼で義胤を見た。
「うむ。そのことじゃが。わしは、のう隆胤、わしは連合軍が伊達領に侵攻するこの機会に、今度こそ田村領を抑えて領内から伊達派を一掃するつもりじゃ。その手始めとして、わしは三春城に入るぞ!」
義胤の口から重大な決意が飛び出した。
「名目はあくまでも伯母上様への病気見舞い。わしが手勢千ほど引き連れて城内に入り、そのまま居座るのじゃ。その後、田村家中の協力者と力を合わせて城内を制圧する。全ては伯母上と打ち合わせ済みの話だ」
田村清顕の後室於北は相馬家十四代顕胤の娘であり、義胤にとっては叔母であった。すでに念入りに策略が
「もし、わしの三春城入りをあくまで
実際義胤の言う通り、この頃田村家中では、田村一族の田村梅雪斎や重臣の大越顕光、郡司敏良といった面々が相馬家と気脈を通じていた。義胤の口ぶりから、三春城入城に呼応して、何らかの行動を起こす密約が交わされていたに違いなかった。
「それにしても、いきなり三春城とは……。田村の本丸ではありませんか。三春城には政宗の弟宗顕がおりますぞ。名代とは申せ、事実上の田村家当主。政宗も黙ってはおりますまい。果たして、すんなりと事が運びますかな?」
隆胤もさすがに驚きを隠せず、不安を口にした。しかし、義胤は動じない。
「田村領をそっくり手に入れようと思えば、遅かれ早かれ三春城は落とさねばならぬ。今がその好機なのだ。何、案ずることはない。政宗は連合軍との決戦に必死だ。三春にまでは手が回らぬであろうよ」
義胤は自信有り気に言い放った。
「それに、我らが三春を抑えれば、郡山あたりで連合軍と対峙している伊達勢を、背後から攻めることができよう。さすれば、お味方の勝利も見えてくるというもの。それ故、わしは三春城に入ると申しておるのだ」
「なるほど。確かに三春と郡山は目と鼻の先じゃ。われら相馬勢が背後から現れれば、政宗もさぞや驚くであろうな。面白い! これは面白いぞ」
郷胤が興奮気味に膝を乗り出した。
「ふ―む。三春城入城が連合軍の勝利にもつながるわけですな。一石二鳥とはこのことか。そこまでお考えとは、さすがは兄上。感服仕った」
隆胤も義胤の方針に賛同した。
「佐竹勢撤退の不安がある以上、此度の戦は決して長引かせてはならんのだ。早期に決着を図るためにも、三春を抑えることは大事ぞ」
義胤は今後の方針について改めて二人に念を押した。隆胤と郷胤に異存はなかった。二人は黙ってうなずいた。
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