第9話 エージェント失格
僕が、どれだけフラウ・ミソラの力になりたいと願っても、僕にはできることと、できないことがある。そして、僕が彼女のためにできることは限りなく少なかった。
フラウ・ミソラを僕の部屋に連れて帰った翌日、もう一度「スペース・ハローワーク」で彼女と面談を行った。フラウ・ミソラは、地球に戻る気はないと言ったものの、やはり希望職種を変えるつもりもないらしく、その方向で求職先を探すという形に落ち着いた。
そうなると、これ以上僕と求職先を探しても彼女の利益にはならないので、所内の性風俗産業を専門に扱っているエージェントに引く次ぐことになった。
結果、フラウ・ミソラの求職先はその日のうちに決まった。
火星の性風俗店で、給料は破格だった。
すでにネット上の仮想空間で面接を済まし、給与や待遇面の交渉もまとまった。基本給プラス歩合制ではあるけれど、指名さえ取れれば普通のサラリーマンの数倍の給料になるだろうと、引き継いだエージェントは自信ありげに語った。
新興の性風俗店であり、宇宙人の相手もするという点が気にはなったけれど、フラウ・ミソラ自身はそのことに抵抗はないようなので、僕は何も口を出さなかった。
火星へと出発する前、フラウ・ミソラはわざわざ僕のところに挨拶に寄ってくれた。
「あの、いろいろ良くしてくださって、本当にありがとうございました。私が地球に帰らずにすんだのは、きっとシロウさんのおかげです」
彼女は、微笑みながら頭を下げた。
「僕なんか、何の力にもなれなかったよ」
「そんなことないですよ。あの、もしも火星に来た際は、私のお店に遊びにきてくださいね」
「そっ、それはちょっと――――」
僕が驚いて言うと、彼女は楽しそうにくすくすと笑った。
「冗談です。シロウさんが私の働いているようなお店に来たら、私幻滅します。あなたは、私のヒーローですから」
「僕は、ヒーローなんかじゃないよ」
「かもしれまんせん。でも、私だけのヒーローです。だから、初めては素敵な人としてくださいね?」
「そっ、それは――」
僕は、恥ずかしさや情けなさで胸がいっぱいになった。
それに、どうして僕が未経験だとバレたのだろうか?
「冗談です。それじゃあ、行きますね」
「ああ、気をつけて」
僕は煮え切らない思いを、納得できない感情を抱えたまま別れた。
これで良かったのだろうかと、僕は何度も何度も自問自答を繰り返した。
別に性風俗産業を軽視しているわけでも、そこで働く人に偏見を持っているわけでもない。ないはずだけど。けれど、それでもフラウ・ミソラが性風俗産業で働くことを、僕は受け入れられずにいた。
彼女は、自分の生き方を変えたくて――地球の重力から逃げてきてはずだった。
うんざりすると言った自分自身から逃れたくて、宇宙に上がってきたはずだった。
それなのに、彼女はまた同じことを繰り返そうとしている。
地球の重力に引きずられたままで、宇宙での生活を始めようとしている。
それは間違っているような気がした。
「シロウ、一人の求職者に入れ込み過ぎると、ろくなことにならないわよ」
そんな僕を見かねたエルが、やれやれと言った調子で言う。
「あの求職者が他の男に抱かれるのが、そんなに嫌?」
「そんなじゃない。そんなんじゃないんだ」
僕は声を荒げて反論した。
「じゃあ、性風俗産業なんて低俗な職種を紹介したことを悔やんでいるの?」
「違う。それに、彼女が選んだ職業は低俗なんかじゃない」
僕は頑として言った。
「そうかしら? 職業に貴賤はないなんて――所詮はただの建前で、綺麗事よ。人類は、本音と建前を使い分ける種族なんでしょう?」
「そうかもしれないけど、少なくとも僕はそんふうには考えてない」
「じゃあ、どうしてそんなに苦しんでいるの?」
「僕はただ、彼女が本当に望んていた求職先なのかって、もっと別の、正しい答えがあったんじゃないかって――」
「それを決めるのはシロウ、あなたじゃない。あなたはただ、自分の正しさを他人に押し付けているだけ。それはエージェントとして失格よ」
頬を叩くかのように厳しい言葉を受けて、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。
彼女の言っていることが正しすぎたからだ。
そうだ。
僕は、ただ自分の正しさを押し付けようとしているだけだ。
だけど、それでも僕は、もっと他の形が――もっと正しい形があったんじゃないかって、そんな考えを振り払えずにいる。
僕は、どうしようもないほどに愚かだった。
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